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寄稿日:平成26年10月23日(木) 寄稿者:波戸義雄

「岸和田城〜明石城 100キロウォークでのスタッフ奮闘

1011日〜12日の近畿ウォーキング笑会(近笑会)主催の「第2回みんなで歩こう24時間100キロウォーク 岸和田城〜明石城まで」に近笑会の会員では無いが応援スタッフとして参加してきた。与えられた役割は、18時に阪神尼崎駅前のチェックポイントに行き、参加者への差し入れを買って袋に詰めて、19時から参加者のチェックを行い、尼崎〜明石間をアンカーとして歩くことであった。
 しかし、100キロウォークマニアとしては、後半の50kmのみをアンカーとして歩くだけでは物足らないので、岸和田から歩くことにした。但し、岸和田城に受付スタッフが集合するのは930分なので、地図やゼッケンを貰って18時の少なくとも10分前までに尼崎に辿り着くには、休憩も含めた平均速度を6.0km/hで歩く必要があった。更に、信号が多いルートなので6.5km/h以上の速度で歩き続けなければ6.0km/hを確保することが出来ないので、若干の不安があった。
 9時過ぎに南海岸和田駅で降りて城まで歩いていると、前方に近笑会のスタッフが歩いていたので一緒に城に行き、ゼッケン・地図などを貰って927分から歩き出すことが出来た。40分ほどで忠岡町に入ると秋祭りが行われていて、交差点で2台のだんじり(道之町と生之町) がすれ違う所に遭遇した。9月に行われた岸和田のだんじり祭りと比較すると規模は小さいが、気合いが十分に入っていて、見応えがあった。その後、高石市までの約7kmの区間で何カ所も祭りが行われていて、離れたところに何回もだんじりが見えたが、先を急ぐために立ち寄ることは出来なかった。それでも高石市の小高石地区で出発前のだんじりと、そこに置かれていた播磨地区とは異なる派手な御花御礼の掲示板を見て、その先で元町地区のだんじりで最も醍醐味のある「やりまわし」(勢いよく走って角を曲がる)も見ることが出来た。
 11時半に高石市と堺市に跨がる浜寺公園の前を通ったが、ここは1873年に日本最古の公立公園として開園した所で有り、近くの南海浜寺公園駅は1907年に建てられた明治の洋風駅舎として国の登録有形文化財に指定されていて趣があった。また、天王寺駅前から浜寺駅前間を運行する阪堺電車が大阪で唯一残った路面電車として走っており、小学校の行事で来た時のかすかな記憶も有って、この辺り一帯が昔懐かしい場所に思えた。
 かつては汚い川の代名詞であったが、今は綺麗な川として蘇った大和川を渡り、大阪市内に入って直ぐの22km地点浜口交差点を1259分に通過した。岸和田からの平均速度は6.2km/hであった。ここを真っ直ぐ北に行くと距離が90km程度にしかならないため、右折して瓜破(ウリワリ)交差点で左折、平野警察署西交差点で左折して、JR芦原橋駅前を通り大阪市内を約9km大きく迂回するルートになっていた。
 1323分に長居公園手前のコンビニで昼食とトイレ休憩を兼ねた10分間の休憩を取って先を急いだが、大阪市内に入ってから数分おきに信号待ちを余儀なくされ速度がかなり低下した。四天王寺、通天閣前を通って、残り7.6km地点の阪神野田駅前を通過したのは1643分で、1750分に尼崎駅前に着くのが危ぶまれたので、更に速度を上げて歩いた。国道2号線に入ると信号で止まる回数が減り、止まっても短時間で歩き出すことが出来て、何とか1744分に尼崎駅前に着くことが出来た。
 近笑会スタッフ2人と88人分のバナナ・おにぎり・500ml飲料水を買って袋詰して待っていると、19時丁度に最初の参加者が到着した。何と12時スタートから平均速度7km/h以上で歩いてきたことになり、驚くべき人だと思った。20時を過ぎる頃から到着者が多くなり、チェックリストへの記入・地図への捺印・差し入れの配布を分担しながら対応に追われた。20時半を過ぎて知り合いの歩友が大勢到着して、歓談しながら対応を続けた。
 前半のアンカーが6人の参加者と共に到着したのは21時半で、参加者全員のCP通過が確認出来た。しばらく休憩を取った後、3人組・1人・2人組の順で出発したので、226分に近笑会女性スタッフと一緒にスタートした。最後尾を歩く40代と50代の男性2人組は、100キロウォークが2回目で、1時間毎に10分程度の休憩を取るために速度が4km/hも出ず、かなり疲れているのだと思った。自分が100キロウォークを始めた頃も同様だったので、100キロウォークの楽しみ方・注意点・完歩の方法などを話しながらサポートした。
 明け方546分に須磨の手前のコンビニで休んだ時に、地図上で左側歩道を歩くように指示されているのに、反対側の歩道を歩いて行く参加者を数名見つけたので、通過するコンビニや飲食店の中に参加者がいないか確認しながら歩いてきたが、確認にも限界があり、我々が最後尾で無かったことが判った。明るくなった須磨浦公園の東端を歩いていると、ベンチで横になっている参加者を発見して確認すると、足のマメが潰れて靴下に血がにじんでいて歩きにくそうであった。サポートしていた2人を女性スタッフに頼んで、この人をサポートすることとした。広島から来た人で、8月の土砂災害のことなどを話しながら塩屋の手前に来た時、自分が最後尾で無く月見山のコンビニで若い3人組が寝ていたと言われた。
 尼崎で最後に出発した若い3人組だと思って引き返したら、須磨駅の手前で1人と2人組の参加者を発見して、未だ後ろに参加者がいたのだと更に不安になった。しかし、その後一人の参加者にも出会わないまま4km程引き返した須磨警察署前まで来た時に、若い3人組という言葉に惑わされたが、月見山のコンビニで寝ていた3人組とは自分たちのことだと判った。2人が自分の横で寝ており、女性スタッフが少し離れた所で休んでいたので、3人組が寝ていたと思われたのである。
 最終ゴールした人よりも後でアンカーがゴールするのはまずいと思って急いで引き返したが、折り返した地点に戻ったのは755分で1時間23分のロスとなった。汗だくとなって7km/h以上の速度で歩いて、843分に明石海峡大橋手前で遠くに須磨駅近くで会った2人組らしい人達を見かけた。しかし、橋の下で見失い、少し探したが観光客が多くて見つけられなかった。先に行ったのかと思って歩き出し、見通しの良くなった西舞子で確認すると2人組は見えなかった。勘違いかと思って更に先に行くと朝霧駅の先で1人を発見したので安心してゆっくりと歩いていたら、間に1人が割り込んできた。追いついて話を聞くと、お風呂(龍の湯)に入っていたとのことで、他に一人が入浴中とのこと。ゆっくりと一緒に歩いて945分にゴールして確認すると、未だ3人がゴールしていないとのこと。おそらく明石海峡大橋の所で見失った2人と風呂に入っていた1人がその3人だろうと説明してアンカーの役目を終えた。
 少し休んでから、明石城まつりが開催されて賑わっていた明石城に行き、岸和田城〜明石城100キロウォークを終えた。帰宅後、近笑会スタッフから1032分に全員ゴールしたとのメールが入っていて安堵した。今回にて77回目の100キロウォーク完歩となった。

(下記写真はクリックしますと拡大写真を見ることができます。
また、拡大写真をクリックしますと元の写真に戻ります)

コース図岸和田〜尼崎 コース図尼崎〜明石 岸和田城
忠岡町だんじり2台 小高石のだんじり 派手な御花御礼の掲示板
だんじりの「やりまわし 日本最古の公立浜寺公園 明治の洋風駅舎浜寺公園駅
阪堺電車. 大和川を渡る 四天王寺
通天閣とあべのハルカス チェックポイントの準備完了 休憩中の歩友
風呂から出てきた参加者 明石駅前でゴール 明石城まつり

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