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(会長:末岡義孝 世話人:神野久典)

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令和7年1月16日(木)  「 第144回例会: 福原京を巡る 」 執筆者:谷口 正和

    令和7年1月16日(木) 第144回例会 [ ウォーキングコース ]
         神戸地下鉄大倉山駅 → 宝地院 → 荒田八幡神社 → 平野町交差点(平清盛像)
             → 祇園神社 → 平野展望公園(昼食休憩) → 雪見御所旧跡 → 氷室神社
                 → 熊野神社 → 湊川隧道 → 願成寺 → 巌島神社 → 新開地

    (タイトルの福原京について)
     治承4年(1180年)の6月、以前から平家の別荘があった福原(現兵庫区平野町)の地に
    安徳天皇・高倉上皇以下が大挙して訪れ、都づくりの計画が進められました。
    これを福原遷都と呼びます。7月半ば、平清盛は福原に都としての実質を備えるよう努めるが、
    保守的な貴族たちの抵抗は次第に大きくなり、8月に源頼朝が反平家の兵を挙げても
    皇居の建設や親平家派上流貴族への宅地供与は進んでゆく。
     しかし反乱が全国化・深刻化する中で、11月下旬に天皇・上皇らが平安京に帰り清盛も福原より引き上げた。
    結局、遷都の夢は約170日で挫折し、翌年清盛も京都で没した。
    なぜ、福原遷都をする必要があったのか、平清盛邸は福原京のどこにあったのかなど、
    未だに色々な推測がなされている。

     兵庫、大阪の人にとっては、忘れられない30年前の阪神淡路大震災のメモリアルデーの
    前日の1月16日(木)11時、神戸地下鉄大倉山駅の改札出口に参加者16名が、季節に適した装いで揃った。
     会長の挨拶と案内役の簡単なコース説明の後、地下から階段を上り外に出てみると、
    1月中旬の神戸の寒さを覚悟し臨んだのが取り越し苦労の様な、風も穏やかな晴天に恵まれた。

     大倉山駅から緩い坂道を西に下り、有馬街道に出て右折する。
    少し歩いて神戸大学医学部の交差点を左折し有馬街道を渡ってから2ブロック目で右折する。
    すぐに佛立寺を通り過ぎすぐに宝地院に着く。

1.第144回例会コースマップ 2.神戸医大前の交差点を渡る 3.沸立寺

     宝地院の塀の案内板を眺めていると、中から人が来て、宝地院縁起のパンフレットを配ってくれた。
    これによると、宝地院は元、平頼盛(清盛の異母弟)の山荘地で福原遷都の6月3日に安徳天皇が入御され、
    父の高倉上皇は清盛の屋敷(雪見御所)に入御されたが、
    6月4日に安徳天皇と高倉上皇はそれぞれの御所を入れ替わった。
    この因縁により、約百年後の1279年に安徳天皇の菩提を弔うために宝地院が建立されたと云う。

4.宝地院 5.荒田八幡宮鳥居 6.安徳天皇行在所址の碑

     宝地院からほんの少し歩いて荒田八幡神社に参拝。 古くは荒田神社といい、
    宝地院境内にあった八幡社を、神仏習合を避け明治31年ここに合祀して荒田八幡神社とされた。
    福原遷都の際には安徳天皇の行在所となった碑の他、
    昭和55年6月3日に建てられた福原遷都八百年記念の碑がある。

7.福原遷都800年記念の碑 8.荒田八幡宮拝殿 9.荒田八幡宮由緒掲示板

     荒田八幡神社を後に、有馬街道に戻り北上し、平野町交差点で、
    出家し浄海入道となった平清盛と若武者姿の平清盛の二つの銅像を観てから、更に北上し祇園神社へ向かう。
     祇園神社は、清和天皇の貞観11年(869年)、
    姫路市の廣峯神社より京都八坂神社にスサノオノミコトの分霊を移す途中、
    その御輿が平野の地で一泊したのを記念して此処に社を建てたのが始めとされている。
    スサノオノミコトは祇園精舎の守護神とされた牛頭天王と同一視されたことから祇園神社の名の由来がある。
    平清盛は経ケ島築造の際、祇園神社の裏山で海潮の響きを聞きながら計画を練ったと伝えられている。

10.平清盛出家後の像 11.平清盛若武者の像 12.祇園坂案内石
13.祇園神社入口 14.祇園神社拝殿 15.祇園神社きゅうり絵馬

     祇園神社の階段88段を下りたところで12時となった。
     有馬街道を挟んだ向こう側にある平野展望公園で昼食を摂った後、
    集合写真を撮ってトイレを済ませ再出発した。
     まず、先ほど登って来た有馬街道を平野町交差点まで戻り、右折して山麓線道路を西進する。
    5分ほど歩いて、みなとやま水族館の敷地内にある雪見御所跡に着く。
     石井川と天王谷川の合流点に位置する雪御所町は平清盛の別荘「雪見御所」の跡と言われており、
    仁安4年(1169年)春以降、治承4年まで、この景勝地に移り住んでいた。
     雪見御所跡石碑の隣には、
    今、はやりの電動マイクロモビリティをシェアするサービス「LUUP」のポートがあり、
    電動キックボードと電動アシスト自転車が各1台ずつ置いてあった。スマートフォンでポートを検索し、
    借りたポートでなくても目的地付近のポートに返すことができるようになっているらしい。

16.平野展望公園にて 17.雪見御所跡-1
18.雪見御所跡-2 19.雪見御所跡案内板 20.雪見御所跡横の電動キックボード

     雪見御所跡から山麓線道路を道なりに歩進み、脇道に入り登ってゆく分岐点を間違え、
    かなり遠回りでようやく氷室神社に着いた。
     氷室神社は、仁徳天皇の兄、額田大中彦皇子がこの地で氷室を発見し天皇に氷を献上したことから、
    氷室神社と称され、仁徳天皇を祀っている。
     源平合戦の際には、平教経が氷室神社に陣取った為、此処の清水は「陣馬の井」と呼ばれた。
    又、平通盛と妻・子宰相局との別れの地ともいわれている。

21.氷室神社に到着 22.氷室神社にてに 23.氷室神社由緒掲示板 24.氷室神社拝殿
25.氷の聖地氷室神社 26.平家物語_通盛と小宰相案内板 27.清盛七辨天の看板

     氷室神社より坂道を下って6分ほどで熊野神社に着いた。
     国生み神話の主人公、イザナギ・イザナミの二神を祀る熊野神社は、
    平清盛が福原遷都にあたって王城鎮護のため紀州熊野権現を勧請したと伝えられている。
    参拝を済ませ、神社の前の山麓線道路の信号を渡り、
    真っすぐ400mほど歩き、湊川沿いの道路・夢野石井橋線に出て右折する。
    湊川は、古代から何度も改修工事が行われ、
    これらを区別する為に、「古湊川」、「旧湊川」、「新湊川」と呼名を変えてきた。
    現在の湊川は深くまで開削され、新湊川隧道で地下(会下山公園の下)を流れ長田区で地上に出る。
    新湊川の深さに感心しながら歩いていると、新湊川隧道とその奥の上部に旧湊川隧道が見えてきた。
    旧湊川隧道は、年に一度11月に抽選で、長田まで通り抜けが出来るほか、
    月に一度、ミニコンサートなどのイベントが催されている。
     湊川隧道を後にし、神戸電鉄のガードを潜り、道なりに歩き6分ほどで願成寺に着く。
    願成寺は昔、烏原村にあり観世音を祀り観音寺という古寺だったが、
    法然上人の弟子・住蓮坊が中興し願成寺と称したと云う。
    烏原村は、明治期に上水道の貯水池となり、村は付近へ立ち退き、寺も現在の地に移った。
    寺には、住蓮坊の石塔や源平合戦で討ち死にした平通盛と子宰相局、乳母・呉葉を供養する五輪の石塔が
    お墓群の奥の方にあった。

28.熊野神社鳥居 29.熊野神社拝殿 30.湊川隧道 31.願成寺

     願成寺を出て、真っすぐ200mほど進み、山手幹線道路に出て左折し、
    230mほどで湊川駅西口前を右折し、湊川線道路を歩くこと400m弱で新開地に着いた。
     今例会は、道を間違えたり、急な坂や階段も多く、ほぼ全員が疲労困憊気味となったため、
    当初予定ルート最後の厳島神社へは、新開地の駅から約200m先であったが、新開地で自由解散とした。
     最後の聖地へは、筆者とK氏の二人で向かった。
    厳島神社は、平清盛が福原遷都、大輪田泊修復に際し、事業の成就と兵庫の地の繁栄を祈願し、
    平家一門の氏神として崇敬する安芸国厳島神社をこの地に勧請したといわれている。
     K氏とは厳島神社を出た処でお別れし、筆者は新開地駅に向け帰路についた。

32.厳島神社に到着 33.厳島神社由緒案内板 34.厳島神社拝殿

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