高砂支部ホームページ
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1.高砂支部だより (支部役員名簿や行事予定、その他連絡事項) | |||||
2.高砂支部同好会活動の内容 (活動予定及び直近の活動報告を記載) | |||||
世話人名簿 | 囲碁・将棋 | ウオーキング | グラウンド・ゴルフ | ||
ゴルフ | ハイキング | カラオケ | 文化展 | ||
3.ネットワーク便り (10/6)(各部門内での行事予定【職場OB会】等々の連絡及び実施事項等) | |||||
4.高砂文庫 (寄稿コーナー:近況報告、紀行文、エッセ-、詩、短歌、俳句、ノンフイクション等々) | |||||
5.故郷たより (ふるさと便り:会員が居住する地域社会での出来事や歴史等の紹介) |
ウオーキング同好会 |
活動報告
(会長:笹間美之 世話人:神野久典)
平成30年9月13日(木) | 「第104回例会 :有馬古道を歩いて小浜宿へ」 | 執筆者:波戸 義雄 |
平成30年9月13日(木) 第104回例会「ウォーキングコース」 |
酷暑の夏が過ぎて涼しくなったが、当日は秋雨前線が停滞していて開催が危ぶまれた。 判断基準の7時前のNHKの降水確率では、周辺は全て中止となる60%以上だったが、 兵庫南部だけが50%となっており、何とか開催できることになった。 集合場所のJR伊丹駅前の有岡城跡は、約300年間治めた伊丹城の伊丹氏が没落後に、 織田信長の武将・荒木村重が1574年に入城して有岡城と改称した城である。 有岡城は城下町を城郭の中に取り込んだ総構えと言われる築城法で、日本最古と伝えられる天守が有ったが、 信長に反旗を翻して1579年に落城してから、ここに城が築かれることは無かった。 また、村重を説得に来た黒田官兵衛が城内の土牢に幽閉されたことでも 有名である。 会長の挨拶などの後、初参加の1名を加えた15名で10時にスタートして、近くの荒村寺に寄った。 荒村寺は有岡城跡の一部で、信長に攻め落とされた後に伊丹郷町の木綿屋徳三郎が禅宗に帰依して城山庵を作った。 その後、荒木村重にちなんで荒村庵と改名され現在の寺になり、 荒木村重の位牌が祀られている。 直ぐに、伊丹から大坂への幹線道路だった「旧大阪道」に入ったら、伊丹市による町並み保存がなされており、 昔の面影が残っていた。700m程歩いたところに、有岡城南端の砦跡・鵯(ヒヨドリ)塚が有り、 有岡城の広さをうかがい知ることが出来るのだが、 私有地内にあるため見学は出来なかった。 旧大阪道を外れて1.8km程歩いたところで合流した有馬古道(有馬街道)は、 大阪・京都等から有馬温泉に至る4つのルートがあり、今回は最も歴史の古い 大阪からのルートで伊丹から宝塚までを歩いた。 約1.5km歩いて着いた昆陽(コヤ)寺は、西国街道にも面した寺で、733年僧行基の開創と伝えられている。 信長の兵火で焼失したが信者により再建され、江戸時代に建てられた朱塗りの山門は県指定文化財に指定されている。 昆陽寺までの有馬古道は、昔の面影の無い普通の町並みだったが、 ルートを計画後に伊丹市役所HPで見つけた水路沿いの約600mの石畳の道は、 趣が有って気持ち良く歩けた。 昆陽寺から30分ほど歩いたところにある、この地域の開発に携わった16名の人々にちなんで名付けられたと伝えられている十六名(ジュウロクナ)公園で昼食休憩を取った。 休憩後、宝塚市に入って「すこやか小道」を歩き、13時過ぎに小浜(コハマ)に着いて、宿場町に入る前に南西端にある巨大な首だけの首地蔵に参拝した。 初めて見た時はびっくりする首地蔵だが、色々な説があり、首から上の病を治してもらえる地蔵さんとして知られている。 右は昔のもので昭和に火災に遭って一部が欠けたため、二代目が作られたとのことである。首地蔵から階段を降りたところにあった、 小浜出身で明治の名大関と言われる谷風岩五郎の墓を参拝した。 来た道を戻って、「小濱宿 西宮街道」と書かれた大きな標柱と宿場町を醸し出す木造灯篭が有る南門跡に着いた。 集合写真を撮って小浜宿に入り、最初に小浜宿のことを知るために市立小浜宿資料館に行った。 内部には小浜宿に関する資料やジオラマが有り、毫摂(ゴウショウ)寺を中心とする真宗寺内町として、 有馬・西宮・京伏見の三街道が通っていたこともあって江戸幕府の庇護を受けて発展してきたこと等の資料が有った。 係の人からは、ジオラマの前で、歴史や建造物等について詳しい説明を受け、メンバーから多くの質問が出た。 資料館を出て説明を受けた毫摂寺に寄って、 宿場町の中を歩いて北門跡で小浜宿を出た。 次は、小浜宿を城塞的に守って、三方を迂回して流れている大堀川を渡って直ぐの旧和田家住宅に行った。 当家は代々旧米谷村の庄屋を務めていて、摂津・丹波型と呼ばれる妻入角屋本瓦葺(ツマイリツノヤホンガワラブキ)の住宅で、 江戸中期までに築かれた宝塚市内最古の民家遺構の一つである。ここでも係の人から、 部屋を仕切っている高さ約20cmの「高敷居」のことや、当時の人々の暮らしぶりなどの詳細な説明を受け、 皆からも質問が相次いだ。 14時前に旧和田家住宅を出て、10数分で阪急清荒神駅に着いて解散となった。 6名が電車に乗り、JRに乗る人達など9名が宝塚駅に向かい、14時半頃に着いた。着いて暫くして雨が降り出してきて、 歩行中に降られなくてラッキーな例会だった。 |
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1.計画コース | 2.有岡城跡から出発 | 3.荒村寺 |
4.昔の面影を残す旧大阪道 | 5.昆陽寺にて | 6.水路沿いの有馬古道 |
7.十六名公園で昼食 | 8.すこやか小道を歩く | 9.首地蔵 |
10.谷風岩五郎の墓 | 11.小浜宿南門跡 | 12.小浜宿資料館 |
13.小浜宿ジオラマ | 14.小浜宿の説明を受ける | 15.毫摂寺 |
16.旧和田家住宅 | 17.住宅の説明を受ける | 18.清荒神でゴール |