滋賀支部ハイキング:100回目ハイクを終えて
改定履歴
2013.5.30 宮地さんより1回目ハイクの情報をもらい文章の修正実施
2013.5.31 宮地さんより1回目の写真と案内状を入手。宮地さん資料ありがとうごxざいました。
2013.8.25 100回記念特別企画(雲の平)は悪天候のため中止。100回記念ハイクと特別企画も完了したので文を大幅修正して
書き直しました。一部赤文字としています。
H12.10.28 史跡探訪;飛鳥の遺跡を歩く 水落遺跡で富岡さんが説明を開始すると一般客も集まって耳を傾けたとのこと 前列 左より二人目が中西さん(初代リーダー) 後列 左より二人目が富岡さん |
H14.5.7 葛城高原ツツジ鑑賞と葛城古道 ほぼ中央が中西さん 右から4人目が結城さん(二代目リーダー) |
記念すべき100回目の記念ハイクが7月に実施され無事完了しました。1997年(平成9年)に1回目が開催されて16年経過後に
達成できたことになります。1回目の参加者で現役のハイカーがふたり(宮地さんと富岡さん)おられ本当にびっくりです。
歴代のリーダーは中西徳弘さん、結城悦夫さん、八島憲治さん、の計3名でありわたしで4代目となります。
それぞれ6.5年(41回)、4年(26回)、3年間(17回 3名計84回)担当されていました。
これまでの実績を振り返ってみると概ね10から15名(平均12名)の参加があり、最低で4名(カタクリの今庄・藤倉山
と荒神山)最高で20名(箕面公園周遊)の実績であり、延べ人数が1187人(8月末時点)となっています。
初代リーダーの中西さんは支部長時代に支部活動の停滞からの脱却のため皆の意見を集約しハイキング同好会を立ち上げら
れました。自らはハイキングの経験がないため資料を駆使して計画されたとのこと。また、歩くだけでは面白くないとの意見
もあり、参加者の富岡さんの考古学への造詣の深さを活用した「史跡探訪」を定期的に取り込むなど企画には相当神経を
使われたようです。記憶に残る印象的であったことはふたつ。ひとつは飛鳥の水落遺跡で富岡さんが説明を開始すると一般
の観光客も集まってきたこと。いまひとつは葛城高原のつつじのすばらしさです。中西さんは支部長退任後もハイキング担当
で継続されたが体調を崩され後任にバトンタッチ。なお、1回目の安土城(案内状と写真)については宮崎さんがガイド役を
務め、終了後駅前で反省会を実施したとのこと、この「反省会の実施」が伝統を守るという名目でいまなお継続しているのは大いに面白い。
2代目の結城さんは当時の富岡支部長の要請で後任を引き受けられたものの4年後、足の故障のため奥さんを交渉人に選び、
「泣き脅し戦術」で現支部長の八島さんにバトンタッチ。3代目の八島さんの思い出のひとつは彦根大仏のお参り(68回)
した日に初孫が誕生したこととのことでした。
100回記念行事(7月)ということで地元の山(比叡山)を下りたあと100回記念懇親会を開催し、100回のハイキングの
思い出話などを共有化し団らんしました。また、8月には記念行事の一環として北アルプスの雲ノ平山行(6名参加)
を計画しましたが、当日は警報がでるくらいの雨量となったこともあり中止とし、「海の幸満喫&温泉ツアー」に変更し
完了しました。
「海の幸満喫&温泉ツアー」でのトピック2件、ひとつは温泉でゆったりしていると温泉の主人から「雨のため道路閉鎖の
可能性があるので滋賀県民(われら6名のこと)はただちに脱出せよ」との警告を受け文字通りの脱出を敢行、いまひとつはカネカ
ファミリーにもこういう家庭愛があったのかという打ち明け話、「若いころ、主人が2−3日の出張から帰ったときはうれしくて玄関先で
抱擁しするのが常であった」とのこと、話されたご当人は皆がこのような行動をされていると思い込んでいたために話されたようです。
聞かされた我々はこういう家庭もあるのかと自分の体験を振り返りびっくりしたことはいうまでもありません。
以下 100回までの軌跡を整理しました。リーダー毎の記録は下記参照ください。
また、どのようなところに行っていたのかは整理しましたので「まとめ」を参照ください。
中西さんがリーダーのときの実績 3P
結城さんがリーダーのときの実績 1P
八島さんがリーダーのときの実績 3P
86回以降はハイキングページ参照ください。