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寄稿日:平成26年11月7日(金) 寄稿者:宮本和夫


 第90回〜日本人の心・視て歩き〜 「明日香の里」巡り 

時間が遅れているとか、石舞台がどうの、もっと早く歩くようにとのボランティアガイドさんの声を聞いて、石舞台というからには、これは石舞台で何か神事でもあるのか?ひょっとすると若い踊り子がアメノウズメノ命に扮して、天の香具山のつる草をたすきに、笹の葉を手に妖艶な踊りがあるのかもと不埒なことを想定していたが、そうではなく、今日のコースの最終見学予定場所である石舞台のところから出るバスの時間は1時間に1本だそうで、このバスの時間を気にされていたようであった。

歴史に関してもこの程度の知識しか無く、まして飛鳥時代に到っての知識は、ほとんど持ち合わせていない。それでも、この「明日香の里」巡りに参加しようと思いたったのは、ここが、天皇制を中心とした日本国の発祥の地と聞いたからである。予め事務局で準備してくれていた資料を読んではみたが、なかなか記憶に留めておくことができず、ともかく、百聞は一見にしかず・・・と出かけたのが、9月に開催された本社支部のNKMA(「日本人の心・視て歩き」)の第90回目の行事「明日香の里」巡りであった。このNKMA行事の参加は、昨年の9月に第83回目の「橿原市・今井町の街並み散策」に参加して以来、約1年ぶりの参加となった。

前回83回の時に、今井町からの帰りに橿原神宮へお参りした。今回は明日香へ向かう前に橿原神宮にお参りを済ませ、ご朱印を戴いてから、今回の集合場所である橿原神宮前駅の東出口に向かった。
 これらの行事は本社支部のホームページにその様子の詳細が写真で掲載されているので、ここでは、エピソードを含めた簡単な紹介に留めたい。

(下記写真はクリックしますと拡大写真を見ることができます。
また、拡大写真をクリックしますと元の写真に戻ります)

【甘樫の丘】(あまかしのおか)
 飛鳥村(明日香)を一望できる標高148mの丘陵で、最もお薦め箇所である。東に飛鳥坐神社の森、北に天香具山、西には畝傍山に、二上山を望めることができる。国営歴史公園の甘樫丘地区に指定されている。

甘樫の丘より香具山を望む 丘に登った鐘華会のメンバー 甘樫の丘より明日香村を望む

【飛鳥坐神社】(あすかにいますじんじゃ)
 歴史は古く、現在の位置の遷座したのは829年といわれ、祭神は事代主神・飛鳥神奈備三日女神・大物主神・高皇産霊神とある。この神社に鎮座する数々の陰陽石には、田舎者でうぶな男にとっては気恥ずかしいかぎりであった。
 我が国の祖先は、古事記を読んでもそうだが、なんと神代の時代から、性に関しては、ずいぶんとあけすけでおおらかであったとものと感心しながら参拝した。

飛鳥坐神社の鳥居 飛鳥坐神社の本殿 陰陽石

【飛鳥寺】
 596年に創建。真言宗で新西国弟九番の霊場。創建時の寺域は東西約200m、南北300mもあったとは想像もつかないほどこじんまりとした寺院である。本尊の飛鳥大仏は、年代のわかる現存の仏像では日本最古のものといわれている。
 ここで、ご朱印をいただいている間に、出発となり、幹事の方々に待っていただいていたので、あわてて荷造りしていて、帽子を忘れてきてしまい都合3300円のご朱印代金となってしまった。

飛鳥寺遠景 飛鳥大仏殿と飛鳥大仏 飛鳥寺のご朱印

【飛鳥板蓋宮跡】(あすかいたぶきのみやあと)
  創建643年。ここは天皇の眼前で大臣の次期後継者である蘇我入鹿刺殺されるという有名な「乙巳(いっし)の変の舞台となったところ、いわゆる「大化の改新」がなされた場所でもある。

飛鳥板蓋宮跡でボランテイアーさんの説明 飛鳥板蓋宮跡での記念撮影 左の丘甘粕丘、真中のとがった山は耳成山、右は香具山
【橘寺】
 聖徳太子生誕の地として有名で、天台宗、
本尊は聖徳太子・如意輪観音。当初は東西870m、南北に650mの寺地に金堂、講堂、五重塔を始め66棟の堂舎が建ち並んでいたそうだ。
橘寺の遠景 橘寺の本堂 橘寺のご朱印

【石舞台】
 石舞台とは6世紀の築造の古墳であった。昔、狐が女性に化けて踊ったと言い伝えから石舞台と呼び名がついたそうで、石の総重量は推定2,300t、古墳最大の巨岩である天井石は、南側が約77t、北側約64tもあるとその規模は日本最大級を誇る。埋葬されているのは、この地で最大の勢力を誇っていた蘇我馬子であるとの説が最も有力視されている。

石舞台古墳 石舞台古墳の内部 想定埋設石棺のレプリカ

この飛鳥の地には、未だに多くの歴史的な遺物が眠っているらしい。まだまだいろんな歴史的価値のある遺物が発掘されるかも知れない。
 そんなロマンを感じさせるのどかな農村に別れを告げ、全員無事に石舞台発のバスに乗り込み、いつもの通り懇親会の予定場所へ向かった。
 懇親会場への到着時間が早かったのか店は開店していたが、まだ店員が出勤していないため幹事Oさんの奥さんが、ビール等の酒の種類から料理までの一切の注文を受け、厨房に連絡して挙句に出来上がった料理の配膳まで、全てを一手に引き受けてくれ、お疲れのところ大変恐縮した。アベノミクス成長戦略の一つに「女性が輝く日本」があるが、その姿とは、このようなことなのか?と疑問と、そして申し訳なさを感じながら,いつもの通り冷たい生ビールで喉をうるおし今日一日の疲れを癒した。       

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