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寄稿日:平成26年11月11日(火) 寄稿者:叶敏次 〜神戸だより第15回〜 「和田岬線」


昭和40年ごろの和田岬線 (Wikipediaより複写) 当時の和田岬駅

 今から四十数年前、一人の紅顔(厚顔だったかな?)の青年が神戸市兵庫区吉田町で社会人としての歩みを始めました。当時、吉田町には燦然と輝く鐘ヶ淵化学株式会社中央研究所がありました。古めかしい建物でしたが、いつも表門が開いていて今から思えばセキュリティー感覚の少ない研究所でした。そのくせ裏門は朝の9時にぴったり閉まる為、寝坊した寮生は塀を乗り越えて出勤していました。当時寮生や社宅の住人は裏門を通って出勤していました。
 昼休み時間中には裏門は開かれ、裏門を通りグランドでソフトボールをするのが所員の楽しみでした。昼休みに寮に帰って昼寝する輩もいて、中には寝過ごして昼からも塀を乗り越える剛の者もおりましたっけ。古き良き時代のお話です。
 研究所への通勤は、神戸駅かバスを利用するのが普通でした。一方吉田町の隣の和田岬町には三菱重工神戸造船所など重工業の大きな工場が集まっていて、ここへの通勤にはJR和田岬線が便利でした。当時、和田岬線を走る列車は重工お召し列車と揶揄され、朝夕の通勤時間だけの運転で昼間は走っていません。したがってほとんどのお客は重工造船所の社員でした。私が在籍していた昭和四十年後半ごろの列車は今のような電車ではなく、Wikipediaの写真のようないわゆる客車をジーゼル機関車が引っ張っていました。列車には座席がなく、兵庫駅〜和田岬駅間を全員立ったままの2.7Kmの通勤でした。


(下記写真はクリックしますと拡大写真を見ることができます。
また、拡大写真をクリックしますと元の写真に戻ります)

 私の記憶では、客車の前後にディーゼル機関車が連結されていて、ピストン運転していたように思います。何回か乗りましたが、なかなかノスタルジックな乗り物でした。
 それでは、2.7Kmの和田岬線の旅にご案内しましょう。

 和田岬線乗り場は兵庫駅一階の浜側にあります。自動改札を通るといよいよ和田岬線ホームです。和田岬駅行の切符はこの改札口で回収されます

 和田岬線ホーム。当日は土曜日で朝が早かったので、ホームはがらがらでした。待つこと数分、7時38分発の電車がやってきました。2001年に電化され、現在はキハ102形、モハ103形が使用されています。
 運転席から見ると複線のように見えるが、左側は山陽本線に出るための引き込み線で和田岬線はあくまで単線。兵庫駅を出発するとすぐに山陽本線への切り替えポイントが見えてくる。

 南へ大きくカーブすると、川崎重工兵庫工場への引き込み線ポイントと右手に電車を作る工場が見えて来る。ここで作られた列車は先ほどの引き込み線を利用し山陽本線に乗り入れる。

 さらに走ると、兵庫運河に架かる和田旋回橋に差し掛かる。運河を通る船の為橋が旋回した日本最古(明治32年)の鉄道稼働橋だそうです。現在は固定されています。旋回橋を通ると間もなく和田岬駅に到着です。短いご乗車お疲れ様でした。

 和田岬駅には改札もなく駅員もいません、完全無欠な無人駅です。重工のお召し列車よろしく駅の目の前が三菱重工第三通用門と言う便利さ。さて、和田岬駅を出て右に折れると、我らが青春の記念碑旧鐘淵化学中央研究所跡地が見えてきます。

 跡地にはニトリやヤマダ電機が出来ています。右の写真は中央研究所の南側の道路で左のマンションは武藤記念館跡、道路の右側にはテニスコートがあったような気がします。不確かな記憶ですが。
商店街やいろいろなお店は当時の佇まいを留めていました。中研の食堂がカレーの日は、抜け出して近所の喫茶店で昼を済ませたこともありました。この喫茶店は残っていましたが、朝早く抜け出してよく行ったミルクパーラー(と言う名の喫茶店)はなくなっていました。裏門は厳しかったですが、表門はフリーパスでした。

中央研究所から道路を隔てた東側の旧神戸競輪場跡地に御崎公園球技場(ノエビアスタジアム神戸)が出来ています。現在はヴィッセル神戸のホームグランドで、INAC神戸レオネッサのホームゲームも行われています。試合のある日も和田岬線は臨時便を出しません、昔ワールドカップの試合が行われた日は全面運休していました。徹頭徹尾、あくまでも重工のお召し列車です。
 いろいろな歴史と思い出を乗せて明治20年から現在も走り続けている奇跡の和田岬線の2.7Kmの旅に出かけてみてはいかがでしょうか。


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