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活動報告

(会長:笹間美之 世話人:神野久典)

平成30年1月18日(木) 第96回例会: 「楠木正成の歴史・史跡巡り」 執筆者:横山 浩

  平成30年1月18日(木) 第96回例会「ウォーキングコース」
         湊川神社(スタート)~楠木正成像(湊川公園)~楠木正成本陣の碑・会下山(えげやま)公園(昼食)
             ~福海寺~福厳寺~金光寺~藤之寺~新開地駅orJR神戸駅(ゴール)

 平成30年、2018年劈頭の例会は、昨年開港150年を迎えた神戸の街を、楠木正成の史跡を訪ねて歩いた。

 穏やかなお天気で年明けしたものの、中旬に入って例年にない寒波が襲来し、寒い日が続いて体調を崩している人が多いと聞く。 そのためかこの例会参加者も、16名とやや少な目。かくいう私も数日前から微熱が出、念のため医者に診てもらった。 昨日の雨が上がった今日は、気温が10℃を超えるとの予報が救いである。

 定刻10時に湊川神社の門をくぐり、本殿にお詣りする。1336年足利軍との戦いに敗れた楠木正成や、 弟正季(まさすえ)らが自決した場所はすぐ西隣で、玉垣に囲まれて碑が建っている。 足利軍と戦った正成は、室町時代には「逆賊」として扱われ、以降の武家社会でも後醍醐天皇に殉じた正成を礼賛することは、タブーであった。 1692年に水戸黄門徳川光圀が自筆で、「嗚呼 忠臣楠子之墓」と記した墓石を建立して以来、西国街道に面したこの墓所は、 有名無名の多数の参拝者を迎えた。特に幕末から明治維新にかけて、日本の近代化に活躍した多くの勤皇の志士たちの精神的支柱ともなり、 名のある志士たちがこの墓所を訪れている。

 湊川神社南側の大通り(国道28号;大開通)を西へ500m程歩くと、歓楽街で有名な福原町柳筋。しかしこの時間帯は人影も少なく、 物憂い空気がよどんでいる。

 一筋西のパチンコ店と「立ち食いそば」店が目につくアーケード街の中ほどで、上方落語の定席「神戸繁盛亭」の工事が進んでいる。 「喜楽館」という名で、200席ほどの小さな建物の様だが、夏のオープンが楽しみである。アーケード街を北にぬけると、湊川公園である。 天井川で東西の交通をも遮断していた湊川を、西にふって現在の会下山トンネルを通る流路に付け替え、跡地を埋め立てて1911年に開園した。 公園北側には1935年の大楠公600年祭を記念して作られた、騎馬武者姿の楠木正成像が見上げる高さの台上にある筈であったが、 今はすぐ北隣の兵庫区役所や消防署の工事がらみで、 地上に降ろされ囲いの中に逼塞されている。

 湊川公園を北にぬけ、生活感あふれる東山商店街をのぞきながら400m程北に上がると、西に流れを変えたばかりの湊川にぶつかる。 500m程でトンネルに入るので、河道は覗き込むような下にある。 桜の若木も植えられて格好の遊歩道ができている。

 1901年に竣工した日本初の河川トンネルである湊川隧道は、2000年に新湊川トンネルが完成してその役目を終えた。 遺構は日本の近代化遺産として保存され、週末のミニコンサート開催や、 十一月十八日の土木の日にちなんで通り抜けが催されている。

 可愛いラッピング電車を連結して走る神戸電鉄の軌道下を南に潜って、会下山(えげやま)公園に登る。 海抜85mあり南側は兵庫の街が一望できる。九州から反攻上陸してきた3万5千の足利軍に対し、 わずか700の手勢を率いた楠木正成が、陣をはった場所である。東郷平八郎の筆になる「大楠公湊川陣遺跡」の碑も建っている。 12,000坪もの広さがあり、市民憩いの場になっている。時計は11時を10分程しか回っていないが、 この後適当な場所もないので早目の昼食にする。

 12時前にウォーキング再開。公園西端から南へ坂道を下る。かっては寡勢の楠木軍が、 圧倒的な足利軍に逆落としに攻めかかったのであろう。坂の途中にモダンな学校が建っており、 「神戸市立兵庫商業高等学校、神港高校、橘高校」の銘板がはまっている。

 南へ上沢駅、大開駅を過ぎて1.5km程歩き、JRの高架を潜ると福海寺がある。 1335年に武家政権復活をかかげて挙兵した足利尊氏が、天皇方の楠木正成、新田義貞、北畠顕家の軍に敗れて九州に逃れる際、 この寺に身を潜めて難を免れたという。門扉には丸に二引きの足利の家紋がうたれている。兵庫七福神の大黒天として、 柳原の十日戎には特に賑う。しかし本堂の背後にはマンションが建っており興がそがれる。 せめて樹木で目隠しして欲しいものである。

 東に数分で禅宗南禅寺派の福厳寺。1333年に後醍醐天皇が、配流先の隠岐から還幸の途中、 楠木正成や赤松則村の出迎えを受けられた行在所である。

 さらに東300m程の所に、高野山真言宗金光寺がある。 1800年の楠公祭りの際、鎌倉幕府の滅亡から南北朝時代を語る太平記軍書講談が、75日間に渡って行われたという。 先の震災で本堂や庫裏が倒壊して再建されたため、周囲に樹木が全く残っていない。 狭い境内に小さな墓石がみっしりと並んでいる。 「骨壺が2つ入るやろか?」と心配になる程のお墓の大きさである。

 北に300m程戻ると今日最後の予定地浄土宗西光寺。 楠木正成の数少ない味方となった新田義貞に加勢した、兵庫津の豪商北風家の「白藤の菩提寺」で、俗に「藤之寺」。 境内に藤棚が二つあり、本堂の裏はかなりの広さの墓地になっている。

 今日のゴールはJR神戸駅を考えていたが、新開地へ行った方が近くて便利な人も多いので、 まだ1時を過ぎたばかりだが、「藤之寺」を出たところで解散とした。

 蛇足だが「藤之寺」のすぐ並びに「湊八幡神社」があり、18日の今日は厄除け大祭の日である。 立ち並ぶ露店の間を「我々には関係ないわな。」等と言いながら通り抜けようとしたら、 「せっかくですからお詣りしていって下さい。」と店の人に声を掛けられた。 「それもそうか」と思い直し、境内に入ってお詣りした。 昨年9月15日の「敬老の日」に、厚労省は100歳以上の人口が6万7824人で、前年より2132人増えて47年連続の増加だと発表した。 団塊の世代が100歳を超えだす30年後には、100万人以上となるのではなかろうか? そんなご時世に、61歳で厄が終わるとはズレている感が否めない。

へのリンク

(下記写真はクリックしますと拡大写真を見ることができます。
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1.湊川神社門前 2.湊川神社の日本最古のオリーブ 3.湊川神社境内
4.湊川神社本殿 5.楠木正成戦没地 6.水戸黄門徳川光圀像
7.湊川公園 8.湊川沿い 9.湊川隧道
10.湊川隧道案内板 11.会下山公園 12.会下山公園にて
13.会下山「大楠公湊川遺跡」碑 14.福海寺門前 15.福厳寺門前
16.金光寺 17.藤乃寺門前 18.湊八幡神社

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