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(会長:笹間美之 世話人:神野久典)

平成29年7月13日(木) 第90回例会:  「三田まち歩きとキリンビール工場見学」 執筆者:横山 浩

  平成29年7月13日(木) 第90回例会「ウォーキングコース」
         JR、神鉄三田駅(スタート)~車瀬橋(武庫川)~旧九鬼家住宅資料館(三田ふるさと学習館)
             ~三田城跡・川本幸民顕彰碑~心月院・白洲家墓地~小寺公園(昼食)~妙三寺
                 ~車瀬橋(武庫川)~三田駅~キリンビール神戸工場~三田駅(ゴール)

 九州北部を集中豪雨が襲い30人を超える犠牲者が出た一方で、7つの水系で渇水のため取水制限が始まろうとしている今年の梅雨。 第90回例会の日も週間天気予報では降水確率50%であったが、当日は全く雨の気配もない天気となった。 熱中症者の多発が連日報道される猛暑の季節であり、高砂や加古川から遠いので参加者の数を心配していたが、 20名ものメンバーが集まり10時半過ぎに三田のまち歩きをスタートした。

 桶屋町と名の付く路地を南西の方角に10分程歩くと、ゆったりと流れる武庫川に架る車瀬橋に出くわす。 ちなみに武庫川は三田盆地を潤した後山峡に入り、第82回例会で歩いた旧国鉄福知山線廃線沿いの渓谷を形成し、 宝塚市と西宮市、西宮市と尼崎市の境界を流れて瀬戸内海に注ぐ、延長66kmの二級河川である。

 さらに5分程歩くと旧九鬼家住宅に着く。明治初期に建てられた洋風と和風混在の擬洋風建築で兵庫県指定文化財である。 閉館中であったが前もってお願いしてあったので、隣のふるさと学習館のボランティアの男性が特別に開けて室内に上げて下さった。 入館料も無料で有難い。1階の和室は風の通る造りになっており、すでに汗をかいて歩いて来た我々はホッと一息つきながら、 九鬼家の由来や幕末から明治にかけての家臣、白洲、小寺、川本等の活躍を30分近くお聞きした。 1633年に三田に移封になった九鬼家は、明治になり神戸市で「志摩三商会」を設立して貿易などで財をなしている。 親交のあった福沢諭吉の勧めも後押しした様だが、鳥羽の水軍(海賊)として名をはせたDNAのなせるわざでもあろう。

 西に歩いて数分の所に三田城跡があり、今は三田小学校になっている。校門脇に三田が生んだ近代化学の祖として「川本幸民顕彰碑」が建っている。 代々藩医を勤める家で生まれた幸民(1810~71)は、江戸に遊学し幕府の洋学研究の中心であった蕃書調書教授となる。 幸民は翻訳以外に色々な実験もしている。マッチの試作やビールの醸造、手造り写真機による写真撮影などは日本人初であろう。 「化学」という言葉も初めて使っている。明治となって三田へ帰った幸民は「英蘭塾」を開き、英語や理化学を教えて優秀な人材を育てた。

 武家屋敷の趣の残る屋敷町等をかぎの手に通りぬけ、さらに西の方角に15分足らず歩くと心月院に着く。九鬼氏の菩提寺で歴代藩主の墓所がある。 墓地には戦後吉田首相の懐刀としてGHQとの折衝等に活躍した白洲次郎(1902~85)の墓もある。立派な墓を想像していたが、 「葬式無用、戒名不要」と遺言した次郎の墓らしく、探し出すのに手間取るくらい背の低い五輪塔の板碑である。 遺言通り戒名は無く「不動明王」の梵字が刻まれ、「十一面観音」の梵字が刻まれた妻正子の板碑と寄り添って建っている。

 15分程東に歩いて昼食場所にもくろんだ「小寺公園」を探したが見つからない。 下見に来てはいたのだが、他に適当な昼食場所が見つからなかったので、今日は逆回りにコースを歩いて昼時に合わせたためである。 道行く女性二人に尋ねてみたがはっきりご存知なく、少々あせったが他のメンバーがなんとか見つけ出してくれホッとする。 木陰にいくつかベンチもあり昼食にありつく。

 昼休憩もそこそこに三田駅に戻るべくまち歩きを再開する。 午後のメインであるキリンビール工場見学の送迎バスが、12時40分に駅前に来るからである。

 1602年に妙法の道場として開山した妙三寺の前を通る。 近代詩に新分野を開いた三好達治(1900~64)が、ここに住む祖母と小学5年まで暮らした寺である。 車瀬橋の欄干にも、祖母と楽しんだ蛍狩りを詠んだ歌碑がはめ込まれている。 「子供の頃はこの川も蛍が群舞していたのよ。」と下見の時に逢った女性も仰っていた。

 キリンビール工場の送迎バスは、キリンラガー缶ビールを模した車体になっていて、 車内のテレビでは人気グループ「嵐」の一番搾りのコマーシャルが流れている。 平日にかかわらず一般の人も結構いて、ガイドさんが阪急トラピックスの小旗を持ったグループまで来ていたのには驚いた。 工場見学はベテランの女性がビールのできるまでを説明、ガイドして下さる。 工場は操業を始めて20年でメインが一番搾りの生産。麦芽100%を使用し最初に搾られた麦汁のみを使用する。 この製造法が品名の由来である。500m3程のタンクが並んで据わり、ラインには無数の缶ビールが流れパッケージされていく。 40分程の見学が終わって、いよいよまちにまった試飲の時間。 天井が高くガラスばりで開放感のあふれる試飲会場は椅子とテーブルが100席以上は置かれ、長いカウンターにはプレミアムや黒、 山田錦を使ったという神戸限定製造品を含めた各種の一番搾りや、車での来場者用にノンアルコールの「零一」からソフトドリンクまで用意されている。 希望のビールをサーバーから大き目のグラスに、液体と滑かな泡を分離しながら同時に注いで渡される。 3杯まで試飲できるのでそれぞれ好みの種類を楽しんだが、ウォーキングで汗を絞られひりつき気味の喉にはまさに甘露であった。

 試飲を終え、赤銅色に磨かれた銅釜の前で記念撮影をし、14時40分工場発の送迎バスに乗り込んで帰路についた。 熱中症者が出なかったことに安堵しつつ。もし記念写真のメンバーの顔が赤ければ、それは銅釜の色が映りこんだせいである。 

へのリンク

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1.桶屋町街中 2.車瀬橋(武庫川) 3.旧九鬼家住宅のガイド案内
4.旧九鬼家(疑洋風建築)住宅 5.旧九鬼家(疑洋風建築)住宅 6.旧九鬼家(疑洋風建築)住宅資料館
7.三田城跡 8.心月院山門 9.心月院
10.心月院境内 11.心月院庭園 12.白洲次郎の墓
13.ラガーバスにて工場見学出発 14.ピール工場見学風景 15.1分間2000缶生産
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16.ビール試飲会場 17.糖化釜(銅釜)前にて -

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