9時13分発の加古川線に乗車、粟生駅で北条鉄道に乗り換える待ち時間が長く、
この合間に本日の写真担当のN氏が早速参加者の談笑風景を切り取ってくれた。
北条鉄道は1915年営業開始で100年以上の歴史を誇り、加西市の北条駅町と小野市の粟生駅を結ぶ全長13.7Km、
全8駅の第3セクターの鉄道会社で加西市長が社長を務めている。
北条鉄道は単線ながら一部の駅を複線化して将来30分間隔のダイヤを想定し4両の車両を有している。
その中で注目を浴びているのが、私たちが往き、帰りに乗車した「キハ40型」車両である。
このキハ40は、JR東日本の東北の五能線を40年近く走っていた車両を譲り受けたもので
今年2月にデビュー1周年を迎えたが譲り受けるまで随分と苦労したようで
クラウドファンディングで資金を募り、車両の改修も安全確保に必要なものにとどめている。
車内のドアの上に貼ってある路線案内図もJR五能線の案内図のままである。
北条町駅で1名が合流し参加者15名が揃い、恒例の会長挨拶とコース説明の後、
加西市のコミュニティバス「ネッピ~号」に乗り玉丘史跡公園に向かう。
バスの乗客は我々だけで途中の駅でも誰も乗ってこず貸し切り状態だった。
もし乗り切れない時はタクシー利用も考えたが取り越し苦労であった。
玉丘史跡公園は6.2haの広い公園で園内に6基の古墳が点在する、
なかでも有名なのが5世紀前半に築造された前方後円墳の玉丘古墳で国の史跡に指定されている。
この古墳は「播磨国風土記」に記載されたヒロイン「根日女」の悲恋伝承の舞台として知られている。
園内の古墳群を巡り、最後に玉丘古墳の丘陵に登って石棺の発掘跡の窪みを確認してから昼食を摂った。
15名が集まって休憩できる場所は先客で埋まっていて、点在するベンチや芝生の上などに散会して各々ランチを楽しんだ。
11時45分に玉丘史跡公園を出発、いよいよウォーキングを開始した。
天気予報では降水確率40%曇り一時雨であったが、
幸いにも薄曇りで弱い風も吹き陽射しには恵まれなかったが汗もかかず歩ける日和に恵まれた。
バスで来た道を引き返して県道24号線をひたすら歩き三井住友銀行角の細い道筋を入ると、
旧街道の名残をとどめる昔ながらの商家が並ぶ。
この界隈を地元の人は北条の宿と呼び観光や景観保全に力を入れている。
格子戸や袖卯建、虫籠窓などの造りを眺めながら通りを歩くと酒見寺(さがみじ)の楼閣造りの重厚な仁王門が現れる。
酒見寺は天平17(745)年に行基が開いたと伝わる聖武天皇の勅願寺で2度にわたる兵火により堂宇は焼失し、
現在の伽藍は江戸時代初期徳川幕府により再興されたもので、
参道両側には菊と葵の紋が入った灯篭がずらりと並び寺の格式を偲ばせる。
又、上重屋根は檜皮葺きで下重屋根は本瓦葺きの珍しい形の多宝塔(重要文化財)及び
極彩色の華麗な鐘楼(県有形文化財)や梵鐘など文化財の宝庫でもある。
酒見寺をじっくり観て廻り、境内から西に進んで隣の住吉神社に入る。
養老元(717)年創建されたと伝わる古社は播磨の国の三ノ宮で、
静謐な境内には国登録有形文化財の拝殿、幣殿、本社の三殿が厳かに並ぶ。
住吉神社を出て坂道を北上するとすぐ謎の石仏群として知られる五百羅漢がある天台宗・北瑩山・羅漢寺に着く。
北条の五百羅漢の石仏群は元々先程観た酒見寺にあったもので、
江戸時代初期に寺の再興に伴う整備や信仰・供養のために造立されたと考えられており、
江戸初期の石仏500体がほぼ原型を留めており「誰かに似た像が」と古くから民間の信仰や伝承の対象になってきた。
参加者15名で拝観料を払って入ると、住職の案内により聖天堂、庚申堂、石仏群の謂れや説明を受けることが出来た。
この後、各人で石仏一体一体の姿・お顔を観て廻り、
一息入れたところで羅漢寺をあとにして先に進み、大信寺、西岸寺、妙典寺などが並ぶ寺家町通りを抜けた。
この後、横尾歴史街道に入り往年の佇まいが今も色濃く残る街道筋にある国登録有形文化財、
県景観形成重要建造物である高井家住宅、水田家住宅を訪れる予定であったが、
歩数は一万歩を軽く超え、時間も推しており、ここで切り上げることとした。
往きに通った北条の宿の道を通り住友銀行の交差点を右折して真っすぐに北条町駅に向かい14時前に到着した。
ちょうど14時3分発の姫路駅行きの神姫バスがあり3名が乗車したが、
残りのメンバーは14時39分発の北条鉄道で粟生駅まで、
JR加古川線に5分で乗り換え、加古川駅には15時31分に無事到着し、解散となった。
今回のウォーキングは、経過時間は2時間45分、歩いた距離7.36kmで、
正味移動時間は1時間38分、移動速度2.68km/hrであった。
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