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神戸だより第7報
「神戸駅」

寄稿日:平成26年4月6日(日) 寄稿者:叶 敏次
(下記写真はクリックしますと拡大写真を見ることができます。
また、拡大写真をクリックしますと元の写真に戻ります)

 神戸の街の地形はざっくり言って、街自体がほぼ東西(正確には東北東から西南西)に延び北側に六甲山、南側に大阪湾と言うのが一般的なイメージだと思います。神戸っ子は神戸市の地理を説明するのに、海側(浜側)、山側と言う言葉を使います。大丸百貨店の店内の標識にも海側、山側と書かれていて、神戸っ子にはなじみの表現です。ほぼ東西に延び六甲山と海に挟まれた長細い街ならではの表現です。
 したがって街中を走る国道、JR、阪急・阪神電車はほぼ東西に走っています。ところがJRに乗って三ノ宮駅から神戸駅に向かうと、元町駅を過ぎたあたりから海側に大きくカーブしていています、その結果神戸駅はまっすぐ南北を向くことになります。このことは神戸っ子でもあまりイメージがなく、まして外部から来られる観光客の人々(鉄道マニア以外)には全く意識されていないと思います。


元町駅から海側にカーブする線路  右上の方位マークと比較すれば神戸駅が南北を向いているのが良く解る。

このことをよく表しているのが神戸駅中央改札口の標識です。地理上は東側・西側と表示すべきところ、わざわざ北側・南側と表示してあります。ほとんどの人々が六甲山が北、港が南と言う固定観念があるからでしょう。

地図上は西側にもかかわらず北側と表示 間違う人が多いのかダブルで表示

 神戸駅が南北を向いたのは明治初頭に建設された神戸駅の歴史が絡んでいます。
 明治5年に汽笛一声で走り出した日本初の鉄道、新橋~横浜間より遅れること2年、大阪~神戸間が開通しました。この時建設された神戸駅は今より海側にありました。神戸港を貿易港として発展させる為、船からの貨物を鉄道に直結させる意図がありました。
 構内からは日本初の鉄道桟橋が神戸港に延びていました。明治になって10年足らずの間に、同じく貿易港として発展しようとしている横浜とそして神戸に鉄道を設置し貿易を盛んにし、欧米に負けない国力を得ようとしていた明治新政府の心意気を感じることが出来ます。
 港に直結した駅にするため元町あたりから今よりもっと急なカーブを描いていたと思われます。明治22年に新橋から神戸まで繋がることにより、神戸駅は西の終着駅となりました。このことによって東海道本線の終着駅は京都、大阪でなく神戸駅となりました。ちなみに東海道新幹線は東京~新大阪で東京~新神戸ではありません。
 明治21年にスタートした民営の山陽鉄道(当初兵庫~明石間が開通し、約10か月後明石~姫路間が開通)の兵庫駅と東海道線の神戸駅を繋げるため、明治22年にほぼ現在の場所に二代目駅舎が建設されました。兵庫港近くに建設されていた兵庫駅と神戸港に隣接していた神戸駅を結ぶため、現在のようにS字カーブを描く線路が出来たわけです。その後、山陽鉄道は国有化され山陽本線と呼ばれるようになり、神戸駅が起点となりました。今でも神戸駅にはそのことを現す「ゼロキロポスト」を見ることが出来ます。

神戸駅にあるゼロキロポスト ポスト下の枕木、東海道・山陽の字が見える
「汽笛一声新橋を・・」で始まる鉄道唱歌の東海道編は65番の、「おもえば夢か時のまに 五十三次走り来て 神戸の宿に身をおくも 人に翼の汽車の恩」で神戸が終わり、66番で山陽道への乗り換えを歌っています。
「明けなばさらに乗りかへて 山陽道を進まゝし 天気は明日も望みあり 柳にかすむ月の影」。
 ちなみに、山陽本線編の一番は、「夏なほ寒き布引の 瀧のひびきをあとにして 神戸のさとを立ちいづる 山陽路線の汽車の道」となっています。
 昭和5年、駅高架化に先駆け三代目の駅舎が建設され現在に至っています。この駅舎には貴賓室が設けられ、昭和天皇初め今上天皇も皇太子時代に訪れておられます。貴賓室は現在も保存されていて中には入れませんが見ることが出来ます。がんこ寿司の店の奥にあるため、がんこ寿司に声を掛けてから見学できます。
貴賓室はがんこ寿司の正面奥にあります 貴賓室に保存されている当時の玉座
ステンドグラスの大時計と円柱  海側のデュオ神戸では物産展等が開催される
食事は当然貴賓室を見ながらがんこ寿司でしょう。酔いつぶれても改札口までわずか30秒です。