健歩会へようこそ

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散策会よりちよっとハードになりますが健康増進のために歩いてみませんか?
4-5時間かけて裏高尾山や東海道などのコース設定を予定しています。

           年2回開催予定     会員数 15名です。


                                  世話役  三瓶 幸司、 田中 康克
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2024年活動


第16回健保会が開催されました

健歩会  「秦野弘法山花見」
            ―雨に祟られた因縁の花見は?―
                           三瓶
 「秦野弘法山花見」は、昨年は雨で中止、本年は、3月26日に11名の参加者で開催予定が又しても雨(開花もしていなかったが)で、更に、28日の再チャレンジも雨に祟られ、三度目の正直で、週間予報が「晴れ時々曇り」の4月5日に再々々々チャレンジで実施することにした。 しかし、日を追うごとに天気予報が下り坂になり、前日4日は雨で翌日の予報も「明け方まで雨昼は曇り」となったが決行することとした。
 しかし、当日は早朝から細かい雨が降っており、中止の2文字も頭を過ぎったが、朝には上がると言う予報に一縷の望みを託し、集合場所の小田急秦野駅に向かった。
 駅には、前夜の急用で不参加の連絡があった1名を除き、青野さん、田中さん、中村さんと筆者の4名全員が集まったが、一向に雨脚が弱くならず、それどころかこれから登る権現山・弘法山は雲に隠れて全く見えない状態となり、足元の悪さ・年齢を考え、登山しての花見は断念することにした。
 このままでは帰れないので、日本百名水である「弘法の井戸」で水を汲み、電車で小田原に向かい小田原城で花見をすることとした。 お濠周辺の桜はまだ五分から七分咲き程度であったが、雨のなか多くの観光客(特に中国系外人客)がおり、念願の花見だけはすることができた。 天守閣の見学も考えたが、入場を待つ人々が入り口への取り付けの坂の下まで並んでいたため諦めた。  駄句ながら 『花の雨天守乗っ取るマンダリン』
 仕方なく昼食を摂るため、小田原駅手前の食堂街向かった。 食事前にその14階屋上テラスの足湯に行った。 混んでいたが、丁度4人が入れる一番端のスペースがあり、無事入場。 あまりの気持ち良さに「弘法の井戸」で汲んだ水を飲み、各自用意していた昼食・菓子を分け合い、気が付くと1時間以上足湯に浸かっていた。
 これで、健歩会と言えるかはさておき、何とか「…花見」は済ませることができ何より、歩数1万2千歩でした。


※次回は 6月 「三島 柿田川湧水と三島大社(鰻もあるでよ)」 を予定します。

 



第15回健歩会 開催された

              健歩会「谷中七福神巡り」

令和6年度最初の健歩会が、1月25日に開催された。
集合場所の田端駅には、田園都市線の事故などで、若干の遅れはあったもの、13名の参加者が元気な顔を揃えた。 当日は今シーズン最強寒波の到来で、風は強いが晴天で絶好の散策日和となった。 今回の企画を作ってくれた長江さんが準備してくれた地図と御朱印を頂き、10時過ぎにスタート、10分足らずで、福禄寿の東覚寺に到着。 田端文士街など住宅街を通り、恵比寿の青雲寺、布袋尊の修性院、谷中銀座・夕焼け段々等流行りの場所をぶらぶらする。

 更に、毘沙門天の天王寺、寿老人の長安寺、谷中霊園、大黒天の護国寺、上野東照宮、上野大仏をみて、最終目的地の弁財天の不忍池弁天堂に午後1時に到着、約3時間ゆっくり、のんびり歩いた。 JRの田端から上野まで、4駅を歩いたことになるが、舗装された道路ばかりなので、楽に歩けたと思われる。

 散策後、アメ横にある昼から開いている一杯飲み屋で、昼食兼反省会を行い、充実した一日となった。

 次回健保会は、3月26日(火)「秦野弘法山花見と鶴巻温泉」を予定しています。

                          世話役 三瓶 幸司



 




2023年活動

第14回健歩会

 

健歩会「箱根八里への挑戦」

夏日となった11月2日(金曜日)に、9名(池永さん、三瓶さん、斎藤さん、田中さん、中村さん、西沢さん、水口さん、吉田さん、筆者長江)の参加者を得て、健歩会が6カ月ぶりに開催された。 

JR小田原駅に集合し、箱根登山バスで箱根関所跡まで移動した。新春恒例の箱根駅伝5区山登りの国道であるが、選手たちはこのような勾配の道を走るのかと感嘆しながら、約1時間バスに揺られ、スタート場所である箱根関所跡に到着した。

青々とした芦ノ湖の周りに紅葉が映え、頭に雪を乗せた富士山に見送られながら、11時前に小田原を目指して出発した。当日は半袖でも十分な気温であり、ハイキングにはもってこいの天気であったが、出足の旧道杉並木は少しひんやりしており、標高の高さを感じた。 

しばらくは上りである。話をしながら、途中出合った小学生の団体と挨拶するなど、元気いっぱいに歩いていく。30分ほどで標高最高地点に達してからは、下りの石道に苦戦するようになる。薄暗く、湿った状態の苔蒸したでこぼこの石道が足を滑らせるため、慎重に歩くようになり、話もせずに、下を見ながらひたすら歩く。 

歩き始めて1時間30分ほどで、昼食場所の「甘酒茶屋」に到着した。しばし休憩、昼食を食べ、甘いお菓子の配給でエネルギーを補給し、また下りの石道への挑戦が始まった。石道とはいうものの、大小の石が敷きつめられているだけの道であり、14代将軍家茂公が上京する時に整備されたようであるが、平地になれた現代人には、歩きづらさがこの上もない悪路に思えた。このような道を江戸時代、駕籠かきが「えいさ、ほっさ」と進んでいく姿はどうにも想像しづらかった。須雲川の一本木橋を渡り、しばらく歩いた畑宿のあたりからはアスファルトの道になった。歩きやすくなったものの、下りの石道で足を使ってしまった疲労が一気に出て、歩行を断念しバスで移動される方も何人か出たため、最終目的地を小田原から箱根湯本に変更し、16時ころには全員無事に到着、最悪でも箱根湯本までの12㎞(3里)という初期の目的をなんとか達成することができた。 

この街道で多くの方とすれ違ったが、約8~9割が外国人であった。軽装の人もいて、感覚が違うのかと驚いたが、多分インスタグラムなどで事前に調べ、歩いているのだろう、坂道は大丈夫なのだろうかと心配しつつ、ほとんどの人と気軽に「KONNICHIWA」の挨拶を交わしたことも、印象的であった。また、途中の立て看板にはいろいろな説明(例えば「雲助について」)が書かれており、多くのことを学べた一日であった。 

箱根八里の半分4里(最終的には3里)くらいと高をくくっていたが、やはり箱根は難所であった。トレッキングシューズの底が取れるというトラブルもあったが、また、健歩会のイベントには是非とも参加するつもりである。 

(文責 長江正二)

 
   


第13回健歩会

 

健歩会『サッタ峠 富士山を望む』

昨年、大型連休前の開催を予定したが雨で流れ、連休明けにサッタ峠から富士山を見る会を実施した。その際、参加できなかった方々からもう1度やって欲しいとのリクエストがあり、2年連続で開催することにした。

前回同様、連休前の4月27日に予定したが、前日まで雨で、今回も変更せざるを得ないと思われたが、当日だけ天の助けか快晴となり、青野さん、川上さん、斎藤さん、佐藤さん、多久さん、中村さん、吉田さん、筆者の8名の参加で開催された。

集合場所の興津駅から旧東海を歩き、汗が噴き出る暑さだが、30分程で、峠への登山口に到着、一息入れ登山を開始する。登山道は木陰の涼しい道だが、参勤交代の行列が良く歩いたものだと思われる様の細い山道で、ヒタスラの登りとなる。30分ほど皆無口で登り詰めると、突然視界が開け、右手に駿河灘が、更に進むと駿河湾越しに富士山が雄大な姿を現した。峠道には、蜜柑の花が咲き、そのさわやかな香りの中、念願のサッタ峠の富士山を満喫した。

  峠道風吹き渡る花蜜柑

しばしの休憩後、見晴らし台に向かおうとしたが、数か月前の大雨の崖崩れで、尾根道は通行止め。途中から一旦山を下り、登り返して由比宿へ向かう峠出口の駐車場へ行く羽目になった。
この企画は何故かトラブルが付き纏う。それでも何とか駐車場に到着、お湯を沸かし、コーヒーとチョコパイでエネルギィー補給し、昼食を予定している由比の町へと向かった。ミカン畑の中を1時間ダラダラと下りようやく由比の町に着く。しかし、昨年利用した昼食を予定していた見晴旅館が定休日でまたしてもトラブル。ようやく由比駅前の食堂を見つけ、定員6人の席を何とか8人にして貰って桜エビ定食とビールにありついた。

トラブルもあったが、一番の目的であったこれ以上ない富士山を見ることができ、大成功の健歩会だったと思う。

  五月晴れ湾を隔てて富士白し

文責 三瓶 幸司

 
 


第11回健歩会


健歩会『石垣山 秀吉の一夜城跡を歩く』

 年が改まって第一回目の健歩会が1月26日に開催された。場所は秀吉が小田原攻めで築いた一夜城をめぐる歴史と展望のコースだ。
10年に1度と言われる寒波が列島を襲う中、前日は最高気温4度、翌日は冷雨の予報だが、この日だけ天候に恵まれ、参加者の普段の行いの良さが現れた様だ。
 参加者は、青野さん、川上さん、木村さん、斎藤さん、佐藤さん、田中さん、中村(修)さん、中村(敏)さん、吉田さん、筆者と10名、久々の盛況となった。他鉄道の影響があり、集合の10時に若干の遅れがあったが、箱根登山鉄道入生田駅を元気に出発、すぐに早川にかかる太閤橋を渡る。対岸からすぐに登りが始まる。舗装された道とは言え、延々と続く坂道に息も切れ、汗が噴き出す。防寒着を脱ぎ、水分を補給する休憩を入れながら、30分程ヒタスラ登り箱根ターンパイクを陸橋で越えると道は平になり広い駐車場のある一夜城歴史公園入口に着く。

駐車場脇に作られた東屋で休憩を取ることとしたが、大問題が発生する。ここで水を沸かしコーヒーを入れ、糖分補給をするため、ガスバーナーを持参したが、大事なケトル忘れお湯が沸かせないことが判明した。全員温かいコーヒー諦めかけていたが、ここで救世主が現れる。なんと、駐車場傍にある有名パティシエの鎧塚氏の経営するケーキショップから鍋を借りて来たのである。しかも何も買わずに、である。全員の驚嘆・賞賛の中、鍋を片手に現れたのは誰あろう川上さんで、本日一番の功労者となった。

全員、温かい飲み物とチョコパイでエネルギィー補給し、目的の一夜城本丸跡を目指す。本丸跡からは、小田原市街地と駿河灘が一望、みなスマホを取り出し写真を撮りまくった。その後広い城址を散策、残念ながら展望台は立ち入り禁止であったものの、小田原城も眺望され、天気にも感謝。     帰路は見晴らしの良いミカン畑の中をヒタスラ下り約30分で国道1号に出た。当初はJR早川駅に向かう予定であったが、昼食に海鮮ものを食べようと小田原漁港に向かった。平日にも関わらず、漁港近辺の食堂は行列が出来るほどの混雑であったが、またしても運良く、一軒の食堂が全員一緒に座れる席を用意してくれ、アジフライ・刺身定食等、満足な昼食となった。食後、歩いて小田原に向かい解散となった。一部は小田原城を経由し、駅近のビル14階の足湯を楽しんだ。全員、年齢の割にタフなのに驚かされた。

  探梅や石垣高し一夜城

   
   


2022年活動

第10回健歩会

健歩会『鎌倉アルプス』

 11月17日健歩会が青野さん、斎藤さん、佐藤さん、田中さん、吉田さん、初参加の中村さん、筆者の7名の参加を得て鎌倉で開催された。当日は晴天に恵まれ往きの小田急の車窓から富士山がくっきり見え絶好の散策日和となった。

事前の下見で、ガイドブックの建長寺の中を通り半僧坊から勝上嶽に抜けるコースを歩いたが、拝観料500円を取られる上、登山口から半僧坊、勝上嶽までが急な階段続きのため、以前別ルートを経験している佐藤さんに、先導して頂くこととし、北鎌倉駅を10時に出発した。

明月院脇から突然の急峻な山道に入り、アップダウンを繰り返す深い森の中の道を息切らせて歩くこと30分、ようやく勝上嶽に到着、眼下に建長寺と遥かに駿河湾を望む展望台で一息入れ、糖分・水分補給をする。吹く風が心地良い。ここからは尾根沿いの道を辿ることになるが、意外と厳しいアップダウンを繰り返しながら進む。さすがに鎌倉を守った北の要害である。途中楽しみにしていた富士山は薄雲に隠れて見えなかったが、横浜の「みなとみらい」が遥かに見え、疲れを癒してくれる。当時の武士の墓であった崖に掘られたやぐらなどを見つつ、1時間弱でこのコースの最高点159mの大平山に到着。天園、天台山(141m)、瑞泉寺、鶴岡八幡宮を経由し無事2時過ぎ鎌倉駅に到着解散した。 『山高きが故に尊からず』

 
   


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