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投稿日:平成25年9月15日(日) 寄稿者:宮本和夫

第83回「日本人の心・視て歩き」・・・番外編
    〜橿原市・今井町から橿原神社へ〜 

 今井町の町並みを散策したあと全員で昼食後、解散。夫々帰路に着くものや小房観音へ行くものありで、私は、アルコールを控えて昼食をとった後、一人で橿原神宮へ向かった。
 奈良県の橿原市といえば、最初に思い浮かべるのは、初代天皇であり我が国建国の始祖となられた神武天皇と、その皇后が祀られている橿原神宮のことである。
「日本人の心・視て歩き」で橿原市の今井町を訪れるとの案内があったときから、神武天皇が橿原の地に宮を建てられ即位の礼を上げて我が国の基をたてられた宮址に明治23年に創建されたこの神社に、先ずお参りしなければならないと密かに思っていた。
 
それに、あとひとつの理由がある。それは橿原神社の杜に建立されている航空母艦「瑞鶴」の慰霊碑「軍艦瑞鶴之碑」に代参することである。これは、私の家内の父(義父)が、空母「瑞鶴」の乗組員で、先の太平洋戦争で初戦の真珠湾攻撃や世界初の空母対空母の海戦で、我が国が勝利した戦史に残る珊瑚海海戦等で共に戦った戦友達と毎年1025日に行われる慰霊祭に参拝してきたことを聞き及んでいたからある。
 慰霊祭の催しについては、平成6年に50周年慰霊祭を行って、これを機に「軍艦瑞鶴会」を解散した、その後、元「瑞鶴」乗組員も年々少なくなって慰霊祭続行は難しくなってきて、今は橿原神宮さんの奉仕により続けられている。
 その義父も平成2年に、義母は今年6月に逝去した。今年は義父や義母の代参として写真を持って参拝をしようと思っていたこと。また、少し前ではあるが、ベストセラーの百田尚樹著「永遠の0(ゼロ)」を友人に薦められて読んで触発されたことも大きな理由の一つになった。
(下記写真はクリックしますと拡大写真を見ることができます。
また、拡大写真をクリックしますと元の写真に戻ります)

近鉄橿原駅 橿原神宮第一鳥居 橿原神宮第二鳥居
南神門 外拝殿 内拝殿
 「永遠の0(ゼロ)」の主人公である宮部久蔵は、航空母艦「赤城」の乗組員で「ゼロ戦」のパイロットである。この物語は、V6の岡田准一主演で、現在映画化がすすめられており、その主題歌が先ほど復帰したサザンオールスターズの「蛍」という、何かと話題の多い期待の作品である。V6の岡田准一といえば周知のことではあるが来年のNHKの大河ドラマの主人公である黒田官兵衛を演じることが決まっている。(ついでながら黒田官兵衛は姫路出身で、空母「瑞鶴」が建造されたのも神戸の川崎造船所で、どちらも兵庫県出身である)物語は、主人公の宮部久蔵の孫である無職の佐伯健太郎と、フリーライターの姉・慶子は、太平洋戦争で特攻により戦死した祖父の久蔵について共に戦った戦友達に聞きとり調査を始める。ここで関連することは、冒頭の下記真珠湾攻撃に参戦の下りのみであり、物語の概要については省略する。

 昭和1611月に択捉島の単冠湾に「赤城」、「加賀」、「蒼龍」、「飛龍」、「翔鶴」、「瑞鶴」6隻の空母を含む30隻の艦船と搭載航空機380機からなる第1航空艦隊の指揮官等は1124日に旗艦に集合、南雲司令長官のもとで128日真珠湾攻撃を行い、そこからあの悲惨な太平洋戦争へと突入していくことになる。
 小説の主人公である宮部久蔵は空母「赤城」でゼロ戦のパイロットとして、片や義父は空母「瑞鶴」の乗組員で航空整備兵として、どちらも真珠湾攻撃に参戦した。
義父母の写真を持って代参 航空母艦「瑞鶴」の戦没者名簿 「瑞鶴」要目表
 空母「瑞鶴」について言えば、特筆すべき珊瑚海海戦がある。これはポートモレスビー攻略作戦において世界で初めて空母対空母の戦いとなり、この戦いには、「赤城」は参戦していず、日本軍は「翔鶴」と「瑞鶴」対アメリカ軍は「レキシントン」と「ヨークタウン」であった。日本軍は「レキシントン」を沈め、「ヨークタウン」を大破させ、損害は「瑞鶴」は無傷で「翔鶴」は中破のみで、日本海軍の勝利に終わっている。また、義父の幸運なことに、ミッドウェイ海戦や、「瑞鶴」が撃沈されたエンガノ岬沖海戦には乗船していなかった。
 ついでながら、真珠湾攻撃や珊瑚海海戦に参戦した義父ら戦士達に、聯合艦隊司令長官山本五十六より自筆の感状が(コピー)送られている。(資料@、A参照)
航空母艦「瑞鶴」の碑 航空母艦「瑞鶴」の慰霊碑の全景

資料@:義父の真珠湾攻撃参戦に対する感状 山本五十六の感状 資料A:義父の珊瑚礁海戦参戦に対する感状

 橿原神宮が発行している地図入りの案内書のどこにも、空母「瑞鶴」の碑は掲載されていなかった。よくよく考えてみれば有り得ない話であったのだが、浅はかにも、瑞鶴の碑は橿原神宮の境内にあるものとばかり思っていた。3人の巫女さん達に聞いても、知らないとのこと、神社が毎年1025日に慰霊祭をやっているでしょう?と問うて、初めて、神社の境内の外の森の中にあることを教えられた。
 教えられた通り境内を出て、登山口にさしかっかったところで、リュックサックを担いだ年配のご婦人が森の中の小道から出てきたので念の為に道を尋ねてみた。親切にも、今来た道を引き返して、瑞鶴の碑まで案内してくれた。
 そこは、とても広々としていて誰もいなかった。甘えついでに、義弟への証拠写真としてシャッターを1枚お願いした。瑞鶴の碑の前で写真を持って写っている写真がそれである。私にとっては、ほんとうに貴重な1枚の写真となった。

 八咫烏(やたがらす、やたのからす)は、神武天皇が東征の時に、熊野国から大和の国へ道案内したとされた鳥として、一般的には3本足のカラスとしてよく知られているが、このおばさんは、きっとこの八咫烏の化身に違いないと・・・。私は,すこぶる愉快なこの手の話が結構好きである。いやほんとうに疲れていたので、探す手間が省けてありがたかった。
 お参りの帰りに、橿原神宮のおふだと、車体に貼る八咫烏のイラストが入った交通安全のステッカーと交通安全のお守りを購入して、無事に代参の役目を果たして帰路に着いた。


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