高砂支部ホームページ

リンク先:(下記テーブルに示す箇所をクリックするとクリックしたエリアにリンクすることができます)

  高砂トップページ へ   1.高砂支部だより (支部役員名簿や行事予定、その他連絡事項)
  2.高砂支部同好会活動の内容 (活動予定及び直近の活動報告を記載)
世話人名簿 囲碁・将棋 ウオーキング グラウンド・ゴルフ
ゴルフ ハイキング カラオケ 文化展
  3.ネットワーク便り  (10/6)(各部門内での行事予定【職場OB会】等々の連絡及び実施事項等)
  4.高砂文庫 (寄稿コーナー:近況報告、紀行文、エッセ-、詩、短歌、俳句、ノンフイクション等々)
  5.故郷たより (ふるさと便り:会員が居住する地域社会での出来事や歴史等の紹介)

ウオーキング同好会

活動報告

(会長:笹間美之 世話人:神野久典)

平成28年6月11日(土) 第78回例会:宝殿駅から光(てる)姫の生誕地を訪ねて 執筆者:谷口 正和
  平成28年6月11日(土) 第78回例会「ウォーキングコース」
         JR宝殿駅北口 → 正岸寺 → 中西廃寺 → 常楽寺(神吉城跡)→ 神吉八幡宮
         → 加古川運動公園 → 志方八幡宮 → 観音寺(志方城跡)→ 志方小学校前バス停
         → (神姫バス) → JR宝殿駅前にて解散

 梅雨に入って約1週間が過ぎた6月11日(土)9時30分、JR宝殿駅北口に参加者14名が集合した。前日の天気予報では、降水確率50%、曇り時々雨であったが、 幸いにも湿度59%で、弱い南西風も吹き、陽射しも入るウォーキング日和に恵まれた。恒例の会長挨拶とコース説明の後、早速歩き始めた。 まずは北西に向けて県道をしばらく歩き、すぐ脇道に入ると、参道のない立派な石の鳥居がぽつんと建っている。この鳥居は生石神社の「一の鳥居」と呼ばれ、 延宝8年(1680年)に庄屋神吉久太夫が奉納したもので、奉納した由来は、久太夫が城崎温泉で姫路藩主に会った時、酒に酔って無礼な口をきいたことから 殿様の怒りを買って一家断絶の危機に陥った。酔いのさめた久太夫は村へ帰り、氏神の生石神社に参詣してこの難を免れた。そこで感謝の意を表すため、 ここ高砂市神爪の地に鳥居を建てたといわれている。この鳥居の前には、江戸時代の町人学者の山片蟠桃(やまがたばんとう)が結婚を記念して贈ったといわれている燈篭がある。 さらに、鳥居の足元には、一等水準点が埋められているらしいが確認出来なかった。

 元の道に戻り、北上して加古川バイパスの下を通って右折すると、蘆屋道満(あしやどうまん)ゆかりの正岸寺(しょうがんじ)に着いた。 陰陽師として有名な安倍清明のライバルとされた道満は、この正岸寺で幼い頃より育ち修業を積み、式神を使える陰陽師となって上京した。 そして、時の摂政・藤原道長の暗殺を、左大臣・藤原顕光(あきみつ)に依頼され、呪詛によって暗殺を企てるが、あと少しのところで安部晴明に見破られ失敗する。 幸い播磨への流罪で済み、故郷である岸の近くで余生を過ごしたと言われ、境内に道満の位牌を祀る祠がある。

 正岸寺を出て歩くこと約20分で細い道に入り左折して畦道を登ったところに中西廃寺がある。この寺院は正式な発掘調査がされていないため、 詳細は明らかではないが、境内の西南にある大きな塔心礎は伽藍配置を復元する有力な手掛かりになると言われており、 法隆寺式伽藍を備えていたようで白鳳時代(645~710年)に創建された寺院跡である。

 中西廃寺を後に南に進み、JA兵庫南神吉の交差点で左折、東神吉郵便局を過ぎて、さらにずっと歩いてゆくと、真新しく改築した真宗寺が目に入り、 すぐ、常楽寺(神吉城跡)に着いた。神吉城は天正6年(1587年)、秀吉の播磨攻めに対して、時の城主神吉頼定は果敢に抗戦していたが、 叔父の裏切りによって暗殺され落城した。城跡は中の丸が常楽寺で、西の丸が真宗寺となっている。尚、常楽寺の本堂裏の墓地に城主神吉頼定の墓がある。 又、常楽寺の西側には神仏分離令によって建てられた神吉神社がある。本殿前で恒例の記念写真の撮影を済ませ、次の目的地に向かうことにする。

 常楽寺を出たのは11時前で入って来た道を真宗寺まで戻り、北上して東播工業高校入口の通りに出て、新しい県道(新北条街道)を渡ると、 ゴルフ好きが集まりそうな「アルバトロス」と云う名の喫茶店の前を通って神吉八幡宮に向かう。道中で、軽乗用車が水田に落ち横転したばかりの現場に遭遇したが、 先を急ぐので2台のパトカーと数名の警察官の横をスルーした。

 神吉八幡宮は重機が入る大規模な改修工事中らしく、ここもスルーして、続く加古川運動公園も寄らずに前に進み約1kmを歩き、最後は急坂を登り切って、 宮山古墳群の標識をチラ見して宮山の頂き・高度約80mに鎮座する志方八幡宮に11時55分に到着した。

 志方八幡宮は天永2年(1111年)宮谷に創祀され、明応元年(1492年)現社地に奉還して八幡神を勧請した。志方荘30村を鎮守したといわれ、 祭神は、応神天皇、神功皇后、玉依比売命(たまよりひめみこと)である。明治初期まで毎年秋の祭礼に奉納されるほど能楽が盛んだった。 毎年10月の神幸式では新しい型の舞楽、胡蝶の舞(正式名称「和光楽」)が奉納されているとのこと。志方八幡宮の本殿前の休憩所には、 涼しい風が入り気持ちよく昼食を摂ることが出来た。

 12時25分に志方八幡宮を出て南に約1.4kmを歩いて、12時45分、観音寺(志方城跡)に到着した。観音寺の付近一帯が志方城跡で、 志方城はNHKのドラマでお馴染みとなった軍師、黒田官兵衛の妻・光(てる)が生まれた櫛橋家の居城であったが、 天正6年(1587年)に秀吉の播磨攻めによって落城した。観音寺を13時前に出て、すぐ近くの志方小学校前のバス停に着き、 13時17分の宝殿駅行きの神姫バスに全員が乗り込んだ。そして、13時35分頃に宝殿駅北口に到着して解散となった。

 今回のウォーキングは、宝殿駅9時35分出発、志方小学校前バス停13時5分到着で、経過時間は3時間30分、歩いた距離9.98kmで、 正味移動時間は2時間33分、移動速度3.91km/hrであった。


(下記写真はクリックしますと拡大写真を見ることができます。
また、拡大写真をクリックしますと元の写真に戻ります)

生石神社一の鳥居 正岸寺門前 蘆屋道満の碑
正岩寺の石棺の蓋標柱 中西廃寺 中西廃寺塔の心礎説明板
中西廃寺塔の心礎 常楽寺門前 神吉の常楽寺案内板
常楽寺 神吉神社本殿前にて 神吉城主・神吉頼定の墓
宮前地蔵堂石棺仏 宮山古墳群案内板 志方八幡宮本殿
志方八幡宮能舞台 志方八幡宮鳥居 観音寺(志方城址)門前
 
観音寺(志方城址)案内板 志方小~宝殿駅帰路の車中  


支部トップへ