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寄稿日:平成26年11月25日(火) 寄稿者:宮本和夫


第91回〜日本人の心・視て歩き〜 
 サントリービール工場の見学と「長岡京巡り」
 

この度もまた、長岡京が地理上どこらあたりにあったのか?歴史的にはどんな位置づけだったのか?ましてその存在すら記憶に乏しいのに性懲りもなく第91回目のNKMA(日本人の心・視て歩き)の行事「長岡京市巡り」に参加させていただいた。
  このNKMAの行事は、いつも昼食を済ませてから集合となる。高砂や滋賀からの参加の場合、大概、昼食を家でとるのは時間的に難しいので参加に際して、先ず、昼食をどこでとるかを思案する。今回もいつものようにネットで調査してみたところ、駅前2〜3分のところにラーメン店があったので、昼食はそこで済ませることにした。
  1242に阪急西山天王山駅に到着して、早速、ネットで調べておいたラーメン店に出かけた。なるほどネットに掲載通りの店構えのラーメン店があり記念に写真をとって入店しラーメンとギョウザを注文した。  調理中の亭主に、入店前に店の写真をとられていたが、どうしてですか?と問われ、ここは、今日初めて訪れたので、予めネットで昼食できるところを探して、このお店で昼食をとることにしていた。来店記念に1枚撮らせていただいたと説明した。ついでに今日は、サントリー工場、中山修一(長岡京を歴史上実在したと証明した人)記念館や勝龍寺公園などの見学する予定であることも話した。
  亭主曰く、ネットに掲載されたということは聞いているが、詳しくは知らないと。そこで店にきていた常連さんが、自身のスマホでそのページを開いて店主夫婦に見せたところを1枚パチリ!(写真@掲示)。店主の話では、今年で開店29年になる。中山先生は、店主の恩師であり、女将さんは、中山先生の奥さんのフラワーアレンジメントを教えていたとのこと。ラーメンとギョウザで〆て840円であった。

(下記写真はクリックしますと拡大写真を見ることができます。
また、拡大写真をクリックしますと元の写真に戻ります)

西山天王山駅前のラーメン店 注文したラーメンとギョウザ @ラーメン店経営者夫婦

 今日のスタートは、サントリー(株)京都ビール工場から始まった。その後「長岡京発掘の父」と呼ばれている中山修一記念館に、次いで明智光秀の娘のお玉が(後のガラシャ婦人)輿入れした勝龍寺城の順序で回る予定となっている。
  先ず、今日の集合場所である阪急西山天王山駅前に集合し、幹事さんと本日の案内役をしていただく、ご当地長岡京に在住の児島さんより挨拶と説明があった。
  スタート前に駅前に設置されている「秀吉(備中)大返しの力水」を飲んで勇躍サントリービール工場へ向かった。
  この力水とは、本能寺の変を知った秀吉が、備中高松城から、25000人の兵を引き連れて、この地まで約200kmを10日間で引き返したとして有名な中国大返を敢行して、天王山の戦いに勝利した秀吉も飲んだとされる「秀吉(備中)大返しの力水(100%地下水の水道水)」のことで、駅前に立て看板と共に地下水をくみ上げて立派な蛇口を設け飲料水として市が提供しいる。

阪急西山天王山駅前 出発前の説明 「秀吉(備中)大返しの力水」

【サントリー京都ビール工場の見学】
  工場内をひと通り説明を受けてから、待ちに待った待望の試飲タイムがやってきた。どこのビール工場でも同じだが、コップ3杯までが限度で、それ以上の試飲は認めていない。試飲コーナーの入口でサントリーのネーム入りのスナック菓子の小袋が一つとコップが配られ、そのコップに並々と注いでもらって早速、試飲に入った。どこのグループの人かジャガリコというスナック菓子を持ちこんで試飲しているあつかましい御仁も見受けられた。
 しかし我がグループで3杯を飲み干した人は、小生が知る限りおられなかった。このサントリー工場の見学が初端であった為、私も、あとのことを考えて控えたもので、あと一杯、うしろ髪をひかれる思いで席をたった。申し訳ないことであるが、工場内での説明の内容は何一つ覚えていない。

サントリー京都ビール工場 蒸留釜の中を覗く化学者の眼 静かに試飲するメンバー
工場訪問記念撮影 工場内中庭 配布されたコップとつまみ

【中山修一記念館】
  駅前のラーメン屋の店主の恩師でもあった中山修一先生は地元長岡京で1915年に生まれ、教員として周辺地域で教鞭をとりながら、私費で長岡京の発掘調査をてがけ、「幻の長岡京」と言われていた長岡京の実在を明らかにされた。
  先人で私費を投じて「幻のトロイ文明」が実在したことを発掘調査で証明したドイツのシュリーマンにちなんで、中山先生のことを日本のシュリーマンと呼び、その偉業を称えている。
  この記念館は、中山先生の生家で、平成14年に記念館として開館したもので延べ床面積112.73平方メートル、和室2室、書庫、受付・玄関、駐車場、 駐輪場からなる。
  館内には、常駐の専属のボランティアの方がおられる。今回も幹事の方々が次の行程の時間を気にしていたが、熱心に先生の業績を熱く語ってくれた。

中山修一記念館 中山修一先生 館内で説明するボランティア

【恵解山古墳】
  古墳時代中期に築造された前方後円墳で、昭和55年の発掘調査では、矢じり、直刀、短剣等、約700点に及ぶ鉄製武器が見つかった。このような例は全国的にも珍しいらしく、昭和56年には、古墳は国指定史跡として、出土品である鉄製武器等は平成11年に京都府指定文化財として指定されている。

【勝龍寺城】
  勝龍寺城は別名小龍寺城とも呼ばれた平城で、細川忠興と明智光秀の娘お玉(後のガラシャ婦人)が、この城で結婚式を挙げて、新婚生活を営んだ城とされている。
  1582年本能寺の変から後、同年の山崎の戦いで光秀が本陣をかまえた城で、戦いに敗れた光秀は、この勝龍寺城へ帰城し坂本城へ落ち延びる過程で落命した。その翌日、秀吉が勝龍寺城に入城している。
  ここでも、ボランティアの説明を受けて、その後、2階にある展示品を見学した。細川ガラシャにまつわる展示品や山崎の戦い(天王山の戦い)での双方の布陣の図など、興味深い展示品がたくさんあった。
  展示品の見学後、懇親会を予定している長岡京駅前に向かった。

勝龍寺城址 城内入口の大手橋と管理棟 ボランティアの説明を受ける
光秀の三女のお越し入れの碑 本丸跡南側の石垣と水郷 北の堀を長岡京駅へ
 懇親会の冒頭に、次回92回目の行事と来年の行事予定の説明のあと、待望の懇親会が始まった。
 サントリービール工場での試飲を2杯で辛抱したという思いが残っていた為に?1杯目のビールが、ことのほか五臓六腑に沁みわたる心地がした。
いろいろな料理を注文したわりには、いつもの懇親会より勘定が安かった。本日、案内して頂いた地元長岡京の児島さんや、本会の幹事さん達に感謝しつつ、気持ちの良いほろ酔い気分で帰路についた。

本日、最後に立ち寄った勝龍寺城の細川忠興(山斎)公が建立した大徳寺塔頭の一つである高桐院を後日(11月18日)に訪れて忠興とガラシャ婦人のお墓に詣でた。
 NKMAの行事に参加したことをきっかけに、単なる物見遊山に終わらせず、過去に訪れたところとの繋がりを知り、たどっていくことによって、今後も先人達の残してくれた遺産、日本人の心をしっかりと視て歩きたいと思っている。


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