5月28日(水)、10時にJR御着駅に集合した14名の会員は、元施設部でご活躍されていた高谷良樹さんのご厚意で、御着周辺の黒田官兵衛にまつわる名所を案内して戴きました。
まず初めに、御着駅前にある観光案内図でポイントの説明を受け、最初に着いた所は国分寺跡地である。国分寺は仏の力で世の中を平和に治めてもらうために造られたものであるが、全国で60余箇所しか無い。毛利軍の別所軍が上月城を攻めた時に黒田官兵衛が撃退したものの、ここ国分寺は別所軍に焼き払われたしまった。立派な七重の塔も有ったのだが、同時に消失してしまった。今は「播磨国分寺跡」として国の指定史跡と成っている。
次に、第1、第2壇場山古墳と共に第3古墳として国の史跡に指定されている「山之越古墳」を訪れた。同古墳は五世紀中頃の方墳で、壇場山古墳に次ぐ首長墓とされ、上の部分には凝灰岩製長方形石棺が露出している。
次に行った壇場山古墳は、五世紀前半に築かれた前方後円墳で全長143m有り、県下第2位、西播磨では最大規模である。竜山石製長持形石棺の蓋の一部が地上に露出している。この後、黒田家廟所を訪ねた。同廟所には官兵衛の祖父と母の遺骨が納められている。
この後は小寺家の本城である御着城の跡地に建てられている「姫路市東出張所」に戻り昼食タイムとした。同出張所の敷地には、官兵衛の父がこの木から作った目薬を売って財を成したと伝えられている「目薬の木」が植えられていた。
昼食後は大歳神社(オオトシジンジャ)(所によってはオオサイジンジャと呼ぶところも有る)にお参りし、深志野共同墓地にある黒田官兵衛と軍師関係にあった竹中半兵衛のお墓に参拝した。僅か高さ30センチ程の刻印も無い石が置かれただけの粗末な墓であった。
その後、出発箇所のJR御着駅に戻り解散となった。おおよそ8km程の可成り長距離のハイキングであった。
本日ご案内戴いた高谷良樹さんは、姫路市観光案内のボランティア資格を摂っておられ、非常に親切且つ内容の濃い説明を受けました。お蔭様で非常に良く理解する事が出来ました。大変お世話になり、本当に有り難うございました。
最後に取って置きの高谷情報をもう一つ:来年(H27年)3月27日に修復なった姫路城がオープンされるが、その前日(3月26日)ブルーインパルスが飛来して華を添えてくれるそうです。時間は?です。
|