5月2日〜3日に佐世保〜島原105kmを歩いてきた。このコースを歩くのは8回目であるが、5回目までと6回目以降では内容が大きく異なっていた。5回目は「情熱ください 感動あげます」のキャッチフレーズで、38回続いた順位を競う「105ウォークラリー」(以下WRと称す)が1205名の参加を得て最終回となった。
翌年「ウルトラ ウォークラリー」として別組織で再開されたが、長崎の歩友から競争ではなく仲間と楽しく歩こうと声を掛けられた。この趣旨に賛同する全国の歩友約30名とほぼ同数のベテランWRスタッフが一緒になり「105遊歩会」を結成して、佐世保〜島原のウォークを楽しんでいる。
佐世保には三宮から夜行バスで行ったが、4列シート、トイレ無しのバスで、2時間毎に運転手の交代とトイレ休憩があって十分に寝られなかった。8時過ぎに佐世保で降りて、港の見える公園の木陰で休んで、眠ることは出来なかったが体力消耗を抑えてのんびりと過ごした。
15時過ぎに佐世保駅前に行くと既に多くの歩友が来ていて、出発式の後、翌日12時スタートのウルトラWRより19時間前の17時にスタートした。WRでは一番暑い時間帯を歩いたが、直ぐに日没となって19時過ぎに灯りの点りだしたハウステンボス横を気持ちよく歩くことが出来た。
20時過ぎから1〜2時間毎にスタッフから食べ物や飲み物の補給を受けた。WRと違ってスタッフも仲間なので、話をしながらゆっくりと休んだ。時には「ゴミ袋はどこですか?」と聞いた歩友に「そこにあるけん、あんたも入りんさい」とゴミ扱いされるやりとりを聞いて皆が笑った。
49km地点の大村公園チェックポイント(CP)に着いたのは1時14分で、おにぎりやパンなどを食べて、唯一の難所鈴田峠を目指した。この峠の下り坂は暗くて狭い上に段差があり、自分も含めて何人も転倒していて、同行の歩友も10針を縫う大怪我をしたと言っていた。
慎重に歩いて62km地点の諫早CPを3時33分に過ぎると、睡魔が襲ってきた。我慢出来ずに2〜3分間の仮眠を2回取って何とか歩き続けることが出来た。やがて、5時前くらいから空が明るくなり始めると共に、体内時計がリセットされて眠気や疲れがなくなり、時速6km強の速度で歩き続けることが出来た。
島原半島を走る島原鉄道沿いに歩いて、問題となっている諫早湾干拓地の水門、6kmにも及ぶ国見のサッカーボールの街灯、この地方特有の鯉のぼり、PM2.5で霞む雲仙普賢岳などを見ながら、11時31分に18時間31分でゴールした。ゴール後しばらく休んでいたが、ホテルから迎えのバスが来る迄に時間が有ったので、天守閣復元50周年で賑わう島原城や多くの湧水がある市街地を1時間ほど散策した。
バスで1時間の島原半島先端口之津にあるホテルに15時に着いて、温泉に入り、18時から恒例の宴会が始まった。会長や最長老の挨拶があり、完歩出来なかった人も含めて全員に与えられる完歩賞授与式では本物か偽物かで大いに盛り上がるなど、疲れも見せずに皆元気に楽しんだ。
翌朝は快晴で、体調も回復していたので、2年前に濃霧で妙見岳から引き返した普賢岳登山に再チャレンジすることにした。皆と別れて島原駅まで行って10時発のバスに乗り、雲仙温泉街で下車して11時前から普賢岳に向かって歩き始めた。
途中で国の天然記念物ミヤマキリシマ群落で有名な池の原園地を通ったが、満開には少し早かった。2年前は仁田峠駐車場から妙見岳を経由して普賢岳に登るルートしかなかったが、ロープウェイ駅横から妙見岳を迂回する新登山道が出来ていて、火山活動で出来た風穴のある周回ルート経由で普賢岳山頂を目指した。
西の風穴では、冷蔵設備のない時に夏でも涼しい特性を利用し、氷室や蚕の卵を保存して孵化時期を調整して農繁期を避けることに利用していたとのこと。平成新山(1483m)の山頂下には、噴火で枯れてしまった大木林に代わって、成長の早いニシキウツギ群落などの低木林が再生されていた。
13時30分に普賢岳山頂(1359m)に着いたら、昨日歩いた国見方面や目の前の平成新山など素晴らしい眺望であった。しばらく景色を楽しんでから下山し、16時前に雲仙温泉街に戻った。硫黄臭のする噴気が活発に出ている雲仙地獄を散策してからバスに乗り、諫早で来た時と同じ2時間毎にトイレ休憩のある夜行バスに乗車して帰宅した。
翌週5月10日〜11日の舞子〜嵐山100キロを完歩して、100キロ完歩数は71回となったが、100キロウォークは楽しいが、毎回決して楽なウォークではない。
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