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(会長:末岡義孝 世話人:神野久典)

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令和6年11月14日(木)  「第142回例会: 箕面大滝ウォーク 」 執筆者:横山 浩

    令和6年10月14日(木)[ ウォーキングコース ]
      集合;阪急箕面駅前広場 → 笹川良一像 → 森秀次像 → 箕面川の赤い石
         → 野村泊月句碑 → 箕面公園昆虫館 → 瀧安寺 → 野口英世像 → 唐人戻岩
         → 合田百一氏殉職の碑 → 箕面大滝 ( 昼食 ) → 帰路 ( 往路を戻る )
                                        行程:2.8km×2=5.6km

     今年も残り1月半となった11月14日(木)、第142回例会「箕面大滝ウォーク」を催行した。
    抜けるような青空の風のない良い天気になり、
    メンバー17名が集合時間の10分前には顔を揃え、10時半に出発した。
     駅前広場の道脇に「東海自然歩道西の起点」の石柱がある。
    東海自然歩道は東京の「明治の森高尾国定公園」と、大阪の「明治の森箕面国定公園」を結ぶ
    総延長1,697km余の歩道で、歩くと40日くらいはかかる様である。

1.ウォーキング
マップ
2.箕面駅前にて 3.さあ出発 4.東海自然歩道
 ・西起点の碑

     少し行くと箕面市出身の笹川良一氏(59)が、82才の母・テルを背負い金毘羅参りをしている様子の像があり、
    「母背負い 宮のきざはしかぞえても かぞえつくせぬ 母の恩愛」との句も刻まれている。
    氏は足腰が強かったのだろうなと感心するが、同じ像は各地にもあるようである。
     次に現れたのは森秀次(しゅうじ)像である。箕面市に隣接する池田市の森家の養子となり、
    医業に従事し部落解放運動にも取り組んだ。
    明治28年(1895年)、大阪府会議員の時に提案した箕面公園設立の建議が可決されたので、
    箕面公園の生みの親とも言われている。
     川沿いには歴史のありそうな木造の料理旅館があり、
    何軒かは小洒落たカフェや食堂になっている。川にせりだして川床のようにしている店もあった。

5.笹川良一の親子像 6.古風な建物のカフェ 7.紅葉には早過ぎ
8.道端のおいしそうな看板 9.森秀次像 10.箕面川のせせらぎ

     駅から1kmほどのところに1953年に開業した箕面公園昆虫館がある。
    かつて「日本三大昆虫宝庫」と称され、身近な昆虫だけでなく
    世界中から取り寄せた珍しい虫たちも展示している。
    ガラス(?)ばりの放蝶館もあり、飼育されている色々な蝶が優雅に舞っている。
    入口横の花壇には、沖縄や台湾までも渡りをするアサギマダラ(蝶)の好むフジバカマも植えられている。
    遠足に来た小学校低学年くらいの子供たちが、ぞろぞろと列をなして入館していた。

11.箕面公園昆虫館 12.龍安寺で集合写真① 13.龍安寺で集合写真②

     続いて瀧安寺(りゅうあんじ)。西暦658年役(えんの)行者が箕面滝で修業し
    、弁財天の導きを受けて悟り宗教家として大成した。
    行者尊は報恩感謝のもとに自ら弁財天の像を作製し滝の側に祭祀して箕面寺と称した(後に瀧安寺と改称)。
    以後多くの修行者が入山し、山岳の道場として発展しつつ最盛期には堂舎が八十余りも存在した。
    名高い宗教家に奈良時代の行基を始め、
    空海(弘法大師)、聖宝(理源大師)、圓珍(智証大師)、鎌倉時代の法然、日蓮、蓮如がいる。

14.龍安寺・弁財天像 15.龍安寺仏足石 16.龍安寺・本堂(弁天堂)

     半分くらいまで来た所で左手の斜面を見上げると、試験管をふる野口英世像が立っている。
    福島県猪苗代出身のはずなのになんでこんな所に像があるのかと不思議に思うが、
    15年間のアメリカ留学から一時帰国の際、待ちわびていた母を連れて箕面に立ち寄り老いた母を慰めた。
    この話に感動した料亭「琴の家」の南川光枝さんが私財を投じ、
    また箕面にゆかりのある人からの浄財を受けて建立されたのだ。

17.唐人戻岩 18.野口英世像 19.合田百一氏殉職の碑

     大滝まで0.2kmの標識を過ぎた所に箕面町警察署長合田百一(ごうだももいち)氏殉職の碑がある。
    昭和26年7月11日箕面川は集中豪雨により氾濫し、公園内の飲食店や旅館が押し流される危険な状態になった。
    救援要請を受けた合田氏は部下3名の先頭に立ち、豪雨の中滝道を登った。
    滝付近まで辿り着いた時、滝壺横の飲食店に助けを求める人を見つけ、
    合田氏は山の斜面を這うように進んで行ったが、
    途中突如足元の地面が崩れ落ち濁流に飲み込まれて殉職した。
     歩き始めて1時間ほどで目的地の箕面大滝に到着。
    「日本の滝百選」に選定されている落差33mの大滝。渇水期と思うがそこそこ水量がある。
    上流にダムがあり調整しているのかもしれない。
    滝前にコンクリート製の休憩所があり2階のテラスで昼食をとる。
    ここまでだらだらと100mほど登って来ているが、滝の周辺のモミジはまだまったく紅葉していなかった。
    今年はいつまでも気温が高かったのでやはり遅れているのだ。
    しかしここまでの道端には名物の「もみじの天ぷら」はもとより、
    いろんなスイーツやおでん、はてはアユの塩焼きまで売っていた。
    シーズンの焼栗はこうばしい匂いを漂わせている。
    30~40年前に子供を連れてきた時には猿が食べ物を狙っていたと思うが、
    まったく猿の姿が見えず食べ物商売ができている。
    猿たちは現在数キロ上流の天上ケ谷付近で保護管理されているのだ。

20.箕面大滝を背景に 21.箕面大滝 22.箕面大滝全景

    帰路は来た道を下る一方で脚も早まり日の高いうちに帰りの電車に乗った。
    ポスターの写真のような紅葉は観られなかったが、歴史を感じさせる物が多くあり満たされた気持ちであった。
     余談になるが翌日からの週末に、カネカ箱根山荘を利用して富士五湖めぐりをした。
    山中湖や河口湖等では息をのむような紅葉が拡がっていた。防寒着が必須の寒さであったが。


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