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活動報告

(会長:笹間美之 世話人:神野久典)

平成29年3月16日(木) 第86回例会:  「旧山陽道を播磨高岡駅から網干駅まで」 執筆者:谷口 正和

  平成29年3月16日(木) 第86回例会「ウォーキングコース」
         JR姫新線「播磨高岡」駅 → (来法寺) → 夢前橋 → 教専寺 → 稲岡神社 → (人麻呂神社)
              → 山田峠 → 黒岡神社(昼食) → 桜井の清水 → 斑鳩寺(鵤バス停解散①) → JR網干駅(解散②)
                                        ≪全行程 ①約12km ②15km≫

 明日からお彼岸に入るという「いよいよ春近し」となった中、うす曇りではあるが、風もなく暖かさを感じさせる天候に恵まれ、 JR姫新線「播磨高岡」駅の北出口に参加者18名が集合した。本日は、旧山陽道を歩き、旧街道の風情を残す町並みや途中の寺社を訪ねるウォークである。 恒例の会長とコース案内担当の挨拶説明の後、早速歩き始める。まずは駅前を通る国道2号線の信号を渡って国道2号線沿いに西進する。 国道2号線を100mほど歩き右に分岐する脇道に入り古い町並みを少し進むと、右手にJR姫新線の線路越しに船越山があり麓に船越神社があるが寄らないで歩を進める。 すぐに来法寺へ入る分岐道があるが先を急いで此処もスルーする。道なりに歩いていくと夢前川土手の散策道に出て夢前橋を渡る、ここまで出発して約20分だ。

 夢前橋西詰を右折して県道724号(因幡街道)に入るとすぐに姫路市内で最大の花崗岩製の道標が立っている。 1855年の建立で姫路市の重要文化財に指定されており、南面に「左、備前・九州・金比羅・宮島往来」、西側面に「すぐ姫路・大坂・京・江戸」と彫られている。 道標からすぐ小川を渡って教専寺に着く。門前横に「播磨仙人了空翁誕生地」の石碑があり、近隣の人に謂れを尋ねても知らないようだった。 境内には「日本七草の会」という会が建てた春と秋其々の「ななくさ地蔵」が祀られている。

 教専寺を後にして、古い家並みの道をしばらく歩いて「稲岡射目崎神社」と冠した鳥居に着く。鳥居をくぐって少し進むと「千度石」の標石の先に神社の本殿がある。 稲岡神社の「稲岡山」は、播磨風土記の14の丘のひとつである「稲牟礼の丘」に由来する。稲牟礼の丘は稲の落ちた丘を意味し、丸い形から丸山と云われ、 また青い山から青山と云われ、これが青山の起源となった。青山の鎮守・稲岡大明神は豊受姫大神にして、後に射目崎大神即ち倉稲御魂(ウガノイネミタマ)大神を合祀したと云う。 この稲岡神社の絵馬堂には、数多くの珍しい絵馬が飾られ、中でも文政3年(1830年)に流行したお蔭参り(伊勢参宮)に、 一村まとまって向かう情景が描かれた県指定重要文化財の「お蔭参り図絵馬」や「神馬図絵馬」は、貴重である。(本物は県立歴史博物館に寄託) 稲岡神社から北西200m位の小高い丘に柿本人麻呂を祀る人丸神社があるが、パスして参道を南下して鳥居まで戻り、街道を西進し再び国道2号線に合流する。

 2号線の歩道を1kmほど歩き、青山4丁目あたりから斜め左に折れて旧山陽道に入る。旧道の坂道を登ってゆくと急に左に曲がった所にお地蔵さんがあり、 板に「旧山陽道山田峠登り口」と書かれている。山田峠を降りて姫路バイパスの高架をくぐる前に「明治天皇山田御小休止所」の石碑が建った旧家がある。 ここを過ぎ高架をくぐり、また国道2号線に合流する。南にそのまま進むと国道179号線になり、左には山陽新幹線が走っている。 右側の太子メモリアルパークときたやま公園を過ぎてから、斜め右へ折れ、また旧道に入る。400mばかり進んだ左側の竹林の中に「桜井の清水」があり、 播磨十水の一つ、桜井の水と記した道標が立っている。

 ここから6分ほどで黒岡神社の鳥居をくぐり、真っすぐ参道を歩き、丁度12時頃に本殿に着き昼食休憩となった。 黒岡神社の由緒は、天平宝字8年(764年)に突如攻め込んできた新羅の軍船に驚いた朝廷が鉄の的も射通すという藤原貞国に「的(いくわ)」の姓を与え、 征討大将軍に任じ新羅の大軍を討伐させた。貞国は折柄の大風に乗じて出陣し敵将の首を取った。この偉功により貞国は播磨西五郡を賜り、 「的」姓を名乗り太田郷楯鼓原に住所を構え長くこの地に栄えたとある。後に貞国は黒岡明神として崇め祀られた。 又、黒岡神社には菅原道真も祀られている。(道真が九州に向かう途中に広畑へ滞留し、この神社に参詣した所縁による。)

 和気藹々とした食事も終え12時35分に本殿を後にして参道を鳥居まで戻って、本日最後の名所である斑鳩寺に向かう。 鳥居から旧道を西へ約1km歩き、再度、国道179号線に合流する。さらに西へ179号線を900mほど歩き、再び旧道に入って西に800mで右折、 さらに北に500m歩いて、ようやく斑鳩寺に到着した時刻は13時半であった。

 斑鳩寺は聖徳太子創建時から千余年間は大和法隆寺の支院であったが、火災で焼失後に再建された後、天台宗となっている。尚、法隆寺は法相宗であったが、 1950年に聖徳宗として独立した。因みに「聖徳太子」は没後の呼称で、歴史学では「厩戸王(うまやどのおう)」が一般的だとされ、 日本書紀や古事記では「厩戸皇子」とも表記されている。

 境内で恒例の記念撮影を済ませ斑鳩寺を後にし、「鵤」バス停留所には14時前に到着。 ここからバスで姫路まで帰る人と別れ、残りのメンバーは約3km先のJR網干駅まで歩き、14時35分発の列車にギリギリ間に合って帰途に着いた。


(下記写真はクリックしますと拡大写真を見ることができます。
また、拡大写真をクリックしますと元の写真に戻ります)

1.播磨高岡駅前 2.西国街道沿いの古い街並み 3.夢前川土手散策道
4.因幡街道の道標(1885年建立・重文) 5.教専寺 6.教専寺門前
7.教専寺~稲岡神社の街並み 8.稲岡神社鳥居 9.稲岡神社案内板
10.稲岡神社本堂 11.稲岡神社の絵馬 12.桜井乃水
13.黒岡神社鳥居 14.黒岡神社境内 15.黒岡神社古墳案内板
16.横穴式石室 17.黒岡神社鳥居の石灯篭 18.斑鳩寺への石灯篭
19.斑鳩寺仁王門前 20.斑鳩寺案内板 21.斑鳩寺三重塔
22.斑鳩寺三重塔前 23.斑鳩寺聖徳殿 24.斑鳩寺講堂

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