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2014年から2019年迄の自由投稿は年度別に整理しましたのでご覧ください。



2019年
落花生の栽培顛末記         鈴木 俊弘(12月15日)     

食品OBの懇親ゴルフ会に参加して   川上 厚(12月15日)

●私の「フォト五七五」 師走 二題   牧 虎彦  (12月1日)

●魅力ある水彩画 その9 「武蔵領のケヤキ並木」 原田 祐夫(12月1日)

●白木一光バイオリンリサイタルを聴く    泉名 政信(12月1日)

●私の写真いちおし「届け大空に!バチの技」  山下 勝治(12月1日)

●私のフォト575 季節の短信2019-12   藤井 正克 (12月1日)

●ヨーロッパ旅行記 その3      金井 文昭(12月1日)

健康と趣味       吉田 洋一 (11月15日)

リレー放談 「健康と畑」  吉田 洋一(11月1日)

●私の「フォト五七五」 霜月 二題   牧 虎彦  (11月1日)

●魅力ある水彩画 その8 「萩の島かやぶきの里」   原田 祐夫(11月1日)

●私の写真いちおし「ドラゴン(?)舞い降りる」  山下 勝治(11月1日)

ヨーロッパ旅行記 その2      金井 文昭(11月1日)

●神奈川新聞にガイド紹介記事掲載さる   
斎藤直人(10月14日)

●坂戸佐々木農園から その12      佐々木 宏三(10月1日)

●魅力ある水彩画 その7 「秋桜」     原田 祐夫(10月1日)

●私の写真いちおし「ようこと万華鏡の世界へ」  山下 勝治(10月1日)

●私の「フォト五七五」 神無月 二題  牧 虎彦  (10月1日)

●私のフォト575 季節の短信2019-10   藤井 正克 (10月1日)

ヨーロッパ旅行記 その1      金井 文昭(10月1日)

●魅力ある水彩画 その6 「野菜たち」  原田 祐夫(9月1日)

●私の写真いちおし「真夏に彼岸花?」  山下 勝治(9月1日)

●私の「フォト五七五」 長月 二題  牧 虎彦  (9月1日)

●坂戸佐々木農園から その11     佐々木 宏三(9月1日)

●昭和43年同期会           原田 祐夫(8月14日)

●魅力ある水彩画 その5「五箇山の風景」  原田 祐夫(8月1日)

●私の写真いちおし「鬼灯市へいらっしゃい」  山下 勝治(8月1日)

●私の「フォト五七五」 葉月 二題  牧 虎彦  (8月1日)

●坂戸佐々木農園から その10    佐々木 宏三(8月1日)

●私のフォト575 季節の短信2019-8   藤井 正克 (8月1日)

バイオリンクラス発表会     金井 文昭 (7月15日)

●私の「フォト五七五」 文月 二題  牧 虎彦  (7月1日)

●魅力ある水彩画 その4 「神代植物園 薔薇のアーチ」  原田 祐夫(7月1日)

●坂戸佐々木農園から その9     佐々木 宏三(7月1日)

●私の写真いちおし「俺の縄張り近づくな」  山下 勝治(7月1日)

●魅力ある水彩画 その3 「こもれびの道」  原田 祐夫(6月5日)

●私の写真いちおし「プリンス」    山下 勝治(6月5日)

●私のフォト575 季節の短信2019-6  藤井 正克 (6月1日)

●坂戸佐々木農園から その8     佐々木 宏三(6月1日)

●私の「フォト五七五」 水無月 二題  牧 虎彦  (6月1日)

●私の写真いちおし「栄光を偲びて」    山下 勝治(5月1日)

魅力ある水彩画 その2 「河津川の桜」  原田 祐夫(5月1日)  

●坂戸佐々木農園から その7     佐々木 宏三(5月1日)

●私の「フォト五七五」 皐月 二題  牧 虎彦  (5月1日)

●第10回食品OB会に参加して        川上 厚(4月16日)

魅力ある水彩画 その1「サイロのある風景」 原田 祐夫(4月1日)  

●私の「フォト五七五」 卯月 二題  牧 虎彦  (4月1日)

●坂戸佐々木農園から その6     佐々木 宏三(4月1日)

●私のフォト575 季節の短信2019-4   藤井 正克 (4月1日)

●私の写真いちおし「黄金色の刻」    山下 勝治(4月1日)

坂戸佐々木農園から その5     佐々木 宏三(3月1日)

●私の「フォト五七五」 弥生 二題  牧 虎彦  (3月1日)

●私の写真いちおし「春を呼ぶ 」    山下 勝治(3月1日)

●昭和47年ミニ同期会に出席して     金井文昭(2月16日)

●私のフォト575 季節の短信2019-2    藤井 正克 (2月1日)

●私の写真いちおし「棚田の初夏?」  山下 勝治(2月1日)

●私の「フォト五七五」 如月 二題  牧 虎彦  (2月1日)

●季節の水彩画 その10        中山 宣男 (1月1日)

●私の「フォト五七五」 睦月 二題  牧 虎彦  (1月1日)

坂戸佐々木農園から その4    佐々木 宏三(1月1日)

●私の写真いちおし「大きくなってごめんね」山下 勝治(1月1日)


2018年
●私の写真いちおし「青の幻」      山下 勝治(12月1日)

●私のフォト575 季節の短信2018-11    藤井 正克 (12月1日)

●季節の水彩画 その9         中山 宣男 (12月1日)

●坂戸佐々木農園から その3     佐々木 宏三(12月1日)

●私の「フォト五七五」 師走 二題  牧 虎彦  (12月1日)

●電材OB会を振り返って         川上 厚  (11月14日)

●私の「フォト五七五」 霜月 二題  牧 虎彦  (11月1日)

●坂戸佐々木農園から その2      佐々木 宏三(11月1日)

●季節の水彩画 その8          中山 宣男 (11月1日)

●明治150年大磯への招待        斉藤 直人 (11月1日)

●私の写真いちおし「花籠の塔」     山下 勝治(11月1日)


総務部管理課のOG会に参加して         川上 厚     (11月1日)

●私と家庭菜園             佐々木 宏三(10月1日)

●私のフォト575 季節の短信2018-10    藤井 正克 (10月1日)

●私の写真いちおし「わ1おおきなノコギリだ」 山下 勝治(10月1日)

●私の「フォト五七五」 神無月 二題  牧 虎彦  (10月1日)

●季節の水彩画 その7          中山 宣男 (10月1日)

●季節の水彩画 その6         中山 宣男 (9月1日)

●私の「フォト五七五」 長月 二題   牧 虎彦  (9月1日)

●私の写真いちおし「夏草の譜」      山下 勝治(9月1日)

●私と家庭菜園続編           川上 厚  (9月1日)

●私の写真いちおし「食卓はオレンジ色の花」 山下 勝治(8月1日)

私のフォト575 季節の短信2018-8    藤井 正克 (8月1日)

●季節の水彩画 その5         中山 宣男 (8月1日)

●私の「フォト五七五」 葉月 二題   牧 虎彦  (8月1日)

●私と家庭菜園             川上 厚  (8月1日)

●私の「フォト五七五」 文月 二題   牧 虎彦  (7月1日)

●季節の水彩画 その4         中山 宣男 (7月1日)

私の写真いちおし「匂うがごとき紅の花」山下 勝治(7月1日)

●私と俳句                         川上 厚    (7月1日)

●タイチェンマイからのメッセージNO10  土田 祥雄 (6月1日) 

●私のフォト575 季節の短信2018-6    藤井 正克(6月1日)

●私の写真いちおし「空からハンカチーフ」山下 勝治(6月1日)

●季節の水彩画 その3         中山 宣男(6月1日)

●私の「フォト五七五」 水無月 二題   牧 虎彦 (6月1日)

●私の「フォト五七五」 皐月 二題   牧 虎彦 (5月1日)

●季節の水彩画 その2         中山 宣男(5月1日)

●タイチェンマイからのメッセージNO9   土田 祥雄 (5月1日) 

●私の写真いちおし「新緑の輝き」    山下 勝治(5月1日)

●季節の水彩画 その1          中山 宣男(4月1日)

●タイチェンマイからのメッセージNO8   土田 祥雄 (4月1日) 

●私の写真いちおし「早春の庭を飾る」  山下 勝治(4月1日)

私の「フォト五七五」 卯月 二題   牧 虎彦 (4月1日)

タイチェンマイからのメッセージNO7   土田 祥雄 (3月1日) 

●私の「フォト五七五」 弥生 二題   牧 虎彦 (3月1日)

今年は「大磯の年」の予感              斎藤 直人  (3月1日)

私の写真いちおし「春近し まんず咲く」山下 勝治(3月1日)

●私の写真いちおし「冬の簪」      山下 勝治(2月1日)

●タイチェンマイからのメッセージNO6   土田 祥雄 (2月1日) 

●私の「フォト五七五」 如月 二題   牧 虎彦 (2月1日)

●私の「フォト五七五」 睦月 二題   牧 虎彦 (1月1日)

●タイチェンマイからのメッセージNO5   土田 祥雄 (1月1日) 

●私の写真いちおし「皇帝の輝き」    山下 勝治(1月1日)

2017年 

●私の写真いちおし「黄金の輝き」    山下 勝治(12月1日)

●私のコラム NO7            徳永 徹 (12月1日)

●私の「フォト五七五」 師走 二題   牧 虎彦 (12月1日)

●タイチェンマイからのメッセージNO4         土田 祥雄 (12月1日) 

●私の「フォト五七五」 霜月 二題   牧 虎彦 (11月1日)

●タイチェンマイからのメッセージNO3         土田 祥雄 (11月1日) 

●私の写真いちおし「花に誘われて」   山下 勝治(11月1日)

●私のコラム NO6            徳永 徹 (11月1日)

●感動のある旅「鳥取砂丘」       森下 敦美(10月1日)

●私のコラム NO5            徳永 徹 (10月1日 )

●私の写真いちおし「」         山下 勝治(10月1日)

●タイチェンマイからのメッセージNO2        土田 祥雄 (10月1日) 

●私の「フォト五七五」 神無月 二題  牧 虎彦 (10月1日)

●タイチェンマイからのメッセージNO1         土田 祥雄 (9月1日)  

●私の「フォト五七五」 長月 二題   牧 虎彦 (9月1日)

●私のコラム NO4            徳永 徹 (9月1日)

●私の写真いちおし「鹿の子の輝き」   山下 勝治(9月1日)

●私の写真いちおし「光に包まれて」   山下 勝治(8月1日 )

●私の「フォト五七五」 葉月 二題   牧 虎彦 (8月1日)

●私のコラム NO3            徳永 徹 (8月1日)

●私の「フォト五七五」 文月 二題   牧 虎彦 (7月1日)

●私の写真いちおし「初夏の輝き」    山下 勝治(7月1日)

●私のコラム NO2            徳永 徹 (7月1日)

●私のコラム NO1            徳永 徹 (6月1日)

●感動のある旅「岐阜、登別 秋田    森下 敦美 (6月1日)

●私の「フォト五七五」 水無月二題   牧 虎彦 (6月1日)

●私の写真いちおし「ビビットな輝き」 山下 勝治(5月1日)

●シルクロードの旅 写真でさわりをNO3   吉田 洋一(6月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し その15   原田 浩 (2017年5月1日)

●私の写真いちおし「ガーデンベアがお迎え」 山下 勝治(5月1日)

●私の「フォト五七五」 皐月二題   牧 虎彦 (5月1日)

●シルクロードの旅 写真でさわりをNO2    吉田 洋一(5月1日)

●栃木カネカOB会に参加して      川上 厚(5月1日)

●感動の欲しい旅(四国カルスト天狗高原)  森下 敦美(4月1日)

●シルクロードの旅 写真でさわりをNO1    吉田 洋一(4月1日)

●私の「フォト五七五」 卯月二題   牧 虎彦 (4月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し その14   原田 浩 (4月1日 )

●私の写真いちおし「早春の輝き」   山下 勝治(4月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し その13   原田 浩 (3月1日)

●私の「フォト五七五」 弥生二題   牧 虎彦 (3月1日)

  邂逅 会津若松 NO6            秋山 利喜 (3月1日)

●私の写真いちおし「春のかおり」  山下 勝治(3月1日)

●私の「フォト五七五」 如月二題   牧 虎彦 (2月1日)

  邂逅 会津若松 NO5            秋山 利喜 (2月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し その12    原田 浩 (2月1日 )

●私の写真いちおし「花さりげなく」  山下 勝治(2月1日)

●私の「フォト五七五」 季節の短信NO6 2題 藤井正克 (2月1日)

●私の写真いちおし「冬の夜の華」   山下 勝治(1月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し その11    原田 浩 (1月1日)

●私の「フォト五七五」 睦月二題   牧 虎彦 (1月1日)

  邂逅 会津若松 NO4            秋山 利喜 (2017年1月1日)

2016年

●私の「フォト五七五」 師走二題   牧 虎彦 (2016年12月1日)

  邂逅 会津若松 NO3            秋山 利喜 (12月1日)

●私の「フォト五七五」 季節の短信NO5 2題 藤井正克 (12月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し その10    原田 浩 (12月1日)

●私の写真いちおし「晩秋の華」    山下 勝治(12月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し その9    原田 浩 (11月1日)

●私の「フォト五七五」 霜月二題   牧 虎彦 (11月1日)

  邂逅 会津若松 NO2             秋山 利喜 (11月1日)

●私の写真いちおし「童嬉しい秋桜」  山下 勝治(11月1日)

●私の「フォト五七五」 季節の短NO4 2題 藤井正克 (10月15日)

●第七回東京化成会に参加して     川上 厚 (10月15日)

  邂逅 会津若松 NO1             秋山 利喜 (10月1日)

●私の「フォト五七五」 神無月二題  牧 虎彦 (10月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し その8    原田 浩 (10月1日)

●私の写真いちおし「ちょうちょうさんのお食事は?」山下 勝治(10月1日)

●私の「フォト五七五」 季節の短NO3 2題 藤井正克 (9月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し その7    原田 浩 (9月1日)

●私の「フォト五七五」 長月二題   牧 虎彦 (9月1日)

●私の写真いちおし 「目標近し」   山下 勝治(9月1日)

●私の写真いちおし 「雨中の華」   山下 勝治(8月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し その6    原田 浩 (8月1日)

●私の「フォト五七五」 葉月二題   牧 虎彦 (8月1日)

●私の「フォト五七五」 文月二題   牧 虎彦 (7月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し その5    原田 浩 (7月1日)

●私の写真いちおし 「梅雨の日の幻想」 山下 勝治(7月1日)

●私の写真いちおし 「初夏の装い」  山下 勝治(6月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し その4    原田 浩 (6月1日 )

●私の「フォト五七五」 水無月二題  牧 虎彦 (6月1日)

●入社60周年同期会に出席して    徳永 徹 (5月15日 )

●私の「フォト五七五」 季節の短NO2 2題 藤井正克 (5月15日)

●私の「フォト五七五」 皐月二題   牧 虎彦 (5月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し その3    原田 浩 (4月1日)

●私の写真いちおし 「晩春の潤い」   山下 勝治(5月1日)

●私の写真いちおし 「はにかみ屋」   山下 勝治(4月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し その2    原田 浩 (4月1日)

●私の「フォト五七五」 卯月二題   牧 虎彦 (4月1日)

●私の「フォト五七五」 季節の短NO1 2題  藤井正克 (3月8日)

●私の写真いちおし 「春を香り」   山下 勝治(3月8日)

●私の「フォト五七五」 弥生二題   牧 虎彦 (3月1日)

●あら喜寿爺のお登り囃し       原田 浩 (2月1日)

●長寿御三家の同期会に参加して    川上 厚 (2月1日)

●私の「フォト五七五」 如月二題   牧 虎彦 (2月1日)

●私の写真いちおし 「春を待つ」   山下 勝治(2月1日)

●私の「フォト五七五」 睦月二題   牧 虎彦 (2016年1月1日)

●私の写真いちおし 「庭の佳人」   山下 勝治(2016年1月1日)

2015年

●私の「フォト五七五」 師走二題   牧 虎彦 (12月1日)

●俳句と絵画             大滝 恒雄(12月1日)

●私の写真いちおし 「森の集魚灯」  山下 勝治(11月1日)

●私の「フォト五七五」 霜月二題   牧 虎彦 (11月1日)

●電材事業部OB会のこと       川上 厚 (11月1日)

●私の写真いちおし 「森の集魚灯」  山下 勝治(11月1日)

●私の「フォト五七五」 神無月二題  牧 虎彦 (10月1日)

●私の写真いちおし 「蓮華の宿」   山下 勝治(10月1日)

●私の「フォト五七五」 長月二題   牧 虎彦 (9月1日)

●私の写真いちおし 「飛び出せ」   山下 勝治(9月1日)

●日本の自然を描く会に参加して    鈴木 茂 (8月1日)

●私の「フォト五七五」 葉月二題   牧 虎彦 (8月1日)

●福島復興 フクシマハウス有機農法     井上 仁 (8月1日)

●私の写真いちおし {情熱の花」   山下 勝治(8月1日)

●私の「フォト五七五」 文月二題   牧 虎彦 (7月1日)

●漢字小景-10 「還暦」は日ではなく年  吉村 正 (6月1日)

●私の「フォト五七五」 水無月二題  牧 虎彦 (6月1日)

●熟年コンサートに参加して      川上 厚 (5月1日)

●匠発見   版画年賀状 3      鈴木秀五郎 (5月1日)

●漢字小景-9 「初老」という人間    吉村 正 (5月1日)

●私の「フォト五七五」 皐月二題   牧 虎彦 (5月1日)

●匠発見   版画年賀状 2      鈴木秀五郎 (4月1日)

●漢字小景-8  漢字の「人」について  吉村 正 (4月1日)

●私の「フォト五七五」 卯月二題   牧 虎彦 (4月1日)

●匠発見   版画年賀状 1      鈴木秀五郎 (3月2日)

●漢字小景-7  「人間」について    吉村 正 (3月2日)


●私の「フォト五七五」 弥生二題   牧 虎彦 (3月2日)

●漢字小景-6   「鬼」という漢字    吉村 正 (2月10日)

●私の「フォト五七五」 如月二題   牧 虎彦 (2月10日)

●漢字小景-5 美人に関する四字熟語   吉村 正 (2015年1月15日)

●私の「フォト五七五」 睦月二題   牧 虎彦 (1月15日)

2014年

●漢字小景-4   西施の乳とは何?     吉村 正 (12月15日)

●私の「フォト五七五」 師走二題   牧 虎彦 (12月15日)

●漢字小景-3 四字熟語の執筆へ(2)   吉村 正 (11月11日)

●私の「フォト五七五」 霜月二題   牧 虎彦 (11月11)

●漢字小景-2 四字熟語の執筆へ    吉村 正 (10月6日)

●私の「フォト五七五」 神無月二題  牧 虎彦 (10月6日)

●漢字小景-1 私の漢字事始め     吉村 正 (9月3日)

●私の「フォト五七五」 長月二題   牧 虎彦 (93)

●私の「フォト五七五」 葉月二題   牧 虎彦 
(93)

●私の「フォト五七五」 文月二題   牧 虎彦 (727)

●私の「フォト五七五」 水無月二題  牧 虎彦 (627)

●私と囲碁              川上 厚 (530 )

●私の「フォト五七五」 皐月二題   牧 虎彦 (513 )

●第五回食品OB会           川上 厚 (424)

●私の「フォト五七五」 卯月二題   牧 虎彦 (424)

●「私の健康法」           小枝正夫
  (3月31日)

「落花生」の栽培顛末記  鈴木俊弘 

  家庭菜園を始めて通算20年近くになります。現在は約50坪の土地を借りて、多くの種類の野菜を季節ごとに繰り返し栽培しています。
 それぞれの野菜に、毎年、それまで経験したことの無いような大小のトラブルが起こります。トラブルが起こるとガックリ落ち込んでしまいますが、対処の仕方もその都度うまくなり、我ながら一人前の百姓になってきたと自己満足しながら家庭菜園を楽しんでいます。
 そんな矢先に、今年の最大のトラブルが落花生に起こりました。落花生の栽培は今年で5年目になります。過去5回の栽培では様々なトラブルがありました。種がなかなか手に入らなかったり、畝幅が狭すぎたり、カラスに襲われたり等々でした。去年は雑草をはびこらせてしまい収量が期待の半分くらいでした。 
 そんな苦い経験のもと今年こそはということで落花生の栽培に気合を入れていました。
種は去年の収穫した中から厳選したものにしました。畝はのびのびと成長できるように広くし、元肥も充分に入れました。発芽してからはまるで親の敵を取るように毎日草取りもしました。そんな努力の甲斐あってか、青々とした葉っぱが小山のように畝を覆い、周りで畑をやっている人からも「どうやればこんなに立派になるのか」といわれるくらい見事に成長していました。
 そろそろ収穫かなと思い始めた頃、トラブルが起こりました。ある日、畝に落花生の殻が2,3落ちていました。どうしたのかなと思っているとその数は日々増えていき、一週間もしないうちに畝全体が殻の散乱状態になってしまいました。そうです!!白鼻心(ハクビシン)にやられたのです。周りの人からは、白鼻心は夜行性で賢いので襲われ始めると手の打ちようは無いと言われ、ただ呆然とするのみでした。そんな時に悔し紛れに詠んだ一句。

「白鼻心食い尽くすなよ落花生」

 このように今年の落花生栽培は大失敗に終わりましたが、幸い白鼻心の食い残してくれた種(?!)がありますので来年こそはと心に決めている今日この頃です。 

 写真:白鼻心に荒らされた畝は、現在、空豆とホーレン草を栽培しています。今のところ(12月10日現在)順調です。

   
   





食品OBの懇親ゴルフ会に参加してーーー 川上 厚

12月6日日山口昭美氏が設定してくれた小川カントリークラブでの有志による食品懇親ゴルフ会に参加してきました。朝4時半に起きて埼玉の奥座敷にあるゴルフ場に朝8時前に到着。7名の精鋭が集結してスタートとなりました。さすが12月初旬で、かつ薄曇りの天気で寒いこと寒いこと。懐炉のお世話になりプレーし、皆無事完走しました。

今回は森下さんが紅一点で参加していただき昔取った杵柄で、大きく遅れることもなくホールアウト。何といっても秀逸は御年85歳になられる山本さんが前半47のスコアがでて昔野球で鍛えた体力と技をみせていただき優勝でした。また若手の増井氏はサウスポーの飛ばし屋で打ち込み寸前が何回かありました。大河内さん、北山さん、そして私の3人は少しカスミソウでした。来年に期待です。是非食品の方はご参加ください






私の「フォト五七五」 師走 二題   牧 虎彦


   
    


魅力ある水彩画 その9 ーー 原田 祐夫 ーー

タイトル 武蔵陵のケヤキ並木」


「武蔵陵のケヤキ並木」平地での紅葉が真っ盛りの時期となりました。八王子の陵南公園エリアも見頃を迎えています。春の桜も見ごたえがありますが、この時期の紅葉もなかなかのものです。武蔵陵(昭和天皇のお墓)入口付近のケヤキ並木を描いてみました。
   

白木一光バイオリン・リサイタルを聴くーー 泉名 政信 一ー


8月にカネカ四ツ谷クラブでバイオリンを弾き語りつつ音楽の楽しさを伝えてくれた白木さんの演奏会が、118日にすみだトリフォニーホールで催されました。相方のピアニストはこれも新進気鋭の山田剛史さん、2人とも若手の中の実力派です。250名収容の小ホールの一角に鐘華会メンバー4名(一人は奥方同伴で計5名)が陣取り、四ツ谷クラブとはだいぶ異なる舞台作りと音響効果に浸ってきました。
曲目は モーツアルト、シューベルト、R.シュトラウスがいずれも20代で書いた作品。母を失ったモーツアルトが心情を抑え込みあるいは吐き出しつつ紡ぎ出したソナタ、シューベルト独特の歌にドラマチックな楽想が重なるロンド、複雑で大掛かりな作品を多産したR.シュトラウスにしては珍しく均整の取れたソナタを、2人の演奏家は、ダイナミックに、ロマンチックに、ときに哀愁を滲ませながらその腕前を披露してくれました。白木さんは演奏に没入する一方、ときおり観客席に目をやって反応を確かめる余裕もあったように見えました。

器楽曲を敬遠してきた筆者は最後まで聞き通せるか少々不安でしたが、眠気を催す暇もないほど。実演でないと味わえない、弦(バイオリンもピアノも)が発する音の複雑さとダイナミックレンジを堪能しました。やっぱり音楽は生が良い!
パンフレットには「カネカ四ツ谷クラブ演奏会」が白木さんの演奏歴として記載されていました!
 

   
   



私の写真いちおし  「届け大空に!バチの技」   ーー 山下 勝治 ーー 

 

撮影月日: 2019年10月23日

撮影場所:東京 品川区

コメント : 天王洲 アートフェスティバル第2弾として”The Shamisenn"をお送り致しますが巨大な三味線の音が大空に届く気がしました。

   

私のフォト575 季節の短信2019-12  ーー 藤井 正克 一ー

   
                                                   


ヨーロッパ旅行記 その3ーー 金井 文昭 一ー


 今月はイタリア国境に近い、スイス南部への旅の写真です。泊まったのはスイスで一番小さい村ポットリオで10数件しかない村ですが、そのひなびた環境が人気で個人の家を宿として村人が提供しています。そこからロカルノ湖へは車ですぐで、夏は浜辺でみなさん楽しんでいますが、何故か白鳥も一緒に水浴をしています。
   
   


健康と趣味ーー 吉田洋一 ーー


 植物観察は一人で或いは家内と公園やハイキングで楽しむこともあるが、いくつかの観察会に入っていて、出かける機会が多い。観察会では花や実の季節だけではなく、冬のロゼット(越冬葉)や芽出しなど一年中観察に出かけているが、やはり草も樹木も花の季節の観察が楽しい。特にスミレやラン、高山植物などはワクワクする。

通りがかりの人達から見ると、道端にしゃがみこんで何かを探している異様な集団に見えるらしく、「何を探しているの?」と質問される時もある。 

地域活動は文化サークルに参加していて、年に何回か歴史などのテーマでスピーチする機会もある。もう40回位は話をしたろうか。一方、酒の会とお茶の会を主催している。

酒の会は「粋談(酔談ではない)会」の名称で月一回12名のメンバーが集会所に集まり、当番制の当番が日本酒と肴を手配し、銘酒と粋談を楽しんでいる。高齢者が多い為、メンバーも入れ替わりながらもう10年以上も続いている。

お茶の会は毎週土曜日に集会所で自由参加の喫茶店を開いており、毎回10名ほどのメンバーがやって来て、コーヒー、紅茶を飲みながら、ジャズやクラシック、詩歌、そして懇談を楽しんでいる。懇談は全員が同じ話題について語り合うことにしている。自由参加なので、男女を問わないが、残念ながら?いつの間にか紳士だけのクラブになってしまった。この会も5年以上続いているが、或る時に地域のケアプラザの方が見学に来られ、このように男性が主体の懇談の場は極めて珍しく、他地区の見本にしたいとのことだった。
 

畑仕事や地域活動、それに植物ウォッチングでも夫々仲間との晩の飲み会はつきもので、いろいろな飲み会グループを作っている。それに学生時代とカネカの仲間、外部の仕事仲間など飲み会のグループは多様で、お酒と歓談の機会に事欠かない。

朝の運動で体力を保ち、日中の趣味と活動を楽しみ、それに晩は「百薬の長」を服用しつつ仲間と語りあい、楽しい老年の生活を続けている。終活はいま暫くお預けだ。  
 
 



リレー放談 「健康と畑」- - - 吉田洋一

ほぼ毎日5時から、近くの公園で体操して、一万歩のウォーキングを行ない、朝食後は9時前に畑へ出勤するのを日課としている。

早朝の運動を欠かさないのは、趣味の世界を持続させる為だ。現役の50歳頃から腰痛に悩まされるようになり、医者から畑仕事は控えるよう宣告された。リタイアー後に整骨の医師から、多少痛くてもウォ―キングとスクワットを続けるよう指導されて10年余り続け、現在は畑仕事も、山歩きもまずは問題ない状態を保っている。

趣味の第1番は畑仕事だが、2番目は植物ウォッチング、3番は旅行・ハイク、以下寺社巡り、美術展・国宝巡り、クラシック(特にオペラ)鑑賞、歴史(特に東アジア古代史)探索といったところだろうか。番外で飲み会(特に日本酒)、それに地域活動と一日26時間位欲しい毎日だ。

 

畑は住居から歩いて15分ほどで、農家から100坪余りの丘陵地を借りている。耕作しているのは半分くらいで、残りの土地は物置、堆肥置き場の他、フキやアシタバ、シソ畑、果樹園などにしている。

畑仕事は土づくり、種まき、草取り・・と中腰の作業だが、つい夢中になり腰に負担がかかってしまう。それでも種の粒から芽が出て成長し、花が咲き、実がみのる。これはまさに神秘で感動だ。収穫の喜びもある。

四季30種余りの野菜と果樹を育てて楽しんでいるが、耕作機などを使わず、農薬や除草剤も一切使わないので、効率は甚だ悪い。その上、土質はあまり良くないので、スコップで土を掘り起しては落葉と堆肥を埋め込み土壌改良に努めている。 草取りも旺盛な雑草との追い駆けっこだ。「雑草」として一網打尽としたいところだが、植物観察の癖が出て、時に少し珍しかったり、「これは何だったろう」と思う「雑草」を残してあげることもある。 

 
 


私の「フォト五七五」 霜月 二題   牧 虎彦


   
                                                   



  魅力ある水彩画その8ーーー 原田 祐夫 ーーー 

タイトル 萩ノ島かやぶきの里」














新潟県柏崎市の南部に高柳という山間の町があります。そこに全国でも珍しい茅葺き環状集落があります。10軒余りの茅葺きが田んぼを囲んでいます。人も風景も素朴で一日中スケッチをしていても何か癒されるそんなところでした。車でしか行けない不便な場所ですが、是非再訪したいと考えています。


   


私の写真いちおし  「ドラゴン(?)舞い降りる」       山下 勝治 










 

撮影月日: 2019年10月16日

撮影場所:東京 品川 天王洲

コメント :倉庫の島からアートの島         へ変わった天王洲  天王洲      アートフェスティバル参加作品      を魚眼 レンズで捉えました。

   



ヨーロッパ旅行記 その2ーーー 金井 文昭 ーーー

 今回は日本人にはあまり知られていないスイスの山村ミュウ―レンを紹介します。村は海抜2000メートルの所にあり、最初の写真は村からケーブルカーで100メートルほど登った展望台からアルプスの山とム―レンの集落が見えます。山は左がアイガーで右がユングフラウです。展望台の周りには散歩道があり、ネットで1000メートルも下が見えてスリル満点です。子どもが喜んで手を挙げています。家族連れで行くにはとても静かでいいところです。
   
   


神奈川新聞にガイド紹介記事掲載さるーー 斎藤 直人 ーー

去る9/16に外国人向けの英語ガイドを実施致しました。
なかなかお客さんが集まらず苦労しましたが、何とか6名のお客さんを
案内することが出来ました。



リレー放談 「坂戸佐々木農園から」――― 佐々木 宏三 その12

 

我が農園では、夏野菜の収穫後の 【残滓】の整理に追われ、そして秋、冬やさいの植え付けを行っています。この時期の朝晩の農作業は、【蚊】との闘いです。
蚊取り線香を腰にぶら下げての作業です。
【どこかの国】ではなんちゃら残滓の清算とやらに血眼になり、先達の功績、恩恵を否定、無視するような悪行が行われています。我が農園では、収穫をもたらしてくれた作物に感謝しながら、その残滓を整理し、次代の肥料に活用すべく堆肥に、焼却して草木灰として土に還元して、農業の原点を実行しています。

写真は農園の全景と、防虫ネットに守られスクスクと成長している白菜といたしました。

さて、農園だよりも12回目となりました。植物相手の農園だよりなので、一年になるとネタが切れてしまいました。よって、今回をもって農園だより最終回とさせていただきます。この一年、駄文にお付き合い頂きありがとうございました。
またこのホームページの管理者に感謝申し上げます

 

                                                                             


魅力ある水彩画その7ーーー 原田 祐夫 ーー


タイトル 「秋桜」

 








早いもので赤とんぼが飛び回る季節に
なりました。今年は道端でキバナコスモス
をよく見かけます。今月の水彩画は、
昨年秋に長野県の原村付近で描いたも
のです。秋の雰囲気が伝われば幸いです
。 
 
                           





私の写真いちおし  「真夏にようこそ万華鏡世界へ」       山下 勝治





撮影月日:      
2019年9月12日

撮影場所:東京都墨田区すみだ水族館

コメント:9月に入っても暑い日が続きましたので、屋内の水族館へ。東京スカイツリー足下のすみだ水族館で万華鏡の世界に入り込みました.写っているのはクラゲです。

                     



私の「フォト五七五」 神無月 二題   牧 虎彦


   
                                                   


私のフォト575 季節の短信2019-10     藤井 正克


   
                                                   


ヨーロッパ旅行記 その1ーーー 金井 文昭 ーーー

今年の夏 スイスにいる娘を妻と行って一か月ほど滞在して、各地を旅行しました。今月から6回シリーズ位でスイス、ドイツ、オーストリア3か国のあちこちを紹介します。

今月は娘家族が住んでいるバーゼルについて、お話しします。バーゼルはスイス、ドイツ、フランス国境にある町で飛行場からの出口もスイス、フランス、ドイツ3か所あり、ちょっと戸惑います。

娘の夫はモスクワ大学出身のロシア人で最近スイス国籍も獲得しました。子どもは4歳のマークです。写真は家族と家の庭と家の前の広場で夜明けを撮影したものです。また、バーゼル市の市民が近所でサーカスをやってまして、私は毎日出かけて楽しみましたのでその一コマを紹介します。バーゼルはちいさな町で郊外は閑静で牧歌的な雰囲気があり、周りに牧場もあります

 
   
   
                                                  


魅力ある水彩画その6ーーー 原田 祐夫 ーー


タイトル 「野菜たち」


静物『野菜たち』 
室内で静物を描くのは久しぶりで、野菜のみずみずしさの表現が とても難しいです。











私の写真いちおし  「真夏に彼岸花?」       山下 勝治







撮影月日:2019年7月23日

撮影場所:平塚市 花菜ガーデン

コメント:

花菜ガーデンに蓮の花の撮影に出かけました。
何と、そこで羽化したての羽を乾かすキアゲハが
彼岸花とまっているのに出会うことができました。
この時期に咲く彼岸花はコヒガンバナで 彼岸頃に
咲くものとは別種とのこと。



私の「フォト五七五」 葉月 二題   牧 虎彦




リレー放談 「坂戸佐々木農園から」 ―――  佐々木 宏三 その11

8月は暑く農園は休業状態です。先月に引き続きスイカの話題を一つ。

まだ暑い日が続いていますが、いつの間にやら朝晩にはコオロギが鳴き出しています。

蝉もおおぜみ(ミンミンゼミ)からツクツクボウシに選手交代。

最近の気候の乱れにもめげず彼らは彼らの体内時計を駆使して子孫繁栄に励んでいるのですね。

ジィーにはもはやその力はありませんが、子供等はジィーを喜ばしてくれるものです。

ジィージバカではありますが、4月に20年ぶりに3人目の孫が(女の子)誕生、令和元年を狙っていた

ようですが、平成に出てきてしまいました。
健康に、スクスク育っているのが、ジィージィとしては何よりです。

毎日、送られてくる動画をまだか、まだかと待っているジィージィとバーバであります。

孫を大きく見せようと、小さなスイカを用意しました。



昭和43年入社同期会(東京)開催される

8/7ひょんなことから、50年目にして初めての東京の同期会(43入社『鶏声会』)。新橋駅前のデゴイチ目印で、酷暑の中集合。近くの赤ちょうちんで暑気払いをしました。大手町ビルの話やら、水泳教室に行っている話など大いに盛り上がったひと時でした。          

                      文責 原田祐夫





魅力ある水彩画その5ーーー 原田 祐夫 ーーー

タイトル 「五箇山風景」













古民家は風景画格好の題材ですが、
五街道沿いの宿場風景は年々少なく
なっていくように感じています。
豪雪地帯の岐阜の白川郷や富山
の五箇山などは観光地となり、
合掌造りはきちんと保存されています。
 



私の写真いちおし  「鬼灯市へいらっしゃい」       山下 勝治










1.撮影場所 東京浅草 浅草寺

2.撮影月日 2019年7月9日

3.コメント 7月9日、10日は浅草寺の鬼灯市
   (ほおずきいち)です。この日、一日
   お参りすると4万6千日分の御利益が
   有るとされる功徳日。下町娘が勢揃い
   し、お客さんを呼び込んでいました。




私の「フォト五七五」 葉月 二題   牧 虎彦





リレー放談 「坂戸佐々木農園から」――― 佐々木 宏三  その10

長い梅雨が明けた途端、坂戸は連日猛暑日です。坂戸の隣町埼玉県鳩山町今日(7月30日)は36.6℃でした。

今年は天候不順で農園は大打撃。
日照不足、低温で作物の生育が悪く、特にウリ科被害甚大です。今更日光が戻ってきても挽回はできません。
写真をアップしましたが、プリンスメロンは蔓が枯れてしまい収穫はゼロ。
 スイカの出来は例年の半分以下、しかも長雨のため甘味が載りません。
そんな中、写真のスイカは、日本初のワールドカップ開催を祝って丹念に育てたラグビーボール型の品種です。
2個収穫できましたが、写真のものはサイズは長辺外周73cm、短辺外周57cm、重さ5,7kgでした。
ラグビーボールの規格は74~77cm×58~62cm、410~460gです。
重さ以外はほとんど規格通り。奇跡です。ワールドカップでのチームの活躍を待っています。
重さが規格通りなら空っぽで食べれません。
 そんな中、タマゴのパックで育苗したトマトは現在収穫最盛期。(写真の通り)
近所にお裾分けして、そして家族で毎日主食のように食べても在庫が減りません。
おかげで、肌はピチピチ、ツヤツヤ(?)長生き出来そうです。
 さて、日照、気温が戻ってきたので、雑草が我世の春(夏)とばかりに繁茂を始めます。
これからしばらくは雑草との闘いが始まります。そして8月下旬、秋、冬野菜の種まき、が始まります。




私のフォト575 季節の短信2019-8     藤井 正克





 バイオリンクラス発表会    金井文昭

   










 
 6月23日北区十条スタジオ ミモザのバイオリン発表会がありました。バイオリン始めて3年目で初めて参加し、見事にFirst Violin賞(初心者でがんばったね!という意味?)としてスパークリングワインをゲットしました。写真は発表者の集合写真と自宅でピアノの前で撮ったものです。なお飾ってある絵は娘婿のアレクセイ―のお母さんの作品でモスクワの街角だそうです  


「フォト五七五」 文月 二題   牧 虎彦


   
   

魅力ある水彩画その4ーーー 原田 祐夫 ーーー

タイトル 「神代植物園 薔薇のアーチ」


 
 


リレー放談 「坂戸佐々木農園から」 ―――  佐々木 宏三  その9

本格的な梅雨に入り、毎日ジメジメした日が続いていますがこの【便り】をお読みいただいている皆様いかがお過ごしでしょうか。
巷、そしてマスコミでは大阪G20の話題で持ち切りですが、下々の我々は世界のリーダーたちに(あんじょうやってや!!)としか言いようがありません。
さて、我が坂戸佐々木農園では着々と成果が上がってきています。
玉ねぎ、にんにく、ニラ、ブロッコリー、ジャガイモ、ブロッコリー、ラディッシ、キャベツ、チンゲン菜、きゆり、だいこん、カブ、トマト、ナス、、ピーマン、枝豆、オクラ、アスパラガスなどは既に食卓に上っています。
トウモロコシ、スイカ、カボチャ、ネギ、メロン(まくわうり)もスクスクと育っています。
もちろん、東京支部ホームページ管理人、川上さんが狙っているスイカも今の所順調です。
農園主の自慢心が出てしまい、栽培中のものを全部列挙してしまいました。
まさに【八百屋】の農園です。
八百屋さんは仕入れて売るわけですが、我が農園は売り先、お客さんのいない八百屋です。一族郎党のおなかに詰め込む以外道はありません。
ホームページ管理人川上さんも仲間に入ってくださいよ。
さて、【根粒菌】をご存じですか?
根粒菌はマメ科の植物の根の根粒に寄生して、空気中の窒素を植物が利用可能なアンモニアに変換する能力を持っています。
このアンモニアのおかげで痩せた土地でも大豆は育つのです。
化学的にアンモニアを合成するには高温高圧が必要で、根粒菌は常温、常圧ですからエコなアンモニア合成をしていることになります。
ここで昔話。
私が育った昭和20~30年代、所によっては40年代になっても、春には田んぼがピンク一色に塗られていました。
まさに田舎の原風景でした。
これが、レンゲ畑です。レンゲもマメ科植物ですので根粒菌を活用して窒素肥料を生産し、田植え前に田んぼ漉き込んでに緑肥として活用しました。
私にとって懐かしい風景です。
因みに当時は国産レンゲはちみつがあったのですが、いまは?たぶん全て輸入品でしょう。
もう一つ昔話。
6月18日、新潟、山形地方で局地的な地震がありました。今回は大した被害もなっかた様で安心しました。
新潟の地震は忘れられません。
昭和39年6月16日午後1時位分に発生、アパートが横倒しになり、橋が崩落、コンビナートでは火災が起き、29人の犠牲者がでました。
その場に私が居たわけではありませんが、忘れられない理由は、【カネカの入社試験前日】でした。
新幹線のない時代、入社試験の急遽の連絡。仙台の田舎から夜行列車に乗り、朝、上野到着、東海道本線で夕刻梅田到着。梅田で地震を知りました。
梅田と大阪の区別がつかない程度の田舎者が、旧芦屋荘に一泊、淡路町の本社で面接、幸か不幸か合格採用となり今に至っております。
枝豆の根 粒粒が根粒 ミニトマト 収穫はじまりました  キュウリ 収穫真っただ

ジャンボにんにくの花

ジャンボにんにくの根(左)
右が通常のホワイト6片


写真いちおし  「俺の縄張り近寄るな!」       山下 勝治


 






 

1.撮影月日:2019年6月20日

2.撮影場所:横浜市栄区 金井遊水池

3.コメント:オオヨシキリの雄は縄張り
      を主張して大きな声でギョ
      ギョギョ・・・・・・
      ギギギギギと始終鳴く夏鳥
      です。
          喉の朱色に注目あれ。

   

魅力ある水彩画その3ーーー原田 祐夫ーーー

タイトル「こもれびの道(北海道厚岸」)













コメント
 北海道東部 釧路から車で
 約一時間 厚岸の小高い半島
 にある愛冠岬で描いたものです。
 風の音しか聞こえない自然その
 ものの場所でした。




私の写真いちおし  「プリンス」       山下 勝治










1.撮影場所 横須賀市 ブェルニー公園

2.撮影日時 2019年5月8日

3.コメント
    横須賀市のブェルニー公園にバラ
    の撮影に行きました。可愛い保育
    園児が遊んでおりましたが、今回は
    バラの花のみの写真をお送りいたし
    ます。



私のフォト575 季節の短信2019-6     藤井 正克





リレー放談 「坂戸佐々木農園から」――― 佐々木 宏三 その8


季節外れの厚さが襲ってきました。先日5月26日隣町の埼玉県鳩山町では今年日本最高気温35,8度を記録、(その隣が日本最
高気温を記録した熊谷市2018年7月23日、41,1度)
日中の農作業は危険なので、ポケットラジオを聴きながらの早朝作業です。
あさ5時ごろから7時頃までの清々しい空気の中での作業で気持ちのいい時間です。
NHK朝の番組【今日は何の日】で5月24日はチリ地震津波が襲来した日ですとの放送。
私はその津波に遭遇したのです。1960年(昭和35)5月24日のことです。
当時私は浪人の身で、仙石線(石巻~仙台)の一番電車で仙台の予備校に行く途中でした。午前5時すぎ、東塩釜駅に到着停車
中に
車掌の【津波だ!!逃げろ!!】の声に急き立てられ、小高い丘に逃げ難を逃れました。
その後、丘伝いに歩き本塩釜駅に着いたその時津波第二波が押し寄せてきて、ホームが冠水、自分も膝下まで水没するも何とか
無事。
切迫した身の危険は感じなかったもののその時の真っ黒なヘドロの津波。脳裏から離れませんでした。
3.11の時、映像とはいえまたあの真っ黒なヘドロの津波を見てしまいました。
私の故郷は以前にもご紹介しましたが3.11で甚大な被害を被った宮城県東松島市です。あのような天災が起きないよう願うばか
りです。
 さて、話題が逸れてしまいました。農園の話に戻しましょう。
いま、農園は花盛りです。華やかなお花畑ではありません。
卵パックで芽吹いたトマトや衣装ケースで育ったスイカなどが5月初め畑に移植その後スクスクと成長、花を咲かせるまでになりま
した。
夏野菜の花は地味で小っちゃい花です。見たことのない方もいらっしゃると思いますのでご紹介いたしましょう。
この花が受粉しスイカは45日後(7月15日頃)収穫の予定です。

枝豆 茄子 きゅうり
     
 スイカ  ミニトマト  





私の「フォト五七五」 水無月 二題     牧 虎彦 






私の写真いちおし  「栄光を偲びて」       山下 勝治












1.撮影場所  横浜 山下公園

2.撮影日時  2019年4月15日

3.コメント  横浜で開催中のガーデンネックレス
        横浜2019で山下公園に花の撮影に
        行きました。しかし現場でより魅力的
        な氷川丸に出会うことができました。



魅力ある水彩画その2 ーーー 原田 祐夫 ーーー

河津川の桜














コメント
  ソメイヨシノより二か月以上も早く
  咲く河津桜は赤味がとても濃い桜
  です。春の訪れをいち早く告げる
  ためでしょうか?


リレー放談 「坂戸佐々木農園から」――― 佐々木 宏三 その7


【平成時代はあと残り何日】が日本中の枕詞の毎日。
そして史上初の10連休がスタートしました。
でも待てよ?この私は15年連休ですよ!!10連休ごときで騒ぐな!! 
 さて、わが農園も忙しくなってきました。
冬野菜の残菜処分、春野菜、夏野菜のための畑地の準備。そして種まき、育苗です。
 野菜苗は先月紹介の(にわとり作戦)、(卵パック作戦)などのテクニックを駆使して育てました。
トマト、スイカ、カボチャなどは写真のとおりで、ゴールデンウイーク中に畑に植え付けです。
さて、使った種は市販品だけでなく昨収穫した野菜から採取したものも使いました。
また、トマトの一種類は昨年レストランで供された【ジャンボアイコ】という卵型の大型ミニトマトから採取したものを播種、
見事に発芽しました。この夏にはジャンボなアイコが収穫できるかな?
また、スーパーで買ったニュージーランド産のカボチャの種も育てています。成果は7~8月にはご報告いたします。
 写真のジャガイモはメークイン種です。種類によって葉の形が違います。
 アスパラガスも芽吹いてきました。アスパラガスは漢字では龍髭菜と書くのだそうで穂先が龍の髭に見えるのでしょう。
現在はほとんどグリーンアスパラで食されていますが、ホワイトアスパラもあり、土寄せして日光に当たらないように育てたものです。
思い起こせば、30,40年前、ホワイトアスパラの缶詰を酒のアテにしてにして酒屋の店先で立ち飲み(タチキャバという)したものです。
アスパラでもう一つ忘れられないのが【株式会社ギンビス】のアスパラビスケットです。
アスパラの穂先を模した模様のついた棒状のビスケットのロングセラー商品でいまでも根強い人気のあるおやつ。
若かりし頃、山本隆さんとマーガリン、ショートニングを売り込むべくアタックするも念願叶わなかったと記憶しています。

トマト、カボチャ、スイカ、オクラ、トウモロコシ スイカ
 ジャガイモ  アスパラガス


私の「フォト五七五」 五月 二題ーーー 牧 虎彦




第10回食品OB会「みんな元気かい」に参加してーーー 川上 厚 ーーー

去る329(金曜日)に四ツ谷クラブにおいて21名参加のもと、第10回目の食品事業部OB会が開催されました。10年ひと昔と申しますが、あっというまにこの日がきたように感じられます。

10年前、山本さん、佐々木さんが発起人となり、林会長の命名で「みんな元気かい」としてスタートしました。食品事業部ではもともと八幡さん中心に発足した鐘油会が毎年大阪で開催されていましたが、東京からの参加者には時間、費用ともに負担となっていました。これらを解消すべく、食品の東京にちょっとでも在籍したことのある人はすべて会員として、OB会を旗揚げし毎年3月に開催してきました。

今回は大阪より、児島さん・伊藤さんの両先輩、現役からは薄田GL・販社の古長社長もご参加いただき、また現役を続けている若手技術者も参加され、大変盛り上がった会になりました。

佐藤事務局長(司会)、土屋事務局)のスタッフで北山代表幹事からの挨拶で始まりました。皆様より差し入れのあった日本酒5本とワインはあっというまになくなり、クラブの酒を追加する羽目に。当社の新製品カフェオレとチャンポンする人もあり、まさに食品らしい場面でした。出席者皆様から近況報告をいただき、特に遠来の児島さんからは大阪の鐘油会の状況報告と過去開催の集合写真の披露がありました。

今回、女性はお二人の参加と少しさびしかったですが、本杉さんの中締めで来年も「みんな元気かい」を合言葉に集まることを期してお開きとなりました。



魅力ある水彩画その1ーーー 原田祐夫 ーーー

サイロのある風景

 
 

なぜ水彩画を描くのか?

絵を描くきっかけはごく単純なことでした。仕事をリタイアーしてしばらくたったある日、NHKの「趣味悠々」で水彩画風景スケッチの講座が放送されていました。偶然見た番組だったのですが、あのように絵が描けたら楽しいだろうなと感じたのです。

その時はそれだけの話だったのですが、それから二カ月ほどしたある日、新聞の折り込み広告に“水彩画講座”のお知らせが入っていました。近くの多摩美大を会場にして初心者向けと謳った講座です。まったくの初心者に取り新たな趣味を習うというのはなかなか敷居が高いものですが、その講師があのNHK講座の野村重在先生と気づき、俄然興味がわいてきました。

H189月講習スタートです。絵具・筆・パレットなど道具一式を当日渡され、野村先生が10人ほどの受講者の前で手本のデモンストレーションしてくれる。上高地の絵だったと記憶しているが、目の前で進められる鉛筆のスケッチ、着彩とどれをとっても手品としか思えない鮮やかさでした。その日から五回にわたって建物の描き方、木の描き方、山や海の描き方などベーシックな知識を教えていただいたのがすべての始まりでした。優しく親切な先生でした。

それから時々道具を出しては好き勝手に絵を描いてましたが、いまいちレベルは上がりませんでした。  他人の絵を見て刺激を受け、勉強しようと殊勝なことを考えたのは一年後のことです。偶々、府中を中心に活動する「武蔵野スケッチ同好会」の作品展に出会い、世の中にはうまい絵を描く人がいるものだと思いました。そしてH19の春にこの会に参加させていただき、今日まで続いています。年間8090枚とたくさんの水彩画を描いてきました。

この趣味を通じて、たくさんの友人が出来たことは、この歳になっては全く夢のようなことです。スケッチ例会の後、軽く一杯で反省会をしたり、泊まりがけのスケッチ旅行をしたりと楽しんでいます。

 “趣味で描く絵は他人の評価など気にしなくていい。自分が楽しければそれで十分だ。そのうえ前回より今回の方がうまく描ければ嬉しいし、思い通りに描けた時の喜びは大きい。” あるプロ画家の言葉ですが、その言葉を胸に刻みこれからも楽しんでいきたいと考えています。   以上




私の「フォト五七五」 卯月 二題ーーー 牧 虎彦


   
   


リレー放談 「坂戸佐々木農園から」――― 佐々木 宏三 その6

春よ来い、早く来い。待ち望んでいた春がやってきました。さあ~、今年も菜園楽しむぞ~。
3月は、種まき、育苗の作業がメインでした。
ブロッコリー、オクラ、スイカ、メロン、カボチャ、トマトの種を育苗ポットに播き、衣裳ケースを温室代わりにして、
ベランダで大事に育てています。5月の連休前後に畑に移植するのです。
 ここで、育苗テクニックを披露
その1
にわとり作戦 オクラの種などは硬い殻に覆われていますので発芽しにくいのです。
そこで、濡らしたキッチンペーパーで種を包み、ポリ袋にいれて、胸ポッケットに忍ばせます。
夜もパジャマのポケットに。2昼夜くらい抱くと発芽。これを育苗ポットに移して育苗します。(写真1)
その2
卵パック育苗作戦 トマトなど種の小さいものは、空の卵パックの片方に土を入れ種を一粒播き土をかけ、
片方ほ被せるとミニ温室になる。場所を取らないので何処でも育苗ができて便利です。苗がパックに収まら
なくなったら
育苗ポットに移植してさらに育てます 。(写真2)
 所で種子が大変です!!。
野菜(野菜だけではありません)の種子がほとんどすべて外国産なのです。いかにも日本の野菜小松菜は
イタリヤ、宮重大根もイタリヤ
でんすけすいか(黒いスイカ)はインド、オクラはフィリピン、ニンジンは
ニュージーランド、トマトはもちろんイタリアと思いきやタイ、インドでした。
埼玉県比企郡地区(我が農園の所在地坂戸市も含まれる。)の特産野菜として古くから栽培されている
【のらぼう菜】というのがあります。
スーパーなどには出回らず、地域の農産物直売所で売っている程度ですが、
癖のない味で、おひたしのどでよく食べられています。
名前の由来はわかりませんが野良に茫茫にと生えてくる菜っ葉の意味かと勝手に想像しています。
この埼玉の一地区でしか栽培されていない?やさいの種までななんとイタリア。(写真3)
日本は農地が狭く細切れなので隣の花粉が飛んできて交雑が起こるので、条件の良い外国で採取するのです。
ただし、見つけました日本産を。枝豆用大豆(北海道)これは遺伝子組み換え品種との隔絶を意図したものか?
もう一つブロッコリーは長崎県産でした。ブロッコリーは日本の種子メーカーが全世界のに流行らせた作物なので
その知的財産権保全のために国内生産をしているのでは?とも考えてみました。長崎県の絶海の孤島でしょうね。
 長くなりました。今月はこの辺で。4月は育てた苗の畑への植え付けです。



私のフォト575 季節の短信2019-4     藤井 正克


   


私の写真いちおし  「黄金色の刻」       山下 勝治

 
 





撮影地:習志野市 谷津干潟

撮影月日: 2019年38

コメント:谷津干潟は首都圏に残された数少ない干潟です。

今回はセイタカシギを狙って撮りに行きました。

黄金色に耀く干潟の鳥を撮影することが出来ました。
 


リレー放談 「坂戸佐々木農園から」―――佐々木 宏三 その5

さて、2月は土つくりの基本材料である堆肥(腐葉土)つくりに勤しみなした。
公園、並木道の落ち葉を集め、米ぬか、菜種かす、古い腐葉土を交互に重ね適度に水分を含ませて踏み固め寝かせる。
醗酵が進み40~50度まで上昇、その後温度が下がってきたら上下を逆転させて(切り返し)再発酵を促す。
私はこの醗酵熱を利用して苗を育てています。
 食品事業部(今は組織名が変わっている(?))の商品研究所、(株)東京カネカフードがある埼玉県三芳町周辺は、江戸元禄時代、当時川越藩主であった柳沢吉保によって農地開発が進められました。
この開拓地は三富地区(さんとみ、さんとめ)といわれ、今でも上富、中富、下富の住所が使われています。
ここは、整然と農地が区割りされ、畑地、雑木林が同じ面積で交互配置され、雑木林の落ち葉は堆肥として活用し、
循環型農業が営まれています。今は化学肥料も使うでしょうが地割、落ち葉の利用が受け継がれています。
坂戸佐々木農園でも三富式循環型農法に取り組んでいます。
2月の植え付け:ジャガイモ・・・メークインと紅あかり
2月の種まき(育苗開始):スナップえんどう、キャベツ、ブロッコリー、ロメインレタス他
メークイーン植え付け 熟成中堆肥の上での育苗
   
 キャベツの育苗  コンポスト:生ごみ発酵処理用  



私の「フォト五七五」 弥生 二題ーーー 牧 虎彦






私の写真いちおし  「春を呼ぶ」       山下 勝治










1.撮影場所  北鎌倉

2.撮影月日  2019年2月18日

3.コメント   北鎌倉に春を呼ぶイベント
         “つるし飾りのある街”に
         行ってきました。春が近い
         ことを感じて頂けたら。






昭和47年ミニ同期会に参加してーーー 金井文昭


2月8日に47年入社ミニ同期会が東京駅丸の内、KITTEビル五階の「菜な」でありました。準備をしてもらった池永さん、東京近辺の田中 康克さん、虫賀 富士雄、小池 勇に加え、大阪から来た、松井英行さんや伊奈から原 正章さんが遠方からやってきて大いに盛りあがりました。私はこの会の参加は初めてでとても懐かしく、たのしかったです。料理は野菜、お魚中心で老人にやさしいものでしたが、若い女性のお客さんも多くて、味も雰囲気も良いお店でした。”





私のフォト575 季節の短信2019-2     藤井 正克





私の写真いちおし  「棚田の初夏?」       山下 勝治










1.撮影場所  東京大井競馬場

2.撮影月日  2019年1月23日

3.コメント   この冬から大井競馬場でイルミ
         ネーションが開催されました。
         早速撮影に行き、撮りました一枚
         です。



私の「フォト五七五」 如月 二題ーーー 牧 虎彦





季節の水彩画 その10---- 中山 宣男

タイトル「冬のスイスアルプス」




私の「フォト五七五」 睦月 二題ーーー 牧 虎彦




リレー放談 「坂戸佐々木農園から」――― 佐々木 宏三 その4


明けましておめでとうございます。
本年も駄文にお付き合いください。
さて、昨年を総括しますと、猛暑、雨不足で夏野菜のトマト、ナス、キュウリ等の収穫期間が短かったこと、
スイカ、カボチャなどが日焼けして外観がよくなかったように思います。
また、私のヘマでスイカの育苗に失敗(根腐れ)し、ホームセンターで購入の苗で栽培したのですが、
実着きが悪く思ったほど収穫できませんでした。
また、台風に見舞われ資材収納庫が吹き飛ばされ修復不能となりました。
また、秋以降は気温の高い日が続き、秋野菜の生育が良すぎて食べきれず、近所にお裾分けするにも、
スーパーでの値段を見るにつけ気が引けてそれもできません。処分もできず困っています。
それはそれとして、今年も自然と付き合い、虫、鳥、獣(狸か、アライグマか、ハクビシンが生息)と付き合い、
そして土と戯れ健康維持増進に励みたいと思います。
さて、正月といえば【お雑煮】ですよね。
【お雑煮】は地方地方によって大きく異なるようです。また家庭毎に受け継がれたその家庭の味があります。
私の生まれ、育った佐々木家のレシピーをご紹介しましょう。
①出汁は焼きハゼ、スルメ、イクラ、ホヤ(殻つきのまま)、シイタケで取ります。
②味付けはしょうゆ味。③具材はダイコン、ニンジンの引き菜(せんぎり)、ズイキ、凍み豆腐そしてセリです。
この具材をたっぷり乗せていただきます。
④お餅は切り餅の焼いたものです。
最近、仙台ではセリ鍋が流行っているようで、セリの根がおいしいとか?
宮城県では昔からセリは欠かせない冬の味覚です。
我が家では、田舎からもち米を送ってもらい、餅をつき、出汁はかしわとシイタケですがそのほかはほぼ
上記と同じです。
 余談ですが、宮城県北部から岩手県南部がはお餅をよく食べる習慣があります。
私も子供のころよりよく食べ、何個食べたなどと競い合った記憶があります。
そんな私ですので、昭和46年に東芝が【もちっ子】なる家庭用餅つき機をを発売、その外装にカネカの
ABS樹脂(カネエース)が採用になったとのニュースがカネカニュース(当時は新聞タイプ)で知り早速購入、
以来四十数年、正月だけでなくお餅を楽しんでいます。
特に6,7,8月には我が農園で収穫の枝豆で作った【ずんだ餅】は格別です。
ついでにお餅のレストランをご紹介いたしましょう。
【有限会社もちべえ】  宮城県大崎市古川福浦1-11-22 TEL0229-24-4848
おすすめメニュー お祝膳  1200円
あんこ、ずんだ、クルミ、納豆、雑煮、大根おろし、お新香などが楽しめます。

今回の写真は
①雑煮用に収穫した大根とニンジン
②霜が降りておいしくなるほうれん草
③私の生家:平成10年頃空撮、明治20年頃建築。幾多の地震、台風、その他風水害に耐え平成22年
 (東日本大震災の前   年)取り壊し。建築以来120余年佐々木の家族を守り続けてくれました。
④怪しい大根 新年号に掲載するのは如何か?と思いましたが、自然が作った造形です。皆さんに見て
  いただきたくてアップしました。
数年前、【逃げる大根】なる写真が話題になりました。皆さん、この大根に何と名づけましょう。
長い駄文となってしまいました。お許しください。
                                                            以上

最後の怪しい大根写真

本来の写真は縦に撮影    
撮影されています。
顔を90度傾けてごらん
ください。
   



私の写真いちおし  「大きくなってごめんね」       山下 勝治






1.撮影場所   横浜みなとみらい

2.撮影時間  2018年12月20日

3.コメント  ドラゴンクエストビルダーズ2の
       スライムが巨大化致しました。
       ご覧あれ。 

私の写真いちおし  「青の幻」       山下 勝治











1.撮影場所  藤沢市江の島

2.撮影月日  2018年11月16日

3.コメント   11月15日は世界糖尿病デーです。
        この日前後に糖尿病に対する啓発
        活動の一つとして、各地の建物が青
        い光で照らされます。自宅から近い
        江の島の塔を撮影してきました。


私のフォト575 季節の短信2018-11     藤井 正克





季節の水彩画 その9---- 中山 宣男

タイトル「イメージ」





リレー放談 「坂戸佐々木農園から」――― 佐々木 宏三 その3 


やっといつもの年の気候ペースになってきたようです。

今年は、かなり気温が高く推移し野菜の生育が良すぎます。値段は例年の半値、スーパーの値段を見るたびに丹精込めて育てた我作物はコスト割れ、全く実利は得られておりません。

わが農園の作物たちも生育ペースを攪乱されています。

冬を越して来春に収穫を楽しみに待っていた作物の『苗』が育ち過ぎています。春キャベツの苗は生育が良すぎ、スナックエンドウは花が咲きました(写真)。これでは寒い冬は越せません。もちろん農園主としては、ヤバイと気づき、追っかけ育苗、キャベツは生育遅れ苗(落ちこぼれ)を再利用でリカバリーは万全です。今の農作業はタマネギの植え付けです。もちろん苗は種から自分が育てたものです。

さて、楽しい収穫です。ジャガイモ(二度芋)の収穫です。今時節の新ジャガは皆に喜ばれています。先月、今月と芋の話です。芋と言うとカロリーが高いと皆さん思いますが、食物繊維、ビタミン、ミネラルなど非常に豊富です。奥さん、娘さんにお伝えください。

自慢の収獲品

ジャガイモ、ブロッコリー、ネギ、ホウレンソウなど。

自慢話はこの辺で。

追加;前号で鴨葱について記述しましたが、鴨葱は鴨が葱を背負ってヒョコヒョコやってくる話ですよね。間違っていました。

何方か鴨をわが農園に届けてください。葱を背負わせてお返しいたします。

以上訂正まで。

花が咲いたエンドウ 二度芋の収穫
 台風から再起の葱  収穫直前  



私の「フォト五七五」 師走 二題ーーー 牧 虎彦




電材OB会を振り返ってーーー 川上 厚 ーーー


電材OB会は2013年外山さんを会長に関東は水野さん、関西は大西さんを部会長に事務局長寺田さんで発足し、今年で東西ともに7年を迎えました。思えばあっという間に過ぎ去ったように思います。東京の世話役をおおせつかり、毎回、乾杯は乾さん、中締めは田中新弥さんとワンパターンで会の進行をやってまいりましたが、昨今はご参加の方が増え20名を超える人数になり四ツ谷クラブの大広間では収容しきれないほどになってきております。現役の事業部長や今も仕事をされている方も午後5時半の開始ということで参加がし易くなっています。また栃木カネカ席の人も遠路参加いただき、同時に社長よりメッセージをいただいて披露しております。

 今年は10/24に開催しましたが、山脇さん、瀬崎さん、菊池さんが初参加で菊池さんはただ一人の女性
参加で華やぎを与えていただきました。
 会では皆様よりメッセージをいただいており、過去の職場の話、健康の話、近況などそれぞれに含蓄のあるご挨拶をいただき、談論風発大変盛り上がっていました。幹事冥利につきるところです。来年から世話役は電材一筋の田中康克さんに交代しますが、10回、15回と続け、益々楽しい会にしていただきたいものです。陰ながら応援します。

 最後に電材という市場の変化が極めて激しい事業部で日夜頑張っている現役の皆さんに、OBも元気で応援していることが伝わればと思うしだいです。









私の「フォト五七五」 霜月 二題ーーー 牧 虎彦




リレー放談 「坂戸佐々木農園から」――― 佐々木 宏三 その2 


急に寒くなってきました。気が付けば暦では霜降をすぎ、そろそろわが農園にも霜の気配です。

そして、焼き芋のおいしい季節となりました。そこで、今回の話題は『芋』と致しましょう。

先ずサツマイモです。9月下旬佐賀、長崎に旅行した時、伊万里の道の駅の売店で『いものつる』なるものが売られていました。

地元の人に『何の芋蔓ですか?』問うと『ただの芋バイ』とのこと。何度聞いても『ただの芋バイ』との返事。しばらくしてああそうか、

この辺では芋はサツマイモのことなんだと気づきました。

私はたべたことはありませんが、戦後の食糧難の時代、諸先輩のなかにはこの芋蔓で空腹をしのいだ方もいらっしゃるのでは?

そう言ば、50数年まえ私がカネカに入社、当時よく出入りしていた高砂のとある寿司屋さんで酒の肴になるもの何かありますかと

お姉さんに声を掛けるると、『子の炊いたんありますよ』と事。?????『何のこと?』と聞くと『鯛ですやん』との返事。この辺ではわざわざ鯛の子と言わなくともいいんだ。(さて、何て言う寿司屋さんでしょうか?)

さて、わが農園では、安納芋、紅はるかの2種類のを栽培しました。この種類は(ネットリ系)の品種で最近人気の品種です。

春3月下旬、スーパーで食用に売っている芋を買い求め、堆肥(落ち葉を拾い自家製で堆肥、腐葉土を作っています。)の発酵熱を利用して苗を育て、6月に苗を植え付けて育てました。

サツマイモはあまり肥料は必要なく、逆に肥沃な畑では(蔓ボケ)と言って蔓だけが繁り芋ができない現象が起こります。

我農園では写真のようなものが収穫出来ました。早速、てんぷら、焼き芋にして楽しんでいます。

埼玉県川越は昔からサツマイモの産地で『九里(栗)より美味い十三里(サツマイモ)』と言われたそうです。川越は江戸から十三里の位置にあるのです。

今でも、川越の土産品にはサツマイモを使ったものが多くあります。また、芋料理店『いも繕』というお店 (川越市小室15-1 049-243-8551)があり、いも尽くしの『いも懐石』がおすすめです。

もうひとつのいもはジャガイモです。

ジャガイモは通常3月に種芋を植え付け7月ころ収穫するのですが、わが農園では二期作(年に2度同じ作物を栽培すること。

2種類の作物を栽培することを二毛作と言います)で、9月にも植え付けました。11月に収穫予定です。いま10月24日現在花が咲いています。

11月中旬には今年2回目の新じゃがが食べれます。

小生の育った宮城ではお年寄りの方はジャガイモとは言わず『にどいも=二度芋)』と言っていました。

台風24号では農具、肥料などを保管していたテント(自転車置き場用を転用)が風に吹き飛ばされ全壊、修復不能です。

ネギも倒伏しましたが若干の手入れとネギの生命力により復活いたしました。

この冬はネギはあるし、無いものは?鴨です。何方か差し入れてくれませんか?

以上終わり

最後の写真は背景がごみ捨て場のようになっていますが、台風の後片付けができていないので写ってしまいました。
サツマイモとジャガイモ生育中 紅はるか
   
 台風の被害受けたネギ  ジャガイモの花  


季節の水彩画 その8---- 中山 宣男

タイトル「オレンジ」




明治150年大磯への招待ーーー 斎藤直人 ーーー

1.テーマ
  明治改元150年目にあたる今年10月23日を期して国土交通省運営による
  明治記念大磯邸園が開園致します。
  狙いは、
  ①明治以降の近代化の歩みを次世代に遺すこと。
  ②明治の精神に学び、日本の強みを再認識する。
2.大磯邸園開園の目的
  明治期の立憲政治の確立に重要な役割を果たした、伊藤博文、大隈重信、陸奥宗光
  の邸宅を開放し、彼らの歴史的遺品の展示を行う。
 
   以上の狙いの下に見学致します。
   但し、邸宅内の見学は予め予約の必要があり今回は庭園のみとなります。今まで、
   古河電工大磯荘として大隈邸、陸奥邸があり、非公開でしたが、今回見学することができるわけです。
 
3.具体的スケジュール
   開催日             12月9日 日曜日
   待ち合わせ場所・時間    JR大磯駅  午前10時
   昼食              めしや大磯港(横の海のとれとれの魚が食べられる) 先着順 予約不可
   費用              ガイド料 500円  昼食代  約1000円

   その他              雨天決行


私の写真いちおし  「花籠の塔」       山下 勝











1.撮影日時  2018年10月23日

2.撮影場所  東京・日比谷公園

3.コメント   日比谷公園で開催されたガーデ
         ニングショウで美しい花籠が目に
         とまりました。



総務部管理課のOG会に参加して--- 川上 厚


ちょっと曇り空に向けてまっすぐ延びる東京タワーのふもとに8名の女性と2名の男性が集合しました。場所は「とうふ屋うかい」というおしゃれでヘルシーなお店です。全くつながりがあるようには見えないメンバーの集まりでした。

元人事の中野園子(旧姓高橋)さんが世話役となり、当時の総務部管理課(人事と経理、機械計算室が一緒になった組織。部長は杉さん、藤本さん、森戸さん、平井さん、浅野さんなどが在籍)所属のメンバーと昭和48年、49年、50年入社の同期が集まり旧交を温める会であることがわかりました。11年前にも今日のメンバーを中心に15人ほどで塩原さんを囲み懇親会を開催しましたが、今回塩原さんがご逝去され参加されなかったのは大変残念でした。そんなことで、会の冒頭 塩原さんや藤本静さんを偲び全員で黙とうをささげました。 上品なとうふ料理を味わいながら、まるで45年前にタイムスリップしたように昔話に花が咲き、和気藹々楽しい時間を過ごしました。一次会終了後も場所を四ツ谷クラブに移動し、新たに二人のメンバーを加えて盛り上がりました。

改めて同じ釜の飯を食った仲間、同期という絆のOGの皆さんが集まり、カネカという会社を愛する気持ちの強さに感銘を受けました。また近いうちに会おうということでお開きとなりました。
これも天国の塩原さんのお陰です。ご冥福をお祈りいたします。  注:塩原さんは今年5月脳腫瘍のため慶友病院でご逝去されました。享年84歳

             




リレー放談 「私と家庭菜園」――― 佐々木 宏三 その1

佐々木宏三と申します。埼玉県坂戸市在住です。
 川上さんにそそのかされて自由投稿欄に家庭菜園をテーマに投稿することなりました。文才はありませんので実況風に進めてまいりたいと思います。
 先ずは自己紹介。
 宮城県の片田舎の専業農家に1942年生まれ、戦後の貧しい生活、人手不足の中で小、中、高、大学と育った私は、子供のころから農作業を手伝わされてきました。当時小、中学校では田植え休み、稲刈り休みなるものがあったくらいです。
 そんな『お手伝い』の中で見様見真似、学習した経験を思い出しながら家庭菜園を楽しんでいます。菜園は20年ほどの経験がありますが、本気で取り組みだしたてから5年になります。現在の家に引っ越したところ、徒歩3分のところに遊休地があり早速借地して作業開始。菜園は60坪ほどで広すぎますが、体力維持、増進のため、スコップと鍬のみの人力耕作です。
 現在は作物の端境期で、お見せする収穫品はありませんが、菜園では、白菜、キャベツ、ブロッコリー、ネギ、などがスクスクと?育っています。
写真は①夏に収穫した西瓜と愛犬、②観賞用のミニひょうたん?、③オクラの花、④トマトと愛犬 そして農園主の近影をアップしておきました。
第一回はこの辺で失礼いたします。
     


私のフォト575 季節の短信2018-9      藤井 正克





私の写真いちおし  「わ!大きなノコギリだ!」       山下 勝治













1.撮影日時 2018年8月29日

2.撮影場所 東京都品川区

3.コメント  今月から花に限らず、広く今月の
        一枚をお届けします。先ずは、水
        族館での一枚です。




私の「フォト五七五」 神無月 二題          牧 虎彦     






季節の水彩画 その7---- 中山 宣男

タイトル「旬の野菜」





季節の水彩画 その6---- 中山 宣男

タイトル「北欧のヨットハーバー」




私の「フォト五七五」 長月 二題           牧 虎彦



私の写真いちおし  「夏草の譜」       山下 勝治















1.撮影日時  2018年7月16日    

2.撮影場所  横浜 三渓園

3.コメント   今年の夏は暑くて、写真撮影
         どころか外に出る元気も出ません。
         7月早朝に撮りました夏草の影を
         お送り致します。



私と家庭菜園続編――― 川上 厚 


花も実のある人生を送りたいと申しますが、まさに夏野菜は花が咲きそれが実となって食に供すことが多いですね。きゅうり、トマト、ナス、ピーマン、ゴーヤなどなど。花はたくさん咲くのに実にならず落ちてしまう状況が特に多く、何でかなーーーと不思議に思っています。これは受粉の問題即ちおしべとめしべの接触がうまくいっていないため着果しないのでしょうか?どなたかご教授ください。

トマトにはトマトーンという植物ホルモン剤があるようですが今は使っていません。

ゴーヤも畑で栽培していた時はいやになるほど実がついたのですが、家ではなかなか実になりません。実がなっても黄色に変色します。そこで最近は人工授粉をやっみています。すると少し実がなるようになってきました。

 家庭菜園はただ苗を植え、肥料をやり、水をやってもできるというものでありません。なかなか奥深いもののようですので真剣な学習が必要と考える次第です。

実は少ないのですが葉だけは立派な碁やの緑のカーテンの写真を供します。





私の写真いちおし  「食卓はオレンジ色の花」       山下 勝治











1.撮影月日  2018年7月6日

2.撮影場所  鎌倉妙本寺

3.コメント   ノウゼンカズラが咲き誇る鎌倉
         妙本寺へ撮影にゆきました。この日
         は蝶が蜜をもとめて花から花へ飛ん
         でおりました。

私のフォト575 季節の短信2018-6      藤井 正克





季節の水彩画 その5---- 中山 宣男

タイトル「夏野菜」





私の「フォト五七五」 葉月 二題                    牧 虎彦





私と家庭菜園――― 川上 厚 

年々歳々人相似たり、年々歳々野菜同じからず。毎年同じ種類ものでも出来栄えが違い四苦八苦しています。土づくりが悪いのか、苗の選定が悪いのか、はたまた育て方が問題なのか、農家の大変さを改めて思い知らされます。

 さて、私が野菜作りをはじめたのは約20年前に家から車で15分のところに片平楽農クラブという貸し農園ができ、年3万円の会費で間口2m奥行5mぐらいの区画を借り3つぐらいの畝を作って野菜づくりに取り組みました。この貸農園は農家の地主さんが土地を手放すのを知って東京農大を出た人が第三セクターとして始めたものでした。およそ50区画ぐらいあり、土日になると結構にぎわっていました。道具、井戸水、肥料(有料) (有料)支柱(有料)は用意されていました。 それから仕事しながら10年継続して野菜づくりにいそしみましたが、只植えて収穫するだけで勉強もせず野菜づくりのノウハウは何も蓄積されませんでした。これでは会費もドブに捨てているようなものなので、楽農クラブを辞め、我が家の狭庭でほそぼそと栽培し今日に至っています。

 栽培しているものは夏はすべて苗でトマト、ナス、きゅうり、ピーマン、モロヘイヤ、シソ、ゴーヤの定番です。ゴーヤはなかなか実がならず、小さいままで黄色に変色してしまうことに苦労しています。冬は、種からで大根、菊菜、ほうれん草、小松菜。ブロッコリー・白菜・水菜は苗、を植えています。ほうれん草が芽がでて少し大きくなってもすぐ溶けてしまい、なかなかうまく育てられず悔しい思いをしています。

家庭菜園で一番大切なのは土だと思います。その次が間引きのコツでしょうか?一つをりっぱに育てるために多くの犠牲がいるということを教えてもらいました。

トマトの脇芽を取り、茎を支柱に縛る時の青臭い匂いを嗅ぐ時が至福の時です。色々な趣味にトライしてきましたが、野菜は寡黙、家庭菜園が一番性に合っているようです。





私の「フォト五七五」 文月 二題                    牧 虎彦


季節の水彩画 その4---- 中山 宣男

タイトル「Florenceの市場」




私の写真いちおし  「匂うが如き紅の花」       山下 勝治




1.撮影場所  横浜市戸塚区

2.撮影日   2018年6月9日

3.コメント   アジサイの季節となり、近所の花を
         撮りに行きました。
         そこでザクロ、八重のザクロの花に
         出会うことが出来、急遽切り替え撮り
         ましたのが今回の写真です。
         匂いはしませんが何か良い香りが出て
         いる気がしました。


私と俳句――― 川上 厚 


木曜日19時からのTBSプレバトが人気を呼んでいる。夏井いつき先生の一刀両断には的確さとユーモアがあり、俳句を茶の間に近づけた功績は大で、作ってみようと思われる方も増えたのでは推察します。

今から5年前の平成254月に地元で俳句の区民講座があり、それに参加して俳句の基本をならい講師の主催するさざなみ三水会に入ることになった。三水会は毎月第三水曜日に開催されることから命名されたとのこと。平均年齢は77歳ぐらい男女半々の句会。爾来月一回の句会に参加しているがその投句のためにだけ作句している状況で一向に上達しません。俳句に取り組む姿勢に本気度が欠けていると自省のこの頃です。

 そもそも講座を受けるきっかけは私の親父が在職中より俳句をやっており、家にはホトトギスや玉藻などの俳句雑誌が散乱していた。子羊会と称して年配の女性だけを家に集め句会を主催したり吟行に興じていた。また、芦屋の高浜年男さん(高浜虚子の息子)の句会にも参加していたようです。そんな影響もあってチャレンジしてみようと思ったしだい。

 閑話休題、当山水会では毎月先生より3つのお題(俳句では兼題という)を与えられ、各自5句作句し句会に参加、誰の句かわからないよう筆跡を変え一覧表にします。その一覧表から7句選びます。しかもその中で一番いいと思った句を天将とします。この時間が約40分ですが私にとっては毎回苦行の時間帯となっています。選ぶことの難しさは筆舌につくしがたいです。そのあとは順番に自分が選んだ7句を発表し各句の点数を集計します。

 さて、6/13の句会は兼題が虹、青簾、夏の蝶。参加人数男女半々の14人。私の投句

    青簾 赤子の寝息 安らかに  4票 赤子は使わない。熱睡児(うまいご)
    碁敵きの 打つ音響く 青簾  5票 先生の選 2人が天
    歴史的 会談終えて 虹の橋  2票 6/12は米朝会談あったので・・・     山間を 色気振りまき 揚羽蝶  0
   七色の 虹の彼方に 白き富士  0   典型的な絵葉書的俳句

この日の6票でトップになった句は「退院日 告げられ窓に 夕の虹」でした。

トータル11票もいただいたのは初めてのことでその夜は祝杯をあげました。

俳句は世界で一番短いポエムといわれています。「俳諧師見てきたような嘘を言い」ではないが頭で作り上げ受けると思った句は以外に評価されません。やはり自分自身の体験にもとづいた句作りが大切と感じました。そのためには現場に出かけ好奇心、観察力を養うことが大切と思いました。また、句づくりは突然にひらめく時がありますので絶えずメモ(かっこよくは句帳)と鉛筆の携帯が必要と思います。これからいつまで凡人の句を作り続けることになるのでしょう。








タイチェンマイからのメッセージNO10ーー 土田祥雄 ーーー

みなさんこんにちは。チェンマイ在住の土田です。
こちらに住んでちょうど1年が経ちました。当初こちらに住んだ理由として以下を挙げていました。
①暖かい気候②物価が安い③人が優しい④ゴルフ場が安い⑤生活がのんびりしている⑥美人が多い⑦治安が良い。
今回はその総括をしたいと思います。
最大の理由のゴルフ代は、既報の通り夫婦で月間20ラウンドして10万円程度。チェンマイの人は優しくて面倒見が良く
生活リズムも至ってのんびりしています。せっかちな日本人も必然的にそのリズムに合わせられてきます。
映画「三丁目の夕日」の背景になっている昭和30年代の人の優しさを当地の生活の中で感じることが多いです。
治安は至って良く夜の街を歩いていても安心です。タクシーやレストランでもとても優しく対応してくれます。
美人は個人の感覚ですので何ともいえませんが、普段の生活では少なくとも頻繁に見かけることはありませんね。
マイナスポイントは唯一、車の運転でルール無視が多く日本よりも気を使うことくらいでしょうか。
このように、私たちのチェンマイ移住は当初の想定通り経過しました。最近は移住、ロングステイを検討されている
日本の知人の方々への情報提供もさせていただいています。当地での日本人、タイ人の知り合いの輪も広がっています。
みなさんも、バンコクではなく機会がありましたら是非チェンマイに遊びにいらしてください。
それでは、サワディ カップ。コックプン カップ。
   


私のフォト575 季節の短信2018-6      藤井 正克 




私の写真いちおし  「空からのハンカチーフが」       山下 勝治












1.撮影日時   2018年4月13日

2.撮影場所   東京新宿御苑

3.コメント   例年なら連休中に咲くハンカチの木の花が
         今年は早く、何と4月中旬に咲きました。
         ハンカチに見えるのは苞であり花は真ん中
         の少し黒い部分です。



季節の水彩画 その3---- 中山 宣男

タイトル 「6月のCotswols」




私の「フォト五七五」 水無月 二題                    牧 虎彦





私の「フォト五七五」 皐月 二題                    牧 虎彦




季節の水彩画 その2---- 中山 宣男

タイトル 「早めの庭の紫陽花」




タイチェンマイからのメッセージNO9ーー 土田祥雄 ーーー




皆さん、こんにちは。チェンマイ在住の土田です。
今回は当地の医療事情についてのご報告です。
当然チェンマイにも病院、クリニックは多数存在します。総合病院は国立チェンマイ大学の医学部付属病院を
はじめ複数存在します。その中でも日本人がよく利用する病院は、チェンマイラム病院、バンコク病院チェンマイ、
ラジャベー病院、ランナー病院などの私立の病院です。ここには日本人スタッフあるいはタイ人通訳が常駐し
すべてのサービスの面倒を見ていただけます。診療費の支払いは、多くの場合はクレジットカードのキャッシュ
レス対応です。つまりクレジットカードに付帯している海外旅行傷害保険を利用する場合が多いようです。
勿論当地の医療保険に別途加入している方もいらっしゃいます。幸い私たちは、風邪もひいたことが無いので
当地の病院のお世話になったことは一度も無いのですが、クレジットカードの付帯保険である程度の安心感を
得ています。医療レベルですが、アメリカや日本等での留学経験のある専門医も多く心配はいらないようです。
費用面ですが、外来診療は日本より安いことが多いようです。入院が必要な場合は高級な個室が用意され
かなり費用がかかるようですが、保険対象となると一番高い部屋が用意されるようです。
あとこちらに来て驚いたのは薬です。私は10年以上病院で処方される薬(4剤)を飲み続けていて、
こちらに来るときも半年分の薬を持参しました。その後当地で同一の薬を入手する必要があったのですが、
何と4剤とも町の薬局で、しかも処方箋無しで入手できております。因みに薬の価格は日本に比べて
当然安いです。私たちも当地に住んでもうすぐ1年になろうとしています。先日、妻がラム病院で健康診断を
受けてきました。人間ドックレベルの内容で、日本で受けるより相当お値打ちな料金でした。私は更に安い
ランナー病院で受信しました。
写真はラム病院とその検診施設、ランナー病院、4月13日からのソンクランの様子です。



私の写真いちおし  「新緑の輝き」       山下 勝治












1.撮影日時   2018年4月9日

2.撮影場所   八王子市 多摩森林科学園

3.コメント    今年は桜をはじめ花の咲くのが早く
          あっと言う間に撮影の機会を逃しそうに
          なりました。何とか桜保存林に行き桜を
          撮って来ましたが、新緑がとても綺麗
          だったので新緑の写真と致しました。



季節の水彩画 その1---- 中山 宣男

今月より中山宣男氏の水彩画を掲載いたします。
絵画を写真に撮っていただき提供していただきました。
現物の絵画の良さがどれほど反映されるか分かりませんが初めての試みです。
スケッチの鮮やかさと色彩感覚を楽しんでいただければと思います。
掲載の仕方にご助言あればよろしくお願いいたします。 
 

今回の会画について

 題名   「那須連山と桜」  
 絵の具  主に色鉛筆
 桜     里桜
中山さんの経歴 
  昭和44年入社 主に化成、電材事業部でご活躍   
  絵画は水彩画中心で約20年のキャリア
  過去毎日新聞の日曜版にイラスト掲載
  カネカ本社の絵画部に所属
  現在、那須に在住 那須の3文絵師と自称 
 モットー

  <絵は上手くても下手でも絵は絵>



タイチェンマイからのメッセージNO8ーー 土田祥雄 ーーー



皆さんこんにちは、チェンマイ在住の土田です。
日本は桜の季節ですね。当地は一年で一番暑いシーズンになっています。でも湿度が高くないので日本の夏よりははるかに過ごしやすいです。4月はタイの正月・ソンクラーンがあります。日本では水掛祭りで知られています。
こちらに来てもうすぐ一年になろうとしていますが、相変わらずストレスフリーののんびり生活が続いています。
さて、今月は最近の一ヶ月の平均的な生活費をご紹介します。(現行レート:1バーツ=3.3円) 家賃25,000B、食費12,500B、ゴルフ代27,000B、電気・水道1,200B、通信700B、ガソリン代1,500B、雑費1,500B。 合計69,400バーツ、現在のレートで約23万円くらいになります。ここ数年の為替レートでは、今のレートはあまりよくないので個人的にはもう少し円高になってくれるとありがたいと思っています。
住まいは日本人のリタイア組の方々の中では高めのところに住んでいます。食費は半分以上が外食ですが、比較的地元の人たちが利用する中程度の食堂が多いです。妻とはもう少し高級なところに行っても良さそうだと話しています。
ゴルフは夫婦でそれぞれ20ラウンド程度をこなしています。移住当初から如何に安くゴルフをするかが課題でしたので想定通りといって良いでしょう。
例年1月、2月を中心に日本から2ヶ月程度の滞在者が多くいらっしゃいます。その方々も帰国され、これから年末まではのんびりゴルフを満喫できそうです。3月後半からはゴルフ場もビジターが極端に少なくなるので、どのコースも割引の料金設定になります。これからは少し足を伸ばしてゴルフツアーにでも行こうかと考えております。
写真は私たちがよく行くレストラン・食堂です。ぼぼオープンエアーのところばかりですね。
   




私の写真いちおし  「早春の庭を飾る」       山下 勝治





1.撮影日時  2018.3.7

2.撮影場所  新宿御苑

3.コメント  早春の草花は余りありません。
        少し地味な花ですが、早春の
        庭を飾るクリスマスローズを
        撮影しました。



私の「フォト五七五」 卯月 二題                    牧 虎彦







タイチェンマイからのメッセージNO7ーー 土田祥雄 ーーー


みなさんこんにちは、チェンマイ在住の土田です。
こちらに住んで9ヶ月が経ちました。暮らしにも慣れて、タイ語も少し話せるようになってきました。
ゴルフ場、レストラン、買い物ではほとんど苦労することがなくなりました。
さて、今月は近況報告です。
1.コンドミニアムを引っ越しました。
従来は町から20分程のゴルフ場に隣接したところにいましたが、近くにスーパー、レストランがなく不便でした。
契約が切れるタイミングで街中のコンドミニアムに引っ越しました。町を流れるピン川沿いの高層コンドの10階です。
対岸にはアメリカ領事館、市庁舎があり、日本企業の駐在員も何人か住んでいらっしゃいます。
普段の買い物は便利になり、外食するレストラン、食堂の選択肢も格段に多くなりました。
家賃は少し上がりましたがゴルフ場への通勤時間は変わらず、今まで以上に快適な生活環境になりました。
2.タイの運転免許を取得しました。
今まで国際免許を使っていましたが、この3月で失効するためタイの免許証に切り替えることにしました。
タイの陸運局に行って書類手続きだけで切り替えができました。タイの免許があれば長期滞在者として公共施設やゴルフ場が割引となるメリットがあります。新規取得時は2年有効で、次回更新から5年有効になります。

3.花祭りがありました。
チェンマイでは一年中多くのイベントがありますが、2月2日から4日に町の中心で花祭りが開催されました。
1月には更に北のチェンライで花祭りが先行開催され、私たちも以前に2度見物に行きましたが、チェンマイでは今回が初めてです。タイでは年中何かしらの花が咲いていますが、盛大でとてもきれいでした。

4.春節の風景
タイには中華系のタイ人が多くいます。チェンマイにも小さいですがチャイナタウンがあります。2月の春節の時期にはそこでイベントが行われて賑わっていました。
写真は新居、タイの免許証、花祭り、チャイナタウン春節の様子です。

   



私の「フォト五七五」 弥生 二題                    牧 虎彦




今年は「大磯の年」の予感ーーーー 斎藤直人


今年は、明治維新から150年の節目にあたります。政府はそれを記念して「明治150年」
関連の施策を実施するようです。
そのなかで、「明治期の立憲政治の確立等に貢献した先人の業績等を次世代に遺す」
取り組みとして神奈川県大磯町にある旧伊藤博文邸等を中心とするエリアを、
「明治記念大磯邸園(仮称)」として整備することが2017.11.21の閣議決定されました。
大磯は昨年4月吉田邸が開館して、この12月ですでに9万人の入館者を記録しています。
今年10月には、上記「明治記念大磯邸園」が公開予定ですので、まさに「大磯の年」となる
でしょう。
是非そのときに鐘華会のメンバーも来ていただく計画を建てられたらと考えております。
まだ不確定が部分もありますので、さらに詳細な情報がわかりましたら別途ご連絡致します。
 
    明治記念大磯邸園の概要
     1.伊藤博文邸の整備   H29年度補正予算にて購入した
     2.大隈重信邸       国が購入を計画中
       陸奥宗光邸
     3.旧西園寺公望邸    不明
       池田成彬邸
 
     本年10月に上記一部の区域を公開する計画



私の写真いちおし  「春近し まんず咲く」       山下 勝治













1.撮影日時  2018.2.7

2.撮影場所 鎌倉市 明月院

3.コメント  立春が過ぎたとは言えまだまだ
      寒い日が続きます。その寒い中で
      春の訪れが近いことを告げる万作
      を撮影しました。



私の写真いちおし  「冬の簪」       山下 勝治






1.撮影月日  2018年1月19日

2.撮影場所  新宿御苑

3.コメント   冬は花が少ない季節ですが
         新宿御苑には水仙、椿などの
         花が有ります。今回の水仙は
         ベーバーホワイトと言う美しい
         品種です。 





タイチェンマイからのメッセージNO6ーーー 土田祥雄 ーーー


こんにちは、チェンマイ在住の土田です。
今回は、当地の移動手段についての情報です。こちらは日本のように公共交通機関がほぼありません。
勿論、鉄道、地下鉄はありませんし、バスもほとんど役に立ちません。また、バンコクのようにメータータクシーがほとんどいません。
市民の足はソンテウという乗り合いバスです。これはトラックの荷台に屋根と座席をつけたようなものです。
乗り方は、手を上げて運転手に行きたい場所を告げてOKなら乗車可能になります。料金は一律30バーツで下りるときに支払います。
当然乗り合いですので、先に乗っているお客さんの行き先と方向が違っていると乗車拒否されます。
町の地理が分かっていないと、利用するのは難しいかもしれませんね。私たちも飲みに出かけるときは、よく利用します。
あとは主に観光客の足となっているトゥクトゥクという三輪車です。これは乗る前に運転手と値段交渉です。中には割高に言われるときがありますが
相場が分かっていると安心です。観光で訪れていた頃はよく利用したものです。
現在の私たちの足は車になります。10年前に比べると格段に台数が増えました。しかも新しい車が増えてタイの生活レベルも上がってきたなと感じます。
車の値段は日本に比べるとかなり割高になります。トヨタ、ホンダ、日産、マツダ、スズキの現地生産車が9割を占めます。例えばホンダ・フィットは約70万
バーツ(現行レートで230万円)です。ドイツ車などは関税が掛かって日本の3倍近い価格になります。因みに私はトヨタのセダンを新車で購入しました。
日本人移住者の多くが乗っている大衆車です。ゴルフバックも4個積めます。新車の車検は7年ありませんし、税金、ガソリン代、保険料も日本に比べると格安です。タイでは昔の日本のように車が一種のステータスとなっています。タイ人からは、日本人は金があるのに何故大衆車に乗るのかと思われているようです。とかくタイ人は見栄っ張りなのですね。
(写真はソンテウ、トゥクトゥク、私の車です。)
   
          



私の「フォト五七五」 如月 二題                    牧 虎彦








私の「フォト五七五」 睦月二題                    牧 虎彦



タイチェンマイからのメッセージNO5ーーー 土田祥雄 ーーー


皆さん、あけましておめでとうございます。
と言いましても、こちらチェンマイではお正月気分は全くなく年越しのイベントだけが深夜まで賑やかに行われました。
さて、今回は視点を変えて、チェンマイ美人に関する考察です。(写真は美人コンテストの参加者)
タイの中でも古都チェンマイは美人の産地として名高く、色白でスタイルの良い女性が多く見受けられます。
タイ王国は多民族国家です。各民族の比率はタイ族75%、中華系15%、北部少数民族数%、その他となります。
また、地域によって構成する民族が異なります。中央部はタイ族、華人が多く、南部はマレー系、東北部はイサーン系がそれぞれ多く住んでいます。北部チェンマイは地理的にミャンマー、ラオス、中国南部と隣接しているため、かなり血が混じった結果、女性は美人が多いのではと言われています。タイ人の男性の女性観を聞くと、みな一様に何は無くとも色白と答えが返ってきます。確かにチェンマイの女性は、例えばマレー系の女性と比べると色白の女性が多いと感じます。
また、地方ならではののんびりした環境もあって、概して皆さん人当たりがよく穏やかな性格の女性が多いように感じます。
日本人の知人でタイ人の奥様と結婚された方が数人いらっしゃいますが、皆さんそんなことは無いと口をそろえておっしゃいます。
案外、外面だけなのかもしれませんね。そう言えば、インラック前首相もチェンマイ出身でした。
また、こちらに来て驚いたのは、韓国ほどではないと思いますが整形クリニックが多いことです。大きなショッピングセンターには必ず複数の整形クリニックが入っています。(写真)これが美人の多い理由かどうかは定かではありません。
バンコクでは、昼間からきれいな女性を多く見かけますが北タイ出身の可能性が高いかもしれませんね。
今年も皆様にとって良い年になりますよう、南の地からお祈りいたします。

    



私の写真いちおし  「皇帝の輝き」       山下 勝治










撮影月日  2014年.11月.21日

撮影場所  横浜市戸塚区

コメント   皇帝ダリアは背が高いので
        背景が空となることが多い
        のですが此の処は竹林で
        美しい対比を選ぶことができ
        ました。



私の写真いちおし  「黄金の輝き」       山下 勝治













1.撮影月日  2015年12月9日

2.撮影場所  東京 新宿御苑

3.コメント   黄金に輝く新宿御苑の公孫樹を
         NTTのビルを背景に入れ撮影
         いたしました。



私のコラム NO7ーーー 徳永 徹 


とんからりんの隣組

 「とんとんとんからりんの隣組・・・ 回してちょうだい回覧板 ご飯の炊き方垣根越し 教えられたり教えたり・・・」

昔、こんな歌がはやったものである。その頃の向こう三軒両隣は家族同様、良い意味でお互いを良く知り合った間柄ではあった。 

今でも下町へ行けばこの雰囲気は残っているのかも知れないが、残念ながら東京でのマンション暮らしでは隣の人と会話することも無く、顔さえ覚えが無いものである。淋しいかぎりである。マンションの住人が各地からの寄り集まりということもあるだろうし、マンションの催し事での集会や餅つき大会等で出会ってもその時だけでしかない。お互いの仕事・勤務先も、活動する時間帯も異なる。即ち出入りする生活の環境も違うということもあるかも知れないが、これは下町での環境も同じ筈だと思う。

 お隣さんといえば福岡の団地住宅住まいの子供の頃。隣家から泣き叫ぶ十歳の女の子の声・・・これはいつものことだな、と思っていたら、それを叱る男の声!おかしいな?隣の御主人は先日亡くなった筈だがと思っていた。言葉遣いも妙によそよそしい。なんだかおかしい?と庭先から覗くと大変!出刃包丁を持った男が居る!そして猿ぐつわをかまされ手を縛られたお母さん!強盗だ!・・・と、そこへうどん屋の出前のお兄さん!とっさに強盗と対峙!更に異変に気付いた近所の人が駆けつけ、強盗を逮捕!全く束の間の出来事ではあったが、この連携の見事さが妙に今でも鮮明に記憶に残っている。

 それにしても、やはり「ご飯の炊き方垣根越し教えられたり教えたり・・・」の精神は大切にしたいものである。

※テーマ「隣」       

徳永さんのコラムは今回をもって終了いたします。徳永さんありがとうございました。また次の機会にお願いすることにいたします。


私の「フォト五七五」 師走二題                    牧 虎彦







タイチェンマイからのメッセージNO4ーーー 土田祥雄 ーーー


みなさんこんにちは。チェンマイ在住の土田です。
今月は11月3、4日に行われたタイの伝統行事ロイカトーンのご紹介です。
4月のソンクラーン(水掛祭り)とならんでタイの2大行事のひとつです。
ロイカトーンは日本でいう灯篭流しのような行事で毎年11月の満月の夜に行われます。
バナナの茎や葉で作った灯篭を川に流し、水の女神に感謝し自身の災いを洗い流す意味があるようです。
また、北タイではコムローイと呼ばれる熱気球を夜空に上げる風習があり、日本でもよくテレビで映像が流れます。
特にチェンマイではイーペン祭りと呼ばれ、近年は世界から多くの観光客がこのために押し寄せてきます。
私たちも今回初めて見ることができました。コムローイは年越しのイベントでもかなりの数が上げられますが、今回のイーペン祭りの壮大さは想像以上でした。まさに幻想的な夜でした。
日が暮れると、人々は各々の灯篭に火を点しお祈りをしてピン川に流します。一方でコムローイ上げがはじまります。
星の数ほどという表現がありますが、まさにそれ以上の数の熱気球が夜空に上がっていく様子は、初めて目にした人にとっては感動的な映像に映ります。これが深夜まで続きます。
また、二日目の夜にはパレードが開催されます。前日に行われた美人コンテストの入賞者、各国の領事館、地元企業がそれぞれ工夫を凝らした山車が登場し街中をパレードします。
これはタイ版のディズニーランドのエレクトリカルパレードです。我が日本領事館の山車も登場していました。
ロイカトーンはタイ全土で行われますが、特にチェンマイのイーペン祭りは一見の価値があると思いました。
皆様も来年のこの時期にお越しになられたら如何でしょうか。





私の「フォト五七五」 霜月二題                    牧 虎彦





タイチェンマイからのメッセージNO3ーーー 土田祥雄 ーーー


タイ・チェンマイ在住の土田です。
今回は当地の気候と生活についてのご報告です。
タイは熱帯モンスーン気候にあたりますが、チェンマイは北部の山岳地帯に位置し標高は300m強あります。
従って首都バンコクに比べると湿度は低く、朝晩は年中すごし易いといわれます。
11月から5月上旬は乾季、5月下旬から10月までは雨季です。雨季といっても雨が一日中しとしとと降る事はなく夕方から夜間に一瞬スコールがあります。午前中のゴルフの時間帯に雨が降ることは滅多にありません。
平均最高気温は28℃~35℃、最低気温は15℃~24℃。12月、1月が気温が低く、4月前後が最も気温が高くなります。日中は一年中半袖、半ズボンで大丈夫です。
今回初めて雨季のシーズンを体験しましたが、日本の夏に比べると遥かに過ごし易いと思いました。
当地での生活は極めてのんびりした時間が流れています。バンコクから北へ700Km。人口は市周辺で30万人程度です。
日本の地方都市のイメージです。今回は食生活についてご報告したいと思います。
多くのタイ人はあまり料理をしません。必然的に外食店が多くあります。私たちもゴルフ帰りの昼食で時々利用します。
タイ料理が断然安くて選択肢も多いです。一食150円程度で食べることができます。和食、洋食もありますが値段は倍以上で味はそれなりのところが多いです。
タイの特徴で昔からの市場が今でも点在し賑わっています。私たちもここで昼食を取ったり、惣菜を買って夕飯にしています。
当然タイ料理ですが、辛くない料理も多く、安くてよく利用しています。惣菜を3種類くらい買って300円位です。
一般のスーパーマーケットももちろんあります。当然ですが日本と比較すると安いのは当たり前ですね。
最近は和食の材料もかなり入手できますが日本の2~3倍の価格になります。
安くて美味しい店や食料品店の情報は日本人の奥様間で情報共有がされます。最近は食生活で不便を感じることは殆どなくなりました。

写真はスーパーマーケット外観と売り場、市場の惣菜売り場、市場隣接の食堂、市場で買った惣菜の例(2枚)です。



私の写真いちおし  「お花に誘われて」       山下 勝治












1.撮影場所 立川市昭和記念公園

2.撮影日時  2017.9.19

3.黄色コスモスの花に誘われて美しい
 蝶がやってきました。


私のコラム NO6ーーー 徳永 徹


 銀幕の大スタ―たち

 テレビやパソコンの無い時代の我々の年代は、映画館でのスクリーンに活躍するスターは将に憧れの的であった。見事なガン捌きの西部劇のヒーロー、軽やかなステップで唄い踊るミュージカル、そしてギャング映画、海洋活劇等など華やかな世界に魅了されたものである。数え上げれば星の数ほどのスターたちである。

私の生まれ育った福岡と言う街は、当時近くに進駐軍(?)の「板付キャンプ」があった為か外人も多いので、こと映画に関しては東京よりも早くロードショウが幕を切って落とされ全国でも一番早かったとのこと。そしてB級・C級や二回目の上映などの下町の映画館では三本立てが常識であった。この映画館を一日に三館観て回ることもしばしば・・・。楽しい時代であった。    

あの大きな腰にチョロッと引っ掛かっている様なガンベルトのジョン・ウエインやデリカシーな演技とガンファイトのゲーリー・クーパーのウエスタン、ジーン・ケリーの華麗なるステップやフレッド・アステアの最高のタップダンス・ミュージカル等など胸弾ませたものである。先日亡くなった可憐だったデビー・レイノルズも大フアンのスターであった。           

勿論ビデオやDVD等無い時代。唯一楽しみなのは「映画の友」などの月刊誌である。必死に書店で待ち受けては精読するのが楽しみで、切り取ったグラビアからの名場面は部屋中に貼り付けていたものであった。

この映画狂もテレビの時代になって次第に映画館へ足を運ばなくなり、テレビ画面での映画に熱中する様になった。当時はテレビでの映画も多く、懐かしい画面の再現に嬉々としたものである。下手すれば一日中テレビに釘漬けの日も度々あった様に思われる。

そして今はシルベスタ・スターロンやハリソン・フォードの活躍も欠かさずテレビで見ている。やはりスクリーンのスターは永遠に最高である。

※テーマ「スター」 







感動がある旅(鳥取砂丘2017)ーーーー 森下敦美


40年ぶりに鳥取砂丘に行ってきました。東京から山陰へは空路でなく今回姫路から入りました。

新幹線利用でのこのルートが早くて人気のようです。

今は鳥取砂丘美術館や自転車観光など楽しい観光も可能です。1年間 砂と水のみの展示である砂の芸術はある意味感動です。写真の様に作り手のなみなみならぬ努力の結晶です。1年が過ぎれば又砂に戻る儚さもいいですね。

今回正面図と横図の写真を一部ご紹介致します。崩れないような作り手の努力の結晶が感じられます。ぜひ間近で説明を聞きながら感動して下さい。

正面から見ると奥行のある且つ迫力のある馬に見ます。影のつくり方が見事です。 横から見るとなんと細く奥行のない平らな馬なのかと驚きます。作成工程が見えてきます。



私のコラム NO5ーーー 徳永 徹


百円玉の想い出

「地獄の沙汰も金次第」とは良く言ったものである。この世の中、人類の歴史始まって以来、人間の生きる道総てはお金の為。お金によってすべては変わる。歓喜も落胆も憎悪も敵愾心も、戦争も平和も、人類の歴史ある限り今も未来も永遠に続くものである。そして私事も社会的にも全て金次第である。

そんな中で私個人の小さなことだが、やはりお金の重たさには度々まどわされたものである。子供の頃の小遣いはせいぜい十円か二十円の頃。学校の帰り道。公園ではしゃぎまくる子供たちの傍に一片の百円玉!どうしようと思い気をとがめながらも何とか手中に。この時の緊迫感!そして罪悪感は未だ鮮明に脳裏に焼き付いている。そしてこの百円で念願の色鉛筆を買えた歓びも又格別であった。絵を描くことの好きだった自分は、何とか色鉛筆が欲しいものと思っていたが、叔父・叔母に育てられている自分には夢の話であった。そんな時の百円玉!最高!然しまだ、届け出をしなかったことの反省が頭をよぎる。

 後日、やはりまだ若い頃。公園のベンチに忘れ物で二十万円の入ったバッグを拾い、警察へ届け出たが、落とし主が現われずに後日大半が手に入った。この時の桁は違うが、この感動よりもやはり前述の百円玉の印象の方がはるかに鮮明である。 勿論他人ごとではなく自分で大枚を失くしたことは何度もある。

 又、計算違いと言う言葉があるが、一応完全に収支の目途は立てていても、何かの手違いでこれが狂うことはしばしばある様だ。

 若い頃、遊んで回った帰り道。キッチリ計算していた電車賃。五百円の料金に何故か二十円足りない!この為、三時間かけて歩いて帰った苦い経験も、今では想い出の一つである。

 そして又、今日からもお金との闘いは始まる。永遠に・・・。負けずに頑張ろう!

※テーマ「お金」

                    



私の写真いちおし  「光に包まれて」       山下 勝治










1.撮影場所  鎌倉市扇ケ谷

2.撮影日   2017年9月6日

3.コメント   萩は花が小さく絵にしにくい花ですが
         小さな蝶が飛んできてアクセントを付
         けてくれました。


タイチェンマイからのメッセージNO2ーーー 土田祥雄 ーーー


みなさんこんにちは。タイ・チェンマイ在住の土田です。
今回はこちらのゴルフ事情について報告させていただきます。
そもそも当地に移住を決めた最大の理由はゴルフ環境の良さにあります。
市内から車で40分圏内に10箇所以上のコースがあります。
ほとんどがメンバーシップ制のコースです。幾つかはプロトーナメントが開催されるハイレベルのコースもあります。
プレーには一人に必ず一人のキャディさんがつきます。ラウンドは歩き、カートが選択できます。
現在私は3コースのメンバーになっています。
ホームコースはMae Jo Golf Resort です。ここは1年会員で3万バーツ(現レート:1バーツ=約3.3円)でメンバーになれます。
メンバー特典は1ラウンドのグリーンフィーが100バーツになります。キャディフィーは300バーツです。
従って年間何回ラウンドしても1ラウンド千円ちょっとでプレーできる計算になります。(別途キャディチップがあります。)
その他、併設のホテルの無料宿泊券、エステ無料券、レストランの割引券などがもらえました。
ハイレベルのコースのひとつで、この8月にはタイLPGA、タイ国内男子のトーナメントが2週続けて開催されました。
タイのプロ・マークセンも参戦しました。今の自宅から20分、夫婦で週に3,4回のラウンドをこちらでしています。
平日の早朝は日本人、欧米人のロングステイヤーを多く見かけます。私たちも気の会う日本の方々とラウンドさせていただく
ことも多くなりました。また、日本人主催のコンペにも参加させていただいております。
1年を通じてタイは暖かい、暑い気候ですが今は雨季のシーズンです。雨季といっても午前中は晴れていることがほとんどですのでゴルフには逆に良いシーズンかもしれません。実際3ヶ月間ほどゴルフをしましたが、雨に降られたのは2回くらいです。
これからはできる限り長く夫婦で元気にゴルフ生活を送りたいと願っております。
次回は、当地の気候、生活についてご報告したいと思います。



私の「フォト五七五」 神無月二題                    牧 虎彦



タイチェンマイからのメッセージNO1ーーー 土田祥雄 ーーー

今月より、鐘華会東京支部の海外出張所のタイチェンマイに住む土田祥雄氏より何回かに渡り近況を届けていただきます。
彼は今年5月に四ツ谷クラブで東京トーク会の話題提供者として講演していただきました。


みなさんこんにちは。
本年5月に定年退職し当月末にタイ王国チェンマイに移住しました土田祥雄です。
今回は当地のご紹介と家探しについてご報告したいと思います。
チェンマイはタイ王国の歴史の中でも古い町で、1296年にタイ最北のチェンライからここチェンマイに遷都されました。
皆さんよくご存知のバンコクに王朝ができたのが1782年ですので、タイ国内では歴史のある古都になります。
以前からチェンマイには長期、短期を問わずリタイアされた日本人が多く住んでいます。チェンマイ領事館に在留届を出している日本人は三千人を超えています。
何故こんな北の小さな町に多くの外国人が住んでいるのでしょうか。幾つかの理由があるといわれています。
①1年を通して暖かい気候、②物価が安いので年金で豊かに暮らせる、③タイ人は優しいので住んでも安心④ゴルフ場が多く安い、⑤暮らしがのんびりしている、⑥美人が多い、⑦治安が良い、などなど。
理由の信憑性は検証の上、逐次ご報告します。
ところで私が初めて当地を訪れたのは2006年11月です。3泊4日の旅でしたがそのとき以来感じるものがあり、今回の移住までに
20回の短期訪問を繰り返しました。目的のほとんどはゴルフです。ゴルフ事情についての詳細は次回に。

移住の準備には面倒も多いですが、それも経験のひとつ。先ずは家探しです。地元には何件も不動産屋があります。
物件はホームページから検索できます。その中から一軒家、コンドミニアムそれぞれ候補を上げて不動産屋とメールでやり取りをしながら実際に何件かを案内していただきました。
仲介料は物件オーナーが支払います。日本での礼金にあたるものはありません。家具、家電はほとんどの物件で揃っていますので必要なものは生活用品程度です。
現在住んでいるコンドミニアムは町の中心から車で15分から20分程度の郊外にあります。日本式には2LDK(トイレが2箇所)90平米、でかいプールとフィットネスジムとサウナがついてます。ジムとサウナは暑いので使ったことはありません。

とにかくチェンマイでの生活を夫婦でスタートしました。
現在は知り合いの人も何人かできて、週5回ペースで夫婦でゴルフに行っています。
これからも引き続き現地からの報告をさせていただきたいと思います。








土田さんのマンションです。
左から市内を流れるピン川周辺。市内で人気のお粥屋台。山の寺(ワット・ドイ・ステーブ)



私の「フォト五七五」 長月二題                    牧 虎彦



私のコラム NO4ーーー 徳永 徹


私のジャズ遍歴

 私の「ジャズ遍歴」に就いては余りにもエピソードが多く、列挙すれば何頁にもなる。その中を厳選要約して、取敢えず述べてみる事とした。 高校一年生の時、ふとしたことから米軍キャンプでの皿洗いのアルバイトに就く。この大食堂には小さなステージがあり、兵隊達が気儘に唄っていた。いつの日にか私に「唄ってみるかい?」と声を掛けられ、見様見真似で唄ったのがジャズとの出会いの始まり。そしてジョージ・ルイカーと丹下キヨ子の司会する「全国ジャズのど自慢」の常連に。

 やがて入社。滋賀県大津市の工場に配属。ここでも町民のバンドに参加しての活動。当時京都の「外国語学校」へ通っている内、地元の人に紹介されて京都の四條河原町のキャバレーに出演した。その後三年程ナイトクラブ等を四店舗に出演。工場を出る時には詰襟の学生服で門衛の皆さんに送られて出て、一時間後には白い上っ張りを着て「皆様今晩は、ようこそいらっしゃいませ・・・」と続く。

 そんなある日。私は総務・人事の仕事だったので会議には工場長の隣に座らせられるのが定例であった。その工場長が「おい!行ったぞ!」?何のことかと思ったら、昨夜接待を受けて京都へ。その後ナイトクラブ。するとステージに現れたのが私!最初は私に良く似た人が居るものだと思っていたが、やっぱり私!驚いたの何の・・・とのこと!今度は私が驚いた!言語に絶するとはこのことか!

 東京へ転勤となり社内の仲間とのバンドで活動。社内の各イベントや各種会合に出演。大坂へ転勤になってもバンド仲間が上手く揃い、新しいメンバーも加入。ステージ活動は大いに盛り上がった。 退社後再度上京。あちこちの会社を回る。その間、今度は地元の仲間のバンドに加入。今日までもう二十数年の活動。

傘寿に近いこの歳になっても毎月三店舗のクラブに出演していて現在に至る。まだまだ歳には負けない!誇りを持ってステージに立っている。

※テーマ「自由」





私の写真いちおし  「鹿の子の輝き」       山下 勝治



      




 



 1.撮影場所  昭和記念公園

 2.撮影日   2017年8月10日

 3.コメント  昭和記念公園にサギソウを撮りに
         行きました。予想もしていなかった
         美しい鹿の子百合に出会うことが
         できました。








私の写真いちおし  「光に包まれて」       山下 勝治










1.撮影日  2017念7月15日

2.撮影場所  横浜 三渓園

3.コメント   今年も蓮の花が咲く季節になりました。
         葉に囲まれた蓮の花に木漏れ日が
         丁度良い具合に当たっておりました。



私の「フォト五七五」 葉月二題                    牧 虎彦




私のコラム NO3ーーー 徳永 徹 ーーーー


 母のおにぎり

老境入りの真近なこの歳なのに未だにおにぎりにカブリつくのは大好きである。特に一杯飲んだ後のおにぎりは最高だと思う。そしてその時必ず目に浮かぶのは、やはり今は亡き母の面影である。あの戦中・戦後の頃、只ひたすらに握って呉れていた母のおにぎり・・・。特に戦時中我が福岡市でも戦禍は激しく、度重なる集中砲火を浴びてきた。当時小学一年生の私は片道三キロを歩いての通学。途中何度も機銃掃射に見舞われたものである。ある日又敵機来襲。そして機銃掃射!近くの藁小積みに潜り込むも、おにぎりの袋を道路に置き忘れ!慌てて取りに戻る。と、その時機銃掃射の波が押し寄せて中に居た友達の脚に当たり大怪我をした!然し私は無事で、後で食べる時、あたかも母のおにぎりのお蔭とばかりに食べながら感動したものである。
そして空襲により燃え盛る街並みを後に、家財道具満載のリヤカーを押して田舎への避難。その時も又、万一に備えて母が造ったおにぎりを口にする。その時こそ将に束の間の幸せであったことが忘れられない。

更に成長していくと共に、おにぎりへの愛着は深まる。当時は、やはり殆どお弁当はおにぎりの様だった。夫々の家庭の味の充満したおにぎりは、当時は何も感じずに食べたのだが今にして思えばいい味であった。更に成長して親元を離れ遠くへ旅立つ。見知らぬ世界での生活。勿論母のおにぎりとは絶縁となったが、いつになっても思い出しては忘れられない味である。

おにぎりの中には麦めしと梅干が一つだけの淡白なもの。それでも空腹の身には最高の味である。おにぎりの素材は大半は塩まぶしごはんだが、各地で夫々の素材が使われる様だが、やはり地方独自と言うより我が家の味が一番の味だと思う。そしてそこには造って呉れた人の愛情がほんのりのぞく味であろう。最近ではコンビニでも豊富な味のおにぎりが並ぶが、私には同郷の家内のおにぎりの方がベターである。いくつになってもおにぎりの味は忘れられないことであろう。

※テーマ「おにぎり」




私の「フォト五七五」 文月二題                    牧 虎彦



私の写真いちおし  「初夏に耀く」       山下 勝治














1.撮影日  2017年6月20日

2.場所   埼玉県所沢市

3.コメント この時期は例年アジサイを撮っておりまし
       たが、今年は「ゆり」を撮ることと致しました。
       カラーではなくモノクロといたしました。
      



私のコラム NO2ーーー 徳永 徹 ーーーー

仏画・写仏のこころ 

 幼少の頃、母がよく口にしていたのは「この子は紙と鉛筆さえ持たせておけばおとなしい」だった。それ程絵を描くことは大好きであった。勿論、戦前・戦中であったので戦車・軍艦・戦闘機の類を良く描いたものである。 

そして成長してからは水彩・油彩・水墨画・ペン画で風景・静物・肖像から漫画・劇画と、あらゆる絵画を手掛けてきた。

そんな中で平成五年頃、勤務先の絵の好きな社長に新聞のインタビュー記事で「写仏」と言うものを紹介されて初めて知った。早速問い合わせてみると、教室を担当されている先生がたまたま近辺にいらっしゃったので、これ幸いと社長共々会社の休日の会議室を利用して月二回の教室を設定した。今日まで持続して二十有余年。最初は画材などが初めて見るもの聞くものばかりで途惑ったが、何とか慣れて、用紙もA―3位の大きさのものから十号、そして二十号へと進展した。仏画独特の繊細さ、配色の妙、もうすっかり取りつかれた。       

然し一作品を仕上げるのに月二回の教室では約一年を要する。受講中の教室では他の事が一切頭になく只々制作に専念するだけの自分が、他人みたいである。そして仕上った時の快感・満足感、比べるものは他に見当たらない。その作品は総て菩提寺に収納していた。

東京・大阪・神戸等の絵画展、江戸川区の美術展に出展するようになった。お蔭様で夫々最高の好評を賜り、生き甲斐ともなった。今後も更に広範囲の出展を頑張りたいと思っている。

 そして今後は教室だけでなく、自宅ででも制作に勤しみ、仏画・写仏の「こころ」を汲み取り、より上質な作品を目指して努力するつもりである。

※テーマ「自由(任意)」



私のコラム NO1ーーー 徳永 徹 ーーーー

筆者は仏画、ジャズに加え、毎月2回同人雑誌「せせらぎ」に掲載されるコラムの制作に取り組んでおられます。この中より何編かを今月より紹介させていただきます。今月のテーマは「かがみ」です。 オリジナルの原稿はこちら

偉大なる鏡の力

ジョン・ウエインの西部劇。酒場のカウンター。目の前の鏡に映った無頼漢が拳銃を抜こうとするしぐさに振りむきざまの一発!・・・。そしてブルース・リー。十数枚の鏡の間での鉄拳での決闘・・・。素晴らしい!スクリーン上での鏡を使ったアクションは、この2篇が印象に残る。

尤もかがみと言う存在は、余りにも身近であり日常茶飯事で使用しているもので特に感銘は無いが、ジックリ考えてみると数多くの場面で意外と大きな役割を果たしているものである。

その一つに最も親しかった友人が不慮の交通事故で他界した。思い返せば幾度となく激しい議論を戦わせ、又お互いに酒酌み交わしての歓談は楽しいものであった。惜別の情は尽きない。そして止めどなく溢れる涙。後で鏡に映った自分の顔を眺め「これ俺の顔か!」と思うくらいクシャクシャになったのを眺め驚いたのを思い出す。

そしてもう一つ。ピンク・レディーの全盛時代。中学2年生だった妹が、同級生の隣の女の子と組んで、母の三面鏡を前にしてのフリの特訓。あの軽快なリズムとフリがなかなか合わず、毎日の猛特訓。

私もついついひきこまれて、ああだ、こうだとフリの特訓指導をやって半年くらい。そして地域の懇親会でのステージに出演となった。本人たちよりも傍で観ている私の方がハラハラドキドキ。お蔭で「優勝」の栄冠に輝いた!最高!あの感動は今になっても瞼をよぎる。あの時の三面鏡は、今はどうなったんだろう。せっせとフリを行う妹たち。そして傍で見守る私の姿がシッカリ刻み込まれている筈なのだが、遠い昔の思い出が甦る。

 鏡の秘めたる力は無限である。そこには現実以外のものは何も存在しない。只、不運な事態で打ちのめされた我が顔、歓喜に鼓舞するときの満面の表情は、其の儘忠実に反映されていてまさしく心の鏡である。これからも毎日覗き込む鏡に叱咤激励されて、余生を楽しく過ごしたいものである。

※テーマ「かがみ」







感動がある旅(岐阜鵜飼い、登別温泉鬼花火、秋田男鹿温泉なまはげ)ーーー 森下敦美

筆者曰く、北海道登別温泉、秋田男鹿温泉は今年の夏のご旅行のお勧めポイントです。

岐阜鵜飼い 

以前から話には聞いていても 実際体験すると 船のへりをたたく音とかがり火に感動します。岐阜は名古屋から20分程の近場ですが 鵜飼いは人気があり 早めの予約がお薦めです。岐阜城眼下の長良川の鵜飼いは 1300年の歴史があるそうで 松尾芭蕉やチャップリンも見学に訪れているとの事です。
お薦めの宿は「十八楼」さん。温かみと優雅さがあって最高でした。宿前の昔の商家通り、河川から見上げる遙か山上の岐阜城の散策などもお薦めです。鵜飼いは5月11~10月15日まで開催。(要確認)

夕闇が迫る頃 河原で鵜飼いの準備が始まります。(写真) 我々も宿で浴衣に着がえ船出です。宿予約時に鵜飼い見学と船内夕食をセットにする方法が 手軽で美味しい夕食にありつけます。






北海道登別温泉
鬼花火

6~7月の毎週木曜・金曜に開催されるイベント。花火の火柱を持った鬼達が階段で花火を持ち続けます。迫力がすごく、感動です。8月の最初の週も2日だけ開催されるようで 私たちは8月に運良く見学できました。





秋田男鹿温泉
太鼓ライブ

男鹿温泉なまはげ会館で開催される五風太鼓ライブ。音と動きの迫力は感動で楽しめます。お薦めの宿は「別邸つばき」さん。色々工夫があり、建築や内装に関心のある方は特に一見の価値ありです。




私の「フォト五七五」 水無月二題                    牧 虎彦





シルクロードの旅 写真でさわりを! NO3ーーーー 吉田 洋一


敦煌の鳴沙山
   
 火焔山  


私の写真いちおし  「ビビットな耀き」       山下 勝治








1.撮影月日  2017.5.17

2.撮影場所  横須賀市ヴェルニー公園

3.コメント   鎌倉文学館のバラの撮影に行きましたが
         病害で全くダメでした。開館時間を待ってい
         るときにご婦人から横須賀に素晴らしいバラ
         園があるとの話を聞き出かけました。
         素晴らしいところでした。



あら喜寿爺のお登り囃その15----- 原田 浩


謎解き終えて暫しの別れ
今日が一番若い日なのじゃ!

 4月になっていよいよ春本番、さぁ、SSアルキもペースアップするぞ! と意気込んだのですが、なんだかんだと野暮用多く、結局4月に出かけたSSアルキはたった1回のみ。これじゃあ話にならん、いや、駄文のネタにもならん・・・、というので考えた今日のお登り噺は、前々回 その13で取り上げたクイズについて、です。クイズを出すのは好いけれど、解答するのを忘れるから困ったものじゃ、認知症の始まりかもね???  という訳で早速クイズの答えをご披露しましょう。

 前回のクイズは「四字熟語クイズ」でしたね。先ず第1問は、最初に数字がついてる四字熟語を選べ、というものでした。これは、まあまあ簡単、ですよね。いろいろあるでしょうが、一例を示しましょう。
 ・一念発起、・二律背反、・三段論法、・四面楚歌、・五里霧中、

・六根清浄、・七歩之才、・八方美人、・九牛一毛、・十人十色、

 この中でちょっと難しかったのが「七歩之才」。実のところ判らなくて書籍等で調べたら出てきました。昔、中国は魏の国にすぐれた詩の才能を持つ兄弟がいて、兄が弟を妬んで「七歩歩く間に詩を作れ、出来なかったら殺す」と脅したところ、たちどころにその兄の無情を悲しむ詩を作り、兄は大いに恥じたという故事から出たのだそうです。ご存じでしたか?

 続いて第2問は、順番に二つ数字がついてる四字熟語を探せ、というものです。現在までに判っているものを記しましょう。

 ・一人二役、・二束三文、・三寒四温、・四分五裂、・五臓六腑、

・六〇七〇、・七転八倒、・八索九丘、・九〇十〇、

ずいぶん探したのですが、六〇七〇と九〇十〇は見つかりませんでした。だれかご存知の方が居られたら教えて下さい。え? 阪神タイガース、九勝十敗だって? そんなのダメダメ! 八索九丘は私も知らなかったのですが、「八索」も「九丘」も中国古代の書籍の名前だそうで、「八索」は占いについての、「九丘」は地理についての本だそうです。

 最後、第3問。前問の逆で、〇一〇二、〇二〇三、・・・を探せ、というもの。これはもっと難しい!判ったものだけ列挙しましょう。

 ・唯一無二、・無二無三、・朝三暮四、・・・・

 後は判りません。ただし、あんまり必死になって探した訳ではないので、この他にもいろいろあると思います。ご存じでしたら是非ご教示下さい。

 という調子で解答編は終了。ヤレヤレ。

 ヤレヤレ、と言えばこのお登り噺、去年の3月から始まってこの5月まで、15回を数えました。人間ならば15才と言えば中学卒業、高校入学。義務教育も終了じゃ、そろそろこの辺で一休みしてもエエやろ、と編集担当に申し出、OKを頂きました。来月から暫く休憩させて頂きます。1年ちょっと、ご愛読有難うございました。

 という訳で今日のカット写真、ご覧にように一つは四字熟語「十人十色」に因んだもの。もう一つはホタル。言わずと知れた「蛍の光」です。皆さん、お元気でねぇ。

 元気と言えば最近気に入ってるフレーズがあります。副標題に使った「今日が一番若い日」というもの。間近に迫る老いと張り合うために、いつも心の中に思い浮かべてるセリフです。気に入られたらどうぞ、ご愛唱下さい。でも、ホント、明日になれば今日よりも、一日年寄りになるんだからねぇ。今日も頑張って、お酒飲もっと。

2017426日 記



私の写真いちおし  「ガーデンベアがお迎え」       山下 勝治







1.撮影日時  2017.4.17

2.撮影場所  横浜:山下公園

3.コメント   第33回全国年緑化よこはまフェア
         に行き飛鳥Ⅱをお迎えするガーデン
         ベアーを撮りました。  



私の「フォト五七五」 皐月二題                    牧 虎彦



シルクロードの旅 写真でさわりを! NO2ーーーー吉田 洋一


トルファンの交河故城
   
 大焔山  


栃木カネカOB会に参加して--- 川上 厚


 去る4/14の金曜日栃木県真岡において約6年ぶりに栃木カネカOB会が開催されました。

遠くは米子から参加された方も含め総勢24名のOBが集結、東京支部からも長田さん、小林さん、斎藤さん、平井さん、島津さん、掛橋さん、筆者の7名が参加しました。

当日は現役の方々の献身的なおもてなしがあり感動しました。15時より大瀬戸社長の会社の立地、歴史、組織、業績がパワーポイントを用いた資料で説明があり、続いて各製造部門の責任者の方から製品と工程説明があり、その後3班に分かれての工場見学が実施とされました。OBの方々からも積極的な質問が飛び交い、案内者も時間配分に戸惑う場面もありました。

 見学終了後場所を「うな源」に移し楽しい懇親会が開催されました。現役女性のお酒の受注とサーブには頭がさがりました。懇親会は栃木カネカ設立当初に在籍された3人の先輩が挨拶され歴史の重みを感じました。続いて何人かの方の近況報告がありましたが、脳梗塞を経験すると元気になるという話にはびっくりくりくりでした。最後は小林製造部長の挨拶とOB菅谷氏のフレフレで締めとなりました。
 翌日はゴルフ組、観光組、大磯詣組にわかれそれぞれに楽しい思い出をつくることができました。
 筆者も10年ぶりに会社を訪れ、昔のままの建物を見学する中で「天国と地獄」を味わったことをしみじみと思いだしました。また次回の開催に期待したいと思います。
 最後に今回の企画にあたり大瀬戸社長をはじめ現役の方のご努力に感謝いたしますとともに、さらなる会社発展に向けてご活躍を祈念いたします。また、幹事の貴堂さん、斎藤さんありがとうございました。






感動が欲しい旅(四国カルスト天狗高原)ーーーー 森下敦美


愛媛県と高知県の境にある四国カルストをご存じですか? 

高知や愛媛の方でもご存じなく 名前だけしか知らない方が多い場所です。

両県境に山口県秋吉台のような風景が山頂に広がり、すがすがしい気分になれます。

日本三大カルストの一つで この雄大さ・パノラマがすばらしい光景です。

晴れると高知の海や夜の星空も見事だろうと容易に想像できます。

・・・当日は曇りでした2016年10月撮影・・・

この地の宿泊は2カ所のみ、尾根沿いにあり、昼食も可能でした→天狗荘・姫鶴荘・・・狭い道の多い山間部は注意が必要です。

25kmも続いているのですが天狗高原~五段高原~姫鶴平が

おすすめで 宇和島方面の大野ヶ原は通常の山中風景に戻ります。

尾根一体の牧場 遠景は愛媛の山々
ここは標高1400mの山の上
長い尾根を走る すがすがしさ!
   
 石灰岩がつくる道路際の風景            山頂の風力発電



シルクロードの旅 写真でさわりを! NO1ーーーー 吉田 洋一

今月より3回にわけて吉田さんより提供されたスナップ写真を紹介いたします。


西安のシルクロード博物館
   
 西安の大雁塔  



私の「フォト五七五」 卯月二題                    牧 虎彦



あら喜寿爺のお登り囃その14----- 原田 浩


街で拾った奇妙な(?)姿

SSツアーの副産物

 新年度を迎え、気分一新頑張りましょう! と我と我が身に檄を飛ばしたいところですが、なんとなく気が乗らないのは年齢の所為かな? と考えちゃうことが多くなる、今日この頃です。 そんな中でもなんとか続けられているのが例のSSツアー。去年の2月から始めてもう1年経ち、これまでに13路線のうち9路線を歩き抜いて、残るは4路線となっています。 今回もその一部始終を書き連ねてもいいのですが、どこからどこまで歩いた、の話よりは、歩く途中で出会った奇妙な(と感じる)出来事をご紹介する方が面白いんじゃないかな、と勝手に考え、今回もその線で始めましょう。

 前回は1月にクリアした副都心線の話まででしたが、その後2月には有楽町線(和光市→新木場)を制覇し、3月には丸ノ内線に挑戦しています。その中から、先ずは26日(月)に出かけた、有楽町線SSツアー第2弾(池袋→有楽町)の時の出会いを一つ。この日は池袋から飯田橋、永田町、桜田門などを経由して有楽町に至る、109.7kmでしたが、奇妙な姿の圧巻は永田町駅の近く、諏訪坂あたり、旧プリンスホテル跡に開発された「東京ガーデンテラス紀尾井町」、そこの広場に高さ78mはあろうかという、白いトナカイ(?)のオブジェが立てられていました(写真)。なかなかユーモラスでしたね。昨年7月にオープンしたばかりとかで、はじめてお目にかかりました。 もう一つの発見はこの日、国会議事堂の前を歩いてたら、看板に「The National Diet Building」と書かれてるのを見つけて、ニンマリ。議員さん達、せいぜいダイエットしなさいよっ。

 続いて有楽町線の仕上げの第3弾。前回からほぼ1か月後の37日(火)、有楽町→新木場まで歩きました。この日は有楽町から新富町、月島、豊洲、辰巳などを辿る78.2kmでしたが、月島から先は平屋の住宅は殆どなく、大部分が高層マンションで、まさに「平成の東京」の実感がありました。ここでの発見は辰巳駅での出来事。駅から地上へ上がって来て、さて次は新木場だぞ、とその方向へ歩き出したら目の前に、石ころを積み上げて造ったような、不思議な動物像がありました(写真)。なんだろこれ、牛かな? トナカイかな? 何の意味があるんだろ? と思いながら写真に撮って、帰宅していろいろ調べた所、これ、龍なんだそうです。龍神と名付けた石像とかで、「辰巳」の駅名に因んで反対側の出口近くには蛇の像があるんだそうな。しかし、どう見ても、「龍神」とは想像できない出来栄えだったですね。

 最近のツアーは320日に出かけた、丸ノ内線ツアーの第1弾。荻窪から新宿まで、途中の支線の中野坂上~方南町まで加えた1111.9kmでした。この日もいろいろ奇妙な出来事にも出会ったのですが、あんまりヘンテコ話ばかりしてたんじゃあ、作者の品性を疑われる、ここは一つまともな話を致しましょう、という訳でご覧に入れるのは、見事に咲いたカンヒザクラ(写真)。中野坂上駅の近く、本郷氷川神社の境内に咲いてたものです。時節柄でもあり、一つ位はまともな写真をお見せしなきゃあ、ね。 あと、この日印象深かったことは、以前にも数回訪れたことのある、西新宿駅近くの成子天神社。ここは最近改築されたようで、境内に七福神の像があり、一隅には大きな富士塚もあり、立派な神社でした。富士塚の写真も勿論撮りましたが、今日は省略。

 ということで、残るは丸ノ内線、新宿線、半蔵門線、大江戸線の4線。ま、今年中には、何とかなるじゃろ。乞うご期待。

2017329日記



私の写真いちおし  「早春の輝き」       山下 勝治

私の写真いちおし  「早春の輝き」       山下 勝治














1.撮影日時 2017年2月15日

2.撮影場所 神奈川県 松田町

3.コメント  河津桜が今年はいつもの俊より
        早く咲きました。空がくっきりと晴
        れたので富士山も美しく撮ること
        が出来ました。
  







あら喜寿爺のお登り囃その13----- 原田 浩


寒さ凌ぎにクイズに挑戦

後のお酒で「酔眼朦朧」

 寒くなったり暖かくなったり三寒四温、毎年の事ながら、冬たけなわ、ですねぇ。

 寒さを口実にしていつものSSツアーは一休み。なので今月のここに書けるアル記は殆どありません。止むを得ず今日は私のもう一つの趣味、「なぞなぞ三昧」と行きましょう。 「なぞなぞ」と言いますが今日のこれは「なぞなぞ」よりはむしろ「クイズ」、ですかな。

 今日のクイズは題して「数入り四字熟語クイズ」。お楽しみ(お苦しみ?)下さい、ね。

 先ずは第1問。数ある四字熟語の中で、最初に数字がついているものを選べ、というものです。

「一〇〇〇」、「二〇〇〇」、「三〇〇〇」、「四〇〇〇」、「五〇〇〇」、「六〇〇〇」、「七〇〇〇」、「八〇〇〇」、「九〇〇〇」、「十〇〇〇」、・・・全部出来たら、エライ!

例えば「一〇〇〇」の答の例は、「一念発起」とか、「一家団欒」とか、いろいろあります。数が多くなるほど難しさも増す感じです。チャレンジして見て下さい。

 第2問。順番に2つ数字がついている四字熟語を探せ。

「一〇二〇」、「二〇三〇」、「三〇四〇」、「四〇五〇」、「五〇六〇」、「六〇七〇」、「七〇八〇」、「八〇九〇」、「九〇十〇」。

例えば「一〇二〇」では、「一人二役」なんかですね。でも第1問より格段に難しい、私にもまだ見つかっていないものが複数あります。

3問。前問の応用問題です。以下の四字熟語を探せ。

「〇一〇二」、「〇二〇三」、「〇三〇四」、「〇四〇五」・・・、

 と、こんな所で「数入り四字熟語クイズ」はお終い。お判りの方、判らない、教えて、という方、遠慮なくメールででもお尋ね下さい。アドレスは haradah@rapid.ocn.ne.jp です、よろしく。

 さて、クイズなぞなぞの類と言えば、昔この欄で本居宣長さんご考案の「二段なぞなぞ」なるものを紹介させて頂いたのを思い出しました。その「お登り噺その7」を読み返してみて気がついたのは、問題出すのは良いけれど、解答をしてませんでしたね、すみません。以下簡単に列挙しましょう。

①「絵に続き鈴を鳴らして選び抜く」=「オリンピック」・・・答:「絵に続き」はアイウエオのエの次で「オ」、「鈴を鳴らして」は鈴の音「リン」、「選び抜く」は選抜する意味で英語では「pick up」だから「ピック」、併せて「オリンピック」。

②「牛鳴いて哀しき初夏の美しさ」=「猛暑日」・・・答:「牛鳴いて」は「モウ」→「猛」、「哀しき初夏」は「しょか」のうちの「か」がないのだから「しょ」→「暑」、「美しさ」は文字通り「美」→「日」併せて「猛暑日」。

③「真っ先にしなを作って海へ行く」=「花火大会」・・・答:「真っ先に」だから「しょっぱな」略して「はな」→「花」、「しなを作って」はいわば「媚態」→「火大」、「海へ行く」はその通り「海」、あわせて「花火大会」。

④「出たタヌキとぐろ巻いてはオナラする」=「デジャブー(既視感)」・・・答:「出たタヌキ」は「でた」の「た抜き」だから「デ」、「とぐろ巻いて」は「蛇」→「ジャ」、「オナラする」のだから「ブー」、併せて「デジャブー」。

⑤「一の次ヒツジの角に手を出して」=「日本酒」・・・答:「一の次」は「二」→「に」、「ヒツジの角」は英語で「horn」→「ほん」、「手を出して」の「手」を読み替えて「しゅ」、併せて「に・ほん・しゅ」、つまり「日本酒」。

⑥「脚八本妻もかえりし魔の気付き」=「クモマツマキ(蝶)」・・・答:「脚八本」は「蜘蛛」→「クモ」、「妻もかえりし」は「ツマ」が逆さになるから「マツ」、「魔の気付き」は「魔(マ)」に「気(キ)」がつくから「マキ」、併せて「クモマツマキ」。

 といった所で、いつもながらの「お登り」でしたね、すみません。カット写真にはご覧の通り、四字熟語のそれと、花火の写真。あんまり「適材適所」じゃないかもね。

2017223日記)





私の「フォト五七五」 弥生二題                    牧 虎彦




「邂逅」 故郷会津NO6ーーーーー 秋山 利喜





私の写真いちおし  「春のかおり」       山下 勝治













撮影場所:鎌倉 浄智寺
撮影月日:2017年1月30日
コメント:香りの良いロウバイの撮影に行きました。
今年は花の咲くのが例年に比べ2週間くらい早いので
花が終わっているのではと心配しながら出かけました。
しかし、丁度良い時に巡り会いました。




私の「フォト五七五」 如月二題                    牧 虎彦




「邂逅」 故郷会津NO5ーーーーー 秋山 利喜





あら喜寿爺のお登り囃その12----- 原田 浩


小寒の練馬の空にインコ舞ふ
副都心線SSツアーの記

いつもいつも、歩いた、地下鉄だ、神社だ、なんて同じことばっかり書くんじゃあ、書いてる方もさることながら、読んでくれてる方も欠伸連発、パソコン消してビールでも飲るか、なんてことになっちゃいますよね。そこで今回はちょっと趣向を変えて、歩きで拾ったオモシロ話、と行きましょう。

 正月に出かけた、副都心線SSツアーでの出来事です。副都心線は渋谷から池袋経由和光市までの16駅、20.2km。ここを1月に2回に分けて歩き通しました。厳寒下、寒さ対策もきっちり整えて出かけたのですが、上旬の1回戦で渋谷→千川をクリアし、中旬の後半戦で千川駅から和光市へ向かって歩き始めてまもなく、面白いことに出くわしました。千川駅の隣、小竹向原駅近くの街路樹に、見馴れない鳥が、それも10羽位の集団で飛んだり留まったりギャーギャー鳴いたりしてるんです。それがなんと、インコ! ご存じの如く、日本、特に関東地方ではインコの類は棲息していない筈です。それが大群で、それも体長30cmを越える巨体で、我が物顔に騒ぎまくってるんです。いゃあ、驚きましたが、とりあえず写真に収めてその場は立ち去りました(写真参照)。

 帰宅後早速調べた所、このインコは、ワカケホンセイインコ(輪懸け本青鸚哥)という名前で、本来スリランカやインドに棲息する種らしいですが、1960年代に日本に棲みつき始めたのだそうです。多分ペットとして飼育していたものが逃げ出した(か放した)のが原因なのでしょう。その後数百羽~千羽を超える大集団となり、練馬、大岡山、川崎などで見られるようになった、東工大構内や新宿御苑や有栖川記念公園などでも見かけられている、とのことでした。な~る程、練馬で見たのも当たり前か、と納得で~す。

 この類の、いわゆる外来種はいろんな分野で数多く知られており、数え上げればきりがありません。SSツアーの最中でも、去年の2月の三田線SSツアーで白山通りを歩いてたら頭上の電線をチョコチョコ伝い歩きする、でっかいタイワンリスに出くわしました。これも20世紀初めに伊豆大島に棲みついたものを、1950年頃江の島植物園に連れてきて飼ってた所、台風で小屋が壊れて逃げ出し、以来野生化して鎌倉やら横浜やらに広がり、現在では都内にも幅広く棲んでるんだそうです。

 さらにこの話題になると欠かせないのがチョウの一種、アカボシゴマダラ。今や都内でもよく見かける上位10種に入るほど数が増えましたが、これはどうやら誰かが恣意的に中国あたりから持ち込んで放したらしいとのことです。「放蝶ゲリラによる人為的な放蝶」だとも言われています(国立環境研究所HP)。 ゲリラなどとおどろおどろしい言われ方ですが、その姿はなかなか奇麗。写真でとくとご覧ください。

 このように、生物の世界では外国からやってくる外来種が国内で大繁殖し、我が物顔で過ごす例は多いのです。自然の摂理、とも言えますが、大繁殖されてその被害を受ける在来種は堪ったものではありません。でも、文句の言いようもないしねぇ。・・・とここでふと気がついたら昨日20日はアメリカ新大統領トランプ氏の着任の日。彼のキャッチフレーズ、”Make America Great Again”は、その気になって聴けば、「アメリカにやってくる移民には反対じゃ」、と言ってる感じ。 つまり、外来種ハンターイ、なのですかね。

 いや、あまり論理が飛び過ぎると弊害あり、この辺で今日は止めときましょう。それはともかく、今後もSSツアーは続けますし、多分いろんな所でいろんな話題が生まれると思いますので、ご期待下さい。

2017121日記





私の写真いちおし  「花さりげなく」       山下 勝治





撮影日   2017年1月8日

撮影場所 フラワーセンター大船植物園

コメント  冬の花の少ない時期にさりげな
       く咲くサザンカを撮りました。 









私の写真いちおし  「冬の夜の華」       山下 勝治








撮影日時  2016/12/23

撮影場所  宮ケ瀬湖畔園地(神奈川県)

コメント   冬は花が少ないので
        花⇒華⇒イルミネーション+花火
        となりました。



あら喜寿爺のお登り囃その11----- 原田 浩


霜月、師走のSS3路線制覇!

それでも残る6路線、ヤレヤレ

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 なんて決まり文句は並べるものの、過去に70回を遥かに超える新年の体験を積み重ねてきた私にとっては、「オゥ、また新年か、早いもんじゃのう」てな感覚で、取り立てて感慨はありませんね。

 ま、それはともかく、去年の3月から毎月綴り続けてきたこの「お登り噺」も、11回目を迎えました。いろいろお話しすること多いぜよ、と張り切って始めたのですが、回を追うにつれネタ切れになり、振り返ってみればなんとなくマンネリが目立ちます。そろそろ潮時かな? と天皇陛下みたいなことを考え始めてる、今日この頃です。こんなくだらない話なら、俺にだって、私にだって、書けるわよ、なんて思って居られる方も多い筈、是非名乗り出て欲しいものですね。

 とは言いながら今月分は書かねばならぬ、なに書こうか? と考え出したら、やっぱりいつものアルキの話になっちゃいました。ほぼ隔月にご報告している、SSツアーの最新情報です。

 このSSツアーなる試み、地下鉄路線の駅と神社を交互に歩くということで2月から始めました。東京の地下鉄13路線を歩き抜こうとして始めた所、年末までの11ヶ月で7路線を制覇でき、新年の時点で6路線を残すだけになりました。まずまずの成果かな、と自画自賛したくなっています。

 制覇した7路線のうち、4路線までは既にご報告してますので今日は1112月に歩いた3路線のレポートです。対象は東西線、都営浅草線、銀座線です。東西線は中野駅~西船橋駅の駅間距離30.8km、都営浅草線は西馬込駅~押上駅の18.3km、銀座線は渋谷駅~浅草駅の14.3km。 もっとも、駅と駅の間に神社を訪問しますので通算の歩行距離は駅間距離のほぼ2倍になります。私の1日の歩行距離はせいぜい頑張っても今や25kmが良い所、従って東西線は3回、都営浅草線は2回、銀座線は1回かかりました。東西線アルキの第11030日から、銀座線アルキの1224日まで、ほぼ2か月間で6回出かけたのです。ざっと10日に1度の頻度ですね。

 歩いたそれぞれの場面で、面白かったこと、感激したこと、考えさせられたこと、などなどいろいろあるのですが、それらをいちいちご報告してるとたちまち紙面がなくなります。そこで今日は、この3路線6回の道行きの時に出会った興味深い(と私が考えた)事柄を、写真と共にお目にかけましょう。

 先ずは東西線アルキの時、茅場町の花王本社前に立っていた銅像の写真です。あまりにリアルなのでついついシャッターを切っちゃいました。とくとご覧ください。

続いて都営浅草線アルキでの出来事。この時もいろいろありましたが、終点の押上駅へ向かって駒形橋を渡っていたら、当然ながら某社のビル屋上の光景が目に入り、これまたカメラに納めました。いつもながら、ユーモラスですねぇ。

最期に銀座線アルキの時。この時も終点浅草へ向かって、中央通りを歩いてたら、道ばたにご覧のような豚の像が・・・。なかなかリアルで驚きました。あとで調べたらこのお店は、長崎産の豚肉が売り物のしゃぶしゃぶ屋だそうです。なるほど、考えたもんじゃ、な。

 と言ったようなことで、今回は地下鉄とも神社とも無関係な、そして私の品性が疑われるような、ヘンテコ写真ばかり並べてしまいました。新年の、未だアルコールが抜けきらない雰囲気でお楽しみください。

 今後も、残る6路線の完全制覇へ向けて頑張りますので、よろしくご声援の程を。

最後に、ついでながら、この表題に凝らされた工夫、お判りですか? SSツアーのSSと、「霜月、師走」の頭文字SSと、掛けてあるんですよ、ね! 

20161226日 記)



私の「フォト五七五」 正月二題                    牧 虎彦




「邂逅」 故郷会津NO4ーーーーー 秋山 利喜





私の「フォト五七五」 師走二題                    牧 虎彦



「邂逅」 故郷会津NO3ーーーーー 秋山 利喜








あら喜寿爺のお登り囃その10----- 原田 浩


青空にチョウと見紛ふ落葉舞ひ

小雪の小宮公園散策記

 今年も早くも終わりに近づき、外出するのにどのコートを着て行こうか、と迷う季節になりました。月1度書いてるこのお登り噺も今日で10回目、いつもいつも地下鉄巡りばかりじゃ皆さん冬が・・・、いや飽きがくるだろうね、とダジャレて悩む、月末近くのわが家の風物詩です。

 話題は何も地下鉄巡りばかりじゃない、なぞなぞもあるし、日本酒談義だってあるし、場合によっちゃあトランプがどうの、尖閣列島がどうの、憲法はどうすべきか、なんてのもあって書きたいことはいろいろですが、そこはそれ、身分を弁え、TPP、じゃない、TPOを弁えるとなかなか筆が・・・、いや、パソコンを叩く指が進みません。止むを得ず、今日もまたアルキの話で行こう、しかしいつもの地下鉄テッチャンじゃなくて、草や虫や鳥などの生物探索、いわば生チャンで行こう、と決めました。

 というのも実は私、地下鉄巡りに単独行で出かけてはいるものの、その他にもいろんなグループに入れて貰っていろんなテーマでいろんな所を歩き回ってるんです。前々回に触れた「関東ふれあいの道」歩きもそのひとつですが、今日ご紹介するのは植物、特に野草の専門家のご指導の下、近場の各所を月1ペースで訪問して四季折々の草木を楽しむツアーです。

このツアー、実はカネカの同期生Y君の紹介で入れて貰ったもので、殆ど毎回Y君とは同道してます。つい最近、11月度のこのツアーの目的地は八王子市の小宮公園。雲一つない快晴に恵まれ、シーズンの紅葉にも恵まれ、なかなかのツアーでした。

この小宮公園は、JR八王子駅から徒歩約30分、多摩川の支流、浅川の北岸香住丘陵にあり、広さ約25万㎡、コナラやクヌギを中心とした雑木林をメインとし、その内外に小道を縦横に通して、自然観察に便利なようになっているのです。この日参加したのは合計23人、平日ですから男性は殆どがポスト還暦組でその数7人、残りは老壮女性の16人でした。10時過ぎから昼食をはさんで午後3時過ぎまで、この公園の中の小道をあちらこちら歩き廻り、自然観察を堪能したのです。

 草花で言えばもう既にシーズンオフですから目立った花は咲いてなく、リンドウ、ノハラアザミ、シロヨメナ、リュウノウギク程度。他にはムラサキシキブ、ゴンズイ、カマツカなどの実が見頃でしたし、驚いたのはウバユリの実が群生していたこと。チョウではモンシロチョウ、キチョウ、ヤマトシジミ、ベニシジミなどの常連たちだけでしたね。小道にはそれぞれカワセミの小道、ホオジロの小道、シロハラの小道など、鳥の名前が付けられているのですが、肝心の鳥の声はあまり聞こえないねー、と愚痴ってたら、ピーチクピーチクキュルキュルキューキュー、とガビチョウが鳴きだしました。おお、鳴いとるわい、と辺りを見回したら、高い木の上に止まって鳴いてる、鳴いてる。よーし、とばかり撮った写真がこれ。そのほか、サンコウチョウも鳴きましたし、ルリビタキも姿や鳴き声はなかったものの人気があるらしくて、望遠カメラを抱えたマニヤにあちこちで出会いました。

 それとこの日の焦点は、なんといっても紅葉。園内至る所に赤や黄や茶色の葉が、妍を競っていました。それらの葉が、小道を歩くわれわれの頭上からはらはらと降り掛かってくるのです。ともすればチョウの飛翔にも似たこの落葉の動き、私なぞ何度チョウと勘違いして、緊張し、そしてがっかりしたことか! 紅葉の写真はいろいろ撮りましたが、ここでは1枚だけお見せします。参加メンバーも、写ってますよ。

 と言った調子で、この日一日自然観察三昧、歩き三昧を楽しみました。このツアー、次回の12月には目黒の自然教育園へ行くんだそうです。え?! 自然教育園? なんと、わが家から徒歩10分の近場じゃないか! よーし、行くぞ、愉しみ、愉しみ。

 蛇足ながら、表題のセリフは駄句のつもりなので、わざわざ旧仮名遣いにしてあります。それと、「小雪」は季語のつもりなので、今日24日みたいに雪が降ってる訳ではありません、念のため、申し添えます。

20161124日記



私の写真いちおし  「晩秋の華」       山下 勝治











1.撮影日   2016.10.30

2.撮影場所 昭和記念公園

3.コメント   晩秋に咲く皇帝ダリアと在来種
        ダリア。晩秋の新しい魅力に惹
        かれました。


あら喜寿爺のお登り囃その9----- 原田 浩


汗をふきふき日比谷と千代田

その後のSSツアーご報告

ここの所、毎月20日を過ぎると何となく気分すぐれず、欝めいて来るんです。なぜかというと毎月末までに、この自由投稿欄のための文章を作らなきゃならない、そのプレシャーからなのです。 この欝症状から逃れるには、気分を入れ替えて、駄文綴りを実行するしかありません。今日も10月は23日、ぼつぼつ圧力がかかり始めました。よーし、負けるもんか、やったるでぇ。

 ではお登り噺第9回を始めましょう。前月はKFT、いわゆる関東ふれあいの道ハイキングコースを辿る話、前々月は本居宣長の「二段なぞなぞ」の話、と2ヶ月続いて本来(?)のSSツアーから遠ざかってました。こりゃいかん、よし今月は最近のSSツアーのアルキ談義じゃ。あれからもあちこち歩いて面白かったぞ!・・・と、早くも欝状態から抜け出し始める気配です。

 ご承知の如く、このSSツアーなる試み、今年の2月から始めました。都営三田線を3回に分けて走破、ならぬ歩破し、京急線を間に挟みましたがその後南北線、日比谷線と続けて来て、現在は千代田線を歩破し終った所です。210月の9か月間で、計12回の出動、そのうち6月までの9回分はご報告済みですので、今日は夏休みが終わった9月、10月に歩いた日比谷線の後半戦と千代田線の物語、です。

 先ずは日比谷線の後半戦。中目黒から北千住までの20.3kmのうち、中目黒→茅場町の11.1kmについては6月末に歩き通してご報告しましたが、その後半戦茅場町→北千住の10駅、9.2km91日(木)に挙行しました。駅としては茅場町から、人形町、秋葉原、上野、三ノ輪、南千住などを経由しますが、途中で下谷神社、秋葉神社、素盞雄神社、など大小交えて14社に参拝しました。

この日面白かったのは、上野駅周辺の街道筋で、物々しい警備態勢が敷かれており、なんじゃ? と思ったら、震災時の避難訓練だそうでした。そりゃそうだ、この日は91日だもんね。もう一つ、秋葉神社近くへ来たら道標に「曹源寺(かっぱ寺)はこちら」というのがあり、寄り道しました。数年前の区役所巡りの時にも立ち寄った覚えあり、寺の中にある男女の河童の像もそのままでした。やや不粋なるも写真をお見せしましょう。素盞雄神社の一隅には「往く春や鳥啼き魚の目は涙」なる芭蕉の句碑もありました。芭蕉が奥の細道に旅立ったのはこの地からだったそうです。

 続いて千代田線ツアー。千代田線は代々木上原から北綾瀬までの20駅、駅間距離24.0kmです。ここを2回に分けて925日と104日に歩き抜きました。 925日(日)は代々木上原→新御茶ノ水の1210.7kmです。赤坂、日比谷、大手町など都心のど真ん中を通るのですが、日比谷通り近くには神社が少なく、止むを得ずちょっと寄り道して銀座の繁華街を通り抜けました。銀座には「銀座八町神社巡り」なんてのがあって、なんと10社もの神社が点在してるのです。殆どが小規模な神社ですが、そのうちの一ヶ所を写真でお目にかけましょう。銀座8丁目、八官神社なるお社(?)です。隣の「ぎんざ鮨政」なんて、常連さんがいるんじゃないの?

 千代田線の後半戦は104日(火)挙行。新御茶ノ水→北綾瀬の913.3km。湯島だの根津だのはともかく、千駄木、町屋、北千住、綾瀬、などになるともともとあまり馴染みもなく、でもそれだけにまた新鮮な風景が楽しめました。今回は16神社に参拝しましたが、多くの神社に植えられているイチョウが結実の時期を迎え、景観と匂いはなかなかでした。中には歩いてた時にイチョウの実が落ちてきてコツンと頭に当ったこともありましたよ。

 ところで、東京にある地下鉄路線は全部で13路線。うち現在までにクリアしたのは三田線、南北線、日比谷線、千代田線の4ラインのみ。まだまだ先は長い、ですね。あと2年程度は楽しめそうです。それまで元気で居なくっちゃあ。頑張ります。なんて、気がついたらとっくに欝は吹っ飛んじゃってら。

20161023日記)




私の「フォト五七五」 霜月二題                    牧 虎彦



「邂逅」 故郷会津NO2ーーーーー 秋山 利喜




私の写真いちおし  「童嬉しい秋桜」       山下 勝治


1.撮影日   2016.10.30 12:55

2.撮影場所 昭和記念公園

3.コメント  コスモスの写真を撮っておりましたら
        可愛い女の子が転げるような足取り
        で花の所に来ました。
        






東京化成会に出席してーーー 川上 厚


7回東京化成会に参加して

台風が東へ過ぎ去った10月6日四ツ谷のスクワール麹町で昔の(今もよ)マドンナ6名と現役の方4人を含む総勢32名が集まり第7回東京化成会が開催されました。

司会北山さんの開催宣言に続き轟幹事より代表幹事が早川さんより乾さんに交代する提案がなされ満場一致で承認されました。あわせて池永さんが新たに幹事の一人に加わることも提案され承認されました。広瀬先輩の黙とうに続き乾代表幹事より格調高い挨拶があり、前代表幹事の早川さんの乾杯の音頭で宴が始まりました。

 この化成会は星さんを慕う現化成部を中心に、モディフアィヤー、特殊樹脂、原料部を含めた巨大な範囲をカバーしており、登録会員は68(OB)を超える規模になっています。東京は鈴木秀五郎さんが初回の幹事として立ち上げに努力され、一回中止の年がありましたが今年で7年続いています。

 宴会の方は現役の中村専務からの挨拶に引き続き、出席者全員が3回に分けて昔の思い出や近況などのスピーチがありました。大阪からきた寺田さんの「太陽電池もよくなるので会社の株を買おう」とのユニークな話も飛び交い和気藹々の中、鈴木さんの中締めで終焉となりました。

 さすがはカネカ本家本元の化成事業部でお酒もふんだんにあり、会場も広くゆったりしておりまた、幹事の方の出席者への細かい気配りがあり、大変楽しいOB会だなーと感じたしだいです。





「邂逅」 故郷会津NO1ーーーーー 秋山 利喜

今月より、この8月に自費出版されました秋山 利喜さんの白黒写真集「邂逅」より抜粋いたしました写真を掲載いたします。
秋山さまの挨拶文はこちらから。尚、この写真集の入手をご希望される方は川上までご連絡ください。




私の「フォト五七五」 神無月二題                    牧 虎彦




あら喜寿爺のお登り囃その8----- 原田 浩



佇めるオオハクチョウに胸迫る

昭和の森~小中池散策記

 暑さも峠を越し、台風も通り過ぎ、秋たけなわが近づく季節になりました。今年は台風の当たり年だそうで、今日までに本土に上陸した台風は6個、歴代2位タイの記録だそうです。「2位タイ? へ~ぇ、銀メダルだ」、なんて嬉しそうに言うことじゃないだろ! バーカ! そんなで気候の加減や体調の加減(年の所為の夏バテ?)のために、暫くアルキをサボっていたのですが、9月になってやっと重い腰があがり、千葉市の東部を歩いてきました。今日はそのお話を一つ。

 このアルキは、仲間と連れ立って「関東ふれあいの道」を歩くものです。「関東ふれあいの道」とは、環境省が提唱する長距離自然歩道構想に基づいて関東の16県がそれぞれ整備している、ハイキングコースなのです。全長1,799km、これが10km前後の155コースに区切られており、毎日1コースづつ歩けば5ヶ月とちょっとでクリアできるというものです。ただし毎日なんてとんでもない、せいぜい月1じゃ、てんでわがポン友が2年程前に企画し、この9月には第19回目まで辿り着いたのです。

 この日のコースは、全部で29コースある千葉県の「ふれあいの道千葉」のうちの9番目、「昭和の森をたずねるみち」と名付けられた道程です。12日(月)の11時、外房線土気駅に集まったのは12名の老々男女、過半数が後期高齢者です。ここから歩き出して1時間足らずで昭和の森公園に着きました。ここは敷地面積約100ha、東京ドームの23個分もあるという広大な公園で、中には広々とした芝生、森林、遊園地、展望園地、池、などがあり、中をぐるぐる歩きながらいろいろ楽しめました。 昼食をとった展望園地からは彼方に九十九里浜が望め、気持がゆったりしました。また遊園地には長大な滑り台があり、なんとリーダーの奨めに従って仲間の半数位がその滑り台で滑り降りました。私はパスしましたが、みんな、年の割に、ようやるわい!

 ここでの最大の出来事は、公園の中の下夕田池(しもんた池と読むらしい)でのこと。池のほとりに大きな白い鳥が1羽、佇んでいました。大きさは優に1mを超えており、近くの看板によればオオハクチョウだとか。普通オオハクチョウは冬に日本に飛来する渡り鳥の筈ですが、ここでは飛べないように羽根の一部を切り取ったので留鳥になってるんだとか。可哀そうに・・・、と思って近づこうとしたら仲間が「ダメダメ、近づいたら襲ってくるらしいよ!」と。これ又看板にその旨の注意書きがありました。 さらに看板の続きを読むと、往時は4羽いたらしいのが、こどもの2羽が死んで夫婦2羽になった、しかもそのうちの♀が去年の6月に死んで♂がただ1羽取り残されている、とありました。 へ~ぇ、カミさんに先立たれて一人ぼっちか、可哀そうに、寂しいだろうなぁ・・・、と思いつつ再度様子を眺めると、気のせいか、淋しげですよねぇ。ついつい写真を撮っちゃいました。去年の3月に家人に先立たれて一人暮らしを続けてる、この駄文の作者と、おんなじ境遇なんだなぁ。・・・と、こちらまで胸が一杯になりました。その、憂いたっぷりのオオハクチョウの写真、展望園地からの九十九里浜遠望の写真と共に、ご覧下さい。 1時過ぎに昭和の森公園を後にし、小中池の横を通ってJR外房線永田駅に着いたのが3時頃。途中は公園や森林の横など自然豊かな道と、郊外の瀟洒な住宅街の中を通る、地方色豊かな道筋でした。 そこからは外房線で千葉まで戻り、千葉駅近くの居酒屋で恒例の反省会。いつものことながら美酒、美食、談論風発の2時間でしたね。

 この「関東ふれあいの道」アルキですが、これまでに神奈川県の部は17コースを散策完了しており、この後は東京都や千葉県、群馬県などあちこちの散策を続ける予定だそうです。残り136コース、月1ならば結願にはあと11年とちょっとかかります。その時私は・・・、な、な、なんと86歳!

 でも、まあ、出来る限り、歩ける限り、歩きましょうぞっ!

2016922日記




私の写真いちおし  「蝶々さんのお食事は?」       山下 勝治















撮影日時 2016年9月27日

撮影場所 藤沢市小出川

撮影意図 季節の花である彼岸花の蜜を求めて
       揚羽蝶が飛来しました。
       花にとまる直前を捕らえることができ
       ました。





あら喜寿爺のお登り囃その7----- 原田 浩


暑さ凌ぎになぞなぞ三昧
はまりこみ ますます暑くなっちゃった!

 毎日暑い日が続きます。最高気温が35℃を超える、いわゆる猛暑日も度々。こんなに暑いと、外に出る気も起りません。たまに出かけようかな、と考えてると、すぐ近くに住む娘からメールが来て、「オジイチャン、今日みたいな暑い日にアルキになんか行っちゃダメよ!」と、見透かしたようなお諫め。え? こちらの動向、よく判ったな。ひょっとして、わが家のどこかに隠しカメラでも付いてんじゃないだろな?

 ま、それはともかく、年の所為もあって、この8月はアルキをサボってばかりです。おかげでいつものSSStation and Shrine)ツアー、つまり駅と神社を巡り歩くヘンテコハイキングもちっとも進みません。 そこで止むを得ず、というか、することなくて家に籠ってたらはまり込んじゃった、「なぞなぞ創り」の話題で今月のお登り噺を凌ぎましょう。

 なぞなぞと言っても世の中にいろいろ、ピンからキリまでありますが、今日取り上げたいのはそれらの中でも、由緒あり、歴史ありのそれ。なんて言うとちょっと大げさですが、江戸時代の国文学者本居宣長が凝っていたという、「二段なぞなぞ」なる代物です。これは、問題文と正解を同時に示して解き方を考えさせるという、ちょっと変わったタイプのなぞなぞで、例えばこんなものです。
  問:友もなき博士の物乞う詞→答:年の暮れ

 これの解き方ですが、先ず「友もなき」は「とも」の「も」がないのだから「と」、「博士の」は言い換えて「士(し)の」、「物乞う言葉」は「くれ」つまり「暮れ」、あわせて「年の暮れ」なんだそうです。

 さて、それでは本居宣長の向こうを張って、あら喜寿爺の二段なぞなぞやってみっか、とクーラー効いた部屋に籠って作り始めました。皆様も(涼しい場所で)やって見て下さい。先ずは最近の風物から。

 ① 「絵に続き鈴を鳴らして選び抜く」~「オリンピック」

 ② 「牛鳴いて哀しき初夏の美しさ」~「猛暑日」

 ③ 「真っ先にしなを作って海へ行く」~「花火大会」

 ここまでは夏の風物詩でしたが、これからは今までのこの「お登り噺」から問題を引用しましょう。

 ④「出たタヌキとぐろ巻いてはオナラする」~「デジャブー(既視感)」・・・(お登り噺その6から)

 ⑤「一の次ヒツジの角に手を出して」~「日本酒」・・・(お登り噺その5から)

 ⑥「脚八本妻もかえりし魔の気付き」~「クモマツマキ(蝶)」・・・(お登り噺その4から)

 まだまだ作れますが、少しくたびれて来たし、喉も乾いて来たので、今回はこの辺で終了。どうですか、少しは判りましたか?

 お判りになった方、ここが判らないという方、こんなくだらない文章なんか止めちまえとお怒りの方、うんなかなか面白い、ご褒美に作者に一杯飲ませたいという殊勝な方(居るわけないよな)、いつかも記しましたが原田までメールで(アドレスは haradah@rapid.ocn.ne.jp )、もしくはこの自由投稿欄のボスの川上さんまでご連絡下さい。お待ちしています。

 という訳で、暑さ凌ぎのつもりがなかなか、かえってはまり込み過ぎて熱中症になりそうじゃ。早いとこ一風呂浴びて体をほぐし、冷たいビールをぐぐぅっと一杯、いや、二、三杯飲みましょぞ。

 そう言えばこのなぞなぞの本家本元、本居宣長さんも稀代の大酒飲みだったそうです。感謝の意味も込めてカットにご登場頂きました。よろしく、ね。

2016817日記



二段なぞなぞの大家「本居宣長



私の「フォト五七五」 長月二題                    牧 虎彦


私の写真いちおし  「目標近し」       山下 勝治







撮影日時 2016.8.19
撮影場所  昭和記念公園
撮影意図 昭和記念公園 日本庭園の 
       小振りの蓮の蕾に蜻蛉 が
       止まっておりました。飛び立った
        た後、再度来るのを待ち、
       影が面白い像になる瞬間を
       補らえました。




私の写真いちおし  「雨中の華」       山下 勝治











撮影場所 茨城県古河市 古河総合公園 

撮影日時 2016年7月

コメント  雨の中、しっとりと濡れかつ華やか
       に咲く蓮の花を撮りました。



あら喜寿爺のお登り囃その6----- 原田 浩


南北線に日比谷線

あな恐わや 忘れたことを忘れてる

 Time and Tide wait for no man. という諺にもある如く、あっという間に時間は過ぎ、またまたこのお登り爺の出番が巡ってきました。先月は日本酒の話、先々月は蝶採りの話、と道草が続いて、SSツアーの話がご無沙汰になっちゃってます。サボってんじゃないの? と言われそうですが、いやいやそんなことはありません、チャーンと歩き廻ってますよ。 ということで今回はその後のSSツアーのご報告。

 先々月までで都営三田線、京浜急行線のSSツアーをご紹介しましたが、その後4月末からは南北線(とそれに繋がる埼玉高速鉄道線)、日比谷線の巡り歩きを進めています。 南北線・埼玉高速鉄道線は目黒~浦和美園の2635.9km、日比谷線は中目黒~北千住の21駅、20.3km。ここを計5回で歩き通す予定で、現在4回目まで終わっています。 では例によって各コースでの印象やらハプニングやら教訓などなど。

 まず南北線歩きの1回目は430日(土)、目黒→後楽園の1111.4kmで実施。この日印象に残ったのは麻布十番近くの十番稲荷神社。さほど広くもない境内の一画に、カエルの石像が飾ってあり、なんじゃこれ?と思ったら能書き板に曰く、昔大火事でこのあたり一面焼け野が原になった時、このカエルが口から水を吹いて消火に当たり、この近辺のみが焼け残ったんだってさ。今では防火と火傷の神様、なんだそうな。日本人も、面白い、ねぇ。おどけた格好の姿を見てやって下さい。

 南北線歩き第2弾は58日(日)、後楽園→赤羽岩淵の99.9km。この日の発見は梛(なぎ)の木。王子の先、志茂駅近くの志茂熊野神社で見かけた見馴れぬ常緑樹で、広葉樹風ながらマキ科の針葉樹なんだって!縁結びの神木なんだそうな。

 第3弾、埼玉高速鉄道線歩きは529日(日)、赤羽岩淵→浦和美園までの814.6km。このあたりまで来れば全くの初体験、地名も景色も見初め・聞き初めじゃ、と思ってたら意外なことがありました。 赤羽岩淵駅を歩きだしてから約2時間半ほど経った頃、鳩ヶ谷駅から近くの鳩ヶ谷氷川神社へ向かいました。とにかく西も東も判らずに、手持ちの地図と睨めっこしながら歩くのですが、神社へ着いて辺りを見回した時、何か奇妙な感覚に包まれました。あれ? 不思議だな、なんだか、昔夢で見たことあるような、神社の造り、あたりの街並み、樹木の並び方・・・。暫く考えても真相は掴めず、次の目的地へ向かった所、「あの角を左に曲がったら料理屋があるぞ!」とわが心が言うのです。そんなこと、知ってる訳がないじゃんか、と思いつつ左折したらばビックリ! なんと、洒落たウナギ屋が、店を構えてる。ええぇーっ! なんで判るんだろ!  いや、種を明かせばこの辺り、それまで完全に忘れてたのですが昔サラリーマン時代に、誘われてこのウナギ屋で仲間の送別会をやったことがあるのです。少なくとも15年以上前の事なので、しかもこの土地とはその後全く縁がなかったので、忘れるのも当たり前と言えば当たり前。しかし、忘れたことすら忘れるとは、なんとなく、不吉な予感がせぬでもありません、ねぇ。

 日比谷線の1回目は626日(日)、中目黒→茅場町の1211.1km。この日の収穫は神谷町駅の手前、西久保八幡神社でのこと。参道横の水槽に、見馴れない水草が可憐な花を咲かせていました。花は可憐な割に葉の方はドロドロで精力逞しい風情。写真にとって後で調べたらオオカナダモという、ブラジル原産の輸入種なんだそうな。念のため、この写真もお目にかけましょう。

 日比谷線の2回目は、7月末か8月初めに出かける予定なので、結果は次回廻しです。

 という調子で今回のご報告はお終い。暑い中、歩きに出かける気も失せる。でもね、頑張らないと、いつ何時、身体くたばって、もう出かけられない身分になるかも知れないからね、頑張ります。

2016724日 記

 十番稲荷のカエルの像
                                                                                                                                                                                                                                                  西久保八幡のオオカナダモ



私の「フォト五七五」 葉月二題                    牧 虎彦



私の「フォト五七五」 文月二題                    牧 虎彦



あら喜寿爺のお登り囃その5----- 原田 浩


酒も女も二合(号?)まで
ヨボ近男の酒飲み談義

 6月あたりの蒸し暑く、雨が多いシーズンになると、アルキに出かける機会も減ってきてしまいます。それに、毎回歩く話ばかりだとつまんないよね。 そこで今回は全く別の話。ほとんど毎日、夜になると愉しむものの話です。なんでしょう?・・・ なんて言っても、表題をご覧になれば一目瞭然。そうです、今日はひとつ、日本酒の話と行きましょう。

 原田はもともと大の酒好き。学生時代はあまり飲まなかったのですが、カネカの高砂時代に先輩方のご薫陶を得てこの道に入り、50年以上飲み続けています。「たち久」とか、「千登勢」とか、懐かしいねぇ。 50年に渡る呑み道の変遷を綴るのも興味ありますが、それやり出すとスペースなくなる、今日は最近の飲みっぷりに話を絞ります。

 最近の原田が呑むのは日本酒。健康上の理由から(と称して)、週に2日は逆立ち(酒断ち)してます。でも残りの5日間はすべて日本酒。自宅で飲るのは四国は愛媛県産の「梅錦」。地元の酒、という名目もありますが、20年程前、5,6人の会社仲間と赤坂の安飲み屋で10種類程の日本酒の呑み比べ会をやった結果、第1位が梅錦、第2位が浦霞だったのを機会に病みつきになりました。蔵元から1升壜3本ずつ直送させてます。

 でも、いろんな仲間と外で飲る時にはまた別の好みがあります。もしも値段に関係なく選べ、というなら「十四代」、「獺祭」、「田酒」あたりでしょうか。他にも「黒龍」、北海道の「男山」、それに地元香川県の「悦凱陣」などが好みです。「十四代」はこの中でもメチャ品薄でメチャ割高、つい先週も新宿で置いてるのを見つけて値段を聞いたら、「盃一杯900円です」というので、ま、いいか、と一杯だけ飲みました。「獺祭」はご存じ安倍総理がオバマ大統領に振る舞ったというあれで、総理の地元山口の銘酒です。「田酒」もなかなか出会う機会がない、出会うとついつい飲んじゃう、美味いお酒です。

 仲間との飲み会ではできればこうしたいと思う飲み方は、盃並べての飲み比べです。少なくとも3種類の日本酒を注文して徳利を並べ、自分用の盃を3つ目前に並べてそれぞれ酒を注ぎ、味わいながらあっち飲みこっち飲みするのです。これだとそれぞれの味の特徴がよく判り、好きになった方をもう一杯・・・、となります。思い起こせばこの習慣もあの赤坂での飲み会が始まりでした。も一度言うけど、懐かしい!
 そんなに日本酒好きなんだったら、さぞかし大酒飲むんだろうな、高血圧、アル中、肝臓障害、などないの? よくぞ聞いてくれました。かく言う原田浩、若い頃から(酒浸りになる以前から)、血圧はやや高めで、生命保険に入る時も揉めるほどでしたし、今でも毎日降圧剤は欠かしませんが、その他胃、肝臓などの問題は少なくとも今の所はないようです。
 呑むお酒の量は、まあ、そこそこ、ですかね。若い頃はいざ知らず、最近ではつい先月、カネカの四谷クラブで7人での飲み会の時に、4合壜8本空けた、のが印象に残った位で、ほんと、そこそこ、です。

 そう言えば世間には「酒と女は2合(号)まで」というセリフがありますが、どうですかね。原田は幸か不幸か、女は「0号」ですから、女の分もお酒に加えて「オイラのお酒は4合まで」と謳ってもいいのかもね。

しかし正直な所、最近(普通の日は)とみに酒量は減り、毎夜の晩酌はビール350ml1本と日本酒杯34杯が定番になっちゃいました。あれ? まさに「2合まで」じゃな!

 といった所で今日最後のご報告。これまた最近、近所の酒屋であれこれ物色してたら、素晴らしい酒に巡り合いました。山口県は周南市のはつもみじ酒造が醸した日本酒でその名を「原田」という逸物。名前を気に入って買って飲んだら、美味かった! 皆様も見つけたら一度飲んで見て下さい。
 元気なうちは今のうち、よぼよぼ爺になる前に、呑んで愉しみましょうよねっ。

2016622日 記)
















  眺めるだけで喉が鳴る!








私の写真いちおし  「梅雨の日の幻想」       山下 勝治







撮影場所 横浜市戸塚区          
                  
撮影日時 2016年6月

コメント アジサイを前ボケとして用い
      幻想的に写しました。


私の写真いちおし  「初夏の装い」       山下 勝治














撮影場所  鎌倉市大船植物園    

撮影日時  2016.5.17

コメント   初夏の雨に濡れたやや恥ずかしげに
        咲くバラを表現しました。

あら喜寿爺のお登り囃その3-- 副題 SSツアーの紹介-- 原田 浩

あら喜寿爺のお登り囃その4-- 副題 蝶を求めてアルプスへ-- 原田 浩


線路ばかりが能じゃない
小満に蝶を求めてアルプスへ

 ヘンテコお登り噺も早くも4回目になりました。また今回も線路沿いにのこのこ歩く、いつものやつの続きかい?・・・なんて蔑まれるのは嫌なので、ちょっぴり趣向を変えて、少しまともな歩きの話にしました。

 実はわたくし原田浩、幼少の頃から生き物、中でも昆虫、とりわけ蝶や蛾が大好きで、高校では生物部に入り、大学時代も東京の昆虫同好会に所属し、蝶の観察や採集に励んでいたのです(その分、学業はお留守になってた筈ですが・・・)。その縁があって、今になっても昔の蝶好き仲間とのお付き合いは続いており、シーズンになると誘われて、蝶を求めてあちこちの山々へ出かける機会があるのです。

 そんなで今年もつい先日、いつものグループに加わって、信州は八ヶ岳山麓を根城にし、珍蝶を求めて彷徨い歩くツアーに参加してきました。今日はその顛末をひとくだり・・・。

 今回のツアーが目指す蝶はクモマツマキチョウです。240種前後と言われる日本産蝶類のうち、間違いなく人気ベストテンに入る、珍しくかつ美麗な蝶です。漢字で表せば雲間褄黄蝶、つまり、高山に棲息する、翅の先端が黄色い蝶、ということです。年156月に山岳地帯に出現し、幼虫の食草はアブラナ科のハタザオ類、・・・なんて難しいレクチュアは止めて、ツアーに話を戻しましょう。

 出かけたのは5月下旬、34日。金曜日に八ヶ岳山麓の原村で宿泊し、土曜日の早朝に車で出発して中央自動車道の伊那IC経由、南アルプスの玄関口仙流荘に8時前到着。ここからは南アルプス林道バスで歌宿へ8時半過ぎに着き、歩き始めました。

 バスの乗客は我々5人を加えて約20人。全員が山歩きスタイルの男女ですが、驚いたのは会話を交わした所、殆ど全員が口を揃えて「クモマツマキの写真を撮りに来ました」と言うではありませんか! なんと、秘密の採集ポイントだと思ってたのは大間違い、知る人ぞ知る隠れた名所だったんですねぇ。蛇の道は蛇、ならぬ、蝶好きの道は蝶好き、か?

 さてそのクモマツマキチョウですが、歌宿から北沢峠まで続く林道沿いで、途中の複数の沢筋に出没するのだそうです。張り切って歩き始めれば、快晴の下、緑豊かな山並みが続き、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、鋸岳、地蔵ヶ岳、彼方には北岳もほの見えて、絶景でした。

そして、歩いているうちに、どこからともなく飛び出して来て、ひらひらすいすい舞い踊るのがほんとに奇麗なクモマツマキちゃん。初めて出会う恋人に、将に一目惚れしちゃいました。よーし、写真じゃ!とカメラを構えるのですが、敵もさるもの、なかなかとまってくれず、とまっても直ぐに飛び立ってしまい、ピントを合わせる暇がありません。残念ながら写真に収めることは出来ませんでした。

 そんなで、片道1時間ちょっとかけて林道を登り、沢筋でランチして休憩した後、来た道を歌宿まで引き返しました。帰り道にも蝶はいろいろ出てきましたが、それよりも驚いたのは、道の山側、急斜面の上になんとニホンカモシカが我々を見張って(?)立ってたこと。こちらはちゃんとカメラに納めましたぞ。

 そんな調子でこの日は大成功。次の日はこれまた八ヶ岳山麓でヒメギフチョウを観察することが出来、成果を挙げました。

 とは言え、蝶を観察する楽しみばかりではありません。夕刻になれば温泉へ入って体を癒し、原村の宿舎に帰れば、美味い日本酒やワインで宴会騒ぎ、美味美食と洒落た会話を楽しみました。また来年、今度はどんな蝶を狙おうか、と今から心ウキウキさせてます。

 と言うことで今日の写真。先ずは南アルプス林道の風景、前に見えるは鋸岳です。続いてくだんのクモマツマキチョウ。え?撮れなかったのじゃないのって? その通り。ですが、シャクに障ったので、ネットで調べてどなたかの作品を盗作しちゃいました。ゴメンナサ~イ! 最後はこちらを監視してる(?)ニホンカモシカ。これは本物で~す。

2016524日 記




私の「フォト五七五」 水無月二題                    牧 虎彦



入社60周年記念;同期会に出席して--- 徳永 徹









私の「フォト五七五」 皐月二題                    牧 虎彦


あら喜寿爺のお登り囃その3-- 副題 SSツアーの紹介-- 原田 浩


今度はKQSSじゃ

歩けば13時間、電車なら(なんと)16分!

 お登り噺の第3回目、ネタはいろいろあるものの、今回までは前回の続き、例のSSツアー、つまり電車の駅と近くの神社を交互に訪ね歩く、S(Station)S(Shrine)ツアーの体験記を語りましょう。

 前回ご紹介した、都営三田線のSSは、路線距離26.5km3回に分けて歩きました。駅と駅の間に少なくとも1ヶ所神社へお参りすべく寄り道するため、実際の歩行距離は駅間距離の2倍強、一日20km前後になります。一日の歩行時間は約6時間、歩数にして約3万歩のアルキです。

 三田SSの場合は文章を書くという動機もあり、張り切って2月に3回出かけたのですが、それが完成した後は何となくがっくりして、暫くSSツアーが途絶えました。これじゃあいかん! とばかり気力を回復させ捻り出したのが、今日ここに記す、京浜急行線SSツアー、略してKQSSです。

 京浜急行線なる鉄道は、品川から川崎、横浜、金沢八景、などを経て浦賀まで50駅、55.5kmの路線です。これを品川から出発して、浦賀方向へ向かうことにしました。しかし、いくらなんでも遥か浦賀くんだりまでは行く気がしません。せいぜい横浜までがええとこや、てんで品川~横浜間22.2kmを対象とし、ここを2回に分けて走破することにしました。

 という次第で、実際に出かけたのは、1回目が316日(水)、2回目は一月遅れで418日(月)、都営三田線アルキに比べるとかなりのペースダウンです。 316日は品川駅を8時半にスタート。通勤客で超満員の駅から歩き出して、駅前の高山稲荷神社へ。続いて京急北品川駅に着き、休む間もなく品川神社へ。引き続き新馬場駅、諏訪神社、青物横丁駅、幸稲荷神社、・・・と稼ぎ続け、この日の終点京急川崎駅に着いた3時まで、途中大森町駅近くの山谷公園で取ったランチタイムも含めて6.5時間のツアーでした。 この日面白かったのは、品川神社(都内でも有数の巨大な富士塚がある)、東大井の浜川神社(この神社は10階建てマンションの2階中庭にあり、参拝しようにも入れない!)、京急六郷土手駅近くの北野神社(境内に「ボケ防止のため」と称する鶴亀の力石が置いてあった、・・・写真参照)など。それに、神社ではないけれど、大森海岸駅近くの鈴ヶ森刑場跡も見学できました。

 418日の2回目は少し早起きして、前回ゴールした京急川崎駅へ8時に着き、歩き出しました。いつものようにステ(Station)・シュラ(Shrine)、ステ・シュラ、と歩き続け、ゴールの京急横浜駅には2時半到着、この日も6.5時間のウォークでした。

この日の特記事項と言えば、川崎駅傍の女躰大神。なんだか艶めかしい神社だな、裸体像でもあるのかな? と期待をこめて訪れましたが、全然色気なし。昔多摩川の氾濫が多くて農業が危機に瀕した時、ある女性が我が身を犠牲にして氾濫を防いだとかで、それが名前の由来だそうです。その他では神奈川駅手前の洲崎大神で、珍しくも狛犬の阿吽が左右逆になっているのを発見。通常は本殿に向かって右側が口を開けており(阿)、左側が口を閉じている(吽)のですが。何か因縁があるのでしょうね。もうひとつ、これも神社じゃないけれど、八丁畷駅近くで芭蕉の句碑に出会いました。「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」とあって、そう言えばこの近所には生麦なる地名もあり、往時から麦の産地だったのでしょうね。折角だからこの句碑もご覧に入れましょう。

 このツアーでいちばん驚き、がっかりしたのは、歩き終えて京急横浜駅から帰りの電車に乗った時のこと。14.35京急横浜駅発でしたが、京急川崎着14.42、品川着が14.51。品川から横浜まで、2日かけて13時間も歩いたのに、電車だとなんと16分で走っちゃう! ヤレヤレ!

2016422日 記




 ボケ防止に役立つ(?)鶴さん・亀さんの力石
    六郷土手駅近くの北野神社


  筆者 原田 浩氏の略歴

   昭和16年(西暦1941年)東京生まれ
   高校まで香川県で生活される
   昭和40年 鐘淵化学工業㈱に入社
   高砂、中研、本社、東京本社などでご活躍
   定年前後から塩ビ工業・環境協会に出向
   平成18年(西暦2006年)退職、以後サンデー毎日の悠遊自適生活

    


 八丁畷近くの芭蕉の句碑

私の写真いちおし  「晩春の潤い」       山下 勝治


撮影場所  新宿御苑

撮影月日  2016.4.14

コメント   前日の雨が未だ残り風も無く
        しっとりした雰囲気がありました。
        雰囲気が出せればと思いました。




私の写真いちおし  「はにかみ屋」       山下 勝治














撮影場所 神奈川県相模原市

撮影月日 2016.3.25

コメント  雪割草の恥ずかしいそうな
       可憐な姿を写し取りました


あら喜寿爺のお登り囃その2-- 副題 SSツアーの紹介-- 原田 浩

端から端まで全部見た(三田)!

都営三田線 SStationSShrine)ツアーの記

 さて、なりたてホヤホヤの後期高齢者が綴るお登り(くだらない)文章の2回目、今回はこの2月にトライした、都営地下鉄三田線の巡りアルキと行きましょう。先にご紹介したようにこのツアーは、電車の駅を一つ一つ歩き巡り、その間に一つ以上、近くの神社参拝をはさむ、という企画です。

 都営三田線というのはご存じの方も多いでしょうが、目黒を一方の端としてそこから三田、大手町、水道橋、巣鴨などを経由し、板橋の西高島平までの26.5kmをつなぐ、27駅からなる路線です。目黒在住の原田としては狙いやすいターゲットです。

 しかし、路線距離26.5kmということは途中の神社巡りを考慮するとその約2倍、50km程度のアルキを覚悟せねばなりません。1日では到底無理、最近の老化ぶりを考慮すると2日でも無理、3日コースとして1520km/日と考えました。そこで、初日は目黒→水道橋(路線距離10.6km)、2日目は水道橋→本蓮沼(路線距離9.4km)、最終3日目で本蓮沼→西高島平(路線距離6.5km)という計画にしました。

 ここまでくれば後は天候とヤボ用の予定と体調とを睨み合わせて決行の日を決めるだけです。結果としてこの三田線SSツアー、初回は23日(水)、2回目は215日(月)、最終3回目は228日(日)にそれぞれ実行しました。

 では、出かけたその日その日の出来事を一つ一つご報告しましょう・・・、なんてやってるとすぐスペースがなくなっちゃいますので、3回のツアーそれぞれで面白かった出来事などをちょっぴり紹介します。

 まず初回の目黒→水道橋ツアーでは、たまたま節分の日だったこともあって、あちこちの神社で豆まきやらお札出しやらをやっており、予想外に賑やかでした。芝東照宮の脇にある増上寺では大規模な豆まきが行われていたらしく、マイクの大声で曰く、「それではこれから水谷八重子様に豆をまいて貰います、ソーレ! フクハーウチ! オニハーソト!」なんてやってましたよ。また、新橋の烏森神社では、お札を貰うためか、延々50m程の行列が出来てました。

 2回目の水道橋→本蓮沼行では、白山駅と千石駅の間で白山神社へお参りした後、白山通りを歩いてたら、頭上の電線の上をなにか獣がするするっと伝って行くのを目撃! あわてて写真を撮って後で調べたらなんとタイワンリスでした! へ~え、こんな所にも棲んでんだねっ!

 この日はそのほか、通りがかりに「こんにゃく閻魔」様を見たり、「お岩さまの墓」にもお参りしたり、忙しかったです。当日撮った西巣鴨の妙行寺で見つけた「お岩さまの墓」の写真をお見せします。意外とすっきりしてて不気味な感じはなかったです。

 最終3回目の本蓮沼→西高島平の部では、神社はともかく、高島平の街並みぶりが印象に残りました。15階前後の高層アパートがずらりと並び、壮観でした。もっとも、世代交代が進んで今や消滅団地と言われてもいるそうですが、日曜日のせいもあってか結構人出は多く、賑やかで、そこそこ活気もあるやに見受けられました。

 てな調子で巡り歩いた後は、自宅で風呂へ入った後、ビールガブガブ、日本酒じっくり飲んで疲れを癒す、これぞ人生至福の時ぞよ! また次はどこ行くか、考えましょう。ァ出かけたら、ァまた、ァご報告、ァ致しまするゥ(歌舞伎調)。

そういえば、このお登り噺へのご感想、ご意見などは、メールでどしどしお寄せ下さい。原田のメールアドレスは次の通りです。よろしく。  haradah@rapid.ocn.ne.jp

                      (2016319日記)




  西巣鴨の妙行寺にあります「お岩さまのお墓」です


私の「フォト五七五」 卯月二題                    牧 虎彦









私の写真いちおし  「春の香り」       山下 勝治      














撮影時期  2016.2.23   

撮影場所  新宿御苑

コメント   春の兆しが梅の香りとともに 
        感じられる季節でした。


私の「フォト五七五」 弥生二題                    牧 虎彦



あら喜寿爺のお登り囃し-- 副題 SSツアーの紹介--

来月度より会員の原田 浩さま執筆で表題のテーマで連載がはじまります。今回はそのイントロです。

 こんにちは。御無沙汰しています。カネカOBの原田浩です。カネカを退職してから15年、その後の職も辞してサンデー毎日になってからでも10年が経ちました。まさに「光陰矢の如し」です。

お陰様で、その後もまずまず平穏に人生を過ごして居りましたところ、鐘華会東京支部の会合で幹事さんから、「原田さん、鐘華会東京支部のホームページに何か書いてくれませんか」と頼まれました。昔から頼まれれば嫌とは言えない、弱気でお人好しの原田ですから、「はいはい、承知いたしました」と回答したものの、さて困った、どうしよう、なにを書こう??? と悩み苦しむこと数ヶ月、やっとその第1号が出来上がったのです。

 で、何を書いたのかって? お読みになればお判りでしょうが、要するに、退職後持て余した暇をどうやって過ごしているか、ということに尽きますね。といっても、皆様方のように、新たな事業を起こして大儲けしたり、海外ツアーに行ったり、社会貢献に勤しんだり、なんてことは出来る筈がありません。平々凡々に過ごしている毎日を、でもそれなりに抉りだして、出来るだけ面白可笑しく綴ってみっか、てなわけで始めたのです。名付けて「アラ喜寿爺のお登り噺」としました。原田は1941年生、後期高齢者になりたて、もうすぐ喜寿です。それと、「お登り噺」の「お登り」とは、「登る」、つまり「くだらない」という、くだらない駄洒落です。すみません。

 で、今日の話題は、最近凝ってる「歩き」の話です。数年来、あちこちを日帰りで歩き回ることが趣味になり、これまでに「東京六大学巡り」だの、「川筋アルキ」、「区役所巡り」、なんてやったのですが、このところ「電車の路線アルキ」に嵌りこんでるのです。最初は「東京山手線巡りアルキ」から始めましたが、その後、東急電鉄の目黒線、多摩川線、池上線、大井町線などを制覇し、最近はターゲットを地下鉄へ移して、つい先日からは都営三田線に取りかかってるのです。

 路線歩きといってもピンとこない向きがあるかも知れませんが、要するに例えば東急目黒線アルキでしたら目黒~日吉の各駅を巡り歩くのです。この間の13駅の路線距離は11.9km。でも、駅だけじゃあ物足りないので駅と駅の間に必ず近くの神社を訪ねて参拝することを条件付けました。ですから実質歩行距離は約20km、休憩を入れた歩行時間は約6時間になります。朝10時前後から歩き始めて、途中でランチを摂り、終了はほゞ午後4時前後、終わった時の足腰の痛みは半端じゃありません。

 なんでそんなつまらんことするのよ。しんどいだけじゃんか? とお思いかも知れませんが(原田もある意味賛同しますが)、そうは言いながらやってみるとなかなか興味深い体験もできるんです。例えばそれまで行ったことのなかった地域の環境や雰囲気やが判り、へ~え、そんな所だったのか、と見直したり、あまり知られていない施設や雰囲気などに浸ることが出来たり・・・。 しかしなんと言っても一番の愉しみは、帰宅して一風呂浴びてから飲み干すビールの美味さ。まさに、筆舌に尽くし難い、てのはこのことですねぇ。

 てなわけで、この「お登り噺」第1号は電車の路線歩きの実例を紹介するつもりだったのですが、前書きを綴るだけでスペースが尽きてしまいました。止むを得ず、路線歩きの実例は次号以下に廻させて頂きます。ご了解下さい。 なお、この路線歩きですが、名付けて「SSツアー」と称しています。駅(Station)と神社(Shrine)を巡る旅(Tour)という意味です。

 このツアー、誰と誘いあって行くというのではなく、すべて原田一人、単独行です。一人の方が気楽で良い、好きな時に休めるし、好きな時に遠慮なくトイレにも行ける、ランチも好きなようにできる・・・、という訳で、大都会東京の中で1人孤独を愉しむ、原田なのです。しかしたまには大勢で歩くのもいいですね

では、次号より本番のはじまり、はじまり。



長寿御3家の同期会に参加してーーーー 川上 厚


長生きの秘訣

2月18日、新百合ケ丘の焼き鳥屋で3人の大先輩とお会いしました。即ち、新納國男さん桑垣 功さん 小枝正夫さんのお三人で昭和26年カネカ入社の同期のかたです。同期には石本さん、徳永さんがいらっしゃるとのことで新納さんは御年91歳、小枝さんと桑垣さんは87歳とのことでした。お三人は2-3ケ月に一回この場所で同期会を開いておられ、旧交をあたためておられるとのことです。今回はそこに鈴木支部長と私が闖入いたしました。各人の経歴の中ではやはり太平洋戦争の色が深く影を落としているようで、新納さんは慶応大学在学中に学徒出陣となり上海に派兵され、すぐ終戦となり9ケ月捕虜になられたようです。市内を行進中中国人のこどもをなぐった日本人の捕虜が背中を銃殺され即死したことなどの話をお聞きしました。桑垣さんも高校生のときに終戦を迎へ朝鮮半島で下宿先の京城より両親の居る平壌に移動したものの、ロシアの参戦で脱出せざるをえず徒歩で7日間歩いてまた京城に戻り一命をとりとめたようです。小枝さんは戦争がもう一年長引けば学徒動員になったようです。徴兵は免れたものの日本本土の空襲に苦労されたとのことです。

このようなことでお三人とも死線を超えてカネカに入社されたことになります。新納さんは化粧品とともにカネボウで小枝さんは経理、総務部門で(特にカネミ油症対応で苦労されたとのこと)桑垣さんはカネカロンでご活躍後独立されたとのことです。

最後に長生きの秘訣をお聞きしましたところ、小枝さんはテニスを継続したこと、あとのお二人は酒と○とのことでした。また会おうということで散会いたしました。




私の「フォト五七五」 如月二題                    牧 虎彦



私の写真いちおし  「春を待つ」          山下 勝治













撮影時期   2011年2月15日  

撮影場所   新宿御苑

コメント    雪の中から顔を出す福寿草 



私の「フォト五七五」 睦月二題 新                   牧 虎彦



私の写真いちおし  「庭の佳人」          山下 勝治














撮影時期  2015年12月3日

撮影場所  静岡県袋井市医王山油山寺 

コメント   雨で粧した椿


私の「フォト五七五」 師走二題                    牧 虎彦



俳句と絵画ーーーー 大滝 恒雄


 俳句と絵画は「見てきたような嘘」の許される世界です。嘘ではきついので「デフォルメ」と言い換えてもいいかもしれません。いずれも主役が何なのか、明確でなければいけません。頭の中だけでなく、実際に観察したものでなくては説得力を持ちません。そこで左の煙突を右に持ってきても許されるのです。フェルメールの風景画などのもこうした例はみてとれます。主役が明確に描けてないと締まらない作品になってしまいます。俳句でいうと「なんですか俳句」になってしまいます。写生をしっかりする点も同じです。

 絵画は1号1日―10号なら10日で描き上げなさい、と言われます。筆の勢いを大切に、という意味だそうです。私は出展するまで描き加えますが、それでも満足なものになりません。見る人に窮屈な思いをさせるのでよくないそうです。俳句も花鳥風月なものや説明がくどいものは好まれません。どちらもわが手に惚れる傾向にあります。第3者の声を聞いて「そういう解釈もできるのですね」という俳句の世界が私は好きです。



私の写真いちおし  「慎ましやかに」          山下 勝治





















1.撮影時期  2015年9月下旬

2.撮影場所 昭和記念公園               





私の「フォト五七五」 霜月二題                    牧 虎彦



電材事業部OB会のことーーー 川上 厚


去る10月5日四ツ谷クラブにおいて第4回電材事業部OB会関東部会が開催されました。
当日は外山会長は欠席となりましたが、現役の牧事業部長がお忙しい中ご臨席たまわり、電材事業部の現状について詳しくお話を聞くことができました。また、栃木カネカの大瀬戸社長からは栃木カネカの活躍ぶりをソフトな話も交えメッセージをいただき、それを披露させてもらいました。そのあとはご出席の皆様より近況報告をいただき大いに盛り上がりました。しかしなんと言いましても今回の話題の主役は四国の香川で大活躍している㈱ヴィーネックスの七尾氏でした。20年前にファックスのセンサーとして開発し、苦労に苦労を重ねた上に、地道な努力と工夫により今や隆々たる会社に成長させました。出席者の皆様は彼の苦労を知っているだけに彼の努力に対する敬意が大いに膨らんだことでしょう。賞賛の嵐となりました。

 さて、この電材事業部OB会は4年前に関西の大西 優さんと寺田昭英さんが発起人となり、食品事業部、化成事業部でOB会をやっているので電材も集まろうということで企画されました。会長には3代目の事業部長でした外山さんにお願いし、関西は大西さん(6代目) 関東は水野雄之さん(4代目)を部会長とし、寺田氏が事務局長という体制でスタートいたしました。

関東部会の一回目は栃木カネカのメンバーも加え平成24年9月21日に四ツ谷クラブに23名(内女性一名)が参加してにぎにぎしく開催いたしました。それからはや4年が経過しました。電材事業部のモットーは小規模でもきらりと光る事業部で、エレクトロニクス周りの先端技術にアクセスする開発力です。我々OB会も、その趣旨に則り、味のあるお話で会員の切磋琢磨を図りたいと念じており、5年、10年と続けていきたいと思っています。

                                      世話役 川上

  



私の写真いちおし  「森の集魚灯」          山下 勝治




1.撮影時期  2015年8月中旬 

2.撮影場所 東京御岳山

3.コメント 蜘蛛の巣を投網にみたてた 



私の「フォト五七五」 神無月二題                    牧 虎彦






私の写真いちおし  「蓮華の宿」          山下 勝治


山下勝治さんのプロファイル

  1971(昭和41年)  4   入社

     生物化学研究所配属 

その後組織名が高砂研究所に変更

  1997(平成9) 12月 技術部兼研究部(東京)に在席

  2002(平成14) 11月 定年退職




私の「フォト五七五」 長月2題                    牧 虎彦


私の写真いちおし  「飛び出せ」          山下 勝治






日本の自然を画く会の展覧会に参加してーーー 鈴木 茂 ーーー



絵画鑑賞とお寿司        鈴木 茂


7月10日、鈴木俊弘氏とご本人大滝恒雄氏と上野の森美術館で開催されている日本の自然を画く会の展覧会を鑑賞した。大滝氏の入選作品をはじめ名画がずらり、素人くさい賞賛と批判も交えて名画を鑑賞した。引き続きアメヤ横丁脇の寿司屋に移動、この御徒町界隈は寿司屋が集中していて寿司屋の激戦区となっている。本格的な江戸前にぎり寿司を堪能した。特にトロは秀逸であった。

                  
   お礼とご報告      大滝恒雄

あのあと西村富弥画伯の講評を受けました。「出来上がった作品です。今までいくつ賞をとりましたか?とったことない!不思議だなー!何でだろう?あるとすれば描き過ぎたところかな!須田克太、鈴木信太郎、安井曽太郎などの省略を勉強しては!もっといい絵がかけますよ」。家で描いてるものと会場では違う色になるので、気をつけねばと思いました。額縁で作品が生きるのも死ぬのもあるので、みなさん画伯からアドバイスを受けてました。小生の作品の額縁は合格でした。総合するとかなりいい線まで来ているが真面目に描き過ぎないようにということでしょう。来年めざし新たにチャレンジしたいと思います。

 

  次に大滝さんの作品が出展される展示会は下記のとおりです。
  是非お時間のある方はご鑑賞ください。

     1.展覧会名    日美展

     2.日時   8月6日より8月15日まで

     3.場所   六本木の新国立美術館



                                
 


私の「フォト五七五」  葉月2題        牧 虎彦




福島復興支援ーーー環境保全型フクシマハウス有機農法ーーー 井上 仁

ふるさとフクシマの最新重点応援課題「福島を環境保全型ハウス有機農法で応援したい!」プロジェクトが、カネカとの2つの結びつきをバックに、大きく前進しました。

フクシマ復興応援ネットワークの立ち上げ
 井上のふるさとの福島県浜通り地区には、東京電力の2つの原子力発電所、3つの火力発電所があります。2011年3月11日福島第一原発事故で第二原発も含めて原発は廃炉が予定されていますが、火力発電所はいまなお東京を中心に都市部へ電気を送り続けています。
 フクシマの原発事故以来4年余りが経ちました。当初は被災者の皆さんに寄り添い、落ち着いて暮らせる住まいの確保や損害賠償請求などのお手伝いしてきましたが、今なお、国の復興施策は停滞し、10数万人の皆さんが避難生活を余儀なくされたままです。
事故発生以来4年目を迎えた2014年4月、フクシマ問題は長丁場、被災者の自立、生活再建支援は国民的課題という思いで、全国規模の「フクシマ復興応援ネットワーク」を立ち上げ
ました。


農業県フクシマの再生農業の模索
 これまでに13のフクシマ復興再生課題について、全国の皆さんとのインターネットや勉強会・研究会での情報発信や意見交換を通して、累積型の問題解決的アプローチを行い、国や被災自治体に具体的な復興施策を提言するとともに、次の世代に継承し、発展させていく活動を続けています。
 特に、福島は農業県。「原発被災農家の皆さんが、これまで慣れ親しんできた農業で
笑顔と元気を取り戻してほしい!」という思いを込めて、フクシマ再生農業の在り方を模索してきました。
 2014年7月、農水省が環境保全型と認定する「深層土壌加温農法」との出会いをきっかけに、「化学肥料や農薬を使わ
ない自然と一体となった安全・安心な農業への回帰を!」という願いを込めて、「深層土壌加温方式」を取り込んだ「フクシマ再生農業」の可能性を検討してきました。
 
やぶ田フアームの指導、支援のもと
 ところで、カネカの新入社員時代、大阪工場で大変お世話になった藪田秀三さんご一家がお二人の息子さん家族と一緒に、北海道十勝でやぶ田フアームを経営されています。  
同期入社の斎藤直人さんと一緒に、7年ほど前から毎年、藪田さんを訪問し、歓待を戴いてきました。いつも、ご長男の秀行さんも一緒して戴き、未来の子供たちのため、自然と一体となった安心・安全で健康な野菜を栽培する自然農法」で頑張っておられる、大変興味深い話をお聞きすることができました。
 先の「深層土壌加温農法」の話が舞い込んできた折、すぐに藪田秀行さんを思い出し、早速、当農法の実効性についてお尋ねしたところ、「地温を上げることで、土壌微生物の活性化は十分効果がある」として、「私が完成させようとしている自然農法で、原発事故で被災された方たちの農業による生活再建への道筋づくりに何かお手伝いがしたいという気持ちになりました。私にお手伝ができることがあればよろしくお願い致します」という言葉を戴きました。 
 
 
 そこで、この
「深層土壌加温農法」とやぶ田フアームの硫安などの化学肥料や農薬を使わない「自然栽培」を一体化した農業を「環境保全型フクシマハウス有機農法」と命名し、「フクシマ再生農業」と位置づけした

 これまでやぶ田フアームで「深層土壌加温システム」の熱源、トレンチャー、保温資材、配管、給油装置、温度調節器等の事前検討を行ってきました。これらの成果をもとに、来シーズンに向け、この9月中旬の種まきまでに、当システムを導入し、「有機JAS認証野菜」を省力、低コスト、高生産性で栽培できることを確認する実証栽培プロジェクトを立ち上げることになりました。
 
 今後、その成果をもって、さらにこれまでのやぶ田フアームの20年近くの実践研究成果を踏まえ、「
環境保全型フクシマハウス有機農法」フクシマでの展開に向けた栽培技術および農業ビジネス経営ノウハウの基本を標準化しま

                           藪田秀三さんのご長男 藪田秀行さん

           
                              北海道帯広市愛国町のやぶ田フアーム

太陽光発電
プランナー協議会理事企業3社とのタイアップで 
 やぶ田フアームでの実証栽培プロジェクトの立ち上げにあたり、カネカOBの皆さんには「深層土壌加温システム」の導入費についての支援をお願いさせて戴き、これまでたくさんの皆さんから貴重な支援金をお寄せ戴きました。また、この間、当農法のフクシマへの導入・展開についてもご相談させて戴きましたところ、カネカ時代ソーラー事業を管轄された八田幹雄さんのお骨折りで、日本太陽光発電プランナー協議会理事企業3社とのタイアップ路線を固めることができました。
 やぶ田フアームでの実証栽培プロジェクトと並行して、藪田秀行さんの指導支援のもと、上記3社と連携し、福島県内の遊休農地を活用した「太陽光発電・売電」と「有機JAS認証野菜の栽培・販売」をセットにしたフクシマ発環境保全型ソーラーシェアリング農業としてのビジネスモデルづくりに取組みます。さらに、今後、当農法について、福島県内の原発被災農家、避難生活受入自治体、風評被害に苦しむ農家の参加を拡大し、フクシマ発過疎地活性化農業ビジネス、地方創生型農業ビジネスとしての導入・展開を図っていきます。


http://www.housejapan-yume.jp/solarsharing010.jpg


あらためて
皆さんへの再度のお願い
 「環境保全型フクシマハウス有機農法」のフクシマへの導入・展開については、お陰さまで、やぶ田フアームと日本太陽光発電プランナー協議会理事企業3社とのタイアップで、
福島県内の遊休農地を活用した「太陽光発電・売電」と「有機JAS認証 野菜の栽培・販売」をセットにしたフクシマ発環境保全型ソーラーシェアリング農業として展開するという、フクシマ農業再生に向け
た大変理想的な道筋ができ上ってきました。結局、カネカとの2つのつながりが基盤になっていることに、大変感慨深いものを感じます。

 現在の緊急課題は、やぶ田フアームに、この9月中旬までに「深層土壌加温システム」を導入することです。この取り組みの詳細をお知りになりたい方は「福島を環境保全型ハウス有機農法で応援したい!(
https://readyfor.jp/projects/belhyud)にアクセスしてみてください。

           



私の写真いちおし  「情熱の花」          山下 勝治

山下勝治さんの写真(例会で川上撮影)はこちら




私の「フォト五七五」 文月2題                    牧 虎彦



【漢字小景―10(最終回)】 ~「還暦」は日ではなく年   吉村 正(志田 唯史)

 今回は「還暦」についてのお話しをします。とはいえ、このHPの読者のみなさんは全員、還暦をとうに過ぎた方ばかりですよね。では、あらためてお聞きします。みなさんが還暦を迎えられたのはいつだったでしょうか?

 「十年前の六月十日だ。おぼえておけ」「そうそう、二十年前の大晦日だったよ」「せやなあ、四十年前の正月や(フガフガ)」……。いろいろお答えが返ってきそうですが、この中で「正しい」のはお一方だけなんです。呂律の回りにくくなったたどたどしい発声ながら、「正月」と答えてくださった百歳の先輩です。さすがに年の功と申せましょう。

 では、あとのお二人は何が間違っているのでしょうか。それは「自分の誕生日に還暦を迎える」と思っていることです。でも、違うんです。還暦と誕生日は何の関係もありません。

 そもそも「還暦」とは何か。ここからもう一度おさらいしてみましょう。多くの国語辞典には「数え年で61歳になること」と書いてあるはずです。で、「数え年」を引くと、「生まれた年を1歳とし、そのあと新年を迎えるごとに1歳ずつ加えた年齢」とありますね。はい、これが正しい「還暦」の意味です。つまり、満年齢で六十一歳となるその年の正月を迎えたら、一月一日生まれの人から十二月三十日生まれの人まで、みーんなそろってめでたく還暦なのです。

 「還暦」とは文字どおり「暦が還る」こと。たとえば今年(二〇一五年)還暦を迎えるのは、干支(えと)でいえば「乙未(オツビ=きのとひつじ)」生まれの人ですが、この人は六十年前にあたる一九五五年の「乙未」生まれなんです。つまり、干支がぐる〜と一回りしてきた年が「還暦」にほかなりません。

 ちなみに、江戸時代は「還暦」よりも「本卦還(ほんけがえ)り」という言葉のほうがよく使われていました。前号で書いたように四十で「初老」ですから、江戸時代も五十歳までに隠居するのが常識でした。が、どの社会にも「オレはまだまだやれる。この椅子は誰にも渡さん」という人がいるものです。そんな人には隠居を勧めるために、周囲の人が「本卦還り」の宴を催し、魔除けのための赤い頭巾とちゃんちゃんこを着せて、「はいはい、その椅子は若い人に譲りましょうね。あなたはもう子どもに還ったのですから」と諭したのでした。

 なお、数え年では生まれたときに一歳、翌年の正月には二歳になります。もしある人が大晦日に生まれたなら、翌日にはもう二歳というわけですね。こうした年齢の数え方は中国が起源ですが、なぜそうなったかというと、(諸説ありますが、基本的には)中国にゼロがなかったからだといっていいでしょう。いや、中国だけでなく、ゼロという概念が発見されるまで、洋の東西を問わず整数はすべて一が基点だったのです。世紀の数え方だって、ゼロではなく一からはじまっているでしょ。

 ちなみに、暦の本家である中国では、「還暦」というより「華甲(または花甲)」と呼ぶことのほうが多いようです。「華」は「はなやか・立派」などの意味(字を分解すると六つの「十」と「一」とになるとの説もあります)、「甲」は「甲子(かっし=きのえね)」でそれぞれ十干(じっかん)と十二支の最初をあらわしています。

 ということはともかく、「オレは今年の六月一日で還暦を迎えるんだ」というのは、日本の伝統的な表現としては正しくありません。このことは知っておいて損はないと思いますが、若いヤツにこういうことをいうと、よけいジジイ(ババア)扱いされるかもしれませんね。

 さて、『漢字小景』は今回をもって筆を擱(お)きます。人事時代の先輩である鈴木(メン)さまにおだてられて続けてきましたが、最近は本業(はい、自宅を事務所と称して物書き業を続けています)が忙しくなってきたので、そろそろ潮時かなと思っていた次第です。それに他の会員の方々を差し置いて物書き風情が出しゃばるのも考えものですから。

 なお、小職は『メトロウォーカー』にも雑文(『大人の脳トレ』=スケルトン形式の漢字クイズとその解説)を書いております。『メトロウォーカー』とは東京メトロの広報冊子(季刊)で、メトロの各駅に置かれており、24P仕立て。何と、無料で配布されていますので、ぜひ手にとってお読みください。毎回読者プレゼントが用意されており、ハガキで応募しますが、その際のアンケートに「志田唯史の『大人の脳トレ』は最低だ」などと書かないでくださいね。仕事の一つがなくなってしまいますので……。

 それではみなさん、長いあいだのご愛読、ありがとうございました。



編集後記

 志田唯史さんこと吉村 正さんの漢字小景は昨年9月より10回にわたり投稿いただきましたが、皆様いかがだったでしょうか? 豊富な知識をこなれた筆致で書きすすめていただき、さすがプロは違うなというのが率直な感想でした。長い間の投稿本当にありがとうございました。今後の再登場に期待いたしましょう。




私の「フォト五七五」 水無月2題                    牧 虎彦







ーーー匠発見その3ーーー

鈴木秀五郎さまの版画年賀状の最終回です。今年の年末には皆様挑戦されてはいかがでしょう!。



【漢字小景―9】 ~「初老」という年齢  吉村 正(志田 唯史)

 今回も、誤解されて使われている漢字について書いてみます。まずは年齢の呼び方について。

 「初老」という言葉を聞いて、みなさんは何歳くらいの人をイメージしますか。私がカネカに入ったころは定年が五十五歳でしたが、この年代ではまだまだ現役意識が強く、「オレはたしかに中年やけど、まだ老人とはいわれたぁないわ」と思っている方が大半だったでしょうね。今なら六十歳の声を聞いて少し観念し、「まあ、初老といわれてもしゃーないな。許したるわ」という感じでしょうか。

 ところがですね、かつて「初老」とは、なんと四十歳のことだったんです。いや、みなさんの国語辞典では、語義の(1)として、「中年を過ぎ、老年に入りかけた年ごろ」とか、「老境に入りかけの人。老化を自覚するようになる年頃」とか書かれており、語義の(2)が「四〇歳の異称」などとなっていると思います。

 しかしながら、私の手許にある漢和辞典(『字源』簡野道明著・明治書院・大正十四年版)には「四十歳の称」と書かれているだけなんです。つまり、大正から昭和初期ころまでは、「あいつもそろそろ初老だね」といえば四十歳のことであって、(1)はその後に生成した語義だとわかります。

 ちなみに、厚生労働省の資料によると、明治二十四年~三十一年の平均寿命は男が四二・八歳、女が四四・三歳。昭和二十五年~二十七年で、男の平均寿命はやっと五九・五七歳です。著名人の死亡年齢を見ると、夏目漱石は満四十九歳(大正五年)、森鷗外は満六十歳(大正十一年)、野口英世は満五十一歳(昭和二年)、比較的長生きした斎藤茂吉も満七十歳(昭和二十八年)で亡くなっています。四十を「初老」と称したのも、なんとなく理解できますね。

 ところで、わが国には奈良時代以降、四十歳からはじまって十年ごとに年の祝いをするならわしがありました。四十歳はその最初の祝いで、これを「初老」「初賀」などといいます。『古今集』にある「桜花散りかひくもれ老いらくの来むといふなる道まがふがに」(桜の花よ、散り乱れてあたりを霞ませよ。『老い』が通って来ると聞く道が、花に紛れて見分けのつかなくなるように)は、藤原基経(もとつね)の四十歳の初賀を祝う在原業平の歌です。

 また、自らの老いを「霜鬚秋暮驚初老」(秋の暮れがた、白いあごひげに気づいてハッとする。ああおれももう四十なのだ)」と歌ったのは菅原道真。三十九歳のときの歌(漢詩)です。老いの兆候を感じるとる年齢が四十だったんですねえ、このころは。

 今では四十なんて「さあ、これから」の働き盛り。五十をかなり過ぎてから「ありゃりゃ、少々からだがついてこんようになったかなぁ」と感じはじめ、還暦になってやっと「老い」を、ほんの少しだけ意識しはじめる。けれど気持ちは壮年のまま、というのが多くの方の感覚ではないでしょうか。何につけても、気が若いのはいいことです。ただし男の場合、どこかの「元校長」のように、「やりすぎ」には注意しましょうね。

 ということで、次回は「還暦」という漢字の誤解・誤用について書く予定です。(つづく)



私の「フォト五七五」 皐月2題                    牧 虎彦



熟年ジャズコンサートに参加して--- 川上 厚

去る4月19日の日曜日、鈴木支部長と一緒に都営新宿線の瑞江に行ってきました。徳永さんよりご紹介を受けたジャズクラブ Mコンサートを聞きに行くためでした。

お店は地下にあるレストラン&ライブハウスHOTコロッケで、開演の11時30分にはほぼ満席となり、アットホームな雰囲気がかもしだされていました。ドリンク券2枚とサンドウィッチ、おつまみ付きで下世話な私にはこれだけで会費のもとが取れたような気分でした。コンサートは2部構成で前半はテープ伴奏、後半はピアノとドラムそしてパーカッションの生バンドをバックにしての独唱というもので、徳永さんはいずれもトップバッターとして緊張が高まる中、場の盛り上げに貢献されていました。特に大きなジェスチャーで熱唱され素晴らしいパフォーマンスを発揮されましたことは我々にも力強い勇気をいただくことができました。私はジャズを聞きながら皐月賞の馬券が気になっていましたが、隣で鈴木さんは一句ひねっていました。「まったりとジャズの響きや春の宵」

出演者は全員がおそらく70歳以上の方の熱唱、ジャズのよく知っている曲ばかり、味のあるトークと最高のコンサートでした。又次回も参加したいと思いました。
当日のプログラムはこちらから





ーーー匠発見その2ーーー

先月に引き続き鈴木秀五郎さまの版画年賀状を掲載させていただきます。素晴らしい作品をお楽しみください。



【漢字小景―8】 ~漢字の「人」について  吉村 正(志田 唯史)

 前回は、「中国の古典や日本の近代以前の詩やかたい文章のなかに出てくる『人間』という言葉は、『世のなか』という意味ですよ」というお話をしました。なのにまた「人」か、しつこいヤッチャ、といわないでくださいね。今回は熟語の意味ではなく、「人」という漢字そのものについて、ちょっと興味深い話を一席ぶつつもりです。

 「人」字の話をする前に、私の大好きな蘇軾(そしょく=蘇東坡)が漢字についての問答で、時の宰相・王安石をやりこめた話を紹介しましょう。ちなみに、宋代には新法派と旧法派との大抗争があり、王安石は新法派の大ボス、蘇軾は王安石の改革に一定の理解を示しつつも、その独断的なやり方に反対する旧法派の新人官僚の一人でした。

 さて、王安石には『字説』という「漢字の成り立ち」について書いた書物があります。蘇軾がおちょくったのは、この本に書かれたいくつかの「字源」についてでした。わかりやすい例だけに絞って紹介しますね。

 たとえば「波」。王安石はこの漢字を「水の皮」であると字解きします。なるほど、水の表面にできる大小さまざまな文様ということでは、この解釈に妥当性があるように思われます。けれど、蘇軾はこう混ぜっ返したのでした。「へえ、そうなんですか。だったら『滑』は水の骨ってことですかね」って。今の漢字学でいうと、「波」は「皮」を声符とする形声文字なのに、王安石は無理やりこれを会意文字に仕立てあげてしまったわけです。

 また、王安石が「『篤』は馬を竹の鞭で打つことだ」と解いたのに対し、蘇軾は「でも、犬を竹の鞭で打ったら、なぜ『笑』になるんですか?」と聞き返してもいます。「笑」は異体字で「竹+犬」と書かれることもあるからです。もちろん、どちらの反問にも王安石は答えられませんでした。

 要するにも王安石は、文字(漢字)を勝手に分解し、それぞれの意味を自分のイマジネーションによってつなぎ合わせることで、その文字の本義を解こうとしたわけです。文字遊びとしてはおもしろいかもしれませんが、とても学問といえるものではありません。

 実は、「人」という漢字についても、多くの人がこれとよく似たことをやっています。つまり、この字を中央からわざわざ二つに分けて、「人という字は、二人の人が互いに支え合い、あるいは寄り添っている姿をあらわしています。人は独りでは生きていけません。他の人の助けを借り、あるいは他の人を助けながら生きているのが人なのだと、この字は私たちに教えてくれているのです」と。代々伝承されているのか、寺の坊さんたちの説教によく出てくるたとえです。

 いや、こんな話をしちゃイカン、といってるんじゃないですよ。人生訓話としてなら「なるほど」だし、その内容をとやかくいうつもりは毛頭ありません。ただ、「人」という漢字を二人の人に分けるのは、漢字の成り立ち(字源学)からいうと明らかに間違いだといえます。「人」という漢字の原形は別添(1)のとおり。これらはみんな、中国から出土した殷(いん)の時代(今から三千数百年前)の甲骨文に刻まれていたものですが、二人の人が支え合っている象形なんかではなく、人が前屈みに立っている姿をその側面から見て描いた形なんです。

 でも、この漢字、何だかもの悲しそうですね。実際、これは首枷(くびかせ)をはめられた人の姿だ、という説もあるくらいです。というのも、殷の時代は戦争捕虜だけでなく、狩りをするように異民族を捕らえてきては、彼らを奴隷や生け贄にしていたからです。殷の遺跡あとには、神への捧げ物として斬首された奴隷のおびただしい骨が出土しています。

 そもそも、「人」という概念が古代と現代とでまったく異なっていることに、私たちは思いを致すべきでしょう。これに関して、中国文学者の中野美代子・北大名誉教授は次のように述べています。

 「『人』を『ひと』と読めば、それは、いわば human being と相通じる極めて抽象的な概念に相当する。しかし、古代人がそんな抽象的な概念を有していたであろうか。もっと具体的なこと、もっと可視的なものが古代人のあらゆる発想の源泉にあったのではなかろうか」

 「『人』は今でこそ『ひと』一般を指す抽象語となったが、古代では、自分のすぐ周りにいる近親者の意味だったのである。(中略)桀(けつ)王と紂(ちゅう)王をチャンピオンとする古代の残虐非道の君主たちには、まだ『人』概念は定立していなかった。(中略)自分と愛妃を除くすべての者は『人』でないと看做したかも知れない」(いずれも『カニバリズム論』より)

 殷代においては、奴隷だけでなく国民・民衆も、現在でいう「人」とはみなされていなかったようです。

 ちなみに、別添(2)に「人民」という言葉に使われる「民」の甲骨文字を集めましたが、この漢字がもともと何を意味していたか想像がつきますか? 実はこれ、奴隷の目玉に針を突き刺している形をあらわしているんです。怖いですねえ。痛いですねえ。もちろん、奴隷の逃亡を防ぐためでした(異説もありますが省略)。

 この漢字が意味するところは、最終的には「有象無象の取るに足らないヤツら」というところに行き着きます。というのも、一方では「目を見えなくさせる→世間が見えなくなる→ものの理非がわからない」という観念連鎖を経て、また他方では「奴隷→人間とはみなされない存在→愚昧な生き物」という観念連鎖によって、どちらも「支配者以外のその他おおぜいの者ども」となるわけです。

  現在の価値観から見れば、およそ許し難い連想ですが、私たちが相手にしているのは三千数百年前の古代人の観念、支配者の観念であることを忘れないでくださいね。で、この「その他おおぜいの者ども」という意味合いが、今度は「多くの人々→一般大衆→民草」と拡張されて現在の「民」の意に至り着いたのでした。

 はい、編集子から「文章が長い」と叱られそうなので、このあたりで「人」と「民」とのお話を終わります。

 (つづく)




私の「フォト五七五」 卯月2題                    牧 虎彦




ーーー匠発見その1ーーー


【漢字小景―7】 ~「人間」について  吉村 正(志田 唯史)

 前回は二月ということからの発想で、「鬼」という漢字について小話を草しました。ならば三月は「桜」か「春」か。いや、ゴメンなさい。今回選んだお題は「人間」なんです。

 とはいっても、諸先輩に向かって「人間とはいかにあるべきか」なーんてことを書くつもりは毛頭ありませんし、私、そんなタマでもございません。相田みつをふうに「人間だもの」を弄するつもりもありません(あ、相田ファンの方、スミマセン)。そうじゃなくて、ここでは「人間」という言葉(漢字)がどれほど誤解または誤用されているか、そのあたりのことを述べるつもりです。

 こんなことがありました。かつて勤めていた編集制作会社で、退職者に色紙を贈ることになりましたが、私の手許に回ってきた色紙に「人間到るところ青山あり」との一文が。ああ、なるほどね。はなむけの言葉としてはいいんじゃない、とそのときは思いました。が、送別会の席上で書いた本人が得々とその言葉の解説をしだしたのを聞いてびっくり。「人間はどこに移っても、そこには青々とした山があります。新天地でのご活躍を祈念し、この言葉を贈りました」。

 あのねえ。意味がまったく違うんですけど。……と思いつつもとりあえずは拍手(おとなだもの)。まわりを見わたすと、小首をかしげている人や、けげんな顔をしている人が何人かいました。本人は、スピーチ集か名言集あたりでこの言葉を拾ってきて、内容も確認せずに使ったんでしょうね。

 そもそもの間違いは「青山(せいざん)」の意味です。これは「墓地」。青山墓地とは関係ありません。元の文章(月性〈げっしょう〉という幕末の僧が書いた詩の一節)は、「男児志を立てて郷関を出づ/学若(も)し成る無くんば復(また)還らず/骨を埋(うづ)むる何ぞ期せん墳墓の地」とあり、「人間到る処青山有り」と続くわけです。

 ──男が志を立てて郷里を出たからには、学業が成就するまで故郷には再び帰らない。故郷を離れる以上、他郷で没すると郷里の墓地に入れないかもしれないが、どこで死んでも埋めてもらえる山(墳墓)くらいはあるさ──。

 つまり、それくらいの覚悟で大いに活躍せよ、というのがこの詩の趣意です。これを退職する人に贈るのが適切なのか、という議論はあるでしょうが、ま、詩の意味を取り違えなければ、送別の意は通じますね。

 で、ここで私が問題にしたいのは、「青山」もさることながら、その前にある「人間」という言葉です(ふう。やっと本題に入りました)。結論から先にいうと、これ、human being の「ニンゲン」ではなく、「世のなか」という意味なんです。「世のなかには骨を埋めるところなどそこら中にあるよ」ってことですね。

 とはいえ、わが師・高島俊男先生によれば、かの『日本国語大辞典』までこの意味を取り違えて、「人間はどこで死んでも……」との解釈を載せているそうです。もちろん間違い。先生によると、「ニンゲンが『人』の意味で用いられるようになるのは江戸時代の初め、十七世紀ごろから。しかし詩やかたい文章のなかでは依然として『世のなか』です」とのこと。

 ちなみに、「世のなか」という意味で使うときは、「ニンゲン」と間違わないように「ジンカン」と読むならわしがありますが、これは漢音(ジンカン)か呉音(ニンゲン)かの違いだけで、どちらで読んでもかまいません。

 ということで見わたせば、ほかにもありますねえ。そう、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」。ここにある「人間」はもちろん「世のなか」です。織田信長が好んで演じた『敦盛(あつもり)』にも、「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」という有名な詞章がありますね。こちらも「世のなか」。「世のなかにあって五十年という歳月は……」であって、「オレは人間を五十年もやってきたが……」ではありません。

(つづく)                         





私の「フォト五七五」   弥生2題       牧 虎彦



【漢字小景―6】 ~「鬼」という漢字  吉村 正(志田 唯史)

 「鬼」という言葉から、みなさんは何をイメージしますか? 

 頭に角を生やし、耳まで裂けた口には牙が光る筋肉隆々の魔物というのが、鬼の一般的なイメージではないでしょうか。たしかに『北野天神縁起』や『六道絵』などの仏教絵巻を見ると、そんな鬼たちが地獄の獄卒となり、爪のついた鉄棒などを手に罪人たちを責めさいなんでいます。

 仏教が説く六道(衆生がその業によっておもむく六つの世界。地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天の六つの道)のうち、輪廻転生する(生まれ変わる)先としてまともなのは人間道と天道だけで、あとの四つになど〝死んでも〟行きたくありません。「鬼に捕らえられて地獄の釜の湯で煮られたり、針の山に追い立てられるなんてまっぴらだ」「うへ~、ハエに生まれ変わって、クソ汁なんか吸いたくないよお」と思うからこそ、昔の人は善行を積もうとしたわけですね。

 ただ、漢字の「鬼(キ)」は、こうした地獄絵図に描かれたオニではありません。実は「鬼」はもともと、死者の霊魂を意味しているのです。白川静さんの『字通』によれば、「古くは鬼頭のものの蹲踞(そんきょ)する形に作り、ム(の字)は後に加えたもの。字は畏(の字)と形近く、畏忌すべきものを意味した」とあります。つまり、巫祝(ふしゅく=神に仕える者)が異形の面をつけ、死者の前で膝を折り、その霊に対して祟(たた)りなきように祈っている姿なのです。

 ですから、「鬼籍」とは「鬼の籍」ではなく、死人(の霊)が入る籍。日本の寺でいうなら過去帳のことで、「点鬼簿」(死者の名を点(しる)す帳簿)ともいいます。また、「護国の鬼」という表現がありますが、この「鬼」も角の生えたオニではなく、国のために命を落とした英霊のことなのです。

 そうそう、四字熟語に「鬼哭啾啾(きこくしゅうしゅう)」がありますが、この「鬼」も死者の霊。「哭」は声をあげて泣くさま。「啾啾」は、人がしくしくと悲しげになく泣くときの擬声語です。

 ちなみに、日本でいう「オニ」があらわれるのは『出雲国風土記』(733年完成)から。そこには「昔或人、此処(ここ)に山田を佃(たつく)りて守(も)りき。その時目一つの鬼来りて佃る人の男(おのこ)を食(くら)ひき」と記されています。文字どおり「殺人鬼」ですね、この鬼は。

 平安時代になると、「鬼はや(女ヲ)一口に食ひてけり」(『伊勢物語』)といよいよ巨大化凶暴化し、源信の『往生要集』(985年)では亡者に永遠の惨苦を与え続ける獄卒として、多くの仏教絵図に描かれるようになるわけです。

 なお、日本鬼子(リーベングイズ)とは、中国語圏で使われる、日本人に対する最大級の蔑称(元は魔物をさす言葉)で、反日デモではこの言葉が盛んに吐かれます。だけど、鬼に対する日本人のイメージは「強い・恐ろしい」なので、中国人に「鬼子」といわれてもあまりこたえません。

 むしろネット上では、「鬼子」を日本人少女の名前だとあえて曲解し、「萌えキャラ」として扱うようになっています。はい、「日本鬼子」はいまや「ひのもとおにこ」ちゃんなんです。このあたりの知恵としたたかさは、日本人のほうが少し上かもしれませんね。 (つづく)



私の「フォト五七五」  如月2題       牧 虎彦



【漢字小景―5】 ~美人に関する四字熟語  吉村 正(志田 唯史)

 

 四字熟語の本を書くにあたって、陳舜臣さんの『中国の歴史』(のうち最初の4巻=古代から宋代まで)を精読したことは先に述べましたが、このとき役立ったのが蘇軾(そしょく=蘇東坡)に関する知識でした。というか、「宋の蘇軾・泰然自若の哲学」との副題がついた『会社を辞めてはいけません』を書いたときの知見が、うまい具合に四字熟語本執筆時の横糸になってくれたわけです。

 たとえば前回紹介した絶世の美女・西施(せいし)。蘇軾の詩に西湖(浙江省にある景勝地)を詠んだ一首があります。なお、富士五湖の一つ西湖は「さいこ」、こちらは普通「せいこ」と読みます。おまけでもうひとつ。カネカ滋賀工場があるのはJRの湖西線沿いですが、この読み方はご存じのように「こせい」線。一方、浜名湖の西側にある市は湖西市で、こちらは「こさい」市と読むんです。

 西湖(せいこ)の話に戻りましょう。蘇軾はこの湖を「……晴れてまさに好し、……雨もまた奇なり」とうたい、こうした西湖を西施にたとえればとして、「淡粧濃抹、相宜(あいよろ)し」(薄化粧も濃いめの化粧も、どちらも風情があっていいんだよねえ)と判じています。ここから「晴好雨奇」という四字熟語が生まれました。

 蘇軾由来の四字熟語で最も有名なのが「佳人薄命」でしょうか。日本では「佳人」を「美人」に変更し、「♪命短し恋せよ乙女」なーんて歌われていますが、元々の意味は「短命」ってことではありません。「佳人」には、よい人、才能のある人の意味もあり、優秀な男児や美男子としてもいいんですが、ここでは美人をさします。で、「命」は天命、運命のこと。ですから「薄命」とは幸せになる運が薄い、という意味なんです。

 出典である蘇軾の詩には「古(いにしえ)より佳人は多く命(めい)薄し」とあります。蘇軾が、年若い(十三歳との説あり)尼童を簾(すだれ)越しに見てつくった詩で、「頰はしっとりと滑らかで髪は漆黒、瞳は真珠のようにきらきらと輝き、くちびるは紅を引かずとも天性の美しさを保っている」と、蘇軾は世の愁いを知らぬ尼童の汚れなき美をたたえているわけです。「しかし」と彼は続け、「昔から美人はとかく幸薄きもの、このまま尼寺にこもったままでいると、やがて春も去りゆき、楊(やなぎ)の花が綿毛のように舞い散る季節になってしまうよ」と、この詩を結んでいます。

 蘇軾の師匠筋にあたる欧陽修(おうようしゅう)の詩「明妃の曲」にも、「紅顔、人に勝るは薄命多し/春風(しゅんぷう)を怨むなかれ、まさに自らを嗟(なげ)くべし」(誰よりも顔のきれいな女性には薄幸の人が多いもの。花を散らす春風を怨まず、自分の美貌を嘆きなさい)とあります。まあ、男って、勝手なもんですよねえ。美人ゆえに王や君主から寵愛(ちょうあい)され、やがて色衰えてポイされちゃう……。日本の芸能界にも似たそんな宮女の嘆きを題材とした詩は、古代より中国では連綿として書き継がれてきました。蘇軾の詩にある「古より……」は、そのような漢詩の流れをいってるんでしょうね。

 ところで、蘇軾はよく戯れに詩をつくり、妓女などにも贈った風流人でもあるので、この詩も尼童に与えたそんな詩の一つと思われます。現在の感覚では、まだあどけなさの残る少女にこんな詩を贈るなんて、「あんたはスケベオヤジか」と思われるかもしれませんが、この時代の結婚適齢期は驚くほど低いんです。蘇軾自身、満年齢で十八歳直前に十五歳の王弗(おうふつ)という女性をめとっています。童謡「赤とんぼ」に詞にもあるように、日本でも「姉やは十五で嫁に」行ってたんですよ。

 なお、男女平等のためか「才子多病」という類義の熟語があるのをご存じでしょうか。「できる男はとかく病気がちで、その才能をなかなか発揮できない」との意です。ただ、こちらは“そうでない人”を慰める言葉だといえなくもないですね。

 ちょっと蘇軾からはそれますが、みなさんは「沈魚落雁」という四字熟語をご存じでしょうか。これは絶世の美女の形容で、「あまりの美しさに、その女性を見た魚はびっくりして水に沈み、雁は空から落ちてしまう」、それほどの美人だという意味です。「羞(しゅう)月閉花」(その美しさに、月は恥じらい花は閉じる)と同様、なんとも大仰 で、いかにも中国らしい表現ですね。

 ちなみに、中国には美人をあらわす言葉がたくさんあります。「美麗(メイリー)」「紅顔(ホンヤン)」「可愛(クーアイ)」は字面でわかりますよね。日本では「紅顔」は美少年専用になっていますが、先に紹介した欧陽修の詩にもあったように、美人の形容にもつかわれるんです。

 さらに、「窈窕(ヤオティアオ)」はしとやかな美人、「漂亮(ピャオリャン)」は明るくすがすがしい美人。ちなみに、「窈窕淑女」は映画「マイ・フェア・レディー」の中国語訳で、実は『詩経』(孔子が編纂したとされる中国最古の詩集)から拝借した語、「漂亮女人」は映画「プリティー・ウーマン」の中国語訳なんです。ほかにも「沈魚落雁」系の表現としては、「迷人(ミーレン)」(男を迷わさずにはおかないほどの美人)、「吸引人(シーインレン)」(見ただけで吸い込まれそうなほどの美人)などがあります。

 ところで「沈魚落雁」は『荘子』斉物論にある寓話から生成した語ですが、原義はまったく違うんです。人の世で絶世の美女とされている毛嬙(もうしょう)や麗姫(りき)(いずれも古代中国の美人代表)でも、庭におりると池の魚はその姿に驚いて水底に隠れ、小鳥は空高く飛び去ってしまう。このように、いくら美人といっても、それは人間だけが認める相対的存在であって、魚や鳥には一切通用しない。つまり、美人と不美人の区別など人間の住むちっぽけな世界での認識にすぎない、と荘子は説いているわけです。

  鳥が雁になり、飛び去るが落ちるに変わり、先述したようにこの寓話は転じ転じて「美人」の形容となってしまいましたが、まあ、荘子のことですから、きっと墓石の下でカラカラと笑っていることでしょう。(つづく)



私の「フォト五七五」   睦月2題       牧 虎彦




【漢字小景―4】 ~西施の乳とは何?  吉村 正(志田 唯史)

 四字熟語の執筆をしているとき、講談社の編集者から「吉村さん、このあたりのこと、大丈夫ですか?」と留意を促されたことがあります。「このあたりのこと」とは、「臥薪嘗胆」という語の“出典”についてでした。編集者から手渡されたのは、当時週刊文春に連載されていた高島俊男さんの『お言葉ですが…』のコピー。そこには辞書が掲げた出典の誤りが指摘されていました。

 みなさんは「臥薪嘗胆」という言葉はご存じですよね。「呉越同舟」で知られる呉と越の戦い――呉王・夫差(ふさ)と越王・勾践(こうせん)との復讐譚(たん)から生まれた言葉です。「薪(たきぎ)に臥(ふ)し、胆(きも)を嘗(な)める」。堅い薪の上に寝たり、にがい胆をなめたりするのは、敵への怨みや大願成就の志をかたときも忘れないためです。そう、日清戦争のあと、露独仏による三国干渉によって日本がせっかく手に入れた遼東半島を手放さざるを得なくなったとき、三宅雪嶺が新聞『日本』に「嘗胆臥薪」と題する文章を掲げ、これが当時の国民の合言葉になったのでした。司馬遼太郎さんは『坂の上の雲(三)』で、「嘗胆臥薪は流行語ではなく、すでに時代のエネルギーにまでなっていた」と書いています。

 で、中国最古の歴史書『史記』によれば、最終的に勝ったのは胆をなめた勾践で、最初に臥薪して一度は勾践を倒した夫差は自刃して果てます。しかし、実は『史記』には勾践の嘗胆の故事は出ていますが、夫差が臥薪したなんてことは一行も書かれていません。多くの辞典が、この語の出典を『史記』とした諸橋『大漢和辞典』の誤りを検証することなく、そのまま孫引きしたために軒並み間違えてしまった。それが高島さんの指摘でした。

 そのときの論証のみごとさと説得力、そして難解な内容を読者にわかりやすく解説するための配慮には、すばらしいものがありました。いっぺんに高島さんが好きになり、私淑するようになった次第です。なお、出典については了解していたので、私の本にはちゃんと「『臥薪』のほうは宋代末~元代初の『十八史略』でつけ加えられたもの」と書き添えてあります。

 この本を上梓して五年後、 ある方の紹介で高島さんとお会いし、今では麻雀をご一緒するまでのご高誼にあずかっていますが、それはまた別の機会にお話しすることにしましょう。

 さて、上の例で「臥薪嘗胆」と「呉越同舟」が結びついたように、四字熟語の裏側にある故事来歴とそこに描かれた物語は、互いに深くつながっています。単に四字熟語の意味を述べるだけでなく、このつながりを理解し、吟味し、咀嚼(そしゃく)した上で、読者に対して丁寧に説明すること。ちょっと大仰にいえば、四字熟語の本を書くにあたっての、それが自分に課した使命でした。前回書いたように、陳舜臣さんの『中国の歴史』などを精読したのはまさにそのためでしたが、知識が重層的な積み上がっていくにつれ、このことは私にとってとても楽しい、というか、わくわくする作業になっていったのです。

 たとえば「臥薪嘗胆」。一時大敗を喫した勾践が夫差に差しだしたのは、絶世の美人・西施(せいし)でした。そこで西施とはどんな女性だったのか、男なら気になるでしょ。はい、彼女は決して楊貴妃のような、「温泉 水滑らかにして 凝脂を洗う」(白居易)といった肉感的なタイプではなく、くずおれそうなほどはかなげで、清楚な愁いを帯びた女性だったようです。

 西施が郷里の村にいたとき、病気になって痛む胸に手をあて、眉をひそめながら歩くだけで、その姿の消え入るような可憐さに、村の男たちはただただうっとりするばかり。それを見た村いちばんの醜女(しこめ)が、自分もそうすれば美人に見えると思い、同じしぐさをして村を歩きはじめたところ、男たちはおそれをなして逃げだしたとのこと。この寓話は荘子が孔子を批判するために作ったものですが(内容は長くなるので割愛しますね)、ここから「西施捧心(ぼうしん)」=西施、心(むね)を捧(いだ)く、という四字熟語や「顰(ひそ)みに効(なら)う」という成句が生まれました。

 ところで、江戸時代の漢詩人・柏木如亭の詩に「天下無双の西施の乳」という一句がありますが、これ、何のことだかわかりますか? 実は河豚(ふぐ)の白子のことなんです。元(げん)の時代の貢師泰という人の詩に、「乙腴(いつゆ=はらわた)、白きこと脂のごとく、俗に西施乳となづく」とあり、以前からこう呼ばれていたようですね。ちょっと小ぶりで、プリンとした弾力のある白子は、なよやかな西施の乳というにふさわしいでしょう。実際に見たことはありませんが。

 ちなみに、牡蠣(かき)のことは「太真(たいしん)の乳」といいます。『唐書』の「楊貴妃伝」に「女官となって太真と名のった」とあるから、これは「楊貴妃の乳」ということですね。その大ぶりな弾力が……、おっと、際限なく脱線してしまいそうなので、今回はこのあたりでやめておきましょう。(つづく)

 




私の「フォト五七五」  師走2題        牧 虎彦




【漢字小景―3】 ~四字熟語の執筆へ(2)  吉村 正(志田 唯史)

 講談社から依頼された四字熟語本の執筆は中堅出版社を定年退職した方(Aさん)に振り、私はその編集担当として何冊かの類書に目を通しながら、本全体のいわば「味つけ」を考えていました。類書の多くは大学の先生が書いたものなので、語義の説明が中心となり、読んでいてあまり面白くありません。そんな中で手にしたのが『四字熟語―四文字が語る悠久の知恵』(講談社現代新書)という本でした。

 普通、本を執筆するにあたっては、出版社がいろんな資料を提供してくれます。講談社からは自社版の『四字熟語・成句辞典』と『日本語大辞典』、他社版の大型漢和辞典二冊などをもらい受けました。が、先の新書はたまたま書店で見つけて自分で購入したもの。読んでみて「これだ!」と思いました。

 著者は宮城教育大学の島森哲男という先生ですが、学者の割に文章が軽妙洒脱で実に味わい深いのです。博識をおもてに出さない抑制のきいた筆致に、何よりも好感を持ちました。よし、Aさんにはこの本を見本に原稿を書き進めてもらおう。そう思った次第です。

 Aさんにサンプル原稿(講談社に「こんな感じの文章です」と伝えるための見本)の執筆を依頼してからほぼひと月。そろそろ原稿を見せてもらって、そのとき島森さんの著書を例示し、本の「味つけ」の方向性を相談しよう。そう考えて、私は彼の自宅に電話しました。するとAさんの口から、信じられない言葉が発せられたのです。「ごめん。まだ一行も書いてないんだよ」。

 いや、実際は「もう少し時間がほしい。実は……」といった言い訳からはじまったと記憶しています。で、私が「じゃあ、いつまで待てばいいんですか」と問い詰めていき、とうとう本当の状況の吐露に至ったわけです。漫画ふうにいえば、まさに「ガーン」でした。

 あとで聞いた話しですが、Aさんは退職金を目にしたあと、依頼された原稿のことなどすっかり忘れ、ただただ好きな競馬に明け暮れる毎日を送っていたとのこと。彼には、それまでも校閲などの仕事(彼にとってはアルバイト)を社として依頼していましたが、当然のことながらこの一件で信用失墜。彼に出していた仕事はすべて切りました。いや、そんなことはどうでもいい。問題は半月後に迫ったサンプル原稿の提出をどうするかです。

 もはやAさんには任せられない。とはいえ、四字熟語や漢字に素養のあるライターさんなど、すぐには見つかりません。であれば、自分で書くしかない。これが結論でした。

 まず講談社の担当者に電話して、サンプル原稿の出稿をあとひと月待ってほしい旨依頼しました。講談社にとってはシリーズ企画の最初の本──ことわざ本との二冊同時立ち上げの一冊であることが、私にとってはさいわいしたのです。というのも、新シリーズの立ち上げにはそれなりに時間を要するため、それを勘案したややアバウトな進行スケジュールになっていたからです。なので、この提案はすんなりOK

 次に私がしたのは、陳舜臣さん著の『中国の歴史』(講談社文庫)を精読することでした。これは、類書を読んでいるとき、四字熟語の来歴を歴史に基づいて理解しなければ、ちゃんとした解説が書けないことに思い至ったからです。とはいえ、最初はAさんの原稿をチェックする際に必要だろうと、編集者の立場でぼんやり感じていただけ。まさか自分自身が読み通す羽目になろうとは考えていませんでした。

 ただし、実際に読んだのは全7巻のうち宋代までの4巻。明代以降の四字熟語がさほど多くないことが、類書を読んでわかっていたからです。それでも1巻のページ数は約600。陳舜臣さんの歴史解説やエピソード、そこに出てくる四字熟語や故事などに一つひとつ付箋をつけながら、とにかく超特急で頭に放り込んでいきました。

 内容の整理はエクセルでは追いつかないため、会社でファイルメーカーというデータベースソフトを買ってもらい(私はMac派なので)、そこに打ち込んでいきます。もう、明けても暮れても頭の中は四字熟語だけ。まさにそんな状態でした。

 いまでも『中国の歴史』は、当時の付箋がついたまま私の本棚の隅っこに眠っています。(つづく) 



私の「フォト五七五」  霜月2題        牧 虎彦



【漢字小景―2】 ~四字熟語の執筆へ  吉村 正(志田 唯史)

 蘇軾(そしょく)について書いた本は、『会社を辞めてはいけません』という題名で、1996年にKKベストセラーズから刊行されました。この際も志田唯史(しだただし)というペンネームを使用しましたが、自分でもこの筆名が気に入り、以降もずっと使い続けています。

 ちなみに、名字の志田は私が住んでいる横浜市の町名からの借用、唯史は自分の本名のもじり。と同時に、この名前、実は回文にもなっているんです。そう、「竹やぶ焼けた」や「談志が死んだ」など、上から読んでも下から読んでも、というアレです。

 ということはともかく、この本のタイトルには抵抗感があり、編集者には題名を変えるよう申し入れました。だって、会社を辞めた当の男が、読者に対して吐く言葉じゃないですよね、これ。だけど、最終的には編集者に押し切られました。というのも、タイトルの良し悪しが販売部数を大きく左右するからにほかなりません。だから本の世界では、その責任を負う編集者が、基本的に本のタイトルの決定権を持っているわけです(ただし、販売責任を持つ販売部門が、いったん決まったタイトルをひっくり返すことはままあります)。

 さて、この本を書きあげたあと、講談社からの依頼で某著名政治家のゴースト本を執筆しました。はい、タレント本と政治家本のほぼ100%は、ゴーストライターの手によるものだと考えて間違いないでしょう。だって、タレントにはそもそもものを書くだけの筆力がなく、政治家(国政)はとにかくやたらと忙しいからです。ただ、有力な政治家はいろんなところで講演活動をしていますから、多くの場合、その講演録がライティングのベースになります。

 で、講談社の担当編集者には、「こんな本も書いてまっせ」という挨拶代わりに蘇軾本を手渡しました。すると、何ということでしょう、ゴースト本を上梓したあと、その担当者が辞書編集部に異動になり、四字熟語の本をつくることになったのです。そのとき、たまたま彼の目の前にいたのが私でした。

 『会社を辞めてはいけません』は、左遷(流刑)の憂き目に遭っても自分らしさを失わず、自然体で泰然自若の人生を生きた蘇軾について書いた本です。もちろん執筆にあたっては、さまざまな文献を渉猟しましたが、その目的はあくまで蘇軾をピンポイントで知るためであって、中国の古典全般に通暁するためではありません。にもかかわらず、部署が変わったばかりの編集者の目には、私が頼もしい助っ人の一人と映ったのでした。

 もっとも、言葉に関する講談社の新書シリーズが新たに刊行されるに際し、私はライターとしてではなく、属している会社の編集者としてこの仕事に携わることにしました。つまり、四字熟語の原稿は他の人に任せ、私はあくまで講談社との橋渡し役に徹することにしたわけです。

 いい按配に、中堅出版社に務めていた人で、中国古典にも造詣の深い編集者が定年退職したため、四字熟語の原稿執筆はその人に頼むことにしました。講談社にはひと月半後にサンプル原稿の提出を約しましたが、その間私はこまごまとした仕事を片づけながら、原稿が上がってくるのを待てばいいわけです。蘇軾の本を書いたときのように、シンドイ思いをして自ら原稿を書かなくてもいい。はは、楽ちん、楽ちん。

 そのときは心からそう思っていました。それが大間違いだったとわかったのは、わずか一カ月後のことです。(つづく)

 




私の「フォト五七五」  神無月2題        牧 虎彦



【漢字小景―1】 ~私の漢字事始め  吉村 正

 もともと漢字には興味がありましたが、意図的に漢字を採集するきっかけとなったのは、民生用(電卓向け)太陽電池の販路拡大のため、水野(雄之)課長(当時)と行った台湾での漢字体験でした。198384年ごろだったでしょうか。

 まず驚いたのは、台北の街なかのいたるところに汽車が売られていることでした。何なんだ、これは!……と。今では多くの人がご存じだと思いますが、この汽車は自動車のこと。汽はガソリン(汽油)の意です。スポーツカーは運動汽車、バスは公共汽車、タクシーは出租汽車ですが、一般的には英語の音訳で的士と呼ばれていました(出租は貸し出すという意味)。

 ちなみに、汽車のことは火車といいます。文字どおり「石炭の火力で走る車」ですね。蒸気機関車は蒸気機車。こちらはわかりやすい。

 ほかにもさまざまな中国漢字を習いおぼえましたが、へえ~っと感心したのが「手」を「品」の形(ピラミッドのよう)に三つ並べた一字の漢字。張り紙にある「小心」(注意してください)のあとにこの字が書かれていました。現地の人に訊くと、何とこれは掏摸(すり)をあらわす漢字とのこと。なるほどなぁ。なお、諸橋『大漢和辞典』にはこの漢字、ちゃんと載録されています。

 その後私は39歳のときカネカを退職し、いわゆる出版業界に転職しちゃったのですが、これを機に、中国漢字と日本漢字との意味の落差を、いつかおもしろおかしい読み物仕立てにしてみたいな、と思っていました。それがひょんな縁で新書本になり、『爆笑 漢字の謎』(KKベストセラーズ=筆名・志田唯史)として刊行されたのです。会社を辞めた翌々年、1992年のことでした。

 こうした縁は続くものです。同じベストセラーズの編集者からの依頼で、関西の大物芸人、さらにはその後首相となる人物のゴースト本を書いたら、その編集者から蘇軾(そしょく=宋時代の文人政治家、蘇東坡)についての原稿依頼を受けたのです。

 蘇軾については『赤壁の賦』や王安石との確執くらいは知っていましたが、専門的なことは何も知りません。その編集者が目をつけたのは、私にそこそこ長い企業経験があること、そしてその当時、『フォーブス』というビジネス誌に、中年社員のリストラについてまとまった取材記事を書いていたこと、そして多分、分野に関係なく何でもこなしてしまう私の器用さでした。

 つまり、編集者からの依頼は、「史実は書物から学び取ってもらえればいい。それより、人事を含む企業経験と最近の取材内容とをつなぎ合わせて、何度もリストラや左遷の憂き目に遭いながら、生臭い権力闘争から一歩離れた場所で、悠々と人生を謳歌した蘇軾の生きざまを描いてくれ」というものだったわけです。

 人事経験なんていっても、私には本社の人事部で鈴木(俊弘)主任(当時)とともに、学卒採用と新人教育を担当した経験くらいしかありません。むしろ、外山課長(当時)が鬼のように採用予算を削ったために、しかたなく手ずから採用冊子を制作したという、本づくりと原稿執筆の経験はイヤになるくらいありました(笑)。企業経験もたいしたことはない。でも、偉人の評伝を書くいい機会だと思い、蘇軾を一から学び直すつもりでこの仕事を引き受けたのです。

 このことが回りまわって、四字熟語や中国名言、さらには漢字の字源の執筆につながっていくとは、当時思いもおよびませんでした。(つづく)



私の「フォト五七五」  長月2題        牧 虎彦



私の「フォト五七五」  葉月2題        牧 虎彦




私の「フォト五七五」  文月2題        牧 虎彦





私の「フォト五七五」  水無月2題        牧 虎彦



私と囲碁――― 川上 厚 

私にとって囲碁への憧れは何時からあったのかと自問いたします。小さい頃おやじの手ほどきで将棋を覚えたのですが、囲碁をやりたいと思いながら仕事にかまけて退職まできてしまいました。

さて、昨年6月に永年の宿願であった囲碁にチャレンジしてみようと思いました。先ずは通信講座を受けようと思い立ち名古屋にいる友人に相談したところ「おみゃーさんなー、過去通信教育受けてまともに最後までやり遂げたことあっかえーー」との返事、直ちに通信講座をあきらめ、すぐ近くのロミオ囲碁教室の門をたたきました。ここの電話番号が965-1515というのも一因かと思います。先生は80才前の野武士みたいな風貌の老棋士でありました。関西の某大学で野球をやっていたが肩をこわし野球を断念、それから独学で碁を学び神奈川代表などを経て現在アマ8段、プロに互先で勝つことを目標とされています。毎日棋譜を碁盤に並べて研究していたそうです。

初日、緊張した面持ちで16時に教室に行ったところ13路盤(通常は19路盤)を挟んで相対し、「さあ、川上さん好きなように打ってください」てなことで右も左もわからない者にいきなり碁石を並べ、まずは碁というものはどういう競技なのか、どうしたら勝ち負けが決まるのかを教えていただきました。それから以降、週一回のペースで通っていますがいつも実践第一で、実践をしながら理論や定石を学ぶというスタイルで今日まで続いいます。初めの内はうまく下手の打つ手を誘導していただき、時にはアドバイスがあって勝つこともありました。ああこれは勝ちを味わさせるための作戦だなと気づくしだいです。

先生の口癖は碁は理屈です、すべての布石に意味があります、さらに筋のいい王道の碁を打ちなさいというものです。いまだに9子の置き碁で教えていただいておりますが、もう一つの口癖はともかく連絡させろ、石が繋がる碁を打ちなさい。勝ち負けは関係ありませんというものです。これがなかなかできず今だに勝負にならない戦いが続き落ち込む毎日です。

いよいよ2年目を迎えます。そろそろ四ッ谷の囲碁同好会(大滝幹事)にデビューして森健さん、福与さん、鈴木俊さん等と対局したいと思いますが、さてどうなることやら先のことは白黒つきません。

                                                 川上 厚         




私の「フォト五七五」  皐月2題        牧 虎彦





第5回みんな元気会に参加してーーー 川上 厚


品のOB会は大変歴史のある大阪での鐘油会が活動の主舞台でしたが、関東に住んでいる人にとっては遠方でなかなか参加が出来ない状況でした。

平成22年に山本 隆さんが発起人となり会長林薫氏、代表幹事佐々木宏三氏の体制で東京食品のOB会が立ち上がりました。会長である林さんの発案で会の名称を「みんな元気かい」と決定しました。これは年に一度この集いに参加してお互い元気であることを確認しょうということでこの名前となったしだいです。

第一回は遠く北海道からもお二人の参加をいただき、又大阪から児島さんも参加され20数名が集まり盛大な宴会となりました。それ以来、平成23年の東日本大震災の年を除いて毎年3月に開催を重ね今年5周年を迎えました。食品事業部の場合この道一筋という方が多いのですが、毎年女性陣4-5名をいろどりとし、さらに短い期間だけしか在籍されなかった人も含め20名前後の方々が集まり、昔の話あるいは現在の生き方など皆様よりスピーチいただきおおいに充実した刻を過ごしています。

来年より北山正信会長、佐藤敏郎代表幹事の体制に衣替えし、さらに新しいメンバーを加え温かみのある会を継続していきたいとはりきっています。

ホームページでこの記事をみられた方でたとえ一ケ月でも食品事業部に関与された方は是非ご参加の意志を幹事までご一報くださいませ。




私の「フォト五七五」  卯月2題           牧 虎彦




  私の健康法ーーーー 小枝正夫

私の健康について取り立て云う程のことはありませんが、ご依頼がありましたので一言お伝えします。
私は今年4月86歳になりますが、これまで一度も病気で入院したことはありません。
健康に気をつけたことは次の様なことです。

 

(1) 日常の生活を規則正しく行うことです。一日三食の時間を出来るだけほぼ同じ頃とる様心がけています。 

(2) 食べ物は好ききらいが全くなく何でも食べる様にしています。 

(3) アルコールは何でも飲みますが、毎日夕食時に日本酒にして一合程度です。 

(4)    毎年4月頃に定期健康診断を受けて体調状況を見る様にしています。

健康診断は必ず毎年受けたほうがよいと思います。

(5)      体力を維持するため、入社時(昭和26年)に始めたテニスは現在まで続け  

ています。(テニスクラブでは最年長です)現在も週2~3回会員制のクラブへ行っております。

(6)      定年後はひまな時間が多くなりますので何か趣味をもつことが大切だと思い、いろいろ考えましたが

 59歳で自動車の免許をとったり、水彩画を習ったりして出来るだけ家にいる時間を短くしていました。
 色々な人と接するのが大切です。


                                            以上