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寄稿日:平成26年10月6日(月) 寄稿者:宮本和夫

山陰旅行(大山寺⇒大神山神社奥宮⇒倉吉散策⇒
     はわい温泉(泊)。三佛寺⇒城崎温泉(泊)
     温泉寺⇒玄武洞)

急に家族で山陰地方へ2泊3日でドライブをしようと思いたったのは、9月の3連休の8日前であった。先ず、おおまかなコースを鳥取県の大山寺⇒倉吉市(白壁土蔵群等の見学)倉吉市周辺の温泉で1泊、翌日は、難コースで有名な三佛寺の投入堂を見て城崎にて1泊。その翌日は、温泉寺と玄武洞を見て帰路につくというコースを設定した。このコースは、投入堂以外は、何度も訪れているが、家内の要望により設定した。我々夫婦だけであれば、休日を外すのだが、連休でしかも土日が入っているために、安価な宿がとれるかどうか心配であった。ふところ具合もあって1泊一人15000円以下の予算で検索してみたが、案の定見つからなかった。皆生、関金温泉もなく、はわい温泉でようやく1軒ヒットした。二日目のコースからみて1泊目は、三朝温泉あたりが都合よかったのだが、はわい温泉では倉吉から若干引き返すことになるが、やむを得ず1泊目は、はわい温泉泊とした。問題は城崎であったが、さすがに15000円以下というところがなく16500円という宿をこれもようやく見つけて、その宿を確保した。
 1日目は大山寺⇒大神山神社奥宮⇒倉吉市の町並み散策⇒はわい温泉(泊)。 家を830に出発して中国自動車道から米子道をへて、大山寺に着いたのが、1135頃であった。

 中国地方の最高峰である大山は、1709mあり「日本の名峰ランキング」3位に入っており、我が国で3番目に国立公園となった名峰である。大山町からみた大山の北壁は荒々しく、米子方面よりみるとなだらかな裾野をひく富士山のように見えることから「伯耆富士」とも呼ばれている。このように見る方角によっては、山の風景が異なりドライブ中もあきずに楽しい。昔は、この大山の西日本最大級のブナ林をトレッキングしたり、紅葉の季節には、鏡ヶ成から蒜山へも足を運んだものである。
【大山寺】
 大山は元々行者の修業の場として崇拝されていた。奈良時代(
718年)金連上人によって「大山寺」が創建されたのがその始まりとされている。
大山寺の正式名称は天台宗別格本山:角磐山大山寺という。地蔵菩薩を本尊としている。大山寺が栄えたのは鎌倉から室町時代であり、その規模は高野山、比叡山と並び、僧兵3000人を擁する大寺であったそうである。大山寺の本殿のみでは、今は往時を偲ぶよすがもないが、大山寺に向かう途中の分岐道の奥に位置する大神山神社奥宮に参拝して、ここは、明治時代に神仏分離令により、大山寺より分離された社であることがわかり、かなりの規模であったことが伺い知れる。寺の資料によると、明治初年の神仏分離令によって、寺号も廃絶し、大山寺一山は急激に頽廃するに到ったとの記述があった。現在では、4つの参拝堂と10の支院を残すのみとなっている。

(下記写真はクリックしますと拡大写真を見ることができます。
また、拡大写真をクリックしますと元の写真に戻ります)

大山寺山門 大山寺本堂 大山寺鐘楼

【大神山神社奥宮】
 神社には、大山寺に向かう途中から分岐した道を辿っても行けるが、私達は、大山寺の本堂の裏道を辿った。社殿は、権現造りのなかなか立派なもので、昔は修験霊場として大山寺の社殿の大智明大権現として大山信仰の中心であった。 明治初頭の神仏分離令により分離されたもので、かっての大山寺の諸堂、諸院が建ち並んでいた地域の最奥にあたる。
 この壮麗な建物は1805年の建立で大神山神社の奥宮と呼ばれている。大神山とは大山の古名で、大国主命(大黒さん)が祀られている。この神社には、①権現造社殿②内部極彩色白檀塗③700mの自然石参道と3つの日本一が現存する。

大神山神社奥宮への参道 700mの自然石参道(日本一) 参道
奥宮山門 大神山神社本殿 下山神社(重文)

【倉吉市:白壁土蔵群、赤瓦の町並み】
 資料によると、倉吉の歴史は古く古代には伯耆國の中心として栄え、南北朝時代には、打吹山(うつぶき)に城が築かれ、城下町、陣屋町として発展したとある。玉川沿いの白壁土蔵群や赤瓦の商家の町並みは、江戸、明治時代の建築物が多く重要伝統的建造物群保存地区となっている。同じ保存地区でも、本社支部の「日本人の心・視て歩き」で訪れた奈良の今井町とは、また一味違った風情があった。土蔵は、ほとんど、土産物店や、民芸品店やレストランなどになっていた。この町は、カネカの電解課で同じ職場であった上野さんの自慢の故郷でもある。そう言えば、今年の5/31に行われた電解OB会に顔を見せていなかったし、どうされていることやら・・・

倉吉市の白壁土蔵群 倉吉市の赤瓦商店街-1 倉吉市の赤瓦商店街-2

【はわい温泉】
 ここは、ハワイと名付くからには、本場のハワイに似せてハワイアンのBGMやフラ等の歓迎セレモニーがあるものと期待して行ったが、我々が宿泊した安宿にはそれらしきことは、かけらもなかった。大きなホテルでは、それらしきことはやっているとは聞いてきたが・・・旅館の近くには、「燕趙園」という中国庭園があるが、他にこれと言ってみるべきものはないとのことで、中国庭園には翌日、訪れることにして宿の周囲を散策してみたところ、なんと筆者と同じ性の宮本神社に遭遇した。これは、きっと霊験あらたかに違いないと、早速お参りして、家内の病気平癒を祈願した。
 宿の女将さんの説明によれば、この土地は、昔、宮の本村と呼ばれていたそうで、御祭神に佐留田昆古命が祀られているとのお話。たまたま泊った土地で、同じ性を持つ神社に巡りあえた奇遇は、これは何かの吉兆を予感させる幸先よい偶然の出来事だった。

宮本神社縁起 宮本神社鳥居 宮本神社本殿

 二日目は、はわい温泉から中国庭園の燕趙園を見て、今度の旅のメインとするところである三徳山三佛寺(みとくさんさんぶつじ)の国宝投入堂(なげいれどう)に参拝して城崎温泉泊という行程である。
【中国庭園:燕趙園】
 燕趙園は、梨が取り持つ縁で、鳥取県と中国の梨の産地である河北省と友好提携した。そのシンボルとして、東郷湖湖畔に日本最大級の本格的な中国式庭園を再現したもので、設計、資材調達、加工、建設にいたるまで、中国の職人が関わって造られたスケールの大きい庭園で見応えがあった。

影壁 四面荷風榭 華夏堂
臥龍廊と一覧亭 荷池と龍凰閣 梧竹幽園

【三徳山三佛寺】
 目指す国宝投入堂は標高900mの三徳山(国立公園)にある山岳寺院であり、鳥取県のほぼ中央に位置している。正式名称は天台宗三徳山三佛寺と称し、全体が国指定の名勝・史跡となっている。
 寺の資料によると、開山は706年に役行者が修験道の行場として開いたとされており、その後、849年に慈覚大師によって阿弥陀如来・大日如来・釈迦如来の3尊が安置され、往時は38の堂塔、3千軒の寺院を有していた。国宝の奥の院投入堂は、706年に役行者が法力を持って岩窟に投げ入れたと言われ「投入堂」と人々は呼ぶようになったとある。
 この投入堂までのルートが険しく、入山に際しては登山参拝事務所で服装、足元など厳しくチェックを受ける。いつもは、底に大きく切れ込みのあるすべりにくい靴を履いているのだが、この度に備えて、新しくスリムでカッコ良いスニーカーを買って、履いて行ったのが失敗で、この靴では、参拝は認められないと係員に言われ、しかたなしに、受付で販売している「わらじ」と手のひらにゴムの滑り止めがついた軍手を買って、受付で、自分の名前と住所と入山時刻を記帳して、「六根清浄」という文字の入った輪袈裟を手渡されて、投入堂へ向かった。
 本堂までの参拝なら400円、さらに投入堂までなら200円の入山料の追加が必要で、この他に、わらじが500円(だったと思うが記憶が定かでない・・・)、軍手代金が300円必要となる。
 また、ここは、厳しいコースのため、、男女を問わず一人での参拝は禁止されている。参拝事務所より私達の家族に、東京より一人旅の
50歳前後の女性の同行を求められ、旅は道連れと快諾して一緒に参拝することにした。

 わらじに履き換えたことが成功で、滑るといった心配はまったくなく、これほどの優れものとは?昔の人は偉かったと妙なことに感心しながら、かずら坂とか鎖坂と命名さたれた厳しい修験道を行者のようにすいすい・・・とはいかず、古希を過ぎて挑むには、いささかつらい道のりとなった。奥の院までには3つの国指定の重要文化財が点在しているが、参拝客が数珠つなぎなので、ゆっくり見ていると停滞するので、押し出されるように先へ向かわざるを得なかった。投入堂へ到達した時には、さすがにほっとした。もう二度とくることもない見事な建築美を擁する御堂をじっくりと遙拝して、往復、約1時間40分の行程を無事下山して、東京からきた旅人とも別れを告げ次の目的地である城崎温泉へ向かう。

三佛寺本堂 本堂内部 難所のひとつかづら坂
観音堂 投入堂(国宝) 同左

【城崎温泉⇒温泉寺⇒玄武洞】
 ここは、兵庫県住在の人なら、有馬温泉と並び、城崎温泉⇒温泉寺⇒玄武洞のコースは慰安会のコースとして最も手軽でポピュラーなコースであり、必ず1~2度は訪れているはずである。私も、その例にもれず、何度といえず訪れているのだが、恥ずかしながら、ほとんど酔っ払っていてよく覚えていない。
【城崎温泉】
 これぞ、日本の温泉という雰囲気を味わえる日本情緒豊かな温泉街である。前日に、はわい温泉の田んぼの中の1軒屋に泊ったせいか、温泉街のはなやいだ喧騒も妙になつかしく心が弾む。志賀直哉が投宿して、名作「城の崎にて」が書かれた宿として有名な「三木屋」も健在であった。其の他島崎藤村、司馬遼太郎といった多くの文人墨客が好んだ街だそうだが、その当時も今のようであったのだろうか?円山川の支流である大谿川(おおたにかわ)の両岸に植えられた柳の木、ぼんぼりの灯りが建ち並ぶ旅館やみやげもの屋とあいまって、温泉情緒をこの上もなく盛り上げている。各旅館の夫々の浴衣を着込み、多くの老若男女が大谿川の両岸をゆったりと散策している。私達もこの雰囲気を十分に堪能してから、有名な外湯巡りに入ったが2軒で酔いも深まりギブアップ。三徳山の登山した疲れもあって早々に眠りについた。

城崎温泉旅館と土産物店街 浴衣姿の温泉客 「城の崎にて」の執筆した旅館
大谿川(おおたにかわ)の両岸のやなぎ 外湯のひとつ 地獄湯 川面に映える灯り

三日目は、久し振りに、温泉寺と玄武洞を見て、ゆっくりとして帰路につく計画で、9時半に宿を後にした。出発の時に宿の女将さんが一願成就で地元に人気のある但馬六十六地蔵尊にお参りすることを薦められたので、ついでに、極楽禅寺をお参りして、教えられた道を地蔵尊に向かった。畑の中に、小さなお堂がそうであった。
【温泉寺・極楽寺】
 温泉寺の正式名称は高野山真言宗別格本山「温泉寺」で、本尊は十一面観音菩薩、
 600円でロープウエイに乗って、頂上の展望台と温泉寺の奥の院に参拝してから、途中の温泉寺駅で降りて温泉寺本堂や多宝塔を見て、ふもとの温泉寺の薬師堂にお参りした。また、温泉寺は城崎温泉郷の守護寺である

温泉寺奥の院 温泉寺本堂 温泉寺多宝塔
山門 薬師堂 極楽禅寺
極楽禅寺の本堂 極楽禅寺の石庭 一願成就のお地蔵さん

【玄武洞・青龍洞】
 資料によると、天然記念物「玄武洞」は160万年前に起こった火山活動で流れだしたマグマが固まる時に規則正しい割れ目を作りだし、柱状に節理が形成され誕生したとある。玄武洞の他に、青龍洞、朱雀洞、白虎洞、南朱雀洞、北朱雀洞とあるが、スケールの面から玄武洞、青龍洞であろう。

玄武洞 青龍洞 白虎洞

この度の旅程は急遽決定したので、安い宿を探すのに苦労した。1泊3万円以上であれば確実に余裕のある選択ができたのだが・・・いずれの宿にも部屋に風呂もトイレもない、いまどきには、珍しい?木賃宿のような風流?な旅館であった。風呂はともかく、トイレが部屋にないというのは、年寄りには、若干辛い面もあるが、その分、なにくれとなく面倒見がよく、村の起こりから、あぜ道にある一願成就のお地蔵さんまで是非にと薦めてくれる。言葉の端々に、商売気抜きのサービスがあり、久々に田舎の厚い人情にも触れることができた旅であった。特に印象に残ったのは、三徳山三佛寺の投入堂への道のりで、その参道は厳しい坂の連続で、娘に助けられ、下山してくる参拝者から暖かい声をかけられながら、なんとか踏破した家内のがんばりと古希を過ぎても、無事?踏破できた健康のありがたさを、いまさらながら痛感した旅でもあった。お互いに冥途へのいい土産話ができたと喜んでいる。
 今回、ご朱印を頂いた寺社は8ケ所であった。



鳥取-大山寺 鳥取-大神山神社奥宮 鳥取-三徳山 鳥取-三佛寺
城崎-温泉寺 城崎-薬師堂 城崎-温泉寺奥の院 城崎-極楽禅寺

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