4月5日、午前10時に「JR朝霧駅」に27名が集合した。近くに住まわれて居られるとのことで、大先輩の長谷川貞次さんが激励に来て下さいました。
いつものように片寄リーダーから今日の工程と注意事項の説明がなされてから、陸橋を渡って大蔵海岸に出た。陸橋を渡りきったところに、堀江謙一さんが20世紀最後になる1999年にサンフランシスコからこの大蔵海岸への大西洋横断に成功したヨット「モルツマーメイドU号」が飾られていた。(堀江さんの初の大西洋単独横断成功は1962年23歳の時です。堀江さんは芦屋市在住で、初成功後も、単独無寄港世界一周、縦方向の世界一周など、ヨットでの航海に何回も成功されています)。
大蔵海岸は明石海峡大橋を端から端まで望むことが出来、長距離に亘ってきれいで素晴らしい遊歩道が整備され、絶好のハイキングコースです。大蔵海岸の終わり近くで一休みし、人丸駅の所から海岸線遊歩道を離れ、山手の方へ向かいました。
最初に着いたのは「中崎公会堂」です。中崎公会堂は明治44年に建てられ、当時は文明開化で洋風建築が盛んな時期に、あえて、瓦葺の入母屋造り唐破風屋根の和風建築です。
ここからは「ぶらり子午線観光ガイド連絡会」の米田さんのガイドにより、中崎公会堂のすぐ近くにある「子午線交番」前の「大日本中央標準時子午線通過地標識」を見て、「明石天文科学館と子午線通過箇所表示ライン」、柿本人麿を祭神とする「柿本神社」、「月照寺」を経て「亀の水」に到着した。「亀の水」は、あの淡路阪神大震災時にも枯れる事なくこんこんと湧き出て市民の生活を支えたものである。その御利益に預かろうと何人かの会員はその水を頂いていました。さらに「文化博物館」を左に見ながら「明石公園」に到着した。
兵庫県立明石公園は、野球場、陸上競技場、自転車競技場、テニスコート、図書館、ボート遊びの出来る池や広場などを備えた広さ54.8ヘクタールの本格的な公園として整備されており、その丁度半分の27.4haが明石城跡である。
ここまで凡そ6〜7kmを、ガイド時間も含めて約3時間ほどかかって到着し、1時近くになったため、皆空腹に耐え兼ねたのか、記念撮影もそこそこに、流れ解散とし、各自、昼食に広い公園へ散っていった。花見を目的の一つにしていたが、残念ながら桜の開花はまだ少々先のようであった。
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