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ふるさと便り(寄稿欄)

高砂支部会員が居住している地域社会での会員に関わる出来事や、ふるさとの名所・旧跡、歴史等を会員の寄稿により紹介するコーナーです。
 
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寄稿日:平成27年2月22日(日) 寄稿者:波戸義雄 「高砂の竜山石」を巡る

国内で唯一の古墳時代から現在まで連綿と採石が続けられている竜山石に興味があり、少し勉強していましたが、215日に「ふれあいの郷生石」で平成2610月「石の宝殿及び竜山石採石遺跡」が国史跡指定を受けたこと、「播磨国風土記」編纂1300年、及び高砂市制60周年を記念して、フォーラム「播磨国風土記と石作集団」が開催され、拝聴してきました。主催者が用意した350部の資料が足らずに増刷するほどの大盛況で、関東など遠方からの人達も含めて約400名の参加がありました。
  ここでは、高砂市内の竜山石に関わる場所を歩いて巡ってきましたので、今回のフォーラムで得られた情報も含めて竜山石について記載しました。 スタートは曽根天満宮で、西側には瓢箪、盃、扇が刻まれた石を組み込んだ竜山石製の石垣があります。この石垣では竜山石が細工しやすい石であること、及び青・黄・赤色の3種類の石があることの特徴が良く出ています。竜山石は、火山灰が堆積して出来た凝灰岩で、元々青色のみだったのが、風化により黄色と赤色(生成過程が若干異なり、希少)が出来たと言われています。ちなみに、刻まれた3個の石は、瓢箪に入れた酒を盃で飲んで扇で舞うという酒宴を現しています。境内には1723年に作られた、竜山石製の石橋(市文化財)があり、欄干の透かし彫りなどは見事で、播磨の石工の技術力の高さを感じます。


(下記写真はクリックしますと拡大写真を見ることができます。
また、拡大写真をクリックしますと元の写真に戻ります)
梅の名所曽根天満宮 瓢箪
青黄赤の竜山石 竜山石製石橋

曽根天満宮の東300mの教育センターには、「天磐船(アマノイワフネ)(県文化財)3基の石棺が保存されています。いずれも古墳時代後期(67C)に作られた家形石棺です。竜山石製家形石棺は、西は山口県(周防)、東は滋賀県(近江)まで分布していますが、500基以上の家形石棺の内約8割の413基が播磨に残っています。一方で古墳時代中期(5C)に作られた竜山石製長持形石棺は30数基確認されていますが、播磨には11基しかなく、大和や河内等の畿内に15基が確認されており、播磨地域における支配権力変遷の影響とのことでした。フォーラムの翌週に訪れた大阪府藤井寺市(河内)の津堂城山古墳に竪穴式石槨(石棺を保護する竪穴施設)の天井石として使われていた竜山石が展示されていました。中の長持形石棺も竜山石との説明文があり、重機や鉄道・トラックの無い時代に、これらの石をここまで運ぶのは大変だったろうと思いました。センターには展示室に石棺や古墳の模型等が、屋外には竜山石製「井筒」、「流し台」等も展示されています。

天磐船石棺蓋 阿弥陀古墳群出土石棺 出土地不明石棺
(参考)津堂城山古墳の竜山石 展示室の石棺模型等 竜山石製井筒
 次ぎに訪れた明姫幹線側の観涛処登り口には、「空鉢塚」と「芭蕉句碑」が残されています。階段を上ったところにある「観涛処」(市文化財)は、32歳で亡くなった姫路藩儒学者永根文峰19歳の時の書を、家老河合寸翁が命じて1836年に完成させたもので、高さ3m、長さ10mの岩肌に縦横1.8m3文字が刻まれています。埋立で海岸線が遠くなっていますが、当時は近くに涛()が美しく見えたものと思います。
 観涛処から少し登ると稜線に出ます。稜線に沿って東に行くと長さ
36m古墳時代前期後半(4C後半)の前方後円墳竜山五号墳が有りますが、草木が茂っていて古墳とは分かり難いです。更に進むと窪みが3箇所有り、3番目の窪みには渇水期でも水が溜まっています。池の底に岩の割れ目が無く、雨水が浸透せずに残っていると思われますが、山の上にある池なので不思議な感じがします。竜山山頂(標高92m)は二等三角点で眺望が良く、晴れていれば明石海峡大橋も見られ、カネカ高砂工業所もよく見えます。

空鉢塚 芭蕉句碑 観涛処
竜山五号墳 山の上の池 山頂からの眺望

稜線の所にも有りましたが、法華山谷川に降りる登山道には希少な赤色の竜山石が露出しています。川沿いの勤労者総合福祉センター前には1/5に縮尺された石の宝殿が置かれています。現物は大きく且つ刳り抜いた岩盤の中に有って分かり難いですが、石造物の全容がよく判ります。
  石の宝殿は、宮城県塩釜神社「塩釜」、宮崎県霧島山「天の逆鉾」と並んで日本三奇の一つで、その成り立ちには40以上の諸説が有り、「目的は?」、「誰が?」、「完成品?」等で謎に包まれています。年代については、神社入口の竜山一号墳石棺が蓋の形状から7C後半と推察され、その被葬者との関連性が示唆されていますが、確たる証拠は有りません。
  神社入口の道を挟んで観涛処への登山道があります。両側絶壁の細い箇所も有り、特に下りでは大変危険な道ですが、危険箇所の手前に数多く残っている昔の採石場跡地の内の数カ所があります。絶壁の近くに有りますが、山容が変わるほどの大規模な採石が行なわれたのは、火薬や重機の発達した近世で、昔は絶壁も無く安全に採石が出来たと思います。最後に明姫幹線竜山大橋西詰の南にある、竜山の山名の由来となった「竜ヶ鼻」といわれる岩を見学して帰りました。

登山道の赤色竜山石 縮尺石の宝殿 石の宝殿から竜山を望む
竜山一号墳 昔の採石場跡 竜ヶ鼻

石棺は7C末で作られなくなりましたが、竜山石はその後、寺の礎石、石塔、石仏などの仏教関係の石造物に使用され、近世では建物の基礎石、石垣、擁壁等の建築部材として大量に利用されてきました。高砂市内にも竜山石を使った建築物やモニュメントが多数有ります。
  石の宝殿を始めとする竜山石の歴史と文化に触れることは大変興味深いです。今回歩いた曽根天満宮から石の宝殿までは、多少のアップダウンは有りますが、5km程度です。書き切れなかったことが他にも有りますので、興味のある方は一度歩かれて確認されてはいかがでしょうか。



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