高砂支部ホームページ

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ふるさと便り(寄稿欄)

高砂支部会員が居住している地域社会での会員に関わる出来事や、ふるさとの名所・旧跡、歴史等を会員の寄稿により紹介するコーナーです。
 応募先は、鐘華会の機関誌「鐘華ニュース」の最終ページに記載されています高砂支部の鐘華編集委員のメールアドレスか若しくは、このHP管理者にワードで記載し、写真は拡張子.jpegて寄稿して下さい。


寄稿日平成26年5月10日 寄稿者:叶 敏次 ~神戸だより~ 第8報 「神戸港

(下記写真はクリックしますと拡大写真を見ることができます。
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 神戸は奈良や京都、大阪に比べて歴史が新しくモダンな港町と言う印象が強いと思います。しかし神戸には港にまつわる千年の悠久の歴史と栄枯盛衰の物語があります。神戸港は平清盛に見いだされた大輪田泊や兵庫津に始まり、明治維新以降は近代日本の発展を支える重要な港として発展してきました。
 神戸港は貿易立国の輸出基地として、大東亜戦争敗戦以後の日本の奇跡の復興・高度成長を支えてきましたが、一方まったく別の顔を持ってきました。明治41年4月28日、第一回ブラジル移民船笠戸丸が神戸港から出港して以来、日本を代表するブラジル移住基地となりました。

神戸港を見下ろす移民家族の像 移民船「笠戸丸」

日本全国から神戸に集まった移住者は、当時神戸にあった「移民宿」に宿泊し移住手続をしながら移民船の到着を待ちました。その後昭和3年に国立移民収容所(後の神戸移民センター トアロードの突き当りの西側)が出来、ブラジルなど中南米にここから約25万人の人々が希望に胸を膨らませて旅立って行きました。
 海外移住者はここで出国手続きや健康診断、語学や移住先の国の情報等の講習を受け新天地へと神戸港から船出していきました。神戸移住センターは昭和46年に閉鎖されるまで移住者にとって日本の最後の日々を過ごした第二の故郷になりました。

当時の航海図(大阪商船)
  2か月近い航海だったそうです。 
移住センターの庭で荷物をまとめる移住者
奥の建物はトーアホテル
メリケンパークにある移民船乗船記念碑 ブラジル移民発祥の地 移民センター
黄色い花はブラジルを代表するイペーの花
 平成10年の歌会始で美智子皇后が移民について詠まれています。(お題は“道”)

       移民きみら辿りきたりし遠き道にイペーの花はいくたび咲きし

阪神・淡路大震災の直後、この建物が健在でることを知ったブラジルの日系ブラジル人団体から神戸市に保存整備の要請が寄せられ、神戸市がこれに応え当時の面影を残しながらリニューアルし「移住ミュージアム」として再出発しました。現在、内部を見学することが出来ます。
 このように戦後日本の復興を支え、また多くの移民を送り出してきた神戸港は、現在「おもてなしの国」の海の玄関口として多くの観光客を迎えています。

今年の3月19日初入港したクイーンエリザベス号(90,901トン)
4月13日に初入港したダイヤモンド・プリンセス号(115,875トン)
本船は三菱重工長崎造船所で建造された日本造船史上最大の客船
神戸港では過去最大の客船「ボイジャー・オブ・ザ・シーズ」号(137,276トン)の雄姿

貿易立国から「おもてなし立国」へ、神戸港も大きく変貌を遂げています。それに伴い最近ますます外国人観光客が多くなっています。おもてなしの心と世界で最も多い三ツ星レストランと神戸B級グルメで外国人をおもてなししたいものです。
 メリケンパークには休日にはフリーマーケットが開かれ多くの人出でにぎわいます。ランチ(特に女子会あるいはおば様会にお勧め)はメリケンパークの隣にあるホテルオークラのカフェレストラン・カメリアの「ランチ&スイーツブッフェ」がお勧めです。