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高砂文庫(寄稿欄)
寄稿日: 平成29年10月25日(水) | 寄稿者:宮本和夫 | 古きよき昭和歌謡をあなたに |
幕開けは、よく聞きなれた昭和の歌謡曲であったが、
その曲名を今も思いだすことができない。表題のキャッチフレーズに惹かれて、この10月15日(日)に、
T夫婦と神戸ハーバーランドに在る松方ホールへ、関西では、未だ馴染みの薄い東京大衆歌謡楽団のコンサートに出かけた。 「東京大衆歌謡楽団とは、唄:高島孝太郎、 アコーディオン:高島雄次郎、ウッドベース:高島龍三郎の3兄弟からなるユニットで2009年4月東京大衆歌謡楽団を結成。 もともと世界の民族音楽をテーマにしたバンド活動中に演奏した昭和歌謡に様々な音楽が凝縮されていることに気づき、 バンド解散後、昭和歌謡にのめりこむ。 古き良き昭和歌謡をこよなく愛し、同年12月にバンド名と同じタイトル「東京大衆歌謡楽団」のCDカセットを同時発売。 現在も浅草や上野などの街頭演奏や単独公演で、中高年の熱烈な支持を得ている。2015年3月ウッドベースに3男、龍三郎が加入。 新生「東京大衆歌謡楽団」としてスタートする。2015年6月メジャーデビューを果たし古き良き昭和歌謡を歌い継ぎ、今に伝える。」 ・(神戸新聞松方ホール発行のチラシより) 私がこのバンドを知ったのは、ユーチューブであった。 30歳前後の平成育ちの若い彼らの歌っている歌が昭和初期から20年代の懐メロであることが、却って新鮮に思えて興味を持った。 当初、主な活動が路上ライブで、路上に帽子をおいて、聞いている人や、中にはフアン、篤志家といった人々がその中に、 なにがしかのお金を入れていく。このスタイルは、戦後しばらく、傷痍軍人が白い着物をまとい松葉杖にアコーディオンといういで立ちで、 前に空き缶をおいて、♪今日も暮れいく異国の丘に、友よつらかろせつなかろ〜♪といった「異国の丘」とか♪ ここはお国の何百里離れて遠き満州の〜♪「戦友」など演奏或いは歌いながら駅前や繁華街に立って募金を募っていた姿を 微かであるが記憶に残っている。 最近では、高校生とか20歳前後の若者が、趣味として或いはメジャー進出への足掛かりとするために路上ライブをやっているのは、 姫路や明石の駅前でもよくみかける光景である。 しかし30歳代の3兄弟が路上ライブで懐メロ(昭和歌謡)を歌うことを生業としながらメジャー入りを果たしたメンバーは珍しい。 |
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神戸新聞松方ホール | ||
路上ライブ:東京大衆歌謡楽団 | ||
開場が14:30、開演15:00で全席自由席であったため、
開演1時間前に松方ホールに到着するように山電高砂駅12:23発に乗車。13:10に到着。既に、会場入り口に通じる
エスカレーターの前には行列ができており、集まってくるお客さんを数名のホール係員が忙しく行列の後尾に整列させ、
また何列かで区切ってエスカレーターへ誘導していた。ざーと眺めてみたが、さすがに並んでいる人に若い人は少ない。
会場の全席700席。1枚3000円のチケットが完売とのこと。 席を確保して、早速、喉を潤しに外へ出てみたがビールが飲める店が近くになくやむなく冷酒で喉を潤し会場に戻った。 余談になるが、会場入口付近に見知らぬ婦人が、心細そうに、ややかがみ姿勢で一人ぽつねんと立っていたのを見かけた。 外で喉を潤し、再入場しようと入口付近をふっと見てみると、さきほどの婦人が、もう一人の婦人と話しをしておられた。 ひょっとすると・・・ある予感がして近づいて「チケットお持ちですか?」と問うてみた。即「いえ、持っていないんです」との返事。 「1枚ならありますよ」と。「助かりました。おいくらですか?」・・・ヤミのチケットの販売を思い浮かべ、 少しふっかけるか!と一瞬、頭の中を不純な考えがよぎったが、正直購入した価格でお譲りした。 ロビーから3人の人が一部始終をみていたらしく、よかった、よかったと大喜び。どうも5人グループで聞きに来られていたようだ。 このチケットに買い手がなかったら、こちらも損をするところであったが、なんだか人助けをしたような爽快な気分になる。 このチケットは急に行けなくなった家内のチケットであった。 ほどなく開演開始のベルがホールに響き渡りオープニングナンバーとしてアコーディオンとベースをバックに 懐かしい心に響く昭和歌謡の歌が流れ第1部が始まった。残念なことに冒頭に述べたようにこの曲の題名が思い出せないでいる。 |
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次男:高島孝太郎(アコーディオン)、三男:雄次郎(ベース)、長男:龍三郎(歌) | ||
第1曲目が終わり、アコーディオン奏者の次男の高島雄次郎の司会で
次の曲の紹介などが始まった。軽妙な司会というわけでなく、やや甲高い声で、どちらかというと、
まだ素人っぽさを残しつつ話す態度や内容等、見た目真面目そうで?非常に好感が持てる司会進行ぶりであった。 第1部で歌った曲は次の13曲であった。 第1部 1.XXX(思い出せず) 2.旅の夜風 松原操と霧島昇 (昭和13年) 3.東京ラブソディー 藤山一郎 (昭和11年) 4.ある雨の午後 ディック・ミネ (昭和14年) 5.上海の花売り娘 岡晴夫 (昭和14年) 6.チャイナタウン 7.裏町人生 上原敏と結城道子 (昭和14年) 8.人生の並木道 ディック・ミネ (昭和14年) 9.旅姿三人男 ディック・ミネ (昭和14年) 10.勘太郎月夜歌 小畑実と藤原亮子 (昭和14年) 11.さらば故郷 松平晃 (昭和08年) 12.誰か故郷を想わざる 霧島昇 (昭和14年) 13.男の純情 藤山一郎 (昭和14年) この13曲の内で、馴染みがなかった曲は6番目の「チャイナタウン」と 11番の「さらば故郷」の2曲であった。6番の「チャイナタウン」は、ネットで検索してみても、 昭和歌謡としてはヒットしないのでひょっとすると題名を聞き違えたのかも知れない。 2部は16:00開演。15分間の休憩はロビーでコーヒーブレークを楽しんだ。 2部のオープニングは、会場入り口で配布された歌詞カードに書かれてあった 「りんごの歌」、「山小屋の灯」、「青い山脈」の3曲を皆で歌うことから始まった。 1曲ずつ歌う前にいろいろと注意事項をおもしろおかしく説明して会場を沸かしておいてから 一緒に歌うことで大いに盛り上がった。 第2部 1.りんごの歌(皆で歌おう) 並木路子 (昭和14年) 2.山小屋の灯(皆で歌おう) 近江敏郎 (昭和14年) 3.青い山脈(皆で歌おう) 藤山一郎 (昭和14年) 4.長崎のザボン売り 小畑実 (昭和14年) 5.東京の花売り娘 岡晴夫 (昭和21年) 6.上海帰りのリル 津村謙 (昭和26年) 7.白い花の咲くころ 岡本敦郎 (昭和25年) 8.月よりの使者 竹山逸郎と藤原亮子 (昭和24年) 9.湯の街エレジー 近江敏郎 (昭和23年) 10.赤いランプの終列車 春日八郎 (昭和14年) 11.高原の駅よさようなら 小畑実 (昭和14年) 12.旅愁 第2部の演奏は、すぐに歌詞の頭の部分がでてきて歌えるといった私のよく知った馴染みの深い曲ばかりで構成されていた。 中でも春日八郎の歌で「赤いランプの終列車」は、作詞された大倉芳郎さんの生家が高砂町の釣舟町 (本名:鈴木芳一⇒高砂中学校の正門前方の通りに面した町)であったことから、高砂市出身の作曲家佐々木すぐるさんの 「月の砂漠」と共に、いつもこの2曲は特別な親近感を持って聞いている。この他には、伊藤久男さんの歌った「山のけむり」も 大倉芳郎さんの作詞である。残念ながら平成15年に87歳で逝去された。 長男の孝太郎の歌うスタイルは直立不動と右手の動作が東海林太郎ばりで、髪の毛もきっちりと6:4分けにしている。 声や歌い方は東海林太郎や「上海帰りのリル」で有名な津村謙に似ているし顔も似ていると思えば似ているようにも見えるが・・・ 次男はアコーディオン奏者。アコーディオンといえば、古くはNHKのど自慢で有名な横森亮造、 近くは、KOBAや女優の藤田朋子さんの旦那の桑山哲也等いるが、次男の高島雄二郎もなかなかの腕前である。 いつもながらプロとは言えよくも暗記したものだと感心する。 アドリブを加えた演奏のみのワンコーラスをエンディングに持ってきて アコーディオンとベースの演奏を聞かせどころとしている。 三男のベース龍三郎は、2015年に、このバンドに入ったようで、現在、4男がギターとバンジョーを習得中とのことで、 デビューが待たれるところである。 最後のアンコール曲もきっちりと準備されており、その進め方は、最初に会場より3曲程度リクエスト曲を募り、 その後、準備した昭和歌謡をメドレーで歌ってしめ括っていた。いつまでも名残のつきない見事な演出であった。 今日は、昭和初期から20年代の懐かしい昭和歌謡を聞いたが、これらの歌は、母子家庭で貧しかった幼い頃に 母から聞いた歌もいくつかあり、何か懐かしく郷愁を覚えてならない。また、この時代の歌詞は起承転結があって、 ちゃんと物語として成り立っている歌が多くいつ聞いてもわかりやすのも好きな要因の一つでもある。 私にとって、昭和歌謡を懐かしく聞けるということが、何故か?この上もなく幸せで、今の時代に生きていて、 ほんとうによかった!とそんな想いをしみじみと噛みしめながら・・・いつものことではあるが、 途中下車して明石駅前の「酒道場」で生中1杯と正2合の熱燗を飲んでほろ酔い機嫌で家路についた。 ♪晴れやかな君の笑顔やさしく我を呼ぶは♪まだまだ聞いてみたかった昭和歌謡を想いだし 口ずさみながら一路わが家へ!青春プレイバック! |