風雨に打たれて散り急ぐ風情の桜を見るにつけ、心ざわめく4月第2土曜の11日に、ウォーキング同好会の第65回例会及び平成27年度総会が姫路で催された。今年は桜が満開を迎えた頃から雨風の天候が続き、傘をさしての例会を覚悟したが、幸い前日までの雨もあがり日の射す天気まで回復した。
姫路から北へJR播但線で2駅の野里駅に参加者23名が集合し、初参加2名の紹介があって10時過ぎに出発。西へ少し歩きショッピングセンター「花の北モール」を南に回り込み、異彩を放つ姫路福音ルーテル教会を右手に見ながら数分歩く。隋願寺の鎮守として840年の昔に、比叡山の日吉大社から勧請された日吉神社に着く。境内に「右たしま(但馬)、左ひろミ祢(広峯)」の道標もある様だが見逃した。ここら辺から南へ1km足らずが豊臣秀吉・池田輝政が町割りした野里地区で、町家や神社仏閣等の遺構が多く残る。漆喰壁に形の違う虫籠窓(むしこまど)の2階を持つ魚橋呉服店、大野屋住宅は、姫路市都市景観重要建築物に指定されている。飲食店の尾張屋も昔の風情を漂わせる建物である。気が付くと大半が先を行ってしまい、後方を歩いていた5人だけが取り残されていた。時間はたっぷりあるので携帯で連絡し、姫路城で合流することにして慶雲寺に寄る。1433年創建の臨済宗寺院で、池田輝政が姫路城築城の際に木材を寄進したという。壮麗な伽藍を有し本堂の鴟尾も天守閣のそれを思わせる。境内には井原西鶴や近松門左衛門が作品にした、お夏・清十郎の墓(比翼塚)がある。少し東に昨年11月に福崎町でも見た固寧倉(飢饉に備えた籾貯蔵庫)があるが割愛する。旧野里街道の一本西のバス道に出、天台宗雲松寺山門の威容を右に仰ぎ見ながらさらに南へ急ぐ。余談になるが途中に河間(kobasama)町というとても読めそうにないバス停があった。後で伊伝居(idei)というバス停もあると知った。
姫路城の中濠に沿って西に回り込み、北角の清水橋から城域に入る。城の裏手で満開を迎えた数本の枝垂桜を見られたのは眼福だった。三の丸広場で先行組と合流し、青天に映える白鷺城(「白過ぎ城や」とO長老が嘯く)を背景に集合写真を撮る。観光客が湧き出る様に多く、外国人も目立つ。大手門には「天守入場1時間待ち」の看板も立つ。
城の内濠をゆっくりと、10数人乗った和船「はりま」が進んでくる 。櫓を操る船頭にカネカロンOBがおられると聞いていたので、「もしや」と目を凝らしたが別人だった。
JR姫路駅に向かう大手前通りの一筋東のみゆき通りに入る。アーケード両側の店を眺めながら「この通りを歩くのは久しぶりや。実は・・」と半世紀近く前の入社時代をK先輩が懐かしむ。500m程歩いて12時丁度に、居酒屋「海賊浜焼き 豊丸水産」に到着。総会と昼食を兼ねた懇親会の会場である。総会はS会長から「本会の活動は7年目に入り例会は65回を重ね、会員数は発足時の11名から33名にまで増え・・」との挨拶があり、議事は粛々と進行して終了。O長老の乾杯の音頭で待望の懇親会が始まったが、その報告は割愛する。
姫路城を訪れる観光客はかなり増えていると実感した。しかし賑わいは城までで、野里地区等周辺に魅力的な観光スポットが点在しているにもかかわらず、面として広がっておらず、今後の力の入れ所とも感じた例会であった。
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