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1.高砂支部だより(支部役員名簿や行事予定、その他連絡事項) | |||||
2.高砂支部同好会活動の内容(活動予定及び直近の活動報告を記載) | |||||
世話人名簿 | 囲碁・将棋 | ウオーキング | グラウンド・ゴルフ | ||
ゴルフ | ハイキング | カラオケ | 文化展 | ||
3.ネットワーク便り (各部門内での行事予定【職場OB会】等々の連絡及び実施事項等) | |||||
4.高砂文庫(寄稿コーナー:近況報告、紀行文、エッセ-、詩、短歌、俳句、ノンフイクション等々) | |||||
5.故郷たより(ふるさと便り:会員が居住する地域社会での出来事や歴史等の紹介) |
高砂文庫(寄稿欄)
寄稿日:平成26年11月11日(火) | 寄稿者:叶敏次 | 〜神戸だより第15回〜 「和田岬線」 |
昭和40年ごろの和田岬線 (Wikipediaより複写) | 当時の和田岬駅 |
今から四十数年前、一人の紅顔(厚顔だったかな?)の青年が神戸市兵庫区吉田町で社会人としての歩みを始めました。当時、吉田町には燦然と輝く鐘ヶ淵化学株式会社中央研究所がありました。古めかしい建物でしたが、いつも表門が開いていて今から思えばセキュリティー感覚の少ない研究所でした。そのくせ裏門は朝の9時にぴったり閉まる為、寝坊した寮生は塀を乗り越えて出勤していました。当時寮生や社宅の住人は裏門を通って出勤していました。 |
私の記憶では、客車の前後にディーゼル機関車が連結されていて、ピストン運転していたように思います。何回か乗りましたが、なかなかノスタルジックな乗り物でした。 |
和田岬線乗り場は兵庫駅一階の浜側にあります。自動改札を通るといよいよ和田岬線ホームです。 |
和田岬線ホーム。当日は土曜日で朝が早かったので、ホームはがらがらでした。待つこと数分、7時38分発の電車がやってきました。2001年に電化され、現在はキハ102形、モハ103形が使用されています。 |
運転席から見ると複線のように見えるが、左側は山陽本線に出るための引き込み線で和田岬線はあくまで単線。兵庫駅を出発するとすぐに山陽本線への切り替えポイントが見えてくる。 |
南へ大きくカーブすると、川崎重工兵庫工場への引き込み線ポイントと右手に電車を作る工場が見えて来る。ここで作られた列車は先ほどの引き込み線を利用し山陽本線に乗り入れる。 |
さらに走ると、兵庫運河に架かる和田旋回橋に差し掛かる。運河を通る船の為橋が旋回した日本最古(明治32年)の鉄道稼働橋だそうです。現在は固定されています。旋回橋を通ると間もなく和田岬駅に到着です。短いご乗車お疲れ様でした。 |
和田岬駅には改札もなく駅員もいません、完全無欠な無人駅です。重工のお召し列車よろしく駅の目の前が三菱重工第三通用門と言う便利さ。 |
跡地にはニトリやヤマダ電機が出来ています。右の写真は中央研究所の南側の道路で左のマンションは武藤記念館跡、道路の右側にはテニスコートがあったような気がします。不確かな記憶ですが。 |
商店街やいろいろなお店は当時の佇まいを留めていました。中研の食堂がカレーの日は、抜け出して近所の喫茶店で昼を済ませたこともありました。この喫茶店は残っていましたが、朝早く抜け出してよく行ったミルクパーラー(と言う名の喫茶店)はなくなっていました。裏門は厳しかったですが、表門はフリーパスでした。 |
中央研究所から道路を隔てた東側の旧神戸競輪場跡地に御崎公園球技場(ノエビアスタジアム神戸)が出来ています。現在はヴィッセル神戸のホームグランドで、INAC神戸レオネッサのホームゲームも行われています。試合のある日も和田岬線は臨時便を出しません、昔ワールドカップの試合が行われた日は全面運休していました。徹頭徹尾、あくまでも重工のお召し列車です。 |