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掲載日 タイトル 投稿者 ジャンプ
2017/12/1 私の写真いちおし「黄金の輝き」 山下勝治
2017/12/1 私のコラム NO7 徳永 徹
2017/12/1 私の「フォト五七五」 師走2題 牧 虎彦
2017/12/1 タイチェンマイからのメッセージNO4 土田祥雄
2017/12/1 私のフォト575 季節の短信NO10 2題 藤井正克
2017/11/1 私の「フォト五七五」 霜月2題 牧 虎彦
2017/11/1 タイチェンマイからのメッセージNO3 土田祥雄
2017/11/1 私の写真いちおし「花に誘われて」 山下勝治
2017/11/1 私のコラム NO6 徳永 徹
2017/10/15 私のフォト575 季節の短信NO10 2題 藤井正克
2017/10/1 感動のある旅(鳥取砂丘) 森下敦美
2017/10/1 私のコラム NO5 徳永 徹
2017/10/1 私の写真いちおし「光に包まれて」 山下勝治
2017/10/1 タイチェンマイからのメッセージNO2 土田祥雄
2017/10/1 私の「フォト五七五」神無月2題 牧 虎彦
2017/9/1 タイチェンマイからのメッセージNO1 土田祥雄
2017/9/1 私の「フォト五七五」長月2題 牧 虎彦
2017/9/1 私のコラム NO4 徳永 徹
2017/9/1 私の写真いちおし「鹿の子の輝き」 山下勝治
2017/8./1 私のフォト575 季節の短信NO9 2題 藤井正克
2017/8/1 私の写真いちおし「光に包まれて」 山下勝治
2017/8/1 私の「フォト五七五」葉月2題 牧 虎彦
2017/8/1 私のコラム NO3 徳永 徹
2017/7/1 私の「フォト五七五」文月2題 牧 虎彦
2017/7/1 私の写真いちおし「初夏の耀き」 山下勝治
2017/7/1 私のコラム NO2 徳永 徹
2017/6/1 私のコラム NO1 徳永 徹
2017/6/1 私のフォト575 季節の短信NO8 2題 藤井正克
2017/6/1 感動のある旅(岐阜、登別、男鹿) 森下敦美
2017/6/1 私の「フォト五七五」水無月2題 牧 虎彦
2017/6/1 シルクロードの旅 写真でさわりを NO3 吉田洋一
2017/6/1 私の写真いちおし「ビビットな耀き」 山下勝治
2017/5/1 あら喜寿爺のお登り囃しその15 原田 浩
2017/5/1 私の写真いちおし 「ガーデンベアがお迎え」 山下勝治
2017/5/1 私の「フォト五七五」 皐月2題 牧 虎彦
2017/5/1 シルクロードの旅 d'dyでさわりを NO2 吉田 洋一
2017/5/1 栃木カネカOB会に参加して 川上 厚
2017/4/1 感動の欲しい旅(四国カルスト天狗高原) 森下 敦美
2017/4/1 シルクロードの旅 d'dyでさわりを NO1 吉田 洋一
2017/4/1 私の「フォト五七五」 卯月2題 牧 虎彦
2017/4/1 あら喜寿爺のお登り囃しその14 原田 浩
2017/4/1 私の写真いちおし 「早春の輝き」 山下勝治
2017/4/1 私のフォト575 季節の短信NO5 2題 藤井正克
2017/3/1 あら喜寿爺のお登り囃しその13 原田 浩
2017/3/1 私の「フォト五七五」 弥生2題 牧 虎彦
2017/3/1 邂逅 会津若松 NO6 秋山 利喜
2017/3/1 私の写真いちおし 「春のかおり」 山下勝治
2017/2/1 私の「フォト五七五」 如月2題 牧 虎彦
2017/2/1 邂逅 会津若松 NO5 秋山 利喜
2017/2/1 あら喜寿爺のお登り囃しその12 原田 浩
2017/2/1 私の写真いちおし 「花さりげなく」 山下勝治
2017/2/1 私のフォト575 季節の短信NO5 2題 藤井正克
2017/1/1 私の写真いちおし 「冬の夜の華」 山下勝治
2017/1/1 あら喜寿爺のお登り囃しその11 原田 浩
2017/1/1 私の「フォト五七五」 正月2題 牧 虎彦
2017/1/1 邂逅 会津若松 NO4 秋山 利喜
2016/12/1 私の「フォト五七五」 師走2題 牧 虎彦
2016/12/1 邂逅 会津若松 NO3 秋山 利喜
2016/12/1 私のフォト575 季節の短信NO5 2題 藤井正克
2016/12/1 あら喜寿爺のお登り囃しその10 原田 浩
2016/12/1 私の写真いちおし 「晩秋の華」 山下勝治
2016/11/1 あら喜寿爺のお登り囃しその9 原田 浩
2016/11/1 私の「フォト五七五」 霜月2題 牧 虎彦
2016/11/1 邂逅 会津若松 NO2 秋山 利喜
2016/11/1 私の写真いちおし 「童嬉しい秋桜」 山下勝治
2016/10/15 私のフォト575 季節の短信NO4 2題 藤井正克
2016/10/15 第七回東京化成会に参加して 川上 厚
2016/10/1 邂逅 会津若松 NO1 秋山 利喜
2016/10/1 私の「フォト五七五」 神無月2題 牧 虎彦
2016/10/1 あら喜寿爺のお登り囃しその8 原田 浩
2016/10/1 私の写真いちおし 「蝶々さんのお食事は?」 山下勝治


私の写真いちおし  「黄金の輝き」       山下 勝治





















1.撮影月日  2015年12月9日

2.撮影場所  東京 新宿御苑

3.コメント   黄金に輝く新宿御苑の公孫樹を
         NTTのビルを背景に入れ撮影
         いたしました。



私のコラム NO7ーーー徳永 


とんからりんの隣組

 「とんとんとんからりんの隣組・・・ 回してちょうだい回覧板 ご飯の炊き方垣根越し 教えられたり教えたり・・・」

昔、こんな歌がはやったものである。その頃の向こう三軒両隣は家族同様、良い意味でお互いを良く知り合った間柄ではあった。 

今でも下町へ行けばこの雰囲気は残っているのかも知れないが、残念ながら東京でのマンション暮らしでは隣の人と会話することも無く、顔さえ覚えが無いものである。淋しいかぎりである。マンションの住人が各地からの寄り集まりということもあるだろうし、マンションの催し事での集会や餅つき大会等で出会ってもその時だけでしかない。お互いの仕事・勤務先も、活動する時間帯も異なる。即ち出入りする生活の環境も違うということもあるかも知れないが、これは下町での環境も同じ筈だと思う。

 お隣さんといえば福岡の団地住宅住まいの子供の頃。隣家から泣き叫ぶ十歳の女の子の声・・・これはいつものことだな、と思っていたら、それを叱る男の声!おかしいな?隣の御主人は先日亡くなった筈だがと思っていた。言葉遣いも妙によそよそしい。なんだかおかしい?と庭先から覗くと大変!出刃包丁を持った男が居る!そして猿ぐつわをかまされ手を縛られたお母さん!強盗だ!・・・と、そこへうどん屋の出前のお兄さん!とっさに強盗と対峙!更に異変に気付いた近所の人が駆けつけ、強盗を逮捕!全く束の間の出来事ではあったが、この連携の見事さが妙に今でも鮮明に記憶に残っている。

 それにしても、やはり「ご飯の炊き方垣根越し教えられたり教えたり・・・」の精神は大切にしたいものである。

※テーマ「隣」       




私の「フォト五七五」 師走二題                    牧 虎彦







タイチェンマイからのメッセージNO4ーーー土田祥雄ーーー




みなさんこんにちは。チェンマイ在住の土田です。
今月は11月3、4日に行われたタイの伝統行事ロイカトーンのご紹介です。
4月のソンクラーン(水掛祭り)とならんでタイの2大行事のひとつです。
ロイカトーンは日本でいう灯篭流しのような行事で毎年11月の満月の夜に行われます。
バナナの茎や葉で作った灯篭を川に流し、水の女神に感謝し自身の災いを洗い流す意味があるようです。
また、北タイではコムローイと呼ばれる熱気球を夜空に上げる風習があり、日本でもよくテレビで映像が流れます。
特にチェンマイではイーペン祭りと呼ばれ、近年は世界から多くの観光客がこのために押し寄せてきます。
私たちも今回初めて見ることができました。コムローイは年越しのイベントでもかなりの数が上げられますが、今回のイーペン祭りの壮大さは想像以上でした。まさに幻想的な夜でした。
日が暮れると、人々は各々の灯篭に火を点しお祈りをしてピン川に流します。一方でコムローイ上げがはじまります。
星の数ほどという表現がありますが、まさにそれ以上の数の熱気球が夜空に上がっていく様子は、初めて目にした人にとっては感動的な映像に映ります。これが深夜まで続きます。
また、二日目の夜にはパレードが開催されます。前日に行われた美人コンテストの入賞者、各国の領事館、地元企業がそれぞれ工夫を凝らした山車が登場し街中をパレードします。
これはタイ版のディズニーランドのエレクトリカルパレードです。我が日本領事館の山車も登場していました。
ロイカトーンはタイ全土で行われますが、特にチェンマイのイーペン祭りは一見の価値があると思いました。
皆様も来年のこの時期にお越しになられたら如何でしょうか。




私のフォト575 季節の短信NO11 2題ーーー藤井 正克









私の「フォト五七五」 霜月二題                    牧 虎彦






タイチェンマイからのメッセージNO3ーーー土田祥雄ーーー



タイ・チェンマイ在住の土田です。
今回は当地の気候と生活についてのご報告です。
タイは熱帯モンスーン気候にあたりますが、チェンマイは北部の山岳地帯に位置し標高は300m強あります。
従って首都バンコクに比べると湿度は低く、朝晩は年中すごし易いといわれます。
11月から5月上旬は乾季、5月下旬から10月までは雨季です。雨季といっても雨が一日中しとしとと降る事はなく
夕方から夜間に一瞬スコールがあります。午前中のゴルフの時間帯に雨が降ることは滅多にありません。
平均最高気温は28℃~35℃、最低気温は15℃~24℃。12月、1月が気温が低く、4月前後が最も気温が
高くなります。日中は一年中半袖、半ズボンで大丈夫です。
今回初めて雨季のシーズンを体験しましたが、日本の夏に比べると遥かに過ごし易いと思いました。
当地での生活は極めてのんびりした時間が流れています。バンコクから北へ700Km。人口は市周辺で30万人程度です。
日本の地方都市のイメージです。今回は食生活についてご報告したいと思います。
多くのタイ人はあまり料理をしません。必然的に外食店が多くあります。私たちもゴルフ帰りの昼食で時々利用します。
タイ料理が断然安くて選択肢も多いです。一食150円程度で食べることができます。和食、洋食もありますが
値段は
倍以上で味はそれなりのところが多いです。
タイの特徴で昔からの市場が今でも点在し賑わっています。私たちもここで昼食を取ったり、惣菜を買って夕飯にしています。
当然タイ料理ですが、辛くない料理も多く、安くてよく利用しています。惣菜を3種類くらい買って300円位です。
一般のスーパーマーケットももちろんあります。当然ですが日本と比較すると安いのは当たり前ですね。
最近は和食の材料もかなり入手できますが日本の2~3倍の価格になります。
安くて美味しい店や食料品店の情報は日本人の奥様間で情報共有がされます。最近は食生活で不便を感じる
ことは殆ど
なくなりました。

写真はスーパーマーケット外観と売り場、市場の惣菜売り場、市場隣接の食堂、市場で買った惣菜の例(2枚)です。



私の写真いちおし  「お花に誘われて」       山下 勝治















1.撮影場所 立川市昭和記念公園

2.撮影日時  2017.9.19

3.黄色コスモスの花に誘われて美しい
 蝶がやってきました。


私のコラム NO6ーーー徳永 徹


 銀幕の大スタ―たち

 テレビやパソコンの無い時代の我々の年代は、映画館でのスクリーンに活躍するスターは将に憧れの的であった。見事なガン捌きの西部劇のヒーロー、軽やかなステップで唄い踊るミュージカル、そしてギャング映画、海洋活劇等など華やかな世界に魅了されたものである。数え上げれば星の数ほどのスターたちである。

私の生まれ育った福岡と言う街は、当時近くに進駐軍(?)の「板付キャンプ」があった為か外人も多いので、こと映画に関しては東京よりも早くロードショウが幕を切って落とされ全国でも一番早かったとのこと。そしてB級・C級や二回目の上映などの下町の映画館では三本立てが常識であった。この映画館を一日に三館観て回ることもしばしば・・・。楽しい時代であった。    

あの大きな腰にチョロッと引っ掛かっている様なガンベルトのジョン・ウエインやデリカシーな演技とガンファイトのゲーリー・クーパーのウエスタン、ジーン・ケリーの華麗なるステップやフレッド・アステアの最高のタップダンス・ミュージカル等など胸弾ませたものである。先日亡くなった可憐だったデビー・レイノルズも大フアンのスターであった。           

勿論ビデオやDVD等無い時代。唯一楽しみなのは「映画の友」などの月刊誌である。必死に書店で待ち受けては精読するのが楽しみで、切り取ったグラビアからの名場面は部屋中に貼り付けていたものであった。

この映画狂もテレビの時代になって次第に映画館へ足を運ばなくなり、テレビ画面での映画に熱中する様になった。当時はテレビでの映画も多く、懐かしい画面の再現に嬉々としたものである。下手すれば一日中テレビに釘漬けの日も度々あった様に思われる。

そして今はシルベスタ・スターロンやハリソン・フォードの活躍も欠かさずテレビで見ている。やはりスクリーンのスターは永遠に最高である。

※テーマ「スター」 




私のフォト575 季節の短信NO10 2題ーーー藤井 正克





感動がある旅(鳥取砂丘2017)ーーーー森下敦美


40年ぶりに鳥取砂丘に行ってきました。東京から山陰へは空路でなく今回姫路から入りました。

新幹線利用でのこのルートが早くて人気のようです。

今は鳥取砂丘美術館や自転車観光など楽しい観光も可能です。1年間 砂と水のみの展示である砂の芸術はある意味感動です。写真の様に作り手のなみなみならぬ努力の結晶です。1年が過ぎれば又砂に戻る儚さもいいですね。

今回正面図と横図の写真を一部ご紹介致します。崩れないような作り手の努力の結晶が感じられます。ぜひ間近で説明を聞きながら感動して下さい。

正面から見ると奥行のある且つ迫力のある馬に見ます。影のつくり方が見事です。 横から見るとなんと細く奥行のない平らな馬なのかと驚きます。作成工程が見えてきます。



私のコラム NO5ーーー徳永 徹


百円玉の想い出

「地獄の沙汰も金次第」とは良く言ったものである。この世の中、人類の歴史始まって以来、人間の生きる道総てはお金の為。お金によってすべては変わる。歓喜も落胆も憎悪も敵愾心も、戦争も平和も、人類の歴史ある限り今も未来も永遠に続くものである。そして私事も社会的にも全て金次第である。

そんな中で私個人の小さなことだが、やはりお金の重たさには度々まどわされたものである。子供の頃の小遣いはせいぜい十円か二十円の頃。学校の帰り道。公園ではしゃぎまくる子供たちの傍に一片の百円玉!どうしようと思い気をとがめながらも何とか手中に。この時の緊迫感!そして罪悪感は未だ鮮明に脳裏に焼き付いている。そしてこの百円で念願の色鉛筆を買えた歓びも又格別であった。絵を描くことの好きだった自分は、何とか色鉛筆が欲しいものと思っていたが、叔父・叔母に育てられている自分には夢の話であった。そんな時の百円玉!最高!然しまだ、届け出をしなかったことの反省が頭をよぎる。

 後日、やはりまだ若い頃。公園のベンチに忘れ物で二十万円の入ったバッグを拾い、警察へ届け出たが、落とし主が現われずに後日大半が手に入った。この時の桁は違うが、この感動よりもやはり前述の百円玉の印象の方がはるかに鮮明である。 勿論他人ごとではなく自分で大枚を失くしたことは何度もある。

 又、計算違いと言う言葉があるが、一応完全に収支の目途は立てていても、何かの手違いでこれが狂うことはしばしばある様だ。

 若い頃、遊んで回った帰り道。キッチリ計算していた電車賃。五百円の料金に何故か二十円足りない!この為、三時間かけて歩いて帰った苦い経験も、今では想い出の一つである。

 そして又、今日からもお金との闘いは始まる。永遠に・・・。負けずに頑張ろう!

※テーマ「お金」

                    



私の写真いちおし  「光に包まれて」       山下 勝治










1.撮影場所  鎌倉市扇ケ谷

2.撮影日   2017年9月6日

3.コメント   萩は花が小さく絵にしにくい花ですが
         小さな蝶が飛んできてアクセントを付
         けてくれました。


タイチェンマイからのメッセージNO2ーーー土田祥雄ーーー


みなさんこんにちは。タイ・チェンマイ在住の土田です。
今回はこちらのゴルフ事情について報告させていただきます。
そもそも当地に移住を決めた最大の理由はゴルフ環境の良さにあります。
市内から車で40分圏内に10箇所以上のコースがあります。
ほとんどがメンバーシップ制のコースです。幾つかはプロトーナメントが開催されるハイレベルのコースもあります。
プレーには一人に必ず一人のキャディさんがつきます。ラウンドは歩き、カートが選択できます。
現在私は3コースのメンバーになっています。
ホームコースはMae Jo Golf Resort です。ここは1年会員で3万バーツ(現レート:1バーツ=約3.3円)でメンバーになれます。
メンバー特典は1ラウンドのグリーンフィーが100バーツになります。キャディフィーは300バーツです。
従って年間何回ラウンドしても1ラウンド千円ちょっとでプレーできる計算になります。(別途キャディチップがあります。)
その他、併設のホテルの無料宿泊券、エステ無料券、レストランの割引券などがもらえました。
ハイレベルのコースのひとつで、この8月にはタイLPGA、タイ国内男子のトーナメントが2週続けて開催されました。
タイのプロ・マークセンも参戦しました。今の自宅から20分、夫婦で週に3,4回のラウンドをこちらでしています。
平日の早朝は日本人、欧米人のロングステイヤーを多く見かけます。私たちも気の会う日本の方々とラウンドさせていただく
ことも多くなりました。また、日本人主催のコンペにも参加させていただいております。
1年を通じてタイは暖かい、暑い気候ですが今は雨季のシーズンです。雨季といっても午前中は晴れていることがほとんどです
のでゴルフには逆に良いシーズンかもしれません。実際3ヶ月間ほどゴルフをしましたが、雨に降られたのは2回くらいです。
これからはできる限り長く夫婦で元気にゴルフ生活を送りたいと願っております。
次回は、当地の気候、生活についてご報告したいと思います。



私の「フォト五七五」 神無月二題                    牧 虎彦




タイチェンマイからのメッセージNO1ーーー土田祥雄ーーー

今月より、鐘華会東京支部の海外出張所のタイチェンマイに住む土田祥雄氏より何回かに渡り近況を届けていただきます。
彼は今年5月に四ツ谷クラブで東京トーク会の話題提供者として講演していただきました。


みなさんこんにちは。
本年5月に定年退職し当月末にタイ王国チェンマイに移住しました土田祥雄です。
今回は当地のご紹介と家探しについてご報告したいと思います。
チェンマイはタイ王国の歴史の中でも古い町で、1296年にタイ最北のチェンライからここチェンマイに遷都されました。
皆さんよくご存知のバンコクに王朝ができたのが1782年ですので、タイ国内では歴史のある古都になります。
以前からチェンマイには長期、短期を問わずリタイアされた日本人が多く住んでいます。チェンマイ領事館に在留届を出している日本人は三千人を超えています。
何故こんな北の小さな町に多くの外国人が住んでいるのでしょうか。幾つかの理由があるといわれています。
①1年を通して暖かい気候、②物価が安いので年金で豊かに暮らせる、③タイ人は優しいので住んでも安心④ゴルフ場が多く安い、⑤暮らしがのんびりしている、⑥美人が多い、⑦治安が良い、などなど。
理由の信憑性は検証の上、逐次ご報告します。
ところで私が初めて当地を訪れたのは2006年11月です。3泊4日の旅でしたがそのとき以来感じるものがあり、今回の移住までに
20回の短期訪問を繰り返しました。目的のほとんどはゴルフです。ゴルフ事情についての詳細は次回に。

移住の準備には面倒も多いですが、それも経験のひとつ。先ずは家探しです。地元には何件も不動産屋があります。
物件はホームページから検索できます。その中から一軒家、コンドミニアムそれぞれ候補を上げて不動産屋とメールでやり取りをしながら実際に何件かを案内していただきました。
仲介料は物件オーナーが支払います。日本での礼金にあたるものはありません。家具、家電はほとんどの物件で揃っていますので必要なものは生活用品程度です。
現在住んでいるコンドミニアムは町の中心から車で15分から20分程度の郊外にあります。日本式には2LDK(トイレが2箇所)90平米、でかいプールとフィットネスジムとサウナがついてます。ジムとサウナは暑いので使ったことはありません。

とにかくチェンマイでの生活を夫婦でスタートしました。
現在は知り合いの人も何人かできて、週5回ペースで夫婦でゴルフに行っています。
これからも引き続き現地からの報告をさせていただきたいと思います。








土田さんのマンションです。
左から市内を流れるピン川周辺。市内で人気のお粥屋台。山の寺(ワット・ドイ・ステーブ)



私の「フォト五七五」 長月二題                    牧 虎彦




私のコラム NO4ーーー徳永 徹




私のジャズ遍歴

 私の「ジャズ遍歴」に就いては余りにもエピソードが多く、列挙すれば何頁にもなる。その中を厳選要約して、取敢えず述べてみる事とした。 高校一年生の時、ふとしたことから米軍キャンプでの皿洗いのアルバイトに就く。この大食堂には小さなステージがあり、兵隊達が気儘に唄っていた。いつの日にか私に「唄ってみるかい?」と声を掛けられ、見様見真似で唄ったのがジャズとの出会いの始まり。そしてジョージ・ルイカーと丹下キヨ子の司会する「全国ジャズのど自慢」の常連に。

 やがて入社。滋賀県大津市の工場に配属。ここでも町民のバンドに参加しての活動。当時京都の「外国語学校」へ通っている内、地元の人に紹介されて京都の四條河原町のキャバレーに出演した。その後三年程ナイトクラブ等を四店舗に出演。工場を出る時には詰襟の学生服で門衛の皆さんに送られて出て、一時間後には白い上っ張りを着て「皆様今晩は、ようこそいらっしゃいませ・・・」と続く。

 そんなある日。私は総務・人事の仕事だったので会議には工場長の隣に座らせられるのが定例であった。その工場長が「おい!行ったぞ!」?何のことかと思ったら、昨夜接待を受けて京都へ。その後ナイトクラブ。するとステージに現れたのが私!最初は私に良く似た人が居るものだと思っていたが、やっぱり私!驚いたの何の・・・とのこと!今度は私が驚いた!言語に絶するとはこのことか!

 東京へ転勤となり社内の仲間とのバンドで活動。社内の各イベントや各種会合に出演。大坂へ転勤になってもバンド仲間が上手く揃い、新しいメンバーも加入。ステージ活動は大いに盛り上がった。 退社後再度上京。あちこちの会社を回る。その間、今度は地元の仲間のバンドに加入。今日までもう二十数年の活動。

傘寿に近いこの歳になっても毎月三店舗のクラブに出演していて現在に至る。まだまだ歳には負けない!誇りを持ってステージに立っている。

※テーマ「自由」





私の写真いちおし  「光に包まれて」       山下 勝治



      




 



 1.撮影場所  昭和記念公園

 2.撮影日   2017年8月10日

 3.コメント  昭和記念公園にサギソウを撮りに
         行きました。予想もしていなかった
         美しい鹿の子百合に出会うことが
         できました。



私のフォト575 季節の短信NO9 2題ーーー藤井 正克






私の写真いちおし  「光に包まれて」       山下 勝治











1.撮影日  2017念7月15日

2.撮影場所  横浜 三渓園

3.コメント   今年も蓮の花が咲く季節になりました。
         葉に囲まれた蓮の花に木漏れ日が
         丁度良い具合に当たっておりました。



私の「フォト五七五」 葉月二題                    牧 虎彦





私のコラム NO3ーーー徳永 徹ーーーー



 母のおにぎり

老境入りの真近なこの歳なのに未だにおにぎりにカブリつくのは大好きである。特に一杯飲んだ後のおにぎりは最高だと思う。そしてその時必ず目に浮かぶのは、やはり今は亡き母の面影である。あの戦中・戦後の頃、只ひたすらに握って呉れていた母のおにぎり・・・。特に戦時中我が福岡市でも戦禍は激しく、度重なる集中砲火を浴びてきた。当時小学一年生の私は片道三キロを歩いての通学。途中何度も機銃掃射に見舞われたものである。ある日又敵機来襲。そして機銃掃射!近くの藁小積みに潜り込むも、おにぎりの袋を道路に置き忘れ!慌てて取りに戻る。と、その時機銃掃射の波が押し寄せて中に居た友達の脚に当たり大怪我をした!然し私は無事で、後で食べる時、あたかも母のおにぎりのお蔭とばかりに食べながら感動したものである。
そして空襲により燃え盛る街並みを後に、家財道具満載のリヤカーを押して田舎への避難。その時も又、万一に備えて母が造ったおにぎりを口にする。その時こそ将に束の間の幸せであったことが忘れられない。

更に成長していくと共に、おにぎりへの愛着は深まる。当時は、やはり殆どお弁当はおにぎりの様だった。夫々の家庭の味の充満したおにぎりは、当時は何も感じずに食べたのだが今にして思えばいい味であった。更に成長して親元を離れ遠くへ旅立つ。見知らぬ世界での生活。勿論母のおにぎりとは絶縁となったが、いつになっても思い出しては忘れられない味である。

おにぎりの中には麦めしと梅干が一つだけの淡白なもの。それでも空腹の身には最高の味である。おにぎりの素材は大半は塩まぶしごはんだが、各地で夫々の素材が使われる様だが、やはり地方独自と言うより我が家の味が一番の味だと思う。そしてそこには造って呉れた人の愛情がほんのりのぞく味であろう。最近ではコンビニでも豊富な味のおにぎりが並ぶが、私には同郷の家内のおにぎりの方がベターである。いくつになってもおにぎりの味は忘れられないことであろう。

※テーマ「おにぎり」




私の「フォト五七五」 文月二題                    牧 虎彦




私の写真いちおし  「初夏に耀く」       山下 勝治




















1.撮影日  2017年6月20日

2.場所   埼玉県所沢市

3.コメント この時期は例年アジサイを撮っておりまし
       たが、今年は「ゆり」を撮ることと致しました。
       カラーではなくモノクロといたしました。
      



私のコラム NO2ーーー徳永 徹ーーーー

仏画・写仏のこころ 

 幼少の頃、母がよく口にしていたのは「この子は紙と鉛筆さえ持たせておけばおとなしい」だった。それ程絵を描くことは大好きであった。勿論、戦前・戦中であったので戦車・軍艦・戦闘機の類を良く描いたものである。 

そして成長してからは水彩・油彩・水墨画・ペン画で風景・静物・肖像から漫画・劇画と、あらゆる絵画を手掛けてきた。

そんな中で平成五年頃、勤務先の絵の好きな社長に新聞のインタビュー記事で「写仏」と言うものを紹介されて初めて知った。早速問い合わせてみると、教室を担当されている先生がたまたま近辺にいらっしゃったので、これ幸いと社長共々会社の休日の会議室を利用して月二回の教室を設定した。今日まで持続して二十有余年。最初は画材などが初めて見るもの聞くものばかりで途惑ったが、何とか慣れて、用紙もA―3位の大きさのものから十号、そして二十号へと進展した。仏画独特の繊細さ、配色の妙、もうすっかり取りつかれた。       

然し一作品を仕上げるのに月二回の教室では約一年を要する。受講中の教室では他の事が一切頭になく只々制作に専念するだけの自分が、他人みたいである。そして仕上った時の快感・満足感、比べるものは他に見当たらない。その作品は総て菩提寺に収納していた。

東京・大阪・神戸等の絵画展、江戸川区の美術展に出展するようになった。お蔭様で夫々最高の好評を賜り、生き甲斐ともなった。今後も更に広範囲の出展を頑張りたいと思っている。

 そして今後は教室だけでなく、自宅ででも制作に勤しみ、仏画・写仏の「こころ」を汲み取り、より上質な作品を目指して努力するつもりである。

※テーマ「自由(任意)」



私のコラム NO1ーーー徳永 徹ーーーー

筆者は仏画、ジャズに加え、毎月2回同人雑誌「せせらぎ」に掲載されるコラムの制作に取り組んでおられます。この中より何編かを今月より紹介させていただきます。今月のテーマは「かがみ」です。 オリジナルの原稿はこちら                              

偉大なる鏡の力

ジョン・ウエインの西部劇。酒場のカウンター。目の前の鏡に映った無頼漢が拳銃を抜こうとするしぐさに振りむきざまの一発!・・・。そしてブルース・リー。十数枚の鏡の間での鉄拳での決闘・・・。素晴らしい!スクリーン上での鏡を使ったアクションは、この2篇が印象に残る。

尤もかがみと言う存在は、余りにも身近であり日常茶飯事で使用しているもので特に感銘は無いが、ジックリ考えてみると数多くの場面で意外と大きな役割を果たしているものである。

その一つに最も親しかった友人が不慮の交通事故で他界した。思い返せば幾度となく激しい議論を戦わせ、又お互いに酒酌み交わしての歓談は楽しいものであった。惜別の情は尽きない。そして止めどなく溢れる涙。後で鏡に映った自分の顔を眺め「これ俺の顔か!」と思うくらいクシャクシャになったのを眺め驚いたのを思い出す。

そしてもう一つ。ピンク・レディーの全盛時代。中学2年生だった妹が、同級生の隣の女の子と組んで、母の三面鏡を前にしてのフリの特訓。あの軽快なリズムとフリがなかなか合わず、毎日の猛特訓。

私もついついひきこまれて、ああだ、こうだとフリの特訓指導をやって半年くらい。そして地域の懇親会でのステージに出演となった。本人たちよりも傍で観ている私の方がハラハラドキドキ。お蔭で「優勝」の栄冠に輝いた!最高!あの感動は今になっても瞼をよぎる。あの時の三面鏡は、今はどうなったんだろう。せっせとフリを行う妹たち。そして傍で見守る私の姿がシッカリ刻み込まれている筈なのだが、遠い昔の思い出が甦る。

 鏡の秘めたる力は無限である。そこには現実以外のものは何も存在しない。只、不運な事態で打ちのめされた我が顔、歓喜に鼓舞するときの満面の表情は、其の儘忠実に反映されていてまさしく心の鏡である。これからも毎日覗き込む鏡に叱咤激励されて、余生を楽しく過ごしたいものである。

※テーマ「かがみ」



私のフォト575 季節の短信NO8 2題ーーー藤井 正克





感動がある旅(岐阜鵜飼い、登別温泉鬼花火、秋田男鹿温泉なまはげ)ーーーー森下敦美

筆者曰く、北海道登別温泉、秋田男鹿温泉は今年の夏のご旅行のお勧めポイントです。

岐阜鵜飼い 

以前から話には聞いていても 実際体験すると 船のへりをたたく音とかがり火に感動します。岐阜は名古屋から20分程の近場ですが 鵜飼いは人気があり 早めの予約がお薦めです。岐阜城眼下の長良川の鵜飼いは 1300年の歴史があるそうで 松尾芭蕉やチャップリンも見学に訪れているとの事です。
お薦めの宿は「十八楼」さん。温かみと優雅さがあって最高でした。宿前の昔の商家通り、河川から見上げる遙か山上の岐阜城の散策などもお薦めです。鵜飼いは5月11~10月15日まで開催。(要確認)

夕闇が迫る頃 河原で鵜飼いの準備が始まります。(写真) 我々も宿で浴衣に着がえ船出です。宿予約時に鵜飼い見学と船内夕食をセットにする方法が 手軽で美味しい夕食にありつけます。


北海道登別温泉
鬼花火

6~7月の毎週木曜・金曜に開催されるイベント。花火の火柱を持った鬼達が階段で花火を持ち続けます。迫力がすごく、感動です。8月の最初の週も2日だけ開催されるようで 私たちは8月に運良く見学できました。


秋田男鹿温泉
太鼓ライブ

男鹿温泉なまはげ会館で開催される五風太鼓ライブ。音と動きの迫力は感動で楽しめます。お薦めの宿は「別邸つばき」さん。色々工夫があり、建築や内装に関心のある方は特に一見の価値ありです。




私の「フォト五七五」 水無月二題                    牧 虎彦






シルクロードの旅 写真でさわりを! NO3ーーーー吉田 洋一


敦煌の鳴沙山 火焔山                                      


私の写真いちおし  「ビビットな耀き」       山下 勝治








1.撮影月日  2017.5.17

2.撮影場所  横須賀市ヴェルニー公園

3.コメント   鎌倉文学館のバラの撮影に行きましたが
         病害で全くダメでした。開館時間を待ってい
         るときにご婦人から横須賀に素晴らしいバラ
         園があるとの話を聞き出かけました。
         素晴らしいところでした。



あら喜寿爺のお登り囃その15----- 原田 浩


謎解き終えて暫しの別れ
今日が一番若い日なのじゃ!

 4月になっていよいよ春本番、さぁ、SSアルキもペースアップするぞ! と意気込んだのですが、なんだかんだと野暮用多く、結局4月に出かけたSSアルキはたった1回のみ。これじゃあ話にならん、いや、駄文のネタにもならん・・・、というので考えた今日のお登り噺は、前々回 その13で取り上げたクイズについて、です。クイズを出すのは好いけれど、解答するのを忘れるから困ったものじゃ、認知症の始まりかもね???  という訳で早速クイズの答えをご披露しましょう。

 前回のクイズは「四字熟語クイズ」でしたね。先ず第1問は、最初に数字がついてる四字熟語を選べ、というものでした。これは、まあまあ簡単、ですよね。いろいろあるでしょうが、一例を示しましょう。
 ・一念発起、・二律背反、・三段論法、・四面楚歌、・五里霧中、

・六根清浄、・七歩之才、・八方美人、・九牛一毛、・十人十色、

 この中でちょっと難しかったのが「七歩之才」。実のところ判らなくて書籍等で調べたら出てきました。昔、中国は魏の国にすぐれた詩の才能を持つ兄弟がいて、兄が弟を妬んで「七歩歩く間に詩を作れ、出来なかったら殺す」と脅したところ、たちどころにその兄の無情を悲しむ詩を作り、兄は大いに恥じたという故事から出たのだそうです。ご存じでしたか?

 続いて第2問は、順番に二つ数字がついてる四字熟語を探せ、というものです。現在までに判っているものを記しましょう。

 ・一人二役、・二束三文、・三寒四温、・四分五裂、・五臓六腑、

・六〇七〇、・七転八倒、・八索九丘、・九〇十〇、

ずいぶん探したのですが、六〇七〇と九〇十〇は見つかりませんでした。だれかご存知の方が居られたら教えて下さい。え? 阪神タイガース、九勝十敗だって? そんなのダメダメ! 八索九丘は私も知らなかったのですが、「八索」も「九丘」も中国古代の書籍の名前だそうで、「八索」は占いについての、「九丘」は地理についての本だそうです。

 最後、第3問。前問の逆で、〇一〇二、〇二〇三、・・・を探せ、というもの。これはもっと難しい!判ったものだけ列挙しましょう。

 ・唯一無二、・無二無三、・朝三暮四、・・・・

 後は判りません。ただし、あんまり必死になって探した訳ではないので、この他にもいろいろあると思います。ご存じでしたら是非ご教示下さい。

 という調子で解答編は終了。ヤレヤレ。

 ヤレヤレ、と言えばこのお登り噺、去年の3月から始まってこの5月まで、15回を数えました。人間ならば15才と言えば中学卒業、高校入学。義務教育も終了じゃ、そろそろこの辺で一休みしてもエエやろ、と編集担当に申し出、OKを頂きました。来月から暫く休憩させて頂きます。1年ちょっと、ご愛読有難うございました。

 という訳で今日のカット写真、ご覧にように一つは四字熟語「十人十色」に因んだもの。もう一つはホタル。言わずと知れた「蛍の光」です。皆さん、お元気でねぇ。

 元気と言えば最近気に入ってるフレーズがあります。副標題に使った「今日が一番若い日」というもの。間近に迫る老いと張り合うために、いつも心の中に思い浮かべてるセリフです。気に入られたらどうぞ、ご愛唱下さい。でも、ホント、明日になれば今日よりも、一日年寄りになるんだからねぇ。今日も頑張って、お酒飲もっと。

2017426日 記)



私の写真いちおし  「ガーデンベアがお迎え」       山下 勝治







1.撮影日時  2017.4.17

2.撮影場所  横浜:山下公園

3.コメント   第33回全国年緑化よこはまフェア
         に行き飛鳥Ⅱをお迎えするガーデン
         ベアーを撮りました。  



私の「フォト五七五」 皐月二題                    牧 虎彦



シルクロードの旅 写真でさわりを! NO2ーーーー吉田 洋一


トルファンの交河故城 大焔山                                                


栃木カネカOB会に参加して---川上 厚


 去る4/14の金曜日栃木県真岡において約6年ぶりに栃木カネカOB会が開催されました。

遠くは米子から参加された方も含め総勢24名のOBが集結、東京支部からも長田さん、小林さん、斎藤さん、平井さん、島津さん、掛橋さん、筆者の7名が参加しました。

当日は現役の方々の献身的なおもてなしがあり感動しました。15時より大瀬戸社長の会社の立地、歴史、組織、業績がパワーポイントを用いた資料で説明があり、続いて各製造部門の責任者の方から製品と工程説明があり、その後3班に分かれての工場見学が実施とされました。OBの方々からも積極的な質問が飛び交い、案内者も時間配分に戸惑う場面もありました。

 見学終了後場所を「うな源」に移し楽しい懇親会が開催されました。現役女性のお酒の受注とサーブには頭がさがりました。懇親会は栃木カネカ設立当初に在籍された3人の先輩が挨拶され歴史の重みを感じました。続いて何人かの方の近況報告がありましたが、脳梗塞を経験すると元気になるという話にはびっくりくりくりでした。最後は小林製造部長の挨拶とOB菅谷氏のフレフレで締めとなりました。
 翌日はゴルフ組、観光組、大磯詣組にわかれそれぞれに楽しい思い出をつくることができました。
 筆者も10年ぶりに会社を訪れ、昔のままの建物を見学する中で「天国と地獄」を味わったことをしみじみと思いだしました。また次回の開催に期待したいと思います。
 最後に今回の企画にあたり大瀬戸社長をはじめ現役の方のご努力に感謝いたしますとともに、さらなる会社発展に向けてご活躍を祈念いたします。また、幹事の貴堂さん、斎藤さんありがとうございました。




感動が欲しい旅(四国カルスト天狗高原)ーーーー森下敦美




愛媛県と高知県の境にある四国カルストをご存じですか? 

高知や愛媛の方でもご存じなく 名前だけしか知らない方が多い場所です。

両県境に山口県秋吉台のような風景が山頂に広がり、すがすがしい気分になれます。

日本三大カルストの一つで この雄大さ・パノラマがすばらしい光景です。

晴れると高知の海や夜の星空も見事だろうと容易に想像できます。

・・・当日は曇りでした2016年10月撮影・・・

この地の宿泊は2カ所のみ、尾根沿いにあり、昼食も可能でした→天狗荘・姫鶴荘・・・狭い道の多い山間部は注意が必要です。

25kmも続いているのですが天狗高原~五段高原~姫鶴平が

おすすめで 宇和島方面の大野ヶ原は通常の山中風景に戻ります。

尾根一体の牧場 遠景は愛媛の山々
石灰岩がつくる道路際の風景
ここは標高1400mの山の上
長い尾根を走る すがすがしさ!
山頂の風力発電



シルクロードの旅 写真でさわりを! NO1ーーーー吉田 洋一

今月より3回にわけて吉田さんより提供されたスナップ写真を紹介いたします。


西安のシルクロード博物館 西安の大雁塔                       



私の「フォト五七五」 卯月二題                    牧 虎彦





あら喜寿爺のお登り囃その14----- 原田 浩



街で拾った奇妙な(?)姿

SSツアーの副産物

 新年度を迎え、気分一新頑張りましょう! と我と我が身に檄を飛ばしたいところですが、なんとなく気が乗らないのは年齢の所為かな? と考えちゃうことが多くなる、今日この頃です。 そんな中でもなんとか続けられているのが例のSSツアー。去年の2月から始めてもう1年経ち、これまでに13路線のうち9路線を歩き抜いて、残るは4路線となっています。 今回もその一部始終を書き連ねてもいいのですが、どこからどこまで歩いた、の話よりは、歩く途中で出会った奇妙な(と感じる)出来事をご紹介する方が面白いんじゃないかな、と勝手に考え、今回もその線で始めましょう。

 前回は1月にクリアした副都心線の話まででしたが、その後2月には有楽町線(和光市→新木場)を制覇し、3月には丸ノ内線に挑戦しています。その中から、先ずは26日(月)に出かけた、有楽町線SSツアー第2弾(池袋→有楽町)の時の出会いを一つ。この日は池袋から飯田橋、永田町、桜田門などを経由して有楽町に至る、109.7kmでしたが、奇妙な姿の圧巻は永田町駅の近く、諏訪坂あたり、旧プリンスホテル跡に開発された「東京ガーデンテラス紀尾井町」、そこの広場に高さ78mはあろうかという、白いトナカイ(?)のオブジェが立てられていました(写真)。なかなかユーモラスでしたね。昨年7月にオープンしたばかりとかで、はじめてお目にかかりました。 もう一つの発見はこの日、国会議事堂の前を歩いてたら、看板に「The National Diet Building」と書かれてるのを見つけて、ニンマリ。議員さん達、せいぜいダイエットしなさいよっ。

 続いて有楽町線の仕上げの第3弾。前回からほぼ1か月後の37日(火)、有楽町→新木場まで歩きました。この日は有楽町から新富町、月島、豊洲、辰巳などを辿る78.2kmでしたが、月島から先は平屋の住宅は殆どなく、大部分が高層マンションで、まさに「平成の東京」の実感がありました。ここでの発見は辰巳駅での出来事。駅から地上へ上がって来て、さて次は新木場だぞ、とその方向へ歩き出したら目の前に、石ころを積み上げて造ったような、不思議な動物像がありました(写真)。なんだろこれ、牛かな? トナカイかな? 何の意味があるんだろ? と思いながら写真に撮って、帰宅していろいろ調べた所、これ、龍なんだそうです。龍神と名付けた石像とかで、「辰巳」の駅名に因んで反対側の出口近くには蛇の像があるんだそうな。しかし、どう見ても、「龍神」とは想像できない出来栄えだったですね。

 最近のツアーは320日に出かけた、丸ノ内線ツアーの第1弾。荻窪から新宿まで、途中の支線の中野坂上~方南町まで加えた1111.9kmでした。この日もいろいろ奇妙な出来事にも出会ったのですが、あんまりヘンテコ話ばかりしてたんじゃあ、作者の品性を疑われる、ここは一つまともな話を致しましょう、という訳でご覧に入れるのは、見事に咲いたカンヒザクラ(写真)。中野坂上駅の近く、本郷氷川神社の境内に咲いてたものです。時節柄でもあり、一つ位はまともな写真をお見せしなきゃあ、ね。 あと、この日印象深かったことは、以前にも数回訪れたことのある、西新宿駅近くの成子天神社。ここは最近改築されたようで、境内に七福神の像があり、一隅には大きな富士塚もあり、立派な神社でした。富士塚の写真も勿論撮りましたが、今日は省略。

 ということで、残るは丸ノ内線、新宿線、半蔵門線、大江戸線の4線。ま、今年中には、何とかなるじゃろ。乞うご期待。

2017329日記)




私の写真いちおし  「早春の輝き」       山下 勝治














1.撮影日時 2017年2月15日

2.撮影場所 神奈川県 松田町

3.コメント  河津桜が今年はいつもの俊より
        早く咲きました。空がくっきりと晴
        れたので富士山も美しく撮ること
        が出来ました。
  



私のフォト575 季節の短信NO7 2題ーーー藤井 正克





あら喜寿爺のお登り囃その13----- 原田 浩



寒さ凌ぎにクイズに挑戦

後のお酒で「酔眼朦朧」

 寒くなったり暖かくなったり三寒四温、毎年の事ながら、冬たけなわ、ですねぇ。

 寒さを口実にしていつものSSツアーは一休み。なので今月のここに書けるアル記は殆どありません。止むを得ず今日は私のもう一つの趣味、「なぞなぞ三昧」と行きましょう。 「なぞなぞ」と言いますが今日のこれは「なぞなぞ」よりはむしろ「クイズ」、ですかな。

 今日のクイズは題して「数入り四字熟語クイズ」。お楽しみ(お苦しみ?)下さい、ね。

 先ずは第1問。数ある四字熟語の中で、最初に数字がついているものを選べ、というものです。

「一〇〇〇」、「二〇〇〇」、「三〇〇〇」、「四〇〇〇」、「五〇〇〇」、「六〇〇〇」、「七〇〇〇」、「八〇〇〇」、「九〇〇〇」、「十〇〇〇」、・・・全部出来たら、エライ!

例えば「一〇〇〇」の答の例は、「一念発起」とか、「一家団欒」とか、いろいろあります。数が多くなるほど難しさも増す感じです。チャレンジして見て下さい。

 第2問。順番に2つ数字がついている四字熟語を探せ。

「一〇二〇」、「二〇三〇」、「三〇四〇」、「四〇五〇」、「五〇六〇」、「六〇七〇」、「七〇八〇」、「八〇九〇」、「九〇十〇」。

例えば「一〇二〇」では、「一人二役」なんかですね。でも第1問より格段に難しい、私にもまだ見つかっていないものが複数あります。

3問。前問の応用問題です。以下の四字熟語を探せ。

「〇一〇二」、「〇二〇三」、「〇三〇四」、「〇四〇五」・・・、

 と、こんな所で「数入り四字熟語クイズ」はお終い。お判りの方、判らない、教えて、という方、遠慮なくメールででもお尋ね下さい。アドレスは haradah@rapid.ocn.ne.jp です、よろしく。

 さて、クイズなぞなぞの類と言えば、昔この欄で本居宣長さんご考案の「二段なぞなぞ」なるものを紹介させて頂いたのを思い出しました。その「お登り噺その7」を読み返してみて気がついたのは、問題出すのは良いけれど、解答をしてませんでしたね、すみません。以下簡単に列挙しましょう。

①「絵に続き鈴を鳴らして選び抜く」=「オリンピック」・・・答:「絵に続き」はアイウエオのエの次で「オ」、「鈴を鳴らして」は鈴の音「リン」、「選び抜く」は選抜する意味で英語では「pick up」だから「ピック」、併せて「オリンピック」。

②「牛鳴いて哀しき初夏の美しさ」=「猛暑日」・・・答:「牛鳴いて」は「モウ」→「猛」、「哀しき初夏」は「しょか」のうちの「か」がないのだから「しょ」→「暑」、「美しさ」は文字通り「美」→「日」併せて「猛暑日」。

③「真っ先にしなを作って海へ行く」=「花火大会」・・・答:「真っ先に」だから「しょっぱな」略して「はな」→「花」、「しなを作って」はいわば「媚態」→「火大」、「海へ行く」はその通り「海」、あわせて「花火大会」。

④「出たタヌキとぐろ巻いてはオナラする」=「デジャブー(既視感)」・・・答:「出たタヌキ」は「でた」の「た抜き」だから「デ」、「とぐろ巻いて」は「蛇」→「ジャ」、「オナラする」のだから「ブー」、併せて「デジャブー」。

⑤「一の次ヒツジの角に手を出して」=「日本酒」・・・答:「一の次」は「二」→「に」、「ヒツジの角」は英語で「horn」→「ほん」、「手を出して」の「手」を読み替えて「しゅ」、併せて「に・ほん・しゅ」、つまり「日本酒」。

⑥「脚八本妻もかえりし魔の気付き」=「クモマツマキ(蝶)」・・・答:「脚八本」は「蜘蛛」→「クモ」、「妻もかえりし」は「ツマ」が逆さになるから「マツ」、「魔の気付き」は「魔(マ)」に「気(キ)」がつくから「マキ」、併せて「クモマツマキ」。

 といった所で、いつもながらの「お登り」でしたね、すみません。カット写真にはご覧の通り、四字熟語のそれと、花火の写真。あんまり「適材適所」じゃないかもね。

2017223日記)





私の「フォト五七五」 弥生二題                    牧 虎彦





「邂逅」 故郷会津NO6ーーーーー秋山 利喜






私の写真いちおし  「春のかおり」       山下 勝治













撮影場所:鎌倉 浄智寺
撮影月日:2017年1月30日
コメント:香りの良いロウバイの撮影に行きました。
今年は花の咲くのが例年に比べ2週間くらい早いので
花が終わっているのではと心配しながら出かけました。
しかし、丁度良い時に巡り会いました。




私の「フォト五七五」 如月二題                    牧 虎彦





「邂逅」 故郷会津NO5ーーーーー秋山 利喜






あら喜寿爺のお登り囃その12----- 原田 浩



小寒の練馬の空にインコ舞ふ
副都心線SSツアーの記

いつもいつも、歩いた、地下鉄だ、神社だ、なんて同じことばっかり書くんじゃあ、書いてる方もさることながら、読んでくれてる方も欠伸連発、パソコン消してビールでも飲るか、なんてことになっちゃいますよね。そこで今回はちょっと趣向を変えて、歩きで拾ったオモシロ話、と行きましょう。

 正月に出かけた、副都心線SSツアーでの出来事です。副都心線は渋谷から池袋経由和光市までの16駅、20.2km。ここを1月に2回に分けて歩き通しました。厳寒下、寒さ対策もきっちり整えて出かけたのですが、上旬の1回戦で渋谷→千川をクリアし、中旬の後半戦で千川駅から和光市へ向かって歩き始めてまもなく、面白いことに出くわしました。千川駅の隣、小竹向原駅近くの街路樹に、見馴れない鳥が、それも10羽位の集団で飛んだり留まったりギャーギャー鳴いたりしてるんです。それがなんと、インコ! ご存じの如く、日本、特に関東地方ではインコの類は棲息していない筈です。それが大群で、それも体長30cmを越える巨体で、我が物顔に騒ぎまくってるんです。いゃあ、驚きましたが、とりあえず写真に収めてその場は立ち去りました(写真参照)。

 帰宅後早速調べた所、このインコは、ワカケホンセイインコ(輪懸け本青鸚哥)という名前で、本来スリランカやインドに棲息する種らしいですが、1960年代に日本に棲みつき始めたのだそうです。多分ペットとして飼育していたものが逃げ出した(か放した)のが原因なのでしょう。その後数百羽~千羽を超える大集団となり、練馬、大岡山、川崎などで見られるようになった、東工大構内や新宿御苑や有栖川記念公園などでも見かけられている、とのことでした。な~る程、練馬で見たのも当たり前か、と納得で~す。

 この類の、いわゆる外来種はいろんな分野で数多く知られており、数え上げればきりがありません。SSツアーの最中でも、去年の2月の三田線SSツアーで白山通りを歩いてたら頭上の電線をチョコチョコ伝い歩きする、でっかいタイワンリスに出くわしました。これも20世紀初めに伊豆大島に棲みついたものを、1950年頃江の島植物園に連れてきて飼ってた所、台風で小屋が壊れて逃げ出し、以来野生化して鎌倉やら横浜やらに広がり、現在では都内にも幅広く棲んでるんだそうです。

 さらにこの話題になると欠かせないのがチョウの一種、アカボシゴマダラ。今や都内でもよく見かける上位10種に入るほど数が増えましたが、これはどうやら誰かが恣意的に中国あたりから持ち込んで放したらしいとのことです。「放蝶ゲリラによる人為的な放蝶」だとも言われています(国立環境研究所HP)。 ゲリラなどとおどろおどろしい言われ方ですが、その姿はなかなか奇麗。写真でとくとご覧ください。

 このように、生物の世界では外国からやってくる外来種が国内で大繁殖し、我が物顔で過ごす例は多いのです。自然の摂理、とも言えますが、大繁殖されてその被害を受ける在来種は堪ったものではありません。でも、文句の言いようもないしねぇ。・・・とここでふと気がついたら昨日20日はアメリカ新大統領トランプ氏の着任の日。彼のキャッチフレーズ、”Make America Great Again”は、その気になって聴けば、「アメリカにやってくる移民には反対じゃ」、と言ってる感じ。 つまり、外来種ハンターイ、なのですかね。

 いや、あまり論理が飛び過ぎると弊害あり、この辺で今日は止めときましょう。それはともかく、今後もSSツアーは続けますし、多分いろんな所でいろんな話題が生まれると思いますので、ご期待下さい。

2017121日記)





私の写真いちおし  「花さりげなく」       山下 勝治





撮影日   2017年1月8日

撮影場所 フラワーセンター大船植物園

コメント  冬の花の少ない時期にさりげな
       く咲くサザンカを撮りました。 


私のフォト575 季節の短信NO6 2題ーーー藤井 正克








私の写真いちおし  「冬の夜の華」       山下 勝治









撮影日時  2016/12/23

撮影場所  宮ケ瀬湖畔園地(神奈川県)

コメント   冬は花が少ないので
        花⇒華⇒イルミネーション+花火
        となりました。



あら喜寿爺のお登り囃その11----- 原田 浩


霜月、師走のSS3路線制覇!

それでも残る6路線、ヤレヤレ

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 なんて決まり文句は並べるものの、過去に70回を遥かに超える新年の体験を積み重ねてきた私にとっては、「オゥ、また新年か、早いもんじゃのう」てな感覚で、取り立てて感慨はありませんね。

 ま、それはともかく、去年の3月から毎月綴り続けてきたこの「お登り噺」も、11回目を迎えました。いろいろお話しすること多いぜよ、と張り切って始めたのですが、回を追うにつれネタ切れになり、振り返ってみればなんとなくマンネリが目立ちます。そろそろ潮時かな? と天皇陛下みたいなことを考え始めてる、今日この頃です。こんなくだらない話なら、俺にだって、私にだって、書けるわよ、なんて思って居られる方も多い筈、是非名乗り出て欲しいものですね。

 とは言いながら今月分は書かねばならぬ、なに書こうか? と考え出したら、やっぱりいつものアルキの話になっちゃいました。ほぼ隔月にご報告している、SSツアーの最新情報です。

 このSSツアーなる試み、地下鉄路線の駅と神社を交互に歩くということで2月から始めました。東京の地下鉄13路線を歩き抜こうとして始めた所、年末までの11ヶ月で7路線を制覇でき、新年の時点で6路線を残すだけになりました。まずまずの成果かな、と自画自賛したくなっています。

 制覇した7路線のうち、4路線までは既にご報告してますので今日は1112月に歩いた3路線のレポートです。対象は東西線、都営浅草線、銀座線です。東西線は中野駅~西船橋駅の駅間距離30.8km、都営浅草線は西馬込駅~押上駅の18.3km、銀座線は渋谷駅~浅草駅の14.3km。 もっとも、駅と駅の間に神社を訪問しますので通算の歩行距離は駅間距離のほぼ2倍になります。私の1日の歩行距離はせいぜい頑張っても今や25kmが良い所、従って東西線は3回、都営浅草線は2回、銀座線は1回かかりました。東西線アルキの第11030日から、銀座線アルキの1224日まで、ほぼ2か月間で6回出かけたのです。ざっと10日に1度の頻度ですね。

 歩いたそれぞれの場面で、面白かったこと、感激したこと、考えさせられたこと、などなどいろいろあるのですが、それらをいちいちご報告してるとたちまち紙面がなくなります。そこで今日は、この3路線6回の道行きの時に出会った興味深い(と私が考えた)事柄を、写真と共にお目にかけましょう。

 先ずは東西線アルキの時、茅場町の花王本社前に立っていた銅像の写真です。あまりにリアルなのでついついシャッターを切っちゃいました。とくとご覧ください。

続いて都営浅草線アルキでの出来事。この時もいろいろありましたが、終点の押上駅へ向かって駒形橋を渡っていたら、当然ながら某社のビル屋上の光景が目に入り、これまたカメラに納めました。いつもながら、ユーモラスですねぇ。

最期に銀座線アルキの時。この時も終点浅草へ向かって、中央通りを歩いてたら、道ばたにご覧のような豚の像が・・・。なかなかリアルで驚きました。あとで調べたらこのお店は、長崎産の豚肉が売り物のしゃぶしゃぶ屋だそうです。なるほど、考えたもんじゃ、な。

 と言ったようなことで、今回は地下鉄とも神社とも無関係な、そして私の品性が疑われるような、ヘンテコ写真ばかり並べてしまいました。新年の、未だアルコールが抜けきらない雰囲気でお楽しみください。

 今後も、残る6路線の完全制覇へ向けて頑張りますので、よろしくご声援の程を。

最後に、ついでながら、この表題に凝らされた工夫、お判りですか? SSツアーのSSと、「霜月、師走」の頭文字SSと、掛けてあるんですよ、ね! 

20161226日 記)



私の「フォト五七五」 正月二題                    牧 虎彦





「邂逅」 故郷会津NO4ーーーーー秋山 利喜






私の「フォト五七五」 師走二題                    牧 虎彦




「邂逅」 故郷会津NO3ーーーーー秋山 利喜





私のフォト575 季節の短信NO5 2題ーーー藤井 正克





あら喜寿爺のお登り囃その10----- 原田 浩



青空にチョウと見紛ふ落葉舞ひ

小雪の小宮公園散策記

 今年も早くも終わりに近づき、外出するのにどのコートを着て行こうか、と迷う季節になりました。月1度書いてるこのお登り噺も今日で10回目、いつもいつも地下鉄巡りばかりじゃ皆さん冬が・・・、いや飽きがくるだろうね、とダジャレて悩む、月末近くのわが家の風物詩です。

 話題は何も地下鉄巡りばかりじゃない、なぞなぞもあるし、日本酒談義だってあるし、場合によっちゃあトランプがどうの、尖閣列島がどうの、憲法はどうすべきか、なんてのもあって書きたいことはいろいろですが、そこはそれ、身分を弁え、TPP、じゃない、TPOを弁えるとなかなか筆が・・・、いや、パソコンを叩く指が進みません。止むを得ず、今日もまたアルキの話で行こう、しかしいつもの地下鉄テッチャンじゃなくて、草や虫や鳥などの生物探索、いわば生チャンで行こう、と決めました。

 というのも実は私、地下鉄巡りに単独行で出かけてはいるものの、その他にもいろんなグループに入れて貰っていろんなテーマでいろんな所を歩き回ってるんです。前々回に触れた「関東ふれあいの道」歩きもそのひとつですが、今日ご紹介するのは植物、特に野草の専門家のご指導の下、近場の各所を月1ペースで訪問して四季折々の草木を楽しむツアーです。

このツアー、実はカネカの同期生Y君の紹介で入れて貰ったもので、殆ど毎回Y君とは同道してます。つい最近、11月度のこのツアーの目的地は八王子市の小宮公園。雲一つない快晴に恵まれ、シーズンの紅葉にも恵まれ、なかなかのツアーでした。

この小宮公園は、JR八王子駅から徒歩約30分、多摩川の支流、浅川の北岸香住丘陵にあり、広さ約25万㎡、コナラやクヌギを中心とした雑木林をメインとし、その内外に小道を縦横に通して、自然観察に便利なようになっているのです。この日参加したのは合計23人、平日ですから男性は殆どがポスト還暦組でその数7人、残りは老壮女性の16人でした。10時過ぎから昼食をはさんで午後3時過ぎまで、この公園の中の小道をあちらこちら歩き廻り、自然観察を堪能したのです。

 草花で言えばもう既にシーズンオフですから目立った花は咲いてなく、リンドウ、ノハラアザミ、シロヨメナ、リュウノウギク程度。他にはムラサキシキブ、ゴンズイ、カマツカなどの実が見頃でしたし、驚いたのはウバユリの実が群生していたこと。チョウではモンシロチョウ、キチョウ、ヤマトシジミ、ベニシジミなどの常連たちだけでしたね。小道にはそれぞれカワセミの小道、ホオジロの小道、シロハラの小道など、鳥の名前が付けられているのですが、肝心の鳥の声はあまり聞こえないねー、と愚痴ってたら、ピーチクピーチクキュルキュルキューキュー、とガビチョウが鳴きだしました。おお、鳴いとるわい、と辺りを見回したら、高い木の上に止まって鳴いてる、鳴いてる。よーし、とばかり撮った写真がこれ。そのほか、サンコウチョウも鳴きましたし、ルリビタキも姿や鳴き声はなかったものの人気があるらしくて、望遠カメラを抱えたマニヤにあちこちで出会いました。

 それとこの日の焦点は、なんといっても紅葉。園内至る所に赤や黄や茶色の葉が、妍を競っていました。それらの葉が、小道を歩くわれわれの頭上からはらはらと降り掛かってくるのです。ともすればチョウの飛翔にも似たこの落葉の動き、私なぞ何度チョウと勘違いして、緊張し、そしてがっかりしたことか! 紅葉の写真はいろいろ撮りましたが、ここでは1枚だけお見せします。参加メンバーも、写ってますよ。

 と言った調子で、この日一日自然観察三昧、歩き三昧を楽しみました。このツアー、次回の12月には目黒の自然教育園へ行くんだそうです。え?! 自然教育園? なんと、わが家から徒歩10分の近場じゃないか! よーし、行くぞ、愉しみ、愉しみ。

 蛇足ながら、表題のセリフは駄句のつもりなので、わざわざ旧仮名遣いにしてあります。それと、「小雪」は季語のつもりなので、今日24日みたいに雪が降ってる訳ではありません、念のため、申し添えます。

20161124日記)



私の写真いちおし  「晩秋の華」       山下 勝治











1.撮影日   2016.10.30

2.撮影場所 昭和記念公園

3.コメント   晩秋に咲く皇帝ダリアと在来種
        ダリア。晩秋の新しい魅力に惹
        かれました。


あら喜寿爺のお登り囃その9----- 原田 浩


汗をふきふき日比谷と千代田

その後のSSツアーご報告

ここの所、毎月20日を過ぎると何となく気分すぐれず、欝めいて来るんです。なぜかというと毎月末までに、この自由投稿欄のための文章を作らなきゃならない、そのプレシャーからなのです。 この欝症状から逃れるには、気分を入れ替えて、駄文綴りを実行するしかありません。今日も10月は23日、ぼつぼつ圧力がかかり始めました。よーし、負けるもんか、やったるでぇ。

 ではお登り噺第9回を始めましょう。前月はKFT、いわゆる関東ふれあいの道ハイキングコースを辿る話、前々月は本居宣長の「二段なぞなぞ」の話、と2ヶ月続いて本来(?)のSSツアーから遠ざかってました。こりゃいかん、よし今月は最近のSSツアーのアルキ談義じゃ。あれからもあちこち歩いて面白かったぞ!・・・と、早くも欝状態から抜け出し始める気配です。

 ご承知の如く、このSSツアーなる試み、今年の2月から始めました。都営三田線を3回に分けて走破、ならぬ歩破し、京急線を間に挟みましたがその後南北線、日比谷線と続けて来て、現在は千代田線を歩破し終った所です。210月の9か月間で、計12回の出動、そのうち6月までの9回分はご報告済みですので、今日は夏休みが終わった9月、10月に歩いた日比谷線の後半戦と千代田線の物語、です。

 先ずは日比谷線の後半戦。中目黒から北千住までの20.3kmのうち、中目黒→茅場町の11.1kmについては6月末に歩き通してご報告しましたが、その後半戦茅場町→北千住の10駅、9.2km91日(木)に挙行しました。駅としては茅場町から、人形町、秋葉原、上野、三ノ輪、南千住などを経由しますが、途中で下谷神社、秋葉神社、素盞雄神社、など大小交えて14社に参拝しました。

この日面白かったのは、上野駅周辺の街道筋で、物々しい警備態勢が敷かれており、なんじゃ? と思ったら、震災時の避難訓練だそうでした。そりゃそうだ、この日は91日だもんね。もう一つ、秋葉神社近くへ来たら道標に「曹源寺(かっぱ寺)はこちら」というのがあり、寄り道しました。数年前の区役所巡りの時にも立ち寄った覚えあり、寺の中にある男女の河童の像もそのままでした。やや不粋なるも写真をお見せしましょう。素盞雄神社の一隅には「往く春や鳥啼き魚の目は涙」なる芭蕉の句碑もありました。芭蕉が奥の細道に旅立ったのはこの地からだったそうです。

 続いて千代田線ツアー。千代田線は代々木上原から北綾瀬までの20駅、駅間距離24.0kmです。ここを2回に分けて925日と104日に歩き抜きました。 925日(日)は代々木上原→新御茶ノ水の1210.7kmです。赤坂、日比谷、大手町など都心のど真ん中を通るのですが、日比谷通り近くには神社が少なく、止むを得ずちょっと寄り道して銀座の繁華街を通り抜けました。銀座には「銀座八町神社巡り」なんてのがあって、なんと10社もの神社が点在してるのです。殆どが小規模な神社ですが、そのうちの一ヶ所を写真でお目にかけましょう。銀座8丁目、八官神社なるお社(?)です。隣の「ぎんざ鮨政」なんて、常連さんがいるんじゃないの?

 千代田線の後半戦は104日(火)挙行。新御茶ノ水→北綾瀬の913.3km。湯島だの根津だのはともかく、千駄木、町屋、北千住、綾瀬、などになるともともとあまり馴染みもなく、でもそれだけにまた新鮮な風景が楽しめました。今回は16神社に参拝しましたが、多くの神社に植えられているイチョウが結実の時期を迎え、景観と匂いはなかなかでした。中には歩いてた時にイチョウの実が落ちてきてコツンと頭に当ったこともありましたよ。

 ところで、東京にある地下鉄路線は全部で13路線。うち現在までにクリアしたのは三田線、南北線、日比谷線、千代田線の4ラインのみ。まだまだ先は長い、ですね。あと2年程度は楽しめそうです。それまで元気で居なくっちゃあ。頑張ります。なんて、気がついたらとっくに欝は吹っ飛んじゃってら。

20161023日記)




私の「フォト五七五」 霜月二題                    牧 虎彦




「邂逅」 故郷会津NO2ーーーーー秋山 利喜





私の写真いちおし  「童嬉しい秋桜」       山下 勝治



1.撮影日   2016.10.30 12:55

2.撮影場所 昭和記念公園

3.コメント  コスモスの写真を撮っておりましたら
        可愛い女の子が転げるような足取り
        で花の所に来ました。
        



私のフォト575 季節の短信NO4 2題ーーー藤井 正克




東京化成会に出席してーーー川上 厚



7回東京化成会に参加して

台風が東へ過ぎ去った10月6日四ツ谷のスクワール麹町で昔の(今もよ)マドンナ6名と現役の方4人を含む総勢32名が集まり第7回東京化成会が開催されました。

司会北山さんの開催宣言に続き轟幹事より代表幹事が早川さんより乾さんに交代する提案がなされ満場一致で承認されました。あわせて池永さんが新たに幹事の一人に加わることも提案され承認されました。広瀬先輩の黙とうに続き乾代表幹事より格調高い挨拶があり、前代表幹事の早川さんの乾杯の音頭で宴が始まりました。

 この化成会は星さんを慕う現化成部を中心に、モディフアィヤー、特殊樹脂、原料部を含めた巨大な範囲をカバーしており、登録会員は68(OB)を超える規模になっています。東京は鈴木秀五郎さんが初回の幹事として立ち上げに努力され、一回中止の年がありましたが今年で7年続いています。

 宴会の方は現役の中村専務からの挨拶に引き続き、出席者全員が3回に分けて昔の思い出や近況などのスピーチがありました。大阪からきた寺田さんの「太陽電池もよくなるので会社の株を買おう」とのユニークな話も飛び交い和気藹々の中、鈴木さんの中締めで終焉となりました。

 さすがはカネカ本家本元の化成事業部でお酒もふんだんにあり、会場も広くゆったりしておりまた、幹事の方の出席者への細かい気配りがあり、大変楽しいOB会だなーと感じたしだいです。

                 

 





「邂逅」 故郷会津NO1ーーーーー秋山 利喜

今月より、この8月に自費出版されました秋山 利喜さんの白黒写真集「邂逅」より抜粋いたしました写真を掲載いたします。
秋山さまの挨拶文はこちらから。尚、この写真集の入手をご希望される方は川上までご連絡ください。





私の「フォト五七五」 神無月二題                    牧 虎彦




あら喜寿爺のお登り囃その8----- 原田 浩




佇めるオオハクチョウに胸迫る

昭和の森~小中池散策記

 暑さも峠を越し、台風も通り過ぎ、秋たけなわが近づく季節になりました。今年は台風の当たり年だそうで、今日までに本土に上陸した台風は6個、歴代2位タイの記録だそうです。「2位タイ? へ~ぇ、銀メダルだ」、なんて嬉しそうに言うことじゃないだろ! バーカ! そんなで気候の加減や体調の加減(年の所為の夏バテ?)のために、暫くアルキをサボっていたのですが、9月になってやっと重い腰があがり、千葉市の東部を歩いてきました。今日はそのお話を一つ。

 このアルキは、仲間と連れ立って「関東ふれあいの道」を歩くものです。「関東ふれあいの道」とは、環境省が提唱する長距離自然歩道構想に基づいて関東の16県がそれぞれ整備している、ハイキングコースなのです。全長1,799km、これが10km前後の155コースに区切られており、毎日1コースづつ歩けば5ヶ月とちょっとでクリアできるというものです。ただし毎日なんてとんでもない、せいぜい月1じゃ、てんでわがポン友が2年程前に企画し、この9月には第19回目まで辿り着いたのです。

 この日のコースは、全部で29コースある千葉県の「ふれあいの道千葉」のうちの9番目、「昭和の森をたずねるみち」と名付けられた道程です。12日(月)の11時、外房線土気駅に集まったのは12名の老々男女、過半数が後期高齢者です。ここから歩き出して1時間足らずで昭和の森公園に着きました。ここは敷地面積約100ha、東京ドームの23個分もあるという広大な公園で、中には広々とした芝生、森林、遊園地、展望園地、池、などがあり、中をぐるぐる歩きながらいろいろ楽しめました。 昼食をとった展望園地からは彼方に九十九里浜が望め、気持がゆったりしました。また遊園地には長大な滑り台があり、なんとリーダーの奨めに従って仲間の半数位がその滑り台で滑り降りました。私はパスしましたが、みんな、年の割に、ようやるわい!

 ここでの最大の出来事は、公園の中の下夕田池(しもんた池と読むらしい)でのこと。池のほとりに大きな白い鳥が1羽、佇んでいました。大きさは優に1mを超えており、近くの看板によればオオハクチョウだとか。普通オオハクチョウは冬に日本に飛来する渡り鳥の筈ですが、ここでは飛べないように羽根の一部を切り取ったので留鳥になってるんだとか。可哀そうに・・・、と思って近づこうとしたら仲間が「ダメダメ、近づいたら襲ってくるらしいよ!」と。これ又看板にその旨の注意書きがありました。 さらに看板の続きを読むと、往時は4羽いたらしいのが、こどもの2羽が死んで夫婦2羽になった、しかもそのうちの♀が去年の6月に死んで♂がただ1羽取り残されている、とありました。 へ~ぇ、カミさんに先立たれて一人ぼっちか、可哀そうに、寂しいだろうなぁ・・・、と思いつつ再度様子を眺めると、気のせいか、淋しげですよねぇ。ついつい写真を撮っちゃいました。去年の3月に家人に先立たれて一人暮らしを続けてる、この駄文の作者と、おんなじ境遇なんだなぁ。・・・と、こちらまで胸が一杯になりました。その、憂いたっぷりのオオハクチョウの写真、展望園地からの九十九里浜遠望の写真と共に、ご覧下さい。 1時過ぎに昭和の森公園を後にし、小中池の横を通ってJR外房線永田駅に着いたのが3時頃。途中は公園や森林の横など自然豊かな道と、郊外の瀟洒な住宅街の中を通る、地方色豊かな道筋でした。 そこからは外房線で千葉まで戻り、千葉駅近くの居酒屋で恒例の反省会。いつものことながら美酒、美食、談論風発の2時間でしたね。

 この「関東ふれあいの道」アルキですが、これまでに神奈川県の部は17コースを散策完了しており、この後は東京都や千葉県、群馬県などあちこちの散策を続ける予定だそうです。残り136コース、月1ならば結願にはあと11年とちょっとかかります。その時私は・・・、な、な、なんと86歳!

 でも、まあ、出来る限り、歩ける限り、歩きましょうぞっ!

2016922日記)




私の写真いちおし  「蝶々さんのお食事は?」       山下 勝治























撮影日時 2016年9月27日

撮影場所 藤沢市小出川

撮影意図 季節の花である彼岸花の蜜を求めて
       揚羽蝶が飛来しました。
       花にとまる直前を捕らえることができ
       ました。



私のフォト575 季節の短信NO3 2題ーーー藤井 正克





あら喜寿爺のお登り囃その7----- 原田 浩



暑さ凌ぎになぞなぞ三昧
はまりこみ ますます暑くなっちゃった!

 毎日暑い日が続きます。最高気温が35℃を超える、いわゆる猛暑日も度々。こんなに暑いと、外に出る気も起りません。たまに出かけようかな、と考えてると、すぐ近くに住む娘からメールが来て、「オジイチャン、今日みたいな暑い日にアルキになんか行っちゃダメよ!」と、見透かしたようなお諫め。え? こちらの動向、よく判ったな。ひょっとして、わが家のどこかに隠しカメラでも付いてんじゃないだろな?

 ま、それはともかく、年の所為もあって、この8月はアルキをサボってばかりです。おかげでいつものSSStation and Shrine)ツアー、つまり駅と神社を巡り歩くヘンテコハイキングもちっとも進みません。 そこで止むを得ず、というか、することなくて家に籠ってたらはまり込んじゃった、「なぞなぞ創り」の話題で今月のお登り噺を凌ぎましょう。

 なぞなぞと言っても世の中にいろいろ、ピンからキリまでありますが、今日取り上げたいのはそれらの中でも、由緒あり、歴史ありのそれ。なんて言うとちょっと大げさですが、江戸時代の国文学者本居宣長が凝っていたという、「二段なぞなぞ」なる代物です。これは、問題文と正解を同時に示して解き方を考えさせるという、ちょっと変わったタイプのなぞなぞで、例えばこんなものです。
  問:友もなき博士の物乞う詞→答:年の暮れ

 これの解き方ですが、先ず「友もなき」は「とも」の「も」がないのだから「と」、「博士の」は言い換えて「士(し)の」、「物乞う言葉」は「くれ」つまり「暮れ」、あわせて「年の暮れ」なんだそうです。

 さて、それでは本居宣長の向こうを張って、あら喜寿爺の二段なぞなぞやってみっか、とクーラー効いた部屋に籠って作り始めました。皆様も(涼しい場所で)やって見て下さい。先ずは最近の風物から。

 ① 「絵に続き鈴を鳴らして選び抜く」~「オリンピック」

 ② 「牛鳴いて哀しき初夏の美しさ」~「猛暑日」

 ③ 「真っ先にしなを作って海へ行く」~「花火大会」

 ここまでは夏の風物詩でしたが、これからは今までのこの「お登り噺」から問題を引用しましょう。

 ④「出たタヌキとぐろ巻いてはオナラする」~「デジャブー(既視感)」・・・(お登り噺その6から)

 ⑤「一の次ヒツジの角に手を出して」~「日本酒」・・・(お登り噺その5から)

 ⑥「脚八本妻もかえりし魔の気付き」~「クモマツマキ(蝶)」・・・(お登り噺その4から)

 まだまだ作れますが、少しくたびれて来たし、喉も乾いて来たので、今回はこの辺で終了。どうですか、少しは判りましたか?

 お判りになった方、ここが判らないという方、こんなくだらない文章なんか止めちまえとお怒りの方、うんなかなか面白い、ご褒美に作者に一杯飲ませたいという殊勝な方(居るわけないよな)、いつかも記しましたが原田までメールで(アドレスは haradah@rapid.ocn.ne.jp )、もしくはこの自由投稿欄のボスの川上さんまでご連絡下さい。お待ちしています。

 という訳で、暑さ凌ぎのつもりがなかなか、かえってはまり込み過ぎて熱中症になりそうじゃ。早いとこ一風呂浴びて体をほぐし、冷たいビールをぐぐぅっと一杯、いや、二、三杯飲みましょぞ。

 そう言えばこのなぞなぞの本家本元、本居宣長さんも稀代の大酒飲みだったそうです。感謝の意味も込めてカットにご登場頂きました。よろしく、ね。

2016817日記



二段なぞなぞの大家「本居宣長



私の「フォト五七五」 長月二題                    牧 虎彦



私の写真いちおし  「目標近し」       山下 勝治




















撮影日時 2016.8.19
撮影場所  昭和記念公園
撮影意図 昭和記念公園 日本庭園の 
       小振りの蓮の蕾に蜻蛉 が
       止まっておりました。飛び立った
        た後、再度来るのを待ち、
       影が面白い像になる瞬間を
       補らえました。




私の写真いちおし  「雨中の華」       山下 勝治











撮影場所 茨城県古河市 古河総合公園 

撮影日時 2016年7月

コメント  雨の中、しっとりと濡れかつ華やか
       に咲く蓮の花を撮りました。



あら喜寿爺のお登り囃その6----- 原田 浩


南北線に日比谷線

あな恐わや 忘れたことを忘れてる

 Time and Tide wait for no man. という諺にもある如く、あっという間に時間は過ぎ、またまたこのお登り爺の出番が巡ってきました。先月は日本酒の話、先々月は蝶採りの話、と道草が続いて、SSツアーの話がご無沙汰になっちゃってます。サボってんじゃないの? と言われそうですが、いやいやそんなことはありません、チャーンと歩き廻ってますよ。 ということで今回はその後のSSツアーのご報告。

 先々月までで都営三田線、京浜急行線のSSツアーをご紹介しましたが、その後4月末からは南北線(とそれに繋がる埼玉高速鉄道線)、日比谷線の巡り歩きを進めています。 南北線・埼玉高速鉄道線は目黒~浦和美園の2635.9km、日比谷線は中目黒~北千住の21駅、20.3km。ここを計5回で歩き通す予定で、現在4回目まで終わっています。 では例によって各コースでの印象やらハプニングやら教訓などなど。

 まず南北線歩きの1回目は430日(土)、目黒→後楽園の1111.4kmで実施。この日印象に残ったのは麻布十番近くの十番稲荷神社。さほど広くもない境内の一画に、カエルの石像が飾ってあり、なんじゃこれ?と思ったら能書き板に曰く、昔大火事でこのあたり一面焼け野が原になった時、このカエルが口から水を吹いて消火に当たり、この近辺のみが焼け残ったんだってさ。今では防火と火傷の神様、なんだそうな。日本人も、面白い、ねぇ。おどけた格好の姿を見てやって下さい。

 南北線歩き第2弾は58日(日)、後楽園→赤羽岩淵の99.9km。この日の発見は梛(なぎ)の木。王子の先、志茂駅近くの志茂熊野神社で見かけた見馴れぬ常緑樹で、広葉樹風ながらマキ科の針葉樹なんだって!縁結びの神木なんだそうな。

 第3弾、埼玉高速鉄道線歩きは529日(日)、赤羽岩淵→浦和美園までの814.6km。このあたりまで来れば全くの初体験、地名も景色も見初め・聞き初めじゃ、と思ってたら意外なことがありました。 赤羽岩淵駅を歩きだしてから約2時間半ほど経った頃、鳩ヶ谷駅から近くの鳩ヶ谷氷川神社へ向かいました。とにかく西も東も判らずに、手持ちの地図と睨めっこしながら歩くのですが、神社へ着いて辺りを見回した時、何か奇妙な感覚に包まれました。あれ? 不思議だな、なんだか、昔夢で見たことあるような、神社の造り、あたりの街並み、樹木の並び方・・・。暫く考えても真相は掴めず、次の目的地へ向かった所、「あの角を左に曲がったら料理屋があるぞ!」とわが心が言うのです。そんなこと、知ってる訳がないじゃんか、と思いつつ左折したらばビックリ! なんと、洒落たウナギ屋が、店を構えてる。ええぇーっ! なんで判るんだろ!  いや、種を明かせばこの辺り、それまで完全に忘れてたのですが昔サラリーマン時代に、誘われてこのウナギ屋で仲間の送別会をやったことがあるのです。少なくとも15年以上前の事なので、しかもこの土地とはその後全く縁がなかったので、忘れるのも当たり前と言えば当たり前。しかし、忘れたことすら忘れるとは、なんとなく、不吉な予感がせぬでもありません、ねぇ。

 日比谷線の1回目は626日(日)、中目黒→茅場町の1211.1km。この日の収穫は神谷町駅の手前、西久保八幡神社でのこと。参道横の水槽に、見馴れない水草が可憐な花を咲かせていました。花は可憐な割に葉の方はドロドロで精力逞しい風情。写真にとって後で調べたらオオカナダモという、ブラジル原産の輸入種なんだそうな。念のため、この写真もお目にかけましょう。

 日比谷線の2回目は、7月末か8月初めに出かける予定なので、結果は次回廻しです。

 という調子で今回のご報告はお終い。暑い中、歩きに出かける気も失せる。でもね、頑張らないと、いつ何時、身体くたばって、もう出かけられない身分になるかも知れないからね、頑張ります。

2016724日 記)

 十番稲荷のカエルの像
                                                                                                                                                                                                                                                  西久保八幡のオオカナダモ



私の「フォト五七五」 葉月二題                    牧 虎彦




私の「フォト五七五」 文月二題                    牧 虎彦




あら喜寿爺のお登り囃その5----- 原田 浩



酒も女も二合(号?)まで
ヨボ近男の酒飲み談義

 6月あたりの蒸し暑く、雨が多いシーズンになると、アルキに出かける機会も減ってきてしまいます。それに、毎回歩く話ばかりだとつまんないよね。 そこで今回は全く別の話。ほとんど毎日、夜になると愉しむものの話です。なんでしょう?・・・ なんて言っても、表題をご覧になれば一目瞭然。そうです、今日はひとつ、日本酒の話と行きましょう。

 原田はもともと大の酒好き。学生時代はあまり飲まなかったのですが、カネカの高砂時代に先輩方のご薫陶を得てこの道に入り、50年以上飲み続けています。「たち久」とか、「千登勢」とか、懐かしいねぇ。 50年に渡る呑み道の変遷を綴るのも興味ありますが、それやり出すとスペースなくなる、今日は最近の飲みっぷりに話を絞ります。

 最近の原田が呑むのは日本酒。健康上の理由から(と称して)、週に2日は逆立ち(酒断ち)してます。でも残りの5日間はすべて日本酒。自宅で飲るのは四国は愛媛県産の「梅錦」。地元の酒、という名目もありますが、20年程前、5,6人の会社仲間と赤坂の安飲み屋で10種類程の日本酒の呑み比べ会をやった結果、第1位が梅錦、第2位が浦霞だったのを機会に病みつきになりました。蔵元から1升壜3本ずつ直送させてます。

 でも、いろんな仲間と外で飲る時にはまた別の好みがあります。もしも値段に関係なく選べ、というなら「十四代」、「獺祭」、「田酒」あたりでしょうか。他にも「黒龍」、北海道の「男山」、それに地元香川県の「悦凱陣」などが好みです。「十四代」はこの中でもメチャ品薄でメチャ割高、つい先週も新宿で置いてるのを見つけて値段を聞いたら、「盃一杯900円です」というので、ま、いいか、と一杯だけ飲みました。「獺祭」はご存じ安倍総理がオバマ大統領に振る舞ったというあれで、総理の地元山口の銘酒です。「田酒」もなかなか出会う機会がない、出会うとついつい飲んじゃう、美味いお酒です。

 仲間との飲み会ではできればこうしたいと思う飲み方は、盃並べての飲み比べです。少なくとも3種類の日本酒を注文して徳利を並べ、自分用の盃を3つ目前に並べてそれぞれ酒を注ぎ、味わいながらあっち飲みこっち飲みするのです。これだとそれぞれの味の特徴がよく判り、好きになった方をもう一杯・・・、となります。思い起こせばこの習慣もあの赤坂での飲み会が始まりでした。も一度言うけど、懐かしい!
 そんなに日本酒好きなんだったら、さぞかし大酒飲むんだろうな、高血圧、アル中、肝臓障害、などないの? よくぞ聞いてくれました。かく言う原田浩、若い頃から(酒浸りになる以前から)、血圧はやや高めで、生命保険に入る時も揉めるほどでしたし、今でも毎日降圧剤は欠かしませんが、その他胃、肝臓などの問題は少なくとも今の所はないようです。
 呑むお酒の量は、まあ、そこそこ、ですかね。若い頃はいざ知らず、最近ではつい先月、カネカの四谷クラブで7人での飲み会の時に、4合壜8本空けた、のが印象に残った位で、ほんと、そこそこ、です。

 そう言えば世間には「酒と女は2合(号)まで」というセリフがありますが、どうですかね。原田は幸か不幸か、女は「0号」ですから、女の分もお酒に加えて「オイラのお酒は4合まで」と謳ってもいいのかもね。

しかし正直な所、最近(普通の日は)とみに酒量は減り、毎夜の晩酌はビール350ml1本と日本酒杯34杯が定番になっちゃいました。あれ? まさに「2合まで」じゃな!

 といった所で今日最後のご報告。これまた最近、近所の酒屋であれこれ物色してたら、素晴らしい酒に巡り合いました。山口県は周南市のはつもみじ酒造が醸した日本酒でその名を「原田」という逸物。名前を気に入って買って飲んだら、美味かった! 皆様も見つけたら一度飲んで見て下さい。
 元気なうちは今のうち、よぼよぼ爺になる前に、呑んで愉しみましょうよねっ。

2016622日 記)
















  眺めるだけで喉が鳴る!








私の写真いちおし  「梅雨の日の幻想」       山下 勝治








撮影場所 横浜市戸塚区          
                  
撮影日時 2016年6月

コメント アジサイを前ボケとして用い
      幻想的に写しました。


私の写真いちおし  「初夏の装い」       山下 勝治

























撮影場所  鎌倉市大船植物園    

撮影日時  2016.5.17

コメント   初夏の雨に濡れたやや恥ずかしげに
        咲くバラを表現しました。

あら喜寿爺のお登り囃その3-- 副題 SSツアーの紹介-- 原田 浩

あら喜寿爺のお登り囃その4-- 副題 蝶を求めてアルプスへ-- 原田 浩



線路ばかりが能じゃない
小満に蝶を求めてアルプスへ

 ヘンテコお登り噺も早くも4回目になりました。また今回も線路沿いにのこのこ歩く、いつものやつの続きかい?・・・なんて蔑まれるのは嫌なので、ちょっぴり趣向を変えて、少しまともな歩きの話にしました。

 実はわたくし原田浩、幼少の頃から生き物、中でも昆虫、とりわけ蝶や蛾が大好きで、高校では生物部に入り、大学時代も東京の昆虫同好会に所属し、蝶の観察や採集に励んでいたのです(その分、学業はお留守になってた筈ですが・・・)。その縁があって、今になっても昔の蝶好き仲間とのお付き合いは続いており、シーズンになると誘われて、蝶を求めてあちこちの山々へ出かける機会があるのです。

 そんなで今年もつい先日、いつものグループに加わって、信州は八ヶ岳山麓を根城にし、珍蝶を求めて彷徨い歩くツアーに参加してきました。今日はその顛末をひとくだり・・・。

 今回のツアーが目指す蝶はクモマツマキチョウです。240種前後と言われる日本産蝶類のうち、間違いなく人気ベストテンに入る、珍しくかつ美麗な蝶です。漢字で表せば雲間褄黄蝶、つまり、高山に棲息する、翅の先端が黄色い蝶、ということです。年156月に山岳地帯に出現し、幼虫の食草はアブラナ科のハタザオ類、・・・なんて難しいレクチュアは止めて、ツアーに話を戻しましょう。

 出かけたのは5月下旬、34日。金曜日に八ヶ岳山麓の原村で宿泊し、土曜日の早朝に車で出発して中央自動車道の伊那IC経由、南アルプスの玄関口仙流荘に8時前到着。ここからは南アルプス林道バスで歌宿へ8時半過ぎに着き、歩き始めました。

 バスの乗客は我々5人を加えて約20人。全員が山歩きスタイルの男女ですが、驚いたのは会話を交わした所、殆ど全員が口を揃えて「クモマツマキの写真を撮りに来ました」と言うではありませんか! なんと、秘密の採集ポイントだと思ってたのは大間違い、知る人ぞ知る隠れた名所だったんですねぇ。蛇の道は蛇、ならぬ、蝶好きの道は蝶好き、か?

 さてそのクモマツマキチョウですが、歌宿から北沢峠まで続く林道沿いで、途中の複数の沢筋に出没するのだそうです。張り切って歩き始めれば、快晴の下、緑豊かな山並みが続き、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、鋸岳、地蔵ヶ岳、彼方には北岳もほの見えて、絶景でした。

そして、歩いているうちに、どこからともなく飛び出して来て、ひらひらすいすい舞い踊るのがほんとに奇麗なクモマツマキちゃん。初めて出会う恋人に、将に一目惚れしちゃいました。よーし、写真じゃ!とカメラを構えるのですが、敵もさるもの、なかなかとまってくれず、とまっても直ぐに飛び立ってしまい、ピントを合わせる暇がありません。残念ながら写真に収めることは出来ませんでした。

 そんなで、片道1時間ちょっとかけて林道を登り、沢筋でランチして休憩した後、来た道を歌宿まで引き返しました。帰り道にも蝶はいろいろ出てきましたが、それよりも驚いたのは、道の山側、急斜面の上になんとニホンカモシカが我々を見張って(?)立ってたこと。こちらはちゃんとカメラに納めましたぞ。

 そんな調子でこの日は大成功。次の日はこれまた八ヶ岳山麓でヒメギフチョウを観察することが出来、成果を挙げました。

 とは言え、蝶を観察する楽しみばかりではありません。夕刻になれば温泉へ入って体を癒し、原村の宿舎に帰れば、美味い日本酒やワインで宴会騒ぎ、美味美食と洒落た会話を楽しみました。また来年、今度はどんな蝶を狙おうか、と今から心ウキウキさせてます。

 と言うことで今日の写真。先ずは南アルプス林道の風景、前に見えるは鋸岳です。続いてくだんのクモマツマキチョウ。え?撮れなかったのじゃないのって? その通り。ですが、シャクに障ったので、ネットで調べてどなたかの作品を盗作しちゃいました。ゴメンナサ~イ! 最後はこちらを監視してる(?)ニホンカモシカ。これは本物で~す。

2016524日 記)




私の「フォト五七五」 水無月二題                    牧 虎彦




入社60周年記念;同期会に出席して---徳永 徹






私のフォト575 季節の短信NO2 2題ーーー藤井 正克






私の「フォト五七五」 皐月二題                    牧 虎彦



あら喜寿爺のお登り囃その3-- 副題 SSツアーの紹介-- 原田 浩


今度はKQSSじゃ

歩けば13時間、電車なら(なんと)16分!

 お登り噺の第3回目、ネタはいろいろあるものの、今回までは前回の続き、例のSSツアー、つまり電車の駅と近くの神社を交互に訪ね歩く、S(Station)S(Shrine)ツアーの体験記を語りましょう。

 前回ご紹介した、都営三田線のSSは、路線距離26.5km3回に分けて歩きました。駅と駅の間に少なくとも1ヶ所神社へお参りすべく寄り道するため、実際の歩行距離は駅間距離の2倍強、一日20km前後になります。一日の歩行時間は約6時間、歩数にして約3万歩のアルキです。

 三田SSの場合は文章を書くという動機もあり、張り切って2月に3回出かけたのですが、それが完成した後は何となくがっくりして、暫くSSツアーが途絶えました。これじゃあいかん! とばかり気力を回復させ捻り出したのが、今日ここに記す、京浜急行線SSツアー、略してKQSSです。

 京浜急行線なる鉄道は、品川から川崎、横浜、金沢八景、などを経て浦賀まで50駅、55.5kmの路線です。これを品川から出発して、浦賀方向へ向かうことにしました。しかし、いくらなんでも遥か浦賀くんだりまでは行く気がしません。せいぜい横浜までがええとこや、てんで品川~横浜間22.2kmを対象とし、ここを2回に分けて走破することにしました。

 という次第で、実際に出かけたのは、1回目が316日(水)、2回目は一月遅れで418日(月)、都営三田線アルキに比べるとかなりのペースダウンです。 316日は品川駅を8時半にスタート。通勤客で超満員の駅から歩き出して、駅前の高山稲荷神社へ。続いて京急北品川駅に着き、休む間もなく品川神社へ。引き続き新馬場駅、諏訪神社、青物横丁駅、幸稲荷神社、・・・と稼ぎ続け、この日の終点京急川崎駅に着いた3時まで、途中大森町駅近くの山谷公園で取ったランチタイムも含めて6.5時間のツアーでした。 この日面白かったのは、品川神社(都内でも有数の巨大な富士塚がある)、東大井の浜川神社(この神社は10階建てマンションの2階中庭にあり、参拝しようにも入れない!)、京急六郷土手駅近くの北野神社(境内に「ボケ防止のため」と称する鶴亀の力石が置いてあった、・・・写真参照)など。それに、神社ではないけれど、大森海岸駅近くの鈴ヶ森刑場跡も見学できました。

 418日の2回目は少し早起きして、前回ゴールした京急川崎駅へ8時に着き、歩き出しました。いつものようにステ(Station)・シュラ(Shrine)、ステ・シュラ、と歩き続け、ゴールの京急横浜駅には2時半到着、この日も6.5時間のウォークでした。

この日の特記事項と言えば、川崎駅傍の女躰大神。なんだか艶めかしい神社だな、裸体像でもあるのかな? と期待をこめて訪れましたが、全然色気なし。昔多摩川の氾濫が多くて農業が危機に瀕した時、ある女性が我が身を犠牲にして氾濫を防いだとかで、それが名前の由来だそうです。その他では神奈川駅手前の洲崎大神で、珍しくも狛犬の阿吽が左右逆になっているのを発見。通常は本殿に向かって右側が口を開けており(阿)、左側が口を閉じている(吽)のですが。何か因縁があるのでしょうね。もうひとつ、これも神社じゃないけれど、八丁畷駅近くで芭蕉の句碑に出会いました。「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」とあって、そう言えばこの近所には生麦なる地名もあり、往時から麦の産地だったのでしょうね。折角だからこの句碑もご覧に入れましょう。

 このツアーでいちばん驚き、がっかりしたのは、歩き終えて京急横浜駅から帰りの電車に乗った時のこと。14.35京急横浜駅発でしたが、京急川崎着14.42、品川着が14.51。品川から横浜まで、2日かけて13時間も歩いたのに、電車だとなんと16分で走っちゃう! ヤレヤレ!

2016422日 記)




 ボケ防止に役立つ(?)鶴さん・亀さんの力石
    六郷土手駅近くの北野神社


  筆者 原田 浩氏の略歴

     昭和16年(西暦1941年)東京生まれ
     高校まで香川県で生活される
     昭和40年 鐘淵化学工業㈱に入社
     高砂、中研、本社、東京本社などでご活躍
     定年前後から塩ビ工業・環境協会に出向
     平成18年(西暦2006年)退職、以後サンデー毎日の悠遊自適生活
    


 八丁畷近くの芭蕉の句碑

私の写真いちおし  「晩春の潤い」       山下 勝治


撮影場所  新宿御苑

撮影月日  2016.4.14

コメント   前日の雨が未だ残り風も無く
        しっとりした雰囲気がありました。
        雰囲気が出せればと思いました。




私の写真いちおし  「はにかみ屋」       山下 勝治














撮影場所 神奈川県相模原市

撮影月日 2016.3.25

コメント  雪割草の恥ずかしいそうな
       可憐な姿を写し取りました


あら喜寿爺のお登り囃その2-- 副題 SSツアーの紹介-- 原田 浩

端から端まで全部見た(三田)!

都営三田線 SStationSShrine)ツアーの記

 さて、なりたてホヤホヤの後期高齢者が綴るお登り(くだらない)文章の2回目、今回はこの2月にトライした、都営地下鉄三田線の巡りアルキと行きましょう。先にご紹介したようにこのツアーは、電車の駅を一つ一つ歩き巡り、その間に一つ以上、近くの神社参拝をはさむ、という企画です。

 都営三田線というのはご存じの方も多いでしょうが、目黒を一方の端としてそこから三田、大手町、水道橋、巣鴨などを経由し、板橋の西高島平までの26.5kmをつなぐ、27駅からなる路線です。目黒在住の原田としては狙いやすいターゲットです。

 しかし、路線距離26.5kmということは途中の神社巡りを考慮するとその約2倍、50km程度のアルキを覚悟せねばなりません。1日では到底無理、最近の老化ぶりを考慮すると2日でも無理、3日コースとして1520km/日と考えました。そこで、初日は目黒→水道橋(路線距離10.6km)、2日目は水道橋→本蓮沼(路線距離9.4km)、最終3日目で本蓮沼→西高島平(路線距離6.5km)という計画にしました。

 ここまでくれば後は天候とヤボ用の予定と体調とを睨み合わせて決行の日を決めるだけです。結果としてこの三田線SSツアー、初回は23日(水)、2回目は215日(月)、最終3回目は228日(日)にそれぞれ実行しました。

 では、出かけたその日その日の出来事を一つ一つご報告しましょう・・・、なんてやってるとすぐスペースがなくなっちゃいますので、3回のツアーそれぞれで面白かった出来事などをちょっぴり紹介します。

 まず初回の目黒→水道橋ツアーでは、たまたま節分の日だったこともあって、あちこちの神社で豆まきやらお札出しやらをやっており、予想外に賑やかでした。芝東照宮の脇にある増上寺では大規模な豆まきが行われていたらしく、マイクの大声で曰く、「それではこれから水谷八重子様に豆をまいて貰います、ソーレ! フクハーウチ! オニハーソト!」なんてやってましたよ。また、新橋の烏森神社では、お札を貰うためか、延々50m程の行列が出来てました。

 2回目の水道橋→本蓮沼行では、白山駅と千石駅の間で白山神社へお参りした後、白山通りを歩いてたら、頭上の電線の上をなにか獣がするするっと伝って行くのを目撃! あわてて写真を撮って後で調べたらなんとタイワンリスでした! へ~え、こんな所にも棲んでんだねっ!

 この日はそのほか、通りがかりに「こんにゃく閻魔」様を見たり、「お岩さまの墓」にもお参りしたり、忙しかったです。当日撮った西巣鴨の妙行寺で見つけた「お岩さまの墓」の写真をお見せします。意外とすっきりしてて不気味な感じはなかったです。

 最終3回目の本蓮沼→西高島平の部では、神社はともかく、高島平の街並みぶりが印象に残りました。15階前後の高層アパートがずらりと並び、壮観でした。もっとも、世代交代が進んで今や消滅団地と言われてもいるそうですが、日曜日のせいもあってか結構人出は多く、賑やかで、そこそこ活気もあるやに見受けられました。

 てな調子で巡り歩いた後は、自宅で風呂へ入った後、ビールガブガブ、日本酒じっくり飲んで疲れを癒す、これぞ人生至福の時ぞよ! また次はどこ行くか、考えましょう。ァ出かけたら、ァまた、ァご報告、ァ致しまするゥ(歌舞伎調)。

そういえば、このお登り噺へのご感想、ご意見などは、メールでどしどしお寄せ下さい。原田のメールアドレスは次の通りです。よろしく。  haradah@rapid.ocn.ne.jp

                                         (2016319日記)




  西巣鴨の妙行寺にあります「お岩さまのお墓」です。


私の「フォト五七五」 卯月二題                    牧 虎彦




私のフォト575 季節の短信NO1 2題ーーー藤井 正克


今月より藤井正克さんの写真と俳句をアップいたします。お楽しみください。




私の写真いちおし  「春の香り」       山下 勝治      















撮影時期  2016.2.23   

撮影場所  新宿御苑

コメント   春の兆しが梅の香りとともに 
        感じられる季節でした。


私の「フォト五七五」 弥生二題                    牧 虎彦




あら喜寿爺のお登り囃し-- 副題 SSツアーの紹介--

来月度より会員の原田 浩さま執筆で表題のテーマで連載がはじまります。今回はそのイントロです。


 こんにちは。御無沙汰しています。カネカOBの原田浩です。カネカを退職してから15年、その後の職も辞してサンデー毎日になってからでも10年が経ちました。まさに「光陰矢の如し」です。

お陰様で、その後もまずまず平穏に人生を過ごして居りましたところ、鐘華会東京支部の会合で幹事さんから、「原田さん、鐘華会東京支部のホームページに何か書いてくれませんか」と頼まれました。昔から頼まれれば嫌とは言えない、弱気でお人好しの原田ですから、「はいはい、承知いたしました」と回答したものの、さて困った、どうしよう、なにを書こう??? と悩み苦しむこと数ヶ月、やっとその第1号が出来上がったのです。

 で、何を書いたのかって? お読みになればお判りでしょうが、要するに、退職後持て余した暇をどうやって過ごしているか、ということに尽きますね。といっても、皆様方のように、新たな事業を起こして大儲けしたり、海外ツアーに行ったり、社会貢献に勤しんだり、なんてことは出来る筈がありません。平々凡々に過ごしている毎日を、でもそれなりに抉りだして、出来るだけ面白可笑しく綴ってみっか、てなわけで始めたのです。名付けて「アラ喜寿爺のお登り噺」としました。原田は1941年生、後期高齢者になりたて、もうすぐ喜寿です。それと、「お登り噺」の「お登り」とは、「登る」、つまり「くだらない」という、くだらない駄洒落です。すみません。

 で、今日の話題は、最近凝ってる「歩き」の話です。数年来、あちこちを日帰りで歩き回ることが趣味になり、これまでに「東京六大学巡り」だの、「川筋アルキ」、「区役所巡り」、なんてやったのですが、このところ「電車の路線アルキ」に嵌りこんでるのです。最初は「東京山手線巡りアルキ」から始めましたが、その後、東急電鉄の目黒線、多摩川線、池上線、大井町線などを制覇し、最近はターゲットを地下鉄へ移して、つい先日からは都営三田線に取りかかってるのです。

 路線歩きといってもピンとこない向きがあるかも知れませんが、要するに例えば東急目黒線アルキでしたら目黒~日吉の各駅を巡り歩くのです。この間の13駅の路線距離は11.9km。でも、駅だけじゃあ物足りないので駅と駅の間に必ず近くの神社を訪ねて参拝することを条件付けました。ですから実質歩行距離は約20km、休憩を入れた歩行時間は約6時間になります。朝10時前後から歩き始めて、途中でランチを摂り、終了はほゞ午後4時前後、終わった時の足腰の痛みは半端じゃありません。

 なんでそんなつまらんことするのよ。しんどいだけじゃんか? とお思いかも知れませんが(原田もある意味賛同しますが)、そうは言いながらやってみるとなかなか興味深い体験もできるんです。例えばそれまで行ったことのなかった地域の環境や雰囲気やが判り、へ~え、そんな所だったのか、と見直したり、あまり知られていない施設や雰囲気などに浸ることが出来たり・・・。 しかしなんと言っても一番の愉しみは、帰宅して一風呂浴びてから飲み干すビールの美味さ。まさに、筆舌に尽くし難い、てのはこのことですねぇ。

 てなわけで、この「お登り噺」第1号は電車の路線歩きの実例を紹介するつもりだったのですが、前書きを綴るだけでスペースが尽きてしまいました。止むを得ず、路線歩きの実例は次号以下に廻させて頂きます。ご了解下さい。 なお、この路線歩きですが、名付けて「SSツアー」と称しています。駅(Station)と神社(Shrine)を巡る旅(Tour)という意味です。

 このツアー、誰と誘いあって行くというのではなく、すべて原田一人、単独行です。一人の方が気楽で良い、好きな時に休めるし、好きな時に遠慮なくトイレにも行ける、ランチも好きなようにできる・・・、という訳で、大都会東京の中で1人孤独を愉しむ、原田なのです。しかしたまには大勢で歩くのもいいですね

では、次号より本番のはじまり、はじまり。



長寿御3家の同期会に参加してーーーー川上 厚


長生きの秘訣

2月18日、新百合ケ丘の焼き鳥屋で3人の大先輩とお会いしました。即ち、新納國男さん桑垣 功さん 小枝正夫さんのお三人で昭和26年カネカ入社の同期のかたです。同期には石本さん、徳永さんがいらっしゃるとのことで新納さんは御年91歳、小枝さんと桑垣さんは87歳とのことでした。お三人は2-3ケ月に一回この場所で同期会を開いておられ、旧交をあたためておられるとのことです。今回はそこに鈴木支部長と私が闖入いたしました。各人の経歴の中ではやはり太平洋戦争の色が深く影を落としているようで、新納さんは慶応大学在学中に学徒出陣となり上海に派兵され、すぐ終戦となり9ケ月捕虜になられたようです。市内を行進中中国人のこどもをなぐった日本人の捕虜が背中を銃殺され即死したことなどの話をお聞きしました。桑垣さんも高校生のときに終戦を迎へ朝鮮半島で下宿先の京城より両親の居る平壌に移動したものの、ロシアの参戦で脱出せざるをえず徒歩で7日間歩いてまた京城に戻り一命をとりとめたようです。小枝さんは戦争がもう一年長引けば学徒動員になったようです。徴兵は免れたものの日本本土の空襲に苦労されたとのことです。

このようなことでお三人とも死線を超えてカネカに入社されたことになります。新納さんは化粧品とともにカネボウで小枝さんは経理、総務部門で(特にカネミ油症対応で苦労されたとのこと)桑垣さんはカネカロンでご活躍後独立されたとのことです。

最後に長生きの秘訣をお聞きしましたところ、小枝さんはテニスを継続したこと、あとのお二人は酒と○とのことでした。また会おうということで散会いたしました。




私の「フォト五七五」 如月二題                    牧 虎彦




私の写真いちおし  「春を待つ」          山下 勝治













撮影時期   2011年2月15日  

撮影場所   新宿御苑

コメント    雪の中から顔を出す福寿草 



私の「フォト五七五」 睦月二題 新                   牧 虎彦




私の写真いちおし  「庭の佳人」          山下 勝治















撮影時期  2015年12月3日

撮影場所  静岡県袋井市医王山油山寺 

コメント   雨で粧した椿


私の「フォト五七五」 師走二題                    牧 虎彦




俳句と絵画ーーーー大滝 恒雄





 俳句と絵画は「見てきたような嘘」の許される世界です。嘘ではきついので「デフォルメ」と言い換えてもいいかもしれません。いずれも主役が何なのか、明確でなければいけません。頭の中だけでなく、実際に観察したものでなくては説得力を持ちません。そこで左の煙突を右に持ってきても許されるのです。フェルメールの風景画などのもこうした例はみてとれます。主役が明確に描けてないと締まらない作品になってしまいます。俳句でいうと「なんですか俳句」になってしまいます。写生をしっかりする点も同じです。

 絵画は1号1日―10号なら10日で描き上げなさい、と言われます。筆の勢いを大切に、という意味だそうです。私は出展するまで描き加えますが、それでも満足なものになりません。見る人に窮屈な思いをさせるのでよくないそうです。俳句も花鳥風月なものや説明がくどいものは好まれません。どちらもわが手に惚れる傾向にあります。第3者の声を聞いて「そういう解釈もできるのですね」という俳句の世界が私は好きです。



私の写真いちおし  「慎ましやかに」          山下 勝治





















1.撮影時期  2015年9月下旬

2.撮影場所 昭和記念公園               





私の「フォト五七五」 霜月二題                    牧 虎彦






電材事業部OB会のことーーー川上 厚


去る10月5日四ツ谷クラブにおいて第4回電材事業部OB会関東部会が開催されました。
当日は外山会長は欠席となりましたが、現役の牧事業部長がお忙しい中ご臨席たまわり、電材事業部の現状について詳しくお話を聞くことができました。また、栃木カネカの大瀬戸社長からは栃木カネカの活躍ぶりをソフトな話も交えメッセージをいただき、それを披露させてもらいました。そのあとはご出席の皆様より近況報告をいただき大いに盛り上がりました。しかしなんと言いましても今回の話題の主役は四国の香川で大活躍している㈱ヴィーネックスの七尾氏でした。20年前にファックスのセンサーとして開発し、苦労に苦労を重ねた上に、地道な努力と工夫により今や隆々たる会社に成長させました。出席者の皆様は彼の苦労を知っているだけに彼の努力に対する敬意が大いに膨らんだことでしょう。賞賛の嵐となりました。

 さて、この電材事業部OB会は4年前に関西の大西 優さんと寺田昭英さんが発起人となり、食品事業部、化成事業部でOB会をやっているので電材も集まろうということで企画されました。会長には3代目の事業部長でした外山さんにお願いし、関西は大西さん(6代目) 関東は水野雄之さん(4代目)を部会長とし、寺田氏が事務局長という体制でスタートいたしました。

関東部会の一回目は栃木カネカのメンバーも加え平成24年9月21日に四ツ谷クラブに23名(内女性一名)が参加してにぎにぎしく開催いたしました。それからはや4年が経過しました。電材事業部のモットーは小規模でもきらりと光る事業部で、エレクトロニクス周りの先端技術にアクセスする開発力です。我々OB会も、その趣旨に則り、味のあるお話で会員の切磋琢磨を図りたいと念じており、5年、10年と続けていきたいと思っています。

                              世話役 川上

  



私の写真いちおし  「森の集魚灯」          山下 勝治




1.撮影時期  2015年8月中旬 

2.撮影場所 東京御岳山

3.コメント 蜘蛛の巣を投網にみたてた 



私の「フォト五七五」 神無月二題                    牧 虎彦






私の写真いちおし  「蓮華の宿」          山下 勝治



山下勝治さんのプロファイル

  1971(昭和41年)  4   入社

     生物化学研究所配属 

その後組織名が高砂研究所に変更

  1997(平成9) 12月 技術部兼研究部(東京)に在席

  2002(平成14) 11月 定年退職




私の「フォト五七五」 長月2題                    牧 虎彦



私の写真いちおし  「飛び出せ」          山下 勝治






日本の自然を画く会の展覧会に参加してーーー鈴木 茂ーーー




絵画鑑賞とお寿司        鈴木 茂


7月10日、鈴木俊弘氏とご本人大滝恒雄氏と上野の森美術館で開催されている日本の自然を画く会の展覧会を鑑賞した。大滝氏の入選作品をはじめ名画がずらり、素人くさい賞賛と批判も交えて名画を鑑賞した。引き続きアメヤ横丁脇の寿司屋に移動、この御徒町界隈は寿司屋が集中していて寿司屋の激戦区となっている。本格的な江戸前にぎり寿司を堪能した。特にトロは秀逸であった。

                  
 お礼とご報告      大滝恒雄

あのあと西村富弥画伯の講評を受けました。「出来上がった作品です。今までいくつ賞をとりましたか?とったことない!不思議だなー!何でだろう?あるとすれば描き過ぎたところかな!須田克太、鈴木信太郎、安井曽太郎などの省略を勉強しては!もっといい絵がかけますよ」。家で描いてるものと会場では違う色になるので、気をつけねばと思いました。額縁で作品が生きるのも死ぬのもあるので、みなさん画伯からアドバイスを受けてました。小生の作品の額縁は合格でした。総合するとかなりいい線まで来ているが真面目に描き過ぎないようにということでしょう。来年めざし新たにチャレンジしたいと思います。



  次に大滝さんの作品が出展される展示会は下記のとおりです。
  是非お時間のある方はご鑑賞ください。

     1.展覧会名    日美展

     2.日時   8月6日より8月15日まで

     3.場所   六本木の新国立美術館







                                


私の「フォト五七五」 葉月2題                    牧 虎彦





福島復興支援ーーー環境保全型フクシマハウス有機農法ーーー井上 仁

ふるさとフクシマの最新重点応援課題「福島を環境保全型ハウス有機農法で応援したい!」プロジェクトが、カネカとの2つの結びつきをバックに、大きく前進しました。

フクシマ復興応援ネットワークの立ち上げ
 井上のふるさとの福島県浜通り地区には、東京電力の2つの原子力発電所、3つの火力発電所があります。2011年3月11日福島第一原発事故で第二原発も含めて原発は廃炉が予定されていますが、火力発電所はいまなお東京を中心に都市部へ電気を送り続けています。
 フクシマの原発事故以来4年余りが経ちました。当初は被災者の皆さんに寄り添い、落ち着いて暮らせる住まいの確保や損害賠償請求などのお手伝いしてきましたが、今なお、国の復興施策は停滞し、10数万人の皆さんが避難生活を余儀なくされたままです。
事故発生以来4年目を迎えた2014年4月、フクシマ問題は長丁場、被災者の自立、生活再建支援は国民的課題という思いで、全国規模の「フクシマ復興応援ネットワーク」を立ち上げ
ました。

農業県フクシマの再生農業の模索
 これまでに13のフクシマ復興再生課題について、全国の皆さんとのインターネットや勉強会・研究会での情報発信や意見交換を通して、累積型の問題解決的アプローチを行い、国や被災自治体に具体的な復興施策を提言するとともに、次の世代に継承し、発展させていく活動を続けています。
 特に、福島は農業県。「原発被災農家の皆さんが、これまで慣れ親しんできた農業で
笑顔と元気を取り戻してほしい!」という思いを込めて、フクシマ再生農業の在り方を模索してきました。
 2014年7月、農水省が環境保全型と認定する「深層土壌加温農法」との出会いをきっかけに、「化学肥料や農薬を使わない自然と一体となった安全・安心な農業への回帰を!」という願いを込めて、「深層土壌加温方式」を取り込んだ「フクシマ再生農業」の可能性を検討してきました。
 
やぶ田フアームの指導、支援のもと
 ところで、カネカの新入社員時代、大阪工場で大変お世話になった藪田秀三さんご一家がお二人の息子さん家族と一緒に、北海道十勝でやぶ田フアームを経営されています。  
同期入社の斎藤直人さんと一緒に、7年ほど前から毎年、藪田さんを訪問し、歓待を戴いてきました。いつも、ご長男の秀行さんも一緒して戴き、未来の子供たちのため、自然と一体となった安心・安全で健康な野菜を栽培する自然農法」で頑張っておられる、大変興味深い話をお聞きすることができました。
 先の「深層土壌加温農法」の話が舞い込んできた折、すぐに藪田秀行さんを思い出し、早速、当農法の実効性についてお尋ねしたところ、「地温を上げることで、土壌微生物の活性化は十分効果がある」として、「私が完成させようとしている自然農法で、原発事故で被災された方たちの農業による生活再建への道筋づくりに何かお手伝いがしたいという気持ちになりました。私にお手伝ができることがあればよろしくお願い致します」という言葉を戴きました。 
 
 
 そこで、この
「深層土壌加温農法」とやぶ田フアームの硫安などの化学肥料や農薬を使わない「自然栽培」を一体化した農業を「環境保全型フクシマハウス有機農法」と命名し、「フクシマ再生農業」と位置づけした
 
これまでやぶ田フアームで「深層土壌加温システム」の熱源、トレンチャー、保温資
材、配管、給油装置、温度調節器等の事前検討を行ってきました
。これらの成果をもとに、来シーズンに向け、この9月中旬の種まきまでに、当システムを導入し、「有機JAS認証野菜」を省力、低コスト、高生産性で栽培できることを確認する実証栽培プロジェクトを立ち上げることになりました。
 
 今後、その成果をもって、さらにこれまでのやぶ田フアームの20年近くの実践研究成果を踏まえ、「
環境保全型フクシマハウス有機農法」フクシマでの展開に向けた栽培技術および農業ビジネス経営ノウハウの基本を標準化します
                           藪田秀三さんのご長男 藪田秀行さん
           
                              北海道帯広市愛国町のやぶ田フアーム

太陽光発電
プランナー協議会理事企業3社とのタイアップで 
 やぶ田フアームでの実証栽培プロジェクトの立ち上げにあたり、カネカOBの皆さんには「深層土壌加温システム」の導入費についての支援をお願いさせて戴き、これまでたくさんの皆さんから貴重な支援金をお寄せ戴きました。また、この間、当農法のフクシマへの導入・展開についてもご相談させて戴きましたところ、カネカ時代ソーラー事業を管轄された八田幹雄さんのお骨折りで、日本太陽光発電プランナー協議会理事企業3社とのタイアップ路線を固めることができました。
 やぶ田フアームでの実証栽培プロジェクトと並行して、藪田秀行さんの指導支援のもと、上記3社と連携し、福島県内の遊休農地を活用した「太陽光発電・売電」と「有機JAS認証野菜の栽培・販売」をセットにしたフクシマ発環境保全型ソーラーシェアリング農業としてのビジネスモデルづくりに取組みます。さらに、今後、当農法について、福島県内の原発被災農家、避難生活受入自治体、風評被害に苦しむ農家の参加を拡大し、フクシマ発過疎地活性化農業ビジネス、地方創生型農業ビジネスとしての導入・展開を図っていきます。

http://www.housejapan-yume.jp/solarsharing010.jpg
あらためて
皆さんへの再度のお願い
 「環境保全型フクシマハウス有機農法」のフクシマへの導入・展開については、お陰さまで、やぶ田フアームと日本太陽光発電プランナー協議会理事企業3社とのタイアップで、
福島県内の遊休農地を活用した「太陽光発電・売電」と「有機JAS認証 野菜の栽培・販売」をセットにしたフクシマ発環境保全型ソーラーシェアリング農業として展開するという、フクシマ農業再生に向け
た大変理想的な道筋ができ上ってきました。結局、カネカとの2つのつながりが基盤になっていることに、大変感慨深いものを感じます。

 現在の緊急課題は、やぶ田フアームに、この9月中旬までに「深層土壌加温システム」を導入することです。この取り組みの詳細をお知りになりたい方は「福島を環境保全型ハウス有機農法で応援したい!(
https://readyfor.jp/projects/belhyud)にアクセスしてみてください。

           



私の写真いちおし  「情熱の花」          山下 勝治

山下勝治さんの写真(例会で川上撮影)はこちら




私の「フォト五七五」 文月2題                    牧 虎彦




【漢字小景―10(最終回)】 ~「還暦」は日ではなく年   吉村 正(志田 唯史)

 今回は「還暦」についてのお話しをします。とはいえ、このHPの読者のみなさんは全員、還暦をとうに過ぎた方ばかりですよね。では、あらためてお聞きします。みなさんが還暦を迎えられたのはいつだったでしょうか?

 「十年前の六月十日だ。おぼえておけ」「そうそう、二十年前の大晦日だったよ」「せやなあ、四十年前の正月や(フガフガ)」……。いろいろお答えが返ってきそうですが、この中で「正しい」のはお一方だけなんです。呂律の回りにくくなったたどたどしい発声ながら、「正月」と答えてくださった百歳の先輩です。さすがに年の功と申せましょう。

 では、あとのお二人は何が間違っているのでしょうか。それは「自分の誕生日に還暦を迎える」と思っていることです。でも、違うんです。還暦と誕生日は何の関係もありません。

 そもそも「還暦」とは何か。ここからもう一度おさらいしてみましょう。多くの国語辞典には「数え年で61歳になること」と書いてあるはずです。で、「数え年」を引くと、「生まれた年を1歳とし、そのあと新年を迎えるごとに1歳ずつ加えた年齢」とありますね。はい、これが正しい「還暦」の意味です。つまり、満年齢で六十一歳となるその年の正月を迎えたら、一月一日生まれの人から十二月三十日生まれの人まで、みーんなそろってめでたく還暦なのです。

 「還暦」とは文字どおり「暦が還る」こと。たとえば今年(二〇一五年)還暦を迎えるのは、干支(えと)でいえば「乙未(オツビ=きのとひつじ)」生まれの人ですが、この人は六十年前にあたる一九五五年の「乙未」生まれなんです。つまり、干支がぐる〜と一回りしてきた年が「還暦」にほかなりません。

 ちなみに、江戸時代は「還暦」よりも「本卦還(ほんけがえ)り」という言葉のほうがよく使われていました。前号で書いたように四十で「初老」ですから、江戸時代も五十歳までに隠居するのが常識でした。が、どの社会にも「オレはまだまだやれる。この椅子は誰にも渡さん」という人がいるものです。そんな人には隠居を勧めるために、周囲の人が「本卦還り」の宴を催し、魔除けのための赤い頭巾とちゃんちゃんこを着せて、「はいはい、その椅子は若い人に譲りましょうね。あなたはもう子どもに還ったのですから」と諭したのでした。

 なお、数え年では生まれたときに一歳、翌年の正月には二歳になります。もしある人が大晦日に生まれたなら、翌日にはもう二歳というわけですね。こうした年齢の数え方は中国が起源ですが、なぜそうなったかというと、(諸説ありますが、基本的には)中国にゼロがなかったからだといっていいでしょう。いや、中国だけでなく、ゼロという概念が発見されるまで、洋の東西を問わず整数はすべて一が基点だったのです。世紀の数え方だって、ゼロではなく一からはじまっているでしょ。

 ちなみに、暦の本家である中国では、「還暦」というより「華甲(または花甲)」と呼ぶことのほうが多いようです。「華」は「はなやか・立派」などの意味(字を分解すると六つの「十」と「一」とになるとの説もあります)、「甲」は「甲子(かっし=きのえね)」でそれぞれ十干(じっかん)と十二支の最初をあらわしています。

 ということはともかく、「オレは今年の六月一日で還暦を迎えるんだ」というのは、日本の伝統的な表現としては正しくありません。このことは知っておいて損はないと思いますが、若いヤツにこういうことをいうと、よけいジジイ(ババア)扱いされるかもしれませんね。

 さて、『漢字小景』は今回をもって筆を擱(お)きます。人事時代の先輩である鈴木(メン)さまにおだてられて続けてきましたが、最近は本業(はい、自宅を事務所と称して物書き業を続けています)が忙しくなってきたので、そろそろ潮時かなと思っていた次第です。それに他の会員の方々を差し置いて物書き風情が出しゃばるのも考えものですから。

 なお、小職は『メトロウォーカー』にも雑文(『大人の脳トレ』=スケルトン形式の漢字クイズとその解説)を書いております。『メトロウォーカー』とは東京メトロの広報冊子(季刊)で、メトロの各駅に置かれており、24P仕立て。何と、無料で配布されていますので、ぜひ手にとってお読みください。毎回読者プレゼントが用意されており、ハガキで応募しますが、その際のアンケートに「志田唯史の『大人の脳トレ』は最低だ」などと書かないでくださいね。仕事の一つがなくなってしまいますので……。

 それではみなさん、長いあいだのご愛読、ありがとうございました。



編集後記

 志田唯史さんこと吉村 正さんの漢字小景は昨年9月より10回にわたり投稿いただきましたが、皆様いかがだったでしょうか? 豊富な知識をこなれた筆致で書きすすめていただき、さすがプロは違うなというのが率直な感想でした。長い間の投稿本当にありがとうございました。今後の再登場に期待いたしましょう。




私の「フォト五七五」 水無月2題                    牧 虎彦







ーーー匠発見その3ーーー

鈴木秀五郎さまの版画年賀状の最終回です。今年の年末には皆様挑戦されてはいかがでしょう!。



【漢字小景―9】 ~「初老」という年齢  吉村 正(志田 唯史)

 今回も、誤解されて使われている漢字について書いてみます。まずは年齢の呼び方について。

 「初老」という言葉を聞いて、みなさんは何歳くらいの人をイメージしますか。私がカネカに入ったころは定年が五十五歳でしたが、この年代ではまだまだ現役意識が強く、「オレはたしかに中年やけど、まだ老人とはいわれたぁないわ」と思っている方が大半だったでしょうね。今なら六十歳の声を聞いて少し観念し、「まあ、初老といわれてもしゃーないな。許したるわ」という感じでしょうか。

 ところがですね、かつて「初老」とは、なんと四十歳のことだったんです。いや、みなさんの国語辞典では、語義の(1)として、「中年を過ぎ、老年に入りかけた年ごろ」とか、「老境に入りかけの人。老化を自覚するようになる年頃」とか書かれており、語義の(2)が「四〇歳の異称」などとなっていると思います。

 しかしながら、私の手許にある漢和辞典(『字源』簡野道明著・明治書院・大正十四年版)には「四十歳の称」と書かれているだけなんです。つまり、大正から昭和初期ころまでは、「あいつもそろそろ初老だね」といえば四十歳のことであって、(1)はその後に生成した語義だとわかります。

 ちなみに、厚生労働省の資料によると、明治二十四年~三十一年の平均寿命は男が四二・八歳、女が四四・三歳。昭和二十五年~二十七年で、男の平均寿命はやっと五九・五七歳です。著名人の死亡年齢を見ると、夏目漱石は満四十九歳(大正五年)、森鷗外は満六十歳(大正十一年)、野口英世は満五十一歳(昭和二年)、比較的長生きした斎藤茂吉も満七十歳(昭和二十八年)で亡くなっています。四十を「初老」と称したのも、なんとなく理解できますね。

 ところで、わが国には奈良時代以降、四十歳からはじまって十年ごとに年の祝いをするならわしがありました。四十歳はその最初の祝いで、これを「初老」「初賀」などといいます。『古今集』にある「桜花散りかひくもれ老いらくの来むといふなる道まがふがに」(桜の花よ、散り乱れてあたりを霞ませよ。『老い』が通って来ると聞く道が、花に紛れて見分けのつかなくなるように)は、藤原基経(もとつね)の四十歳の初賀を祝う在原業平の歌です。

 また、自らの老いを「霜鬚秋暮驚初老」(秋の暮れがた、白いあごひげに気づいてハッとする。ああおれももう四十なのだ)」と歌ったのは菅原道真。三十九歳のときの歌(漢詩)です。老いの兆候を感じるとる年齢が四十だったんですねえ、このころは。

 今では四十なんて「さあ、これから」の働き盛り。五十をかなり過ぎてから「ありゃりゃ、少々からだがついてこんようになったかなぁ」と感じはじめ、還暦になってやっと「老い」を、ほんの少しだけ意識しはじめる。けれど気持ちは壮年のまま、というのが多くの方の感覚ではないでしょうか。何につけても、気が若いのはいいことです。ただし男の場合、どこかの「元校長」のように、「やりすぎ」には注意しましょうね。

 ということで、次回は「還暦」という漢字の誤解・誤用について書く予定です。(つづく)



私の「フォト五七五」 皐月2題                    牧 虎彦



熟年ジャズコンサートに参加して---川上 厚

去る4月19日の日曜日、鈴木支部長と一緒に都営新宿線の瑞江に行ってきました。徳永さんよりご紹介を受けたジャズクラブ Mコンサートを聞きに行くためでした。

お店は地下にあるレストラン&ライブハウスHOTコロッケで、開演の11時30分にはほぼ満席となり、アットホームな雰囲気がかもしだされていました。ドリンク券2枚とサンドウィッチ、おつまみ付きで下世話な私にはこれだけで会費のもとが取れたような気分でした。コンサートは2部構成で前半はテープ伴奏、後半はピアノとドラムそしてパーカッションの生バンドをバックにしての独唱というもので、徳永さんはいずれもトップバッターとして緊張が高まる中、場の盛り上げに貢献されていました。特に大きなジェスチャーで熱唱され素晴らしいパフォーマンスを発揮されましたことは我々にも力強い勇気をいただくことができました。私はジャズを聞きながら皐月賞の馬券が気になっていましたが、隣で鈴木さんは一句ひねっていました。「まったりとジャズの響きや春の宵」

出演者は全員がおそらく70歳以上の方の熱唱、ジャズのよく知っている曲ばかり、味のあるトークと最高のコンサートでした。又次回も参加したいと思いました。
当日のプログラムはこちらから





ーーー匠発見その2ーーー

先月に引き続き鈴木秀五郎さまの版画年賀状を掲載させていただきます。素晴らしい作品をお楽しみください。



【漢字小景―8】 ~漢字の「人」について  吉村 正(志田 唯史)

 前回は、「中国の古典や日本の近代以前の詩やかたい文章のなかに出てくる『人間』という言葉は、『世のなか』という意味ですよ」というお話をしました。なのにまた「人」か、しつこいヤッチャ、といわないでくださいね。今回は熟語の意味ではなく、「人」という漢字そのものについて、ちょっと興味深い話を一席ぶつつもりです。

 「人」字の話をする前に、私の大好きな蘇軾(そしょく=蘇東坡)が漢字についての問答で、時の宰相・王安石をやりこめた話を紹介しましょう。ちなみに、宋代には新法派と旧法派との大抗争があり、王安石は新法派の大ボス、蘇軾は王安石の改革に一定の理解を示しつつも、その独断的なやり方に反対する旧法派の新人官僚の一人でした。

 さて、王安石には『字説』という「漢字の成り立ち」について書いた書物があります。蘇軾がおちょくったのは、この本に書かれたいくつかの「字源」についてでした。わかりやすい例だけに絞って紹介しますね。

 たとえば「波」。王安石はこの漢字を「水の皮」であると字解きします。なるほど、水の表面にできる大小さまざまな文様ということでは、この解釈に妥当性があるように思われます。けれど、蘇軾はこう混ぜっ返したのでした。「へえ、そうなんですか。だったら『滑』は水の骨ってことですかね」って。今の漢字学でいうと、「波」は「皮」を声符とする形声文字なのに、王安石は無理やりこれを会意文字に仕立てあげてしまったわけです。

 また、王安石が「『篤』は馬を竹の鞭で打つことだ」と解いたのに対し、蘇軾は「でも、犬を竹の鞭で打ったら、なぜ『笑』になるんですか?」と聞き返してもいます。「笑」は異体字で「竹+犬」と書かれることもあるからです。もちろん、どちらの反問にも王安石は答えられませんでした。

 要するにも王安石は、文字(漢字)を勝手に分解し、それぞれの意味を自分のイマジネーションによってつなぎ合わせることで、その文字の本義を解こうとしたわけです。文字遊びとしてはおもしろいかもしれませんが、とても学問といえるものではありません。

 実は、「人」という漢字についても、多くの人がこれとよく似たことをやっています。つまり、この字を中央からわざわざ二つに分けて、「人という字は、二人の人が互いに支え合い、あるいは寄り添っている姿をあらわしています。人は独りでは生きていけません。他の人の助けを借り、あるいは他の人を助けながら生きているのが人なのだと、この字は私たちに教えてくれているのです」と。代々伝承されているのか、寺の坊さんたちの説教によく出てくるたとえです。

 いや、こんな話をしちゃイカン、といってるんじゃないですよ。人生訓話としてなら「なるほど」だし、その内容をとやかくいうつもりは毛頭ありません。ただ、「人」という漢字を二人の人に分けるのは、漢字の成り立ち(字源学)からいうと明らかに間違いだといえます。「人」という漢字の原形は別添(1)のとおり。これらはみんな、中国から出土した殷(いん)の時代(今から三千数百年前)の甲骨文に刻まれていたものですが、二人の人が支え合っている象形なんかではなく、人が前屈みに立っている姿をその側面から見て描いた形なんです。

 でも、この漢字、何だかもの悲しそうですね。実際、これは首枷(くびかせ)をはめられた人の姿だ、という説もあるくらいです。というのも、殷の時代は戦争捕虜だけでなく、狩りをするように異民族を捕らえてきては、彼らを奴隷や生け贄にしていたからです。殷の遺跡あとには、神への捧げ物として斬首された奴隷のおびただしい骨が出土しています。

 そもそも、「人」という概念が古代と現代とでまったく異なっていることに、私たちは思いを致すべきでしょう。これに関して、中国文学者の中野美代子・北大名誉教授は次のように述べています。

 「『人』を『ひと』と読めば、それは、いわば human being と相通じる極めて抽象的な概念に相当する。しかし、古代人がそんな抽象的な概念を有していたであろうか。もっと具体的なこと、もっと可視的なものが古代人のあらゆる発想の源泉にあったのではなかろうか」

 「『人』は今でこそ『ひと』一般を指す抽象語となったが、古代では、自分のすぐ周りにいる近親者の意味だったのである。(中略)桀(けつ)王と紂(ちゅう)王をチャンピオンとする古代の残虐非道の君主たちには、まだ『人』概念は定立していなかった。(中略)自分と愛妃を除くすべての者は『人』でないと看做したかも知れない」(いずれも『カニバリズム論』より)

 殷代においては、奴隷だけでなく国民・民衆も、現在でいう「人」とはみなされていなかったようです。

 ちなみに、別添(2)に「人民」という言葉に使われる「民」の甲骨文字を集めましたが、この漢字がもともと何を意味していたか想像がつきますか? 実はこれ、奴隷の目玉に針を突き刺している形をあらわしているんです。怖いですねえ。痛いですねえ。もちろん、奴隷の逃亡を防ぐためでした(異説もありますが省略)。

 この漢字が意味するところは、最終的には「有象無象の取るに足らないヤツら」というところに行き着きます。というのも、一方では「目を見えなくさせる→世間が見えなくなる→ものの理非がわからない」という観念連鎖を経て、また他方では「奴隷→人間とはみなされない存在→愚昧な生き物」という観念連鎖によって、どちらも「支配者以外のその他おおぜいの者ども」となるわけです。

  現在の価値観から見れば、およそ許し難い連想ですが、私たちが相手にしているのは三千数百年前の古代人の観念、支配者の観念であることを忘れないでくださいね。で、この「その他おおぜいの者ども」という意味合いが、今度は「多くの人々→一般大衆→民草」と拡張されて現在の「民」の意に至り着いたのでした。

 はい、編集子から「文章が長い」と叱られそうなので、このあたりで「人」と「民」とのお話を終わります。

 (つづく)




私の「フォト五七五」 卯月2題                    牧 虎彦







過去の掲載した自由投稿

●私の「フォト五七五」 季節の短NO3 2題 藤井正克 (9月1日

●あら喜寿爺のお登り囃し その7    原田 浩 (9月1日)

●私の「フォト五七五」 長月二題   牧 虎彦 (9月1日)

●私の写真いちおし 「目標近し」   山下 勝治(9月1日)

●私の写真いちおし 「雨中の華」   山下 勝治(8月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し その6    原田 浩 (8月1日)

●私の「フォト五七五」 葉月二題   牧 虎彦 (8月1日)

●私の「フォト五七五」 文月二題   牧 虎彦 (7月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し その5    原田 浩 (7月1日)

●私の写真いちおし 「梅雨の日の幻想」 山下 勝治(7月1日)

●私の写真いちおし 「初夏の装い」  山下 勝治(6月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し その4    原田 浩 (6月1日)

●私の「フォト五七五」 水無月二題  牧 虎彦 (6月1日)

●入社60周年同期会に出席して    徳永 徹 (5月15日)

●私の「フォト五七五」 季節の短NO2 2題 藤井正克 (5月15日)

●私の「フォト五七五」 皐月二題   牧 虎彦 (5月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し その3    原田 浩 (4月1日)

●私の写真いちおし 「晩春の潤い」   山下 勝治(5月1日)

●私の写真いちおし 「はにかみ屋」   山下 勝治(4月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し その2    原田 浩 (4月1日)

●私の「フォト五七五」 卯月二題   牧 虎彦 (4月1日)

●私の「フォト五七五」 季節の短NO1 2題  藤井正克 (3月8日)

●私の写真いちおし 「春を香り」   山下 勝治(3月8日)

●私の「フォト五七五」 弥生二題   牧 虎彦 (3月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し       原田 浩 (2月1日)

●長寿御三家の同期会に参加して    川上 厚 (2月1日)

●私の「フォト五七五」 如月二題   牧 虎彦 (2月1日)

●私の写真いちおし 「春を待つ」   山下 勝治(2月1日)

●私の「フォト五七五」 睦月二題   牧 虎彦 (2016年1月1日)

●私の写真いちおし 「庭の佳人」   山下 勝治(2016年1月1日)

●私の「フォト五七五」 師走二題   牧 虎彦 (12月1日)

●俳句と絵画             大滝 恒雄(12月1日)

●私の写真いちおし 「森の集魚灯」  山下 勝治(11月1日)

●私の「フォト五七五」 霜月二題   牧 虎彦 (11月1日)

●電材事業部OB会のこと       川上 厚 (11月1日)

●私の写真いちおし 「森の集魚灯」  山下 勝治(11月1日)

●私の「フォト五七五」 神無月二題  牧 虎彦 (10月1日)

●私の写真いちおし 「蓮華の宿」   山下 勝治(10月1日)

●私の「フォト五七五」 長月二題   牧 虎彦 (9月1日)

●私の写真いちおし 「飛び出せ」   山下 勝治(9月1日)

●日本の自然を描く会に参加して    鈴木 茂 (8月1日)

●私の「フォト五七五」 葉月二題   牧 虎彦 (8月1日)

●福島復興 フクシマハウス有機農法     井上 仁 (8月1日)

●私の写真いちおし {情熱の花」   山下 勝治(8月1日)

●私の「フォト五七五」 文月二題   牧 虎彦 (7月1日)

●漢字小景-10 「還暦」は日ではなく年  吉村 正 (6月1日)

●私の「フォト五七五」 水無月二題  牧 虎彦 (6月1日)

●熟年コンサートに参加して      川上 厚 (5月1日)

●匠発見   版画年賀状 3      鈴木秀五郎 (5月1日)

●漢字小景-9 「初老」という人間    吉村 正 (5月1日)

●私の「フォト五七五」 皐月二題   牧 虎彦 (5月1日)

●匠発見   版画年賀状 2      鈴木秀五郎 (4月1日)

●漢字小景-8  漢字の「人」について  吉村 正 (4月1日)

●私の「フォト五七五」 卯月二題   牧 虎彦 (4月1日)

●匠発見   版画年賀状 1      鈴木秀五郎 (3月2日)

●漢字小景-7  「人間」について    吉村 正 (3月2日)


●私の「フォト五七五」 弥生二題   牧 虎彦 (3月2日)

●漢字小景-6   「鬼」という漢字    吉村 正 (2月10日)

●私の「フォト五七五」 如月二題   牧 虎彦 (2月10日)

●漢字小景-5 美人に関する四字熟語   吉村 正 (1月15日)

●私の「フォト五七五」 睦月二題   牧 虎彦 (1月15日)

●漢字小景-4   西施の乳とは何?     吉村 正 (12月15日)

●私の「フォト五七五」 師走二題   牧 虎彦 (12月15日)

●漢字小景-3 四字熟語の執筆へ(2)   吉村 正 (11月11日)

●私の「フォト五七五」 霜月二題   牧 虎彦 (11月11)

●漢字小景-2 四字熟語の執筆へ    吉村 正 (10月6日)

●私の「フォト五七五」 神無月二題  牧 虎彦 (10月6日)

●漢字小景-1 私の漢字事始め     吉村 正 (9月3日)

●私の「フォト五七五」 長月二題   牧 虎彦 (93)

●私の「フォト五七五」 葉月二題   牧 虎彦 
(93)

●私の「フォト五七五」 文月二題   牧 虎彦 (727)

●私の「フォト五七五」 水無月二題  牧 虎彦 (727)

●私と囲碁              川上 厚 (530)

●私の「フォト五七五」 皐月二題   牧 虎彦 (513)

●第五回食品OB会           川上 厚 (424)

●私の「フォト五七五」 卯月二題   牧 虎彦 (424)

●「私の健康法」           小枝正夫
  (3月31日)