高砂支部ホームページ
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1.高砂支部だより (支部役員名簿や行事予定、その他連絡事項) | |||||
2.高砂支部同好会活動の内容 (活動予定及び直近の活動報告を記載) | |||||
世話人名簿 | 囲碁・将棋 | ウオーキング | グラウンド・ゴルフ | ||
ゴルフ | ハイキング | カラオケ | 文化展 | ||
3.ネットワーク便り (10/6)(各部門内での行事予定【職場OB会】等々の連絡及び実施事項等) | |||||
4.高砂文庫 (寄稿コーナー:近況報告、紀行文、エッセ-、詩、短歌、俳句、ノンフイクション等々) | |||||
5.故郷たより (ふるさと便り:会員が居住する地域社会での出来事や歴史等の紹介) |
ウオーキング同好会 |
活動報告
(会長:笹間美之 世話人:神野久典)
平成30年12月8日(土) | 「第107回例会 :神戸ゆかりの偉人の足跡や史跡を訪ねて」 | 執筆者:横山 浩 |
平成30年12月8日(土) 第107回例会「ウォーキングコース」 |
12月に入ったというのに数日前には夏日に近い陽気になり、一転今朝は水道の水が温かく感じる程に冷え込んだ。 そんな気候もあってか急なお葬式の入った会長と、風邪から回復しきれなかった1名が欠席。 しかし久々に参加の数名が加わり、18名で今年締めの第107回ウォーキング例会を催した。 10時少し過ぎにJR兵庫駅を出発し、すぐ南の地下道で国道2号をくぐる。 この道に沿って少し西に行くと、明治元年創立の神戸で最古の明親小学校がある。 西角を廻りこんで南進し和田岬線を越えてさらに行くと、カーナビ・オーディオなどを作るデンソーテンの正門にぶつかる。 道を西にとると両側は川崎重工兵庫工場で、新幹線や私鉄、地下鉄などの各種車両を作っている。 兵庫駅からの引込線が道を縦断していて、両側の工場の中がのぞける。 土曜なので操業はしていないようだが、数台の(内装中?)車両がまぢかに見られる。 ここは鉄道マニアの恰好の写真撮影スポットでもあるようだ。 南工場と運河を挟んで建つ本館前には、団子鼻の0系と181系こだま型車両が展示されている。 時速360km運転を目指す最新鋭新幹線車両も、ここで作られているようだ。 川重工場の西側を500m程南に下ると尻池公園である。しばし小休止。 そこから東に向かうとすぐ兵庫運河にかかる橋があり、そのたもとにこの運河開削に功のあった豪商八尾善四郎の銅像が建っている。 日露戦争でも軍事物資の輸送に功績があり、没後1919年に建てられた銅像は第二次世界大戦中の金属供出令の適用を免れたという。 この運河ができた事により、西風が強くても和田岬を廻りこむ必要なく神戸港と行き来できるようになったのである。 運河の水面は静かでゴミも無く、いく棟かの倉庫がひっそり立ち並んでいる。 運河に棲む50種ほどの鳥や魚介類の掲示板があるが、本当にこんなに生物が棲んでいるのだろうか? 確かに水辺は人にとっても憩いの場ではあるが。 運河を南に少し離れて御崎公園に入るとノエビアスタジアム神戸がある。 サッカーのヴィッセル神戸のホームグラウンドだが、 社会人ラグビーの試合も行われている。 球技専用スタジアムなのでスタンドとグラウンドが近く、ラグビーでは体同士がぶつかり合う音が聞こえる程である。 来年のラグビーワールドカップでもイングランドやスコットランド、南アフリカの試合が組まれているので、 さぞや迫力ある試合が目の前で展開されるだろう。 御崎公園は北の縁をショートカットするつもりだったが、南側の幹線道路高松線まで出て鐘化中研跡を眺める。 中研の建物やテニスコート、裏にあった社宅や和風寮は跡形もなく、 今はヤマダ電機やニトリ及びその駐車場になっている。 御崎公園の東側を北上し、和田岬線をわたったところで1本東側の小路に入ると、神戸工業高校がある。 グラウンド沿いに北上して道路をわたると薬仙寺がある。奈良時代に行基が開基し今は時宗の仏教寺院。 平清盛が後白河法皇を幽閉した萱の御所跡の碑もあり、兵庫七福神の寿老人にも充てられており、 故事来歴の多い寺である。 再度運河に出会うので北に渡ると清盛塚がある。十三重の石塔だが墳墓ではなく供養塔だそうである。 左に平清盛像、右に琵琶塚が並んでいる。ちなみに琵琶塚は琵琶の名手であった平経正(清盛の甥)の墓と言われる。ここで全員揃って記念写真を撮る。 玉垣にカメラを置きセルフタイマーでパチリ。 運河沿いは遊歩道(キャナルプロムナード)になっていて対岸にイオンモール神戸南の店舗が並んでいる。 途中に兵庫城跡の碑がある。織田信長配下として荒木村重討伐に功の有った池田恒興が、摂津国の太守となって建てたのが兵庫城である。 城址には短期間だけ初代の兵庫県庁が置かれていたという。 高松線に出て中央市場前を北上し、七宮神社を左に見て弧を描く様に東上すると、すぐに高田屋嘉兵衛屋敷跡がある。 高田屋嘉兵衛は1769年淡路で生まれて兵庫に出、船乗りとなって北前船で財を築いた。 函館港を新しく開いて発展させ、択捉島と国後島の間に航路も発見した。 ロシアの南下に伴い起こったゴローニン事件でカムチャッカに連行されるも、日ロ間の交渉に尽力し解決に導いた。 司馬遼太郎の「菜の花の沖」は彼を主人公として書かれた長編小説である。 屋敷前の通りが「菜の花ロード」と名付けられているのもこれによるのであろう。 菜の花ロードが尽きる辺りに横溝正史生家跡の碑がある。 推理小説金田一耕助シリーズで知られる作家だが、実際の生家は少し東の現川崎重工神戸工場の中にあった。 本名は「まさし」であるが、誤読した作家仲間にヨコセイとあだ名されているうちに、 セイシをそのまま筆名とした。 国道2号を歩道橋で北にぬけて神戸駅にいたり、バス停の並んだロータリーの北側にある忘年会場の居酒屋に着いたのは、 予定時間の12時半を5分程過ぎていた。ここで2名が加わり総勢20名で忘年会が始まった。 満87才の長老を筆頭にいける口の面々が揃っているので、 飲み放題付きの宴が盛り上がったのは言うまでもない。 |
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