H24高砂文庫-2

明治期に閉鎖した江戸時代の学問所「申義堂」の復元

 今から200年前の江戸時代の文化年間(1804〜1818年)に高砂町北本町に創立された「申義堂」という学問所がありました。その後、明治時代に廃校となっていました。これをカネカの寄付を原資として、この度、高砂町の十輪寺の前の広場に復元されました。
復元された「申義堂」 申義堂跡地(現高砂地区コミニューテイセンター)
 明治時代に申義堂があったところは、昔の高砂町役場があったところで、今は高砂市民のコミニューティーセンタになっている。
 申義堂は、姫路藩の家老河合寸翁の建議によって庶民教育を行うために設立されたもので、ここでの教育は、朱子学が中心で素読、会議、輪読を行い、教授陣には、地元高砂の学者である菅野松塢や美濃部秀芳などがおり、姫路藩郷学として庶民教育がなされていました。


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