ソチ冬季五輪男子フィギュアスケートで、羽生結弦が初の金メダルを獲得し日本中が沸いた当日、第52回例会を実施した。前日各地でかなりの雪が降り天候が危ぶまれたが、スタート時には時折薄日も射すほどに回復してくれた。しかし冷たい風もあって寒く、参加者は12名に留まった。
10時前に播磨新宮駅前を出発し南に向かう。すぐに西山公園のある新田山(しんでんやま)に着く。標高95m余しかなく丘に近いが、眺めが良い。これから向かう「越部(こしべ)の里」も一望できる。奈良明日香の石舞台を小さくした様な「重ね岩」や、烏(からす)のくちばしに似た「烏岩」もある。遊歩道を南に下り2008年に開校した立派な龍野北高校の横を西に進むと、田んぼの中に「輪袈裟の清水」がある。干ばつの時に弘法大師が輪袈裟を地に置き、錫杖で突くと清水が湧いたと伝わる。今はただの小さな淀みでしかないが、小さな石の祠に石仏も祀られている。区画整理された農道を南に少し下ると越部八幡神社に着く。平安後期から鎌倉時代にかけての歌人、藤原俊成、定家親子も領した「越部の荘」の鎮守である。社殿背後の尾根には前方後円墳もあるという。500m程西に進むと林の中に7~8世紀のものとされる89基もの「市野保古墳群」があり、クヌギの根方に横穴式古墳が口を開けている。八幡神社まで引き返して南へ少し下ると、住宅の間の細道の先に「越部廃寺跡」として小堂に薬師が祀られている。標識に従い西に少し行くと、ブドウ畑の奥に「てんかさん」といわれる小さな祠がある。藤原定家の姪で歌人、越部禅尼の墓である。今も知恵の神様として地の人に慕われている。農道に戻って南に下ると、田んぼの中にポツンと小さな東屋がある。「お玉の清水」で手押しポンプが据えられている。そばに置かれたやかんで迎え水をすると、勢いよく水がほとばしった。1kmほど南に下ると、31基の石墳をようする「馬立古墳群」に着く。その中の姥塚古墳は、ドーム型の石組み天井で何人も立って入れる程の高さと広さがあり、県の重要文化財となっている。一帯は公園として整備されているので、ここで昼食とする。
東に少し歩いて県道に出、南下しながら道なりに進むと、家並の間から立派な甍が見える。浄土真宗心光寺で、堂々とした山門は旧新宮藩陣屋門を移築したものという。
南東に歩を進め国道179号、JR姫新線を越えると揖保川の土手に出る。山容が鶴のくちばしに似ていることから鶴嘴山と呼ばれる低山が対岸に迫っている。現代風に見れば新幹線のN700系に似ている。「屏風岩」と呼ばれる岩壁が屏風を立てた様に揖保川に落ち込んでいる。山の先っぽの觜崎の岩壁には磨崖仏が数体刻まれている。案内板には1350年作とあるが、現在も花が手向けられている。左岸の土手道を少し南下すると石柱があり、「寝釈迦の渡し」等と刻まれている。少し下流の山が釈迦の寝姿に見えることから名がついた様だ。土手を降りて家並を東へ進むと、じきにゴールの東觜崎駅である。
心配した雨も降らず、自然と歴史遺産を楽しんだ13km程のウォーキングであった。
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