急に家族で山陰地方へ2泊3日でドライブをしようと思いたったのは、9月の3連休の8日前であった。先ず、おおまかなコースを鳥取県の大山寺⇒倉吉市(白壁土蔵群等の見学)倉吉市周辺の温泉で1泊、翌日は、難コースで有名な三佛寺の投入堂を見て城崎にて1泊。その翌日は、温泉寺と玄武洞を見て帰路につくというコースを設定した。このコースは、投入堂以外は、何度も訪れているが、家内の要望により設定した。我々夫婦だけであれば、休日を外すのだが、連休でしかも土日が入っているために、安価な宿がとれるかどうか心配であった。ふところ具合もあって1泊一人15000円以下の予算で検索してみたが、案の定見つからなかった。皆生、関金温泉もなく、はわい温泉でようやく1軒ヒットした。二日目のコースからみて1泊目は、三朝温泉あたりが都合よかったのだが、はわい温泉では倉吉から若干引き返すことになるが、やむを得ず1泊目は、はわい温泉泊とした。問題は城崎であったが、さすがに15000円以下というところがなく16500円という宿をこれもようやく見つけて、その宿を確保した。
1日目は大山寺⇒大神山神社奥宮⇒倉吉市の町並み散策⇒はわい温泉(泊)。
家を8:30に出発して中国自動車道から米子道をへて、大山寺に着いたのが、11:35頃であった。
中国地方の最高峰である大山は、1709mあり「日本の名峰ランキング」3位に入っており、我が国で3番目に国立公園となった名峰である。大山町からみた大山の北壁は荒々しく、米子方面よりみるとなだらかな裾野をひく富士山のように見えることから「伯耆富士」とも呼ばれている。このように見る方角によっては、山の風景が異なりドライブ中もあきずに楽しい。昔は、この大山の西日本最大級のブナ林をトレッキングしたり、紅葉の季節には、鏡ヶ成から蒜山へも足を運んだものである。
【大山寺】
大山は元々行者の修業の場として崇拝されていた。奈良時代(718年)金連上人によって「大山寺」が創建されたのがその始まりとされている。大山寺の正式名称は天台宗別格本山:角磐山大山寺という。地蔵菩薩を本尊としている。大山寺が栄えたのは鎌倉から室町時代であり、その規模は高野山、比叡山と並び、僧兵3000人を擁する大寺であったそうである。大山寺の本殿のみでは、今は往時を偲ぶよすがもないが、大山寺に向かう途中の分岐道の奥に位置する大神山神社奥宮に参拝して、ここは、明治時代に神仏分離令により、大山寺より分離された社であることがわかり、かなりの規模であったことが伺い知れる。寺の資料によると、明治初年の神仏分離令によって、寺号も廃絶し、大山寺一山は急激に頽廃するに到ったとの記述があった。現在では、4つの参拝堂と10の支院を残すのみとなっている。
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