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ふるさと便り(寄稿欄)

高砂支部会員が居住している地域社会での会員に関わる出来事や、ふるさとの名所・旧跡、歴史等を会員の寄稿により紹介するコーナーです。
 応募先は、鐘華会の機関誌「鐘華ニュース」の最終ページに記載されています高砂支部の鐘華編集委員のメールアドレスか
若しくは、このHP管理者にワードで記載し、写真は拡張子.jpegて寄稿して下さい。


神戸だより第3報「生田川」

寄稿日:平成26年1月3日(水) 寄稿者:叶 敏次
(下記写真はクリックしますと拡大写真を見ることができます。
また、拡大写真をクリックしますと元の写真に戻ります)

 布引の滝から中央区を縦断し、脇浜の船溜まりまで3Km足らずの短い川が生田川です。明治の初めに新しく付け替えられた川で、新生田川と呼ばれた時期もありました。川筋は長年にわたって整備され今では桜の名所になっています。

生田川の桜 桜の木の紅葉
 生田川の水は布引の滝から流れ落ちていることから、布引の滝を詠んだ多くの歌碑が布引の滝から生田川の河口まで点在しています。平安時代から江戸時代にかけて読まれた歌を「布引三十六歌碑」として明治の初めに建てられたもので、その後行方不明になったりしたものもありましたが近年すべての歌碑が復元されました。桜の季節や紅葉の季節に三十六の歌碑を探しながら、平安時代の宮廷貴族たちの雅を味わって見てはいかがでしょうか。
西園寺実氏の歌碑 藤原隆家の歌碑

古くから歌に詠まれることが多かった布引の滝ですが、その下流の生田川の両側(旧葺合町)には、和歌から取った町名が多く見られます。

  和歌の始まりと言われているスサノオ命の「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣
  つくる その八重垣を」から名付けられた「八雲町」。

  旭通は    「呉竹の 夜の間の雨に 洗ひほして 朝日に晒す 布引の滝」
        (西園寺実氏)

  雲井通は  「雲井より つらぬき懸る 白玉を 誰れ布引の 滝といひけむ」
        (藤原隆家

  若菜通は  「旅人の 道さまたげに 摘むものは 生田の小野の わかななりけり」
        (師輔「堀川首」)から。

  小野柄通  「分け入りし 幾多の斧の 柄もここに 朽ちしや果てむ 布引の滝」
        (加茂季鷹)

  東雲通    「みつか夜の まだ臥し慣れぬ 芦の屋の つまもあらはに 明ける東雲」
        (藤原隆家)

  日暮通    「布引の 滝見て今日の 日は暮れぬ 一夜宿かせ 峰の笹岳」
        (澄覚法親王)

  等などです。

 ハイカラなイメージの神戸ですが、古い和歌から町名を付けるなんぞはなかなか風流な趣のある街ですね。
 新神戸駅のすぐ南には神戸市と天津市の友好都市20周年記念に天津市から送られた「百龍嬉水」と「連翼亭」があります。ODAによる日本からの多額の支援(総額3兆円以上)や技術援助が活発なころは日中友好でしたが、今や見事に手のひらを返されました。恩仇倍返!

百龍嬉水 連翼亭
 生田川の河口には、阪神淡路大震災までは川崎重工の工場がありました。現在はHAT神戸と言う住宅地に生れ変っていますが、その工場で使われていた「はずみ車」の一部が昭和の遺産として残されています。
大きなはずみ車

 室町時代から江戸時代、明治維新から昭和、平成と多くの歴史上の出来事や数多くの戦乱や災害を見てきた生田川。何事も無かったかのように六甲の「おいしい水」を絶えることなく流し続けています。 
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」(方丈記)の通りですね。
 生田川の散策には、新神戸駅の駅弁を持って川沿いの公園で弁当を広げるのがお勧めです。特に新神戸駅の名物弁当、「タコ飯おにぎり」がお勧めです。
 古くて新しい生田川の歴史とタコ飯を堪能してください。


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