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紅葉の但馬路を訪ねて

(掲載日:2012年11月15日)
                                              
宮本和夫

紅葉狩りは未だちょっと早いかも知れないと懸念しつつ1110日(土)に出石の美味しい蕎麦と今秋初の紅葉を求め但馬の養父神社へ出かけてみた。養父神社へは初めてであるが、ある旅行会社の日帰りの紅葉めぐりのバスツアーコースに入っているので、そこそこ期待を持って出かけた。


養父神社鳥居より拝殿方向

養父神社の紅葉

御神橋

養父神社の拝殿

養父神社の本殿

養父神社にて
 養父神社は円山川沿いに位置しており、境内には7社の本殿が建ち並んでいる。養父神社以外の本殿といっても写真に示した通り小さなもので、養父神社の社が最も大きい社であった。専用の駐車場はなく、円山川沿いに3ケ所の空き地を利用した駐車場が設けられていた。幸いなことに養父神社はちょうど今が紅葉の盛りであった。

迦遅屋神社

御霊神社

五社神社

参拝後、丁度昼時になったので、以前に一度訪れたことがある出石のソバ処「高中ソバ」に立ち寄った。最初に訪れた時の第一印象は店の人がお婆ちゃんばかりで「お婆ちゃんの店」として記憶に残っていたが今も当時のまま?の様相であった。店内には、貝原元兵庫県知事や現県知事の来訪記念の揮ごうや写真が飾られている。
 ここの蕎麦は、出石ソバでつなぎに山芋を使用していて、やや腰があるソバである。メニューは定食と、かけ、ざる、ニシンそばの他にソバぜんざいがある。


この看板が目印

高中(こうなか)蕎麦店

店内

おにぎりや定食のご飯は赤飯であった。おにぎりがとてつもなく大きく、しかも値段が100円であり、夫婦で食べに行く場合には、おにぎり1個を半分分けして、後は腹加減によって普通か大盛りのザルソバにするのがお薦めである。ちなみにザルソバが700円で大盛りが900円となっている。


メニュー

街道定食

ザルソバ(普通)とおにぎり

 さてここまでは計画通りである。往路は高速道路を走り、帰路はのんびりと一般道を走って帰ってくる予定であったが時刻は未だ1220である。店内に貼られている但馬の観光案内のビラには、天滝や明延鉱山等が有り、その中でもひときわ目立ったのが名草神社であった。他の箇所は何度も訪れたことがあったのと名草神社は平成16年に家内と訪れた時に見忘れたものがあり、機会があれば、ちょっと寄ってみようと話し合っていたので、即決で名草神社に向かうことになった。
 名草神社は標高1139mの妙見山の八合目にあたる標高800mの場所に建立されており、五穀豊穣をつかさどる名草彦大神を主祭神とする神社で、7神を祀っている。本殿と拝殿は平成22年に国指定の重要文化財となったが、三重塔は古く明治37年に同じく国指定の重要文化財に指定されている。
 駐車場から急な坂道の参道を登ると三重塔が眼前にせまってきて圧倒される。三重塔の横を通り79段の階段を上ると1688年建立の拝殿とその奥に1754年建立の本殿がある。


三重塔

名草神社の拝殿

名草神社の本殿

妙見の大杉の枯木
 この神社を最初に訪れたのは、1962年ごろで、当時、高砂工業所で5人の仲間とワンダーフォーゲル同好会を立ち上げて、播州の山々を文字通り徘徊していたころである。当時は、未だ妙見の大杉は健在であったが、しみじみと眺めたという記憶はない。倒壊してしまった今にしてみれば、樹齢1500年、樹高48m、周囲約11mという巨木の写真を1枚でも撮っておけばとの思いである。平成3年の台風19号がうらめしくもある。

2度目に訪れたのが前述の通り平成16年で、この時に三重塔の1層目の4隅に力士の彫刻があるのは見届けて帰ったのだが、三層目の軒下には、三重塔では全国でもここにしかないという4猿の彫刻があるというのを後日知り悔しい思いをした。いつか再訪してみようと思っていたところ、ちょうどいい機会であったので3度目の来訪となった。   
 当日の午前中は晴天、午後より曇天と小雨の繰り返しであったために、ズーム最大にしても三層の軒下の猿のはっきりとした映像が撮れなかったので神社の資料に掲載されている写真を拝借した。



 
 日光の東照宮の見ざる、言わざる、聞かざるの彫刻は有名だが、これに思わざるというのが加わっている。これは論語から「動かざる」ではないかとの説もあるとのことで私の気持ちとしてはこの説の方を採りたい。

 鎌倉時代の書物に「世の中は見ざる、言わざる、聞かざるというけれども、思わざるをもてば三の猿はたやすいことだ」と説かれているとのこと。「不見不聞不言」に「不動」若しくは「不想」が加わったのが名草神社の四猿である。「礼に非ざれば視ること勿れ。礼に非ざれば聴くこと勿れ。礼に非ざれば言うこと勿れ」まさにマナーの極意で、そのルーツは孔子とも、天台宗の教えとして、かの国から伝わったとも言われているが、その国も今や暴虐の限りを尽くす「非礼の国」とかしてしまったのはどうしたことか?。
 また三猿や四猿の戒めは、人生を安全幸福に過ごすための教だそうだが、自分自身は、この教えを守ってきたのかどうか?こんな自分が古希まで大きな諍いもなく無事に暮らせたのは・・・只々養父神社の七神、名草神社の七神、いや、全国の津々浦々におわします八尾万の神々に感謝しなければ・・・そう言えば、この11月24日から全国の八尾万の神々が出雲にお集まりになる神在月にあたるなと・・・そんなことがふっと頭をよぎった平和な但馬路の短い旅でした。


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