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寄稿日平成26年5月13日 寄稿者:宮本和夫  高砂近在の「黒田官兵衛」ゆかりの地を訪ねて


この日曜日(5/11)のNHK大河ドラマは、荒木村重の謀反とそれに呼応して黒田官兵衛の主君である小寺政職の寝がえり、村重の説得に向かった官兵衛が主君の裏切りにより有岡城で幽閉されるところ迄であった。今後、1年有余に到る監禁、この間の歴史の動きをどのようなフィクションを織り交ぜて展開させていくのか楽しみである。
 私がこの郷土が生んだ稀代の軍師黒田官兵衛を知ったのは、比較的遅く30歳を越えてからであった。当時ベストセラーであった司馬遼太郎の「播磨灘物語」3巻を読んで、初めて、へ~こんな人が地元播磨にいたんだということを知った。
 その後、2007年に姫路の独協大学創立20周年記念として播磨学特別講座で「黒田官兵衛の野望」と題して独協大学で行われた半年間で計10回の特別講座を受講した。受講の帰りに、官兵衛ゆかりの地を訪ね視て回ったが、今年からNHKの大河ドラマに取り上げられたのを機に、先ず官兵衛の生誕地である黒田庄の荘厳寺へ。また、姫路城内にある県立歴史博物館で開催されていた「黒田官兵衛展」へ。この4月~5月にかけて放映されたドラマに描かれていた近隣のゆかりの地、志方城址(現観音寺)、加古川城址(現称名寺)、三木城址、竹中半兵衛のお墓等を訪ねてみた。

(下記写真はクリックしますと拡大写真を見ることができます。
また、拡大写真をクリックしますと元の写真に戻ります)

司馬遼太郎著「播磨灘物語」3巻 特別講座「黒田官兵衛の野望」 特別講座カリキュラム

荘厳寺(西脇市黒田庄黒田)
 荘厳寺周辺の「黒田の里」には、黒田官兵衛生誕地(姥ヶ懐)があり、そこには生誕の地と記した石碑が建てられている。荘厳寺は約1360年ほどの歴史がある高野山真言宗の古刹である。当山所蔵の播磨黒田氏系図、「荘厳寺本 黒田家略系図」によれば、黒田官兵衛のご先祖、播磨黒田氏は、観応二年(1351)以来、多可郡黒田城主として九代、二百数十年にわたり当地・黒田に存続していたとある。(荘厳寺ホームページより
 荘厳寺に立てられている説明板によれば、当地黒田は官兵衛の先祖赤松直流の黒田氏、荘厳寺所有の本黒田家略系図の資料の研究によって根本地でありしかも黒田官兵衛の出生地であることが心光寺旧記等の姫路の古文書、そして当山所蔵の荘厳寺本黒田家略系図などの史料研究によって近年はじめて判明した新事実で、これにより、従来の通説がくつがえされたとの説明がなされている。

荘厳寺庫裏 271段の階段を上った所に荘厳寺本堂あり 荘厳寺本堂
荘厳寺の多宝塔 荘厳寺所有の本黒田家略系図 荘厳寺説明板

姫路の兵庫歴史博物館で開催された黒田官兵衛の生涯を7部構成で紹介した「軍師官兵衛」の47日間の特別展が5月6日に終了した。同じ行くなら、桜の時期にすべきと知人と4月10日に、桜と不可分の関係にある日本酒を持って世界遺産である姫路城内で、桜吹雪の舞う観桜の最終章を堪能してから歴史博物館に向かった。ここでは、官兵衛が信長より拝領した刀「へし切り長谷部」(国宝)を初め、数々の貴重な遺品が展示されていた。余談になるが、入場料は1200円であったが65歳以上は半額の600円というありがたい値段で設定されていた。最近65歳以上は無料というところが多くなってきており、特に障がい者やその介護者にこのような配慮がなされていることはうれしい。
 当日は、お酒が入るので、山陽電車で出かけたところ、初っ端から、電車の車体に大きく黒田官兵衛の肖像画(NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公の岡田准一が演ずる官兵衛)が描かれていて驚かされた。姫路駅に到着すると、駅のホームには、のぼりがはためいておりホームを出れば道路わきにも、「この男世界遺産級・・・?」と書いたのぼりが、はためいていた。姫路市はまさに官兵衛一色という感じであった。

山陽電車の車体に描かれた官兵衛-1 山陽電車の車体に描かれた官兵衛-2 山陽電車の車体に描かれた官兵衛-3
官兵衛ののぼり 県立歴史博物館「黒田官兵衛展」

志方城址(現:観音寺 加古川市志方町720
 官兵衛の正室の光姫(てるひめ)は、この志方城主である櫛橋氏の娘。嫡男は、のちの福岡藩主黒田長政。光姫の生家志方城は1578年に落城した。観音寺は曹洞宗の寺院で、志方城の本丸跡に位置しており、附近一帯が志方城跡である。
 私が訪れた4月の時点では、観音寺の本堂は修復中で覆いがかかっていて拝観はかなわなかった。現在、加古川の古刹鶴林寺で「黒田官兵衛と妻・光(てる)に思いを馳せて」と題した展示会が6月30日まで開催されており官兵衛直筆の書状や志方城跡の観音寺に伝わる光姫の生家の「櫛橋之記」や系図などが紹介されている。

観音寺鐘楼 修復中の観音寺 光姫の生家の櫛橋家累第の墓所
加古川城址(現称名寺 加古川市加古川町本町313
 称名寺は真言宗の寺院で、この附近一帯が加古川城跡であった。1577年の加古川城で行われた加古川評定は、織田方か毛利方に付くべきか播州武士が苦悩した評定の場でもあった。寺内の官兵衛ゆかりのものがあるのか?はよくわからなかった。境内には武士の忠義を今に伝える「七騎顕彰碑」とよばれる供養塔があり、こちらの方が名を馳せているようだ。山門を入ると大きな銀杏の木があり、昔はこの銀杏の木が加古川の町の目印であったらしい。
称名寺山門 称名寺本堂 護摩堂(不動堂)
三木城址(現:三木城址公園 三本市上の丸町)
 三木合戦で「三木の干殺し」といわれる2年にも及ぶ秀吉軍の兵糧攻めで、別所長治は飢えに苦しむ家臣や領民の命を救うべく
 「今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば」
の辞世を残し自害して三木城は落城

 この三木合戦では、我が町の高砂城も東播磨各地の支城として神吉城、志方城と共に三木の別所方に従っている。この三木城は、明石城
が築城されたときに廃城となり、今では本丸跡が上の丸三木城址公園として残されている。
雲龍寺と長治公の首塚(三木市上の丸9-4)
 雲龍寺は曹洞宗の寺院で、三木城址公園とほぼ隣接している個所にあり室町時代に別所氏の帰依を得た。長治公が自害し首実検の後、住職が長治夫妻の首を貰い受けて埋葬したと伝えられる首塚がある。
別所長治公の石像 辞世の句碑 三木合戦図
山の中央部が秀吉が本陣を張った平井山 高源山雲龍寺 別所長治公と妻の首塚

竹中半兵衛のお墓(三本市平井)
 軍師竹中半兵衛については1564年2月、弟・重矩や舅・安藤守就と共に斎藤龍興の居城・稲葉山城(後の岐阜城後)16人の部下とともにわずか1日で奪取した話は特に有名である。
 1579年4月、三木城の包囲中に病に倒れた。武士ならば戦場で死にたいと秀吉に懇願して三木の平井山の秀吉本陣に戻り、陣中にて613日に死去した。享年36歳。死因は肺の病気といわれている。

白い塀の中に竹中半兵衛のお墓がある 半兵衛のお墓 半兵衛のお墓説明板