高砂支部ホームページ
リンク先:(下記テーブルに示す箇所をクリックするとクリックしたエリアにリンクすることができます)
1.高砂支部だより (支部役員名簿や行事予定、その他連絡事項) | |||||
2.高砂支部同好会活動の内容 (活動予定及び直近の活動報告を記載) | |||||
世話人名簿 | ゴルフ | ウオーキング | グラウンド・ゴルフ | ||
ハイキング | カラオケ | 予備 | 予備 | ||
3.ネットワーク便り (10/6)(各部門内での行事予定【職場OB会】等々の連絡及び実施事項等) | |||||
4.高砂文庫 (寄稿コーナー:近況報告、紀行文、エッセ-、詩、短歌、俳句、ノンフイクション等々) | |||||
5.故郷たより (ふるさと便り:会員が居住する地域社会での出来事や歴史等の紹介) |
ウオーキング同好会 |
活動報告
(会長:笹間美之 世話人:神野久典)
令和元年11月21日(木) | 「第118回例会 : 京街道の"淀~橋本"迄(途中「石清水八幡宮」へ)を歩きます」 |
執筆者:岡田 彰 |
令和元年11月21日(木) 第118回例会「ウォーキングコース」 |
今回のウオ―キングは京街道の淀から橋本まで歩くコースで、途中石清水八幡宮を見学、 京街道は第116回例会(枚方から守口)に次ぐウオ―キングであった。 淀は「与渡津」(淀の港)と呼ばれ、古代から都に運ばれる物資の陸揚げを集積する商業地であった。 江戸時代は淀城の城下町であったが、 伏見宿、枚方宿に近く本陣も脇本陣もなく宿も16軒だけの小宿場であった。 京阪淀駅に参加者16名が集合、天気良く気温も寒くも暑くもなく快適な条件でウオ―キング開始。 淀駅を出ると駅前に大きな水車が置いてある。江戸時代、淀城内の苑池に川から水を取り入れるのに設置されていた 記憶のモニュメントらしい。 駅からまず淀城公園に入り、與杼(よど)神社を見学、「延喜式」(901から編集開始された書物)にすでに名が載っている由緒ある神社。 江戸時代初期に本殿と拝殿が建立され、明治時代に桂川河川敷拡張のため現在の位置に移設された。 昭和になって本殿と拝殿は国の重要文化財となったが、本殿は花火による失火で全焼し、1980年に再建された。 神社内に大阪淀屋が寄進した灯篭がある。淀屋の創始者は淀の出身とのこと。 公園の奥に淀城址の石碑があり寄進者は淀城城主の子孫、稲葉氏。淀城は徳川秀忠の命で築城された。 豊臣秀吉が側室茶々のために築城した淀城はこの城ではなく北へ500mの位置にあったが現在は何もない。 この城と城下町は三川(桂川、木津川、宇治川)合流の中州を干拓して形成されていた。現在の三川の合流地点は下流になっていて中州の面影はない。 現在城址には本丸と周りの石垣が残っているだけになっている。戊辰戦争の鳥羽伏見の戦いで城下町、城内も戦火で焼失した。 公園をあとにして淀の町を通り抜けたが、城下町の面影は残っていない。住宅街の道を歩いて長円寺へ。 この寺は鳥羽伏見の戦いで幕府軍の負傷者、死亡者が運び込まれた野戦病院となった。 門の前に明治40年に榎本武揚によって書かれた幕府軍戦死者の慰霊碑が建立されている。 ちなみに榎本武揚は明治41年に72歳にて亡くなっている。 しばらく行くと京阪電鉄のロジステックヤードと車庫の脇を通り、京滋バイパスの高架下を抜ける。 御幸橋(石の欄干には1930年建立)で宇治川を渡ると「であいさくら館」に着く。ここは宇治川と木津川の合流点でさらに下流で桂川と合流し淀川となる。 ここの館内の休憩室で昼食を取る。昼食後併設されている展望台にエレベータで上がり、桜の名所、背割堤の桜並木を見る。 桜の季節では無いが、桜の紅葉と回りの緑、川の青とのコントラストが良かった。 桜の季節にはさらに美しい景色が見られそうである。 休憩後もう一つの御幸橋で木津川を渡り、京阪電車の踏切を渡り飛行神社へ。この神社は日本で最初に飛行原理を研究した二宮忠八が創建した。 彼は有人飛行を前提とした「玉虫型飛行器」1893年に作成し、これに動力を備えて「飛行機」とする計画を軍に上申したが却下された。 その後自力でガソリンエンジンを動力に飛行する構想を立てたが、1903年にライト兄弟が有人動力飛行に成功したことを知り断念した。 神社前にはジェットエンジンと海から引き揚げられた零式艦上戦闘機のエンジンが展示されている。 その後石清水八幡宮に向かう。石清水八幡宮は京都の裏鬼門の守りとして平安時代に創建された。 神社への上りは男山ケーブルで。乗り場に行く途中、エジソンの胸像が立っている。ケーブルは平日であったが満席、乗車は約3分。 山頂駅から歩き、神社の前のあるエジソン記念碑を見る。 エジソンが世界で初めてフィラメント電球を灯した時のフィラメントはここの竹をカーボン化したものが使用され、その記念として建立された。 その後国宝の石清水八幡宮の本殿へ。まず南総門を抜けると本殿の色鮮やかな桜門(国宝)に出会う。この門でお参りをした。この門の奥にある本殿は拝観していない。 本殿の周りを一周すると多くの摂末社があり、数社は国の重要文化財になっている。本殿前で集合写真を撮り、参道を歩いて下山。途中京都全体が見渡せる展望台に立ち寄る。 ここはもみじ紅葉の名所でもあり立派なもみじの木が多くあったがまだみどり多く紅葉には早かったようである。 参道の下りはほとんど石段で少ししんどい参加者もいたようである。 下山して大谷川にかかるたいこ橋の安居(あんご)橋と八幡宮の一の鳥居(この鳥居に掛る銅板の額「八幡宮」の八は二羽の鳩が外を向いた形となっている)見て、 再び京阪電車の踏切を渡り、木津川沿いの道を歩いて橋本に向かう。 橋本は奈良時代の行基が架けたと言われる「山崎の橋」のたもとにあるのが地名の由来。 京街道の宿場町で宿泊客の多くは石清水八幡宮に参拝する人達であった。御幸橋が架かるまでは対岸の山崎からの渡し船が運航していた。 橋本には1000年も前から遊郭があったらしい。1872年に京都府から正式に遊郭と認定され1958年の公娼制度廃止まで続いた。 映画「鬼龍院花子の生涯」の舞台にもなった。いまも一部の民家の屋根、玄関、格子作りが遊郭の面影を残している。 橋本の町を散策後、京阪橋本駅に着き今日のウオ―キングを終了した。 |
(下記写真はクリックしますと拡大写真を見ることができます。
また、拡大写真をクリックしますと元の写真に戻ります)