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活動報告

(会長:笹間美之 世話人:神野久典)

 

平成25年10月17日(木) 第48回例会

JR竜野駅から旧西国街道・室津街道を経て室津港へ

執筆者:横山 浩
ウオーキングコース

JR竜野駅~正条の渡し場跡~丸亀藩使者場跡~日吉神社(金剛山廃寺跡)~馬場~元誓寺~丸亀藩使者場跡・ダイセル播磨工場(昼食)~鳩ケ峰~室津港、賀茂神社~(神姫バス)~山電網干駅

 大型台風26号が伊豆大島に記録的な豪雨を降らせ、土石流で50名近い死者・行方不明者を出して去った後、爽やかな秋天の下で第48回ウォーキング例会を催した。参加16名でJR竜野駅から奈良時代より名津として知られ、司馬遼太郎が「街道をゆく」でも書いている室津を目指す。

 いつもの様に「ご安全に」と唱和して10時過ぎに歩き始めると、落ち着いた家並が旅籠の佇まいを残す旧西国街道に入る。東へ少し歩くと「右ひめぢ・かうべ、左たつの・山さき道」と刻まれた道標があり、直ぐ揖保川の土手にぶつかる。そこに「正条の渡し」跡があり大きなムクノキが木蔭を作っている。今は少し上手に国道2号とJR山陽本線が、少し下手に山陽新幹線が通り、役目を代わっている。

揖保川はゆったりと澱むかのように水底をみせて流れており、台風の影響は全く見られない。堤防沿いを15分程南下すると丸亀藩使者場跡の標柱が立っている。竜野藩から丸亀藩の飛地へ入る、江戸からの参勤交代の大名を迎えた場所である。網干に向かい南東に流れる揖保川と別れ、我々は南西に振れる室津街道をとる。金剛山集落の奥に建つ日吉神社で一息入れただけで先を急ぐ。30分程歩くと今度は江戸へ向かう大名を迎えた使者場跡の、ベンチを数脚置いただけの空き地がある。反対側はダイセル播磨工場で殺風景な場所だが、休憩をかねて早めの昼食にする。

 腹ごしらえをして元気の出たところだが、道はすぐ鳩ケ峰へのダラダラ登りにかかる。道の右側は工場の金網がずっと続く。門柱に「火薬類製造所」の銘板があったが、322万mもの広さがある様だ(カネカ高砂工業所の約2.5)。左側は雑木林が続きトンネルを作るように枝を伸ばしている。灌木の中にアケビの蔓が実をつけており、ブラリと下がった様子に笑みがこぼれる。20分程で峠に着くと姫路藩と丸亀藩の境界を示す標柱が迎えてくれる。下りにかかるが残念ながら雑木に阻まれて大浦海岸の眺望はあまりきかない。

 国道250号に合流すると眼下に、三方を山に囲まれ西に湾口を開いた室津港が見えて来る。室津の街中に入ると一見その狭さに驚く。江戸時代には参勤交代する西国大名のために6軒も本陣がおかれ、室津千軒と言われて殷賑を極めたとは俄かには信じ難い。しかしかつての豪商の木造本瓦葺きの重厚な建物が、資料館等として残るレトロな街並みや、平清盛が高倉上皇と厳島詣での途中に立ち寄ったという、檜皮葺きの社殿をもつ立派な賀茂神社に往時の繁栄がしのばれる。

 室津からは25分程神姫バスに揺られ、3時だいぶ前に山陽電鉄網干駅に出た。2月の綾部山への観梅行、5月の網干町歩きに続き3度目の網干駅である。11kmほどの歩行であったが、心地よい疲労感を抱きながら家路についた。


(下記写真はクリックしますと拡大写真を見ることができます。
また、拡大写真をクリックしますと元の写真に戻ります)

西国街道・道標 正条の渡場跡と大ムクノキ 丸亀藩使者場跡 日吉神社鳥居



日吉神社境内 金剛山廃寺跡 清涼山本誓寺 旧丸亀藩使者場跡にて昼食休憩
馬場使者場跡案内板 室津街道を室津へ 室津街道鳩ケ峰道標 室津街道より大浦海岸を臨む

室津の町並み 賀茂神社案内板 賀茂神社表門 賀茂神社表門「馬足の龍」
賀茂神社本殿 賀茂神社本殿前にて



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