H25高砂文庫-3


 お家さん
(掲載日:2012年2月8日
                                               (ため息本舗) 叶 敏次

明治から大正にかけて世界的総合商社であった「鈴木商店」の名を、過去にも聞いたこともあるし、三宮に住むようになって栄町通を通った時に「この通りに鈴木商店があったのか」と思い出すこともありました。ただそれだけで、詳しく知る機会はありませんでした。
 最近、玉岡かおる氏の「お家さん」(新潮文庫、平成22年9月発行)を読む機会があり、この本を通して鈴木商店のこと、お家さんの鈴木よねのこと、そして金子直吉、柳田富士松 両番頭のことを詳しく知ることができました。
 主人である鈴木岩次郎亡き後、「店を閉じるよりは、ほそぼそとでも続ける方を、きっとあの人も喜ぶに違いおません。べっちょ(別状)ない(よねさんは播州出身)。生き残った者みんなで、守り抜いてみせまひょ。あんたの築いたこの店を。」という決心の下、金子、柳田両番頭に事業を任せ、「出過ぎんように、けど、いつでも後ろに控えて目を光らせとることはちゃんと伝わるように。」という難しいマネージメントを実践しました。
 「それまで、主人岩次郎の癇癪持ちに慣らされて、主人と言えば厳しいだけの存在だったが、これからはいつも慈母のように庇い、慰めてくれた「よね」が主人なのだ。店は自分たちが「よね」とともに守っていく。皆の胸に宿った団結と使命感は、鈴木商店に新しい時代を呼び込むこととなった。
 大正中期には売り上げにおいて三井物産・三菱商事をはるかに凌ぐ総合商社に成長しました。スエズ運河を通る商船の半分は鈴木商店の所有であると言われたほどでした。
 もちろん事業発展の中核を成したのは、金子直吉・柳田富士松の両番頭でしたが、彼らの力を文字通りフル回転させたのはオーナーであるお家さんの両番頭への信頼感、絆ではなかったかと思います。
 事業家としては自分よりはるかに優れた部下を使い、その力を思う存分発揮させたお家さん「よね」の人間力はすごいものであったと思います。凡人には自分より優秀な部下を使うことはなかなかできませんし、部下の仕事に対して出過ぎんように、けど、後ろに控えて目を光らせとることは伝わるようにと言うような芸当は、相当な力量が必要です。

 癇癪持ちの先代岩次郎の下では、岩次郎の殻の大きさを超える商売はできなかったのではないでしょうか。両番頭もその殻に無理やり押し込められ彼らの持てる力を存分には発揮できなかったでしょう。
 組織が発展していく力はそのリーダーの器の大きさで決まってしまいます。そして組織は絶えず劣化のリスクを孕んでいます。いつも出過ぎる、いつもやりすぎる上司の下では、上司の言う事だけを忠実に実施するようになってしまいます。さらに劣化すると上司からの指示もなんやかやと理屈をつけてはサボタージュするようになってしまいます。まあここまで劣化した組織を見たことはありませんが、リーダーたるものはいつもこのようなリスクを意識し、部下を信頼し、仕事を任せ、ほめる。自分より優れた部下の能力を嫉妬せず、その力をさらに大きく成長させることをいつも考えていなければなりません。

松下幸之助氏が言われた「松下電器は人を作るところでございます、あわせて商品も作っております、電気器具も作っております」と言う言葉は、組織は常に人の成長を考え、そしてそのこと自身が組織を活性化し、組織に貢献すると言うことを示しているのではないかと思います。
さて、両番頭の活躍で順調に事業を拡大していった鈴木商店でしたが、大阪朝日新聞の事実無根の捏造報道がもとで、「米騒動」(鈴木商店がコメの買い占めたと言う冤罪)により民衆の焼き討ちに会ってしまいます。この騒動も社員一丸となっての努力で乗り切りむしろこの後、絶頂期を迎えることになりました。
 しかし、第一次世界大戦後の不況、関東大震災の発生、その後の世界恐慌などが矢継ぎ早に鈴木商店を襲い、「よね」はまだ余力のある間に事業をたたむ決心をします。

「何もないところから苦労して会社を立ち上げたものがないがしろにされ、どこの誰ともわからんお人に儲け目当てで牛耳られる、そんな道がええとは思えまへん」、「古木が倒れて朽ちたとしても、若木は、自分だけの地面から生い立つからこそ、古い木より大きゅうなるんと違いますか」

店を畳んだ鈴木商店の流れを汲む会社は、神戸製鋼所、ダイセル、帝人、双日、太平洋セメント、IHI、三井化学、日本化薬、日本海運、その他多くの会社が「よね」の言ったように現在も発展を続けています。
「明治女の心意気」。 日本の企業、日本経済はそんなDNAを受け継いでいると信じたいと思います。右肩下がりが長く続く今の日本を見て、「よね」さんが何と言われるか聞いてみたい気がします。

鈴木よねさんの銅像 頌徳碑

阪急六甲駅から車で10分足らずにある鈴木家の菩提寺祥龍寺には「よね」さんの像が祭られています。またその横には金子直吉、柳田富士松の頌徳碑がありました。

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