東京トーク会
開催場所と回数 四ツ谷クラブ、Zoom配信
年4回
会員登録数 24名
世話役 中村 敏雄、 水口 寿則 
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〈東京トーク会の2024年の活動〉


第2回東京トーク会のご案内
令和6年第2回東京トーク会を下記の通り四ツ谷クラブ開催&Zoom配信で行います。

参加したいがZoomが初めての方、又は経験はあるが自分のPC等にZoomのインストールが出来ていなくて自信のない方は申し出て下さい。 世話役が対応致します。

ではご参加宜しくお願い致します。

            記
 1. 日時: 令和6年4月18日(木) 15:00~17:30
     発表終了後の30分程度の感想交換会を含みます。
 2. 場 所 : 四ツ谷クラブ3階大会議室(Zoom配信)
 3. 発表者 : 吉田 洋一 氏
 4. 演 題 : 「記紀と天照の謎」
 5. 懇親会 : 3階大和室 17:40~20:00
 6. 懇親会会費: 4,000円/人程度

       東京トーク会世話役: 中村 敏雄、 水口 寿則




2024年第一回トーク会が開催されました
           令和6年第1回東京トーク開催報告

東京トーク会を、2月22日(木)15:00~17:30 四ツ谷クラブ大会議室(Zoom配信)で 開催しました。
講演者は、斎藤 直人 氏です。
「三井財閥」をテーマにカネカにも繋がるその系譜をボランティア活動で鍛えたトーク力で語って頂きました。
終了後の懇親会はいつもながらの大宴会で、大いに楽しい時間を過ごしました。
参加者は次の通りです(敬称略)。 
会場参加(10名):青野 光雄、 池永 温、 金井 文昭、 川上 厚、 斎藤 直人、
         多久 信雄、 轟 庸蔵、 中村 敏雄、 原田 浩、 水口 寿則
Zoom参加(5名):伊藤 良一、 上崎 勇一、 鈴木 俊弘、 水野 雄之
感想文を、多久 信雄 氏より頂きました。

次回東京トーク会は、4月18日(木) 四ツ谷クラブ(Zoom配信)
 15:00~17:30 (意見交換会含む) で開催します。
発表者は、吉田 洋一 氏で、演題は 「記紀と天照謎の謎」 です。
終了後は懇親会を行います。
近づきましたら世話役より案内メールを送ります。
トーク会登録者以外のご参加も歓迎します。
                  (トーク会世話役:中村敏雄 記)

2024年第一回トーク会の感想文  多久 信雄
24年2月 鐘華会 東京支部 トーク会雑感

講師: 斎藤氏  テーマ: 三井財閥
斎藤さんは 現在 お住まいの大磯でガイドをされているとの由。 大磯には城山公園があり、その地に旧三井家10代目当主高棟が建てた 城山荘が嘗てあり、 その縁で 三井財閥の歴史に興味を抱き 昨年 9カ月に渡り資料、文献を渉猟し、纏めた結果を披歴されました。

講演の初段で斎藤さんが 三井家中興の祖は 「三野村利左衛門」とされていると紹介されました。 自転車仲間で小生の連れ合い共々親しくさせていただいているなかに 同性の方がおられます。 故あって彼の菩提寺に 彼含め 近しい仲間と 年1回詣でています。 そのお墓は 世田谷の浄光寺にあります。 同家の墓は「三野村利左衛門」の立派な墓所のすぐ傍にあります。 今まで 彼が 「利左衛門」の直系と聞いていてもピンとこなかったのですが、斎藤氏の講演を聴講し、「三野村利左衛門」が 大きなインパクトを持ち 迫ってきました。 過去は人によって繋がれていることを実感した次第。 「三野村利左衛門」は 三井家外から徴用され、幕末から明治初期にかけ 三井家の大番頭として 活躍し、三井銀行、旧三井物産を創立した人物なんですね。

派閥、閨閥、学閥、財閥と 閥の語感は 良くないのですが、良くも悪くも 三井財閥は 300年の歴史を持ち、三菱、住友、安田と共に 日本の経済を担って来た人の有機体。 又 我々を育ててくれたカネカは 鐘紡の化学部門を引き継いだ会社。 その鐘紡は ‘88年(明治21年)に三井銀行からの大幅な資金導入を得、前身である東京綿商社が 発展的解消がされた経緯から 三井財閥の傍系とされていますね。 その後 東洋一の紡績会社となりました。 因みに 小生の義理の父親は その全盛期の紡績工場長の 息子で女工さんのマスコットとして育ったとの事。

三井広報委員会によれば 三井の精神は “自由闊達な風土の中で 人を育て 豊かにする”との由。 まさに 小生が在籍していた時代は その精神が カネカに色濃く 息づいていたなと思った次第。 その風土、人がおられたから 今の自分があり、感謝です。
 


   
 



2023年の活 動

第五回東京トーク会が開催された 

東京トーク会を11月16日(木)15:00~17:30 四ツ谷クラブ大会議室(Zoom配信)で開催しました。

講演者は久方ぶりの登場の三瓶幸司氏です。

「日本神道と神仏習合」をテーマに神道と仏教の歴史を踏まえ、氏の体験も交えた考察に参加者も感銘と刺激を受け、終了後の懇親会でも熱いトークが交わされました。
参加者は次の通りです(敬称略)。

 1. 会場参加(13名):青野 光雄、水口 寿則、斎藤 直人、三瓶 幸司、
             吉田 洋一、鈴木 俊弘、多久 信雄、田中 康克、
             轟 庸蔵、中村 敏雄、原田 浩、川上 厚、鈴木 茂
 2. Zoom参加(3名):伊藤 良一(本社)、金井 文昭、増井 修

 次回の東京トーク会は2月22日(木)四ツ谷クラブで  15:00~17:30(意見交換会含む)で開催します。 発表者は吉田洋一氏で、演題は「記紀と天照の謎」です。 終了後は懇親会を行います。 近づきましたら世話役よりご案内メールを送ります。 トーク会登録者以外の方のご参加も歓迎です。               トーク会世話役 中村 敏雄

感想文を鈴木茂氏より頂きました。

トーク会 三瓶幸司氏の「日本神道と神仏習合」を拝聴して  鈴木 茂

 「日本神道と神仏習合」を拝聴して、まずはこのテーマを取り上げた発表者に敬意を表したい。

 そしてその内容を復讐すると共に、関連あることを私見として述べてみる。

 「神頼み」と云うが、「仏頼み」はあまり聞かない。 「仏の慈悲」にすがるはあるが、頼みごととは違う。  西鉄ライオンズ全盛時に「神様、仏様、稲尾様」と稲尾投手が頼みにされた。  正月の初詣は神社が常識的ではあるが寺院に詣でることもあり、神仏習合を現しているのではないか。  「日本は神の国」と云ってひんしゅくを買った総理大臣がいたが、それは「日本は神と仏の国」であるからか。  根拠もなく絶対的なものとして信じられている神話の世界での人物でその存在が確認されていない「天照大神」を 祖神として、万世一系の天皇が続いている。  その基本となっているのが日本民族の伝統的信仰の神道であるが、仏教のバックアップも見逃せない。

 天照大神は女神として知られているが、皇祖神となる前は男神であったのではないかとは興味深い。  天照大神の孫のニニギノミコトが天孫降臨の時持参したのが三種の神器(八咫鏡、八尺瓊勾玉、草薙剣)で、天皇の正当性を示すものと知られる。

 平家が壇ノ浦で滅亡した時、守護してきた三種の神器を、頼朝の指示により義経が持ち帰り、天皇家の安泰がはかられた。  天下人の三傑(信長、秀吉、家康)の神仏に関するところをみると、信長は、自分は神であり天皇の上になろうとした。  仏敵と言われ、叡山の焼き打ち、本願寺戦争、越前・長島の宗徒の抹殺と、一向宗の根絶をはかった。  キリスト教は認め保護した。 秀吉、家康はキリスト教を否定した。 秀吉は聖職者を処刑した。  東照神君の家康は、島原の乱で隠れキリシタンを抹殺した。 また中国の仏教を取り入れた。  廃仏毀釈は明治政府の目的の天皇中心の国造りのための神道の国教化のための神仏分離政策で、 神社から仏教色を廃する法令が下され、全国の多くの寺が、僧侶が廃合された。 これは必ずしも仏教撲滅を狙ったものではなかった。

 結論として、仏教の影響なくして神道が人々の心に訴えかける力を持つことは出来なかったのではないか。                                   以上







回東京トーク会開催

東京トーク会を9月21日(木)15:00~17:30四ツ谷クラブ大会議室(Zoom配信)で開催しました。
講演は2021年10月に初めてZoomで行ったトーク会以来の登場の鈴木茂氏です。

今回も二度目とは言え不慣れなZoom発表に再挑戦され、「外圧と内戦に辿られた日本史」をテーマに独自の切り口で2000年に亘る日本の歴史を訥々とした鈴木節で語られました。大きなテーマではありましたが、氏のトークに刺激を受け終了後の懇親会でも大いにトークが盛り上がり楽しい宴となりました。

参加者は次の通りです(敬称略)。

①  会場参加:青野 光雄、金井 文昭、川上 厚、斎藤 直人、鈴木 茂、鈴木 俊弘、

中村 敏雄、原田 浩、水口 寿則、吉田 洋一

②  Zoom参加:泉名 政信、伊藤 良一(本社)、上崎 勇一(本社)、増井 修、水野 雄之

感想文を川上厚氏より頂きました。

次回は11月16日(木)で同時間に開催します。講演者は三瓶幸司氏です。

トーク会世話役 中村 敏雄

 
トーク会  鈴木茂さん 『外圧と内戦に辿られた日本史」を拝聴して 川上厚
 9月21日四ツ谷の会場に10名、Zoomでの参加5人で東京トーク会が開催されました。
今回発表の鈴木茂さんは過去、日本史の歴史として戦国時代・太平洋戦争時代を発表されており、今回はどの時代にスポットをあてられた内容かと興味深々で参加しました。講演が始まると2000年余りを2時間で説明されるスタイルであることがわかりました。古事記の時代よりはじまり、鎌倉幕府成立までに
1時間が経過、おいおいこの調子なら夜中までかかるのではと案じましたが、さすがに鈴木さんは17時すぎにはぴったり昭和まで話を終えられました。よくよく考えてみると室町幕府の前半、江戸時代、明治から昭和までの約500年は内戦がない時代、かつ外圧も鎖国でなかった時代でした。私にとってこの2時間は日本史のおさらいをさせて頂き、再認識することも多々ありました。

終了後はZoomでご参加の泉名さんから「これだけ内戦があった中で万世一系の天皇制が続いているのは何故か・」という質問がありましたが、あまりにも問題が大きすぎ、かつ時間もないため今後の機会となりました。しかしまことに時節を得たご質問でした。

現地参加者による懇親会では鈴木俊さんより、「現在の日本にとっての外圧と内戦は何か」という提題があり、各自より、少子化・AI拡大・防衛費・中国の脅威等様々な意見が飛び出し大いに盛り上がりました。これも鈴木茂さんの日本史への新しい視点での切り込みのお陰でした。ありがとうございました。
最後に演者の手書き原稿をパワーポイントに落としこむ作業をされた中村さんに感謝いたします。
 

   
   


第三回東京トーク会開催

東京トーク会を6月15日(木)15:00〜17:30四ツ谷クラブ大会議室(Zoom配信)で開催しました。講演は吉田 洋一 氏の「邪馬台国論争の新潮流」で、終了後は久方ぶりに四ツ谷クラブで懇親会も行い、共に大いに盛り上がりました。
参加者(敬称略)は次の通りです。
①会場参加: 青野光雄、川上厚、斎藤直人、三瓶幸司、鈴木茂、轟庸蔵、中村敏雄、原田浩
②Zoom参加: 泉名政信、伊藤良一(本社)、金井文昭、上崎勇一(本社)、水野雄之     
感想文を原田浩氏より頂きました。 吉田さん、発表原稿はここをクリックして下さい。
次回開催は9月14日(木)or21(木)日で同時間帯での開催を予定しています。講演者は鈴木茂氏です。
世話役:中村 敏雄


 

  トーク会  吉田洋一さん 『邪馬台国論争の新潮流」の感想 原田浩
  6月15日(木)、久しぶりにトーク会に出席した。発表者は吉田洋一さん、演題は首記の通り、「邪馬台国論争の新潮流」、場所はカネカ四谷クラブの3階大会議室。飲み友達の吉田さんのお話を聞けるのが嬉しいとともに、今や懐かしい四谷クラブでの旧友たちとの出会い、さらに講演終了後の懇親会も楽しみであった。

さりながら、また当然ながら、最も興味を惹かれたのはこの日の演題、「邪馬台国の論争」である。本来歴史にはあまり興味はないのだけれど、最近の新聞やらテレビやらで報じられてる、吉野ヶ里遺跡の発掘と、それに伴う邪馬台国の場所の明確化、さらには女王卑弥呼の挙動などなどにはかなり気を惹かれ、関連する新聞記事などは熟読する毎日を過ごしていたので、この日の情報で少しでも女王卑弥呼の正体が判れば嬉しいな、と思いながら久し振りに四谷の鈴伝の前を横切って四谷クラブに到着した。

当日現地に集まったのは、発表者の吉田さんを始めとして合計9人。それにZOOM参加の数名も加わって、賑やかさを増していた。吉田さんの講演は例によってなかなか達者。内容の詳細は多分この原稿の後に添付されるであろう、当日の吉田さんのレジメ文をご覧いただきたいが、普段歴史にはほとんど関心を持たない筆者にとっては初めて知る内容が殆どで、興味が湧き、いろいろ考えさせられ、楽しかった。

興味の第一は、邪馬台国が九州にあったのか畿内にあったのかの論争であるが、現時点では畿内説が有力なるも決め手はまだない、というのが「吉田説」らしい。「決め手はまだない」というのは知っていたけれど、その具体的中身をよく教えて貰って嬉しかった。

さらなる興味は、その女王とされる卑弥呼が何処に住み、その墓は何処にあるのか、これまた現在も不明のままだが、その解明ぶりはどのようになっているかということ。卑弥呼の墓については、吉野ヶ里遺跡やら纏向遺跡やらの発掘作業が進んでいるが、これまた現時点では決定的証拠は見つかっておらず、謎のままということらしい。そのうち発掘が一層進むとともに、新しい事実が発見されることに大きな期待を持ち続けたいものである。

 ま、それは兎も角、このトーク会でのもう一つの期待は、講演終了後の懇親会である。コロナ以降初の、四谷クラブでの懇親会、2階のいつもの大部屋で、昔ながらのビールやら日本酒やらとコース料理を楽しみながら、それぞれの談話が繰り広げられた。今日のトーク会の中身の議論はもとより、これからの日本のあるべき姿やら自らの今後の人生の歩みぶりなどなど、談論風発が続き、あっという間に時間終了、いつもながらの充実した懇親会だった。また次回を楽しみにして暫しの別れを告げた。

 楽しい、充実したスピーチを聞かせてくれた吉田洋一さんに、心から敬意を表します。

   
   


第二回東京トーク会開催

 

トーク会 講師 斎藤 直人さん

『伊藤博文 何をめざしたのか』の感想 三瓶 幸司

「伊藤博文は何をやった人でしょうか?」との、講師の問い掛けから、今回のトーク会が始まった。

 そう言えば、何をした人だっけ?言われてみれば、名前は良く知っているし、明治期の歴史小説を読めば度々名前が出て
来るが、彼の事績を述べろと言われても殆ど知らない。

知っていることと言ったら、長州の下級氏族の出で、早い時期に海外視察をし(維新前に長州ファイブとして英国留学をした…
斎藤さんの発表で知った)、首相となり、国会議事堂に像があり、晩年韓国統監となり、暗殺された。無類の女好きだ。
位が知識の総てで、あまり興味を持つ対象ではなかった。
私は司馬遼太郎が好きだが、彼の評価は「思想なき現実主義者」
だそうで、大変手厳しい。なぜその様に評価されるのか?
 それを斎藤さんは、時代・環境の変化とそれに関わる伊藤自身の
考え方の変化から読み解いてゆく。
まずは松下村塾での吉田松陰の影響。塙次郎暗殺者のテロリストとしての一面。
(暴発型の行動)

1863年の英国留学で尊王攘夷から開国主義者へ。(松陰からの脱却)

その中で、英語力で長州藩内でのリーダーシップ…周旋家

更に、不平等条約の改正の岩倉使節団で渡米し、欧米との国力の差を思い知らされ、急進主義から漸進主義へ考えを改める。

一方、周旋家として、反征韓派結束に奔走し、その後の西南戦争、木戸・大久保等の死により政府内での地位を高めた。

その後、憲法制定や国会開設に関しは、急進的なイギリス流議院内閣制を主張する大隈重信等とは異なり漸進的進化論を
唱えた。
紆余曲折の後、1889年明治憲法発布1890年帝国議会開設に至る。その中で、後に伊藤内閣(元勲内閣)が成立。
しかし、未だ政党政治にはいたらず。

しかし、憲法・議会制・文明国を三位一体として認識することにより、政党政治へ踏み込む必要が生じ、立憲政友会を結成するに至る。その後の政治・政党の混乱は複雑を極めるが、この辺りから伊藤は政党から切り離される様になったようだ。
65歳となった伊藤が何故韓国統監になって火中の栗を拾おうとしたかは定かではないが、ロシアとの地政学的な問題・
大陸進出への足掛かり等々、様々類推させられるが、斎藤さんは

1.「文明」:東アジアに文明を広めたい→「文明の伝道」

2.「軍のコントロール」:軍の指揮権の奪取の論点からだと考えている。
伊藤の描いた韓国統合構想(伊藤のメモによる)は、

1.      韓国議会の開設 

2.      韓国人による責任内閣

であり、民族自決を認め、韓国再独立の道を描いたのではないかと推定されている。
1909年10月26日、ハルピン駅頭で韓国人による凶弾に倒れるが、犯人が韓国人だと知ると「俺を撃ったりして、馬鹿な奴だ!」
と言い残したそうだ。

 発表を聞き、斎藤さんの維新以後の歴史に対する知識の幅の広さ、深さに驚かされた。私が断片的に知っていたことが、
体系的にその背景も含め、理解が出来たことに感謝するとともに、大変なご努力に敬意を表します。


斎藤さん、発表原稿はここをクリックして下さい。

   
 

拡大写真はここをクリックして下さい。
 



第2回東京トーク会開催ご案内

 

本年第2回のトーク会は前回同様四ツ谷クラブ開催&Zoom配信で行います。
今回の発表は斎藤直人氏が行います。
斎藤氏は現在NPO法人大磯ガイド協会理事で地域の観光ボランティアガイドの要として活躍されています。

参加ご希望の方は

①四ツ谷クラブで参加
②Zoomで参加  
の何れかでお答え願います。
尚、四ツ谷クラブでの参加の方は同好会活動基準(マスク着用、体温測定37℃以下)をお願いします。
また、参加したいがZoomが初めての方、又は経験はあるが自分のPC等にZoomのインストールが出来ていなくて自信のない方は申し出て下さい。幹事が対応致します。
ではご検討のほど宜しくお願い致します。

東京トーク会世話役: 中村 敏雄
              鈴木 俊弘
      記
1. 開催日時: 令和5年4月20日(木)14:00〜16:30
                   発表終了後の30分程度の感想交換会を含みます。
2. 場 所   :  四ツ谷クラブ3階大会議室(Zoom配信)
3. 発表者  :   斎藤 直人 氏
4.演 題   : 「伊藤博文 何を目指したのか」
                                                         以上



第一回東京トーク会開催

 

中村敏雄さん「故郷甲賀の歴史のトーク会に参加して水口寿則氏ー感想文


中村敏雄さん故郷である「甲賀」について、その歴史の説明とそこに忍者が生まれた背景についての考察を聞かせて頂きました。特に今年のNHKの大河ドラマ「どうする家康」が始まって間もない時期であり、トーク会が行われる4日前の放送に服部半蔵が登場したりと、まさに旬の話題であったため、大いに興味をもって聞かせて頂きました。
 

甲賀の歴史に関しては、1700年前からの説明に始まり、謎多き紫香楽宮についての解説が行われました。紫香楽宮は、8世紀 当地に建設が始まり、新宮となったが、すぐに他に都が移されるという短命な都であったこと、およびその理由(天変地異等)を解説されました。中村さんの研究熱心なところは、学術文献の調査に留まらず、実際現地に赴き、自分の足で紫香楽宮跡等を確認されたことにより、我々への説明もより分かり易いものとなりました。

話は戦国時代に移り、甲賀・伊賀で有名な忍びの者の考察に入りました。織田信長、豊臣秀吉らはどちらかと言うと、忍者をあまり重用してこなかった(好きではなかった)ようであるが、徳川家康は逆に、忍びの者の能力を認め、積極的に活用した、との説明を受けました。中村さんの解説を聞き初めて、先日の「どうする家康」で正室「瀬名」を今川家から救い出したのが服部半蔵であったことに納得した次第でありました(救い出したのは、石川数正との説もあるようです)。

中村さんのお話を伺い、最初の感想は、準備にものすごい時間をかけられたのだろうな、というものです。参考文献(紹介されているものだけで)12冊、加えて現地取材。使用スライド60枚。自分の故郷を更に理解したい、との思いは誰しも持っているものの、ここまでの努力は誰にでもできることではない、と感じました。歴史音痴の私も、少し賢くなったような気がした一日でした。ありがとうございました 

   

トーク会開催の案内

 2023年第一回東京トーク会

日時: 2023年2月16日(木)

13:30〜16:00

終了後30分程度の懇親会

開催場所: 四ツ谷クラブ(大会議室)&Zoom配信

 発表者:   中村敏雄 氏

演題:

 「故郷甲賀の歴史

  副題: (紫香楽宮から忍者まで、意外と知らない甲賀の歴史)

以上


2022年の活動

第五回東京トーク会開催

  11月のトーク会を2日(木)に四ツ谷クラブで開催しました。
発表者は青野 光男 氏氏で演題は「日本のあけぼの」 です。


斎藤直人氏 感想文

青野さんのトークテーマ“日本のあけぼの”、興味深く楽しく聴かせていただきました。今年は皇紀2682年だそうです。世界で最も古い歴史を持つ国であるという皇国史観は戦後否定され、今日に至っています。ただその真実はともかく我々日本人としてのアイデンティティーは持ちたいものです。
日本で一番古い書物である古事記・日本書紀は、単なる物語であり、真実を語っていないなどと喧しいご意見もありますが、我々は、むしろ古代人のおおらかさと自由な発想にこそ、その価値を見出すべきではないでしょうか。
青野さんが語られた欽明天皇以降の天皇を巡る勢力争いなど、まさに人間臭い営みを感じられます。
青野さんは、「伊弉諾・伊弉冉による国生み」、「天岩戸」「八岐大蛇」等々馴染みのあるお話をされました。特に印象に残ったのは、「黄泉比良坂」の話です。これと同じ話がギリシャ神話にあるとのこと。民族は異なっても、民族のもつエネルギーに共通なものがあるのでしょうか。興味あるテーマをいただきました。
青野さんのお話は万葉集にまで及びます。私も質問させていただきましたが、万葉集にはご存じ東歌、防人の歌が数多く載せられています。青野さんのお話に乗せられて、私が印象深かった歌を思い出しました。その時には思い出せなかったのですが。

第20巻4425 防人の歌

  色深く 背なが衣は染めましを み坂給らば まさやかに見む

足柄峠を越えて小さくなっていく夫の背を見ながら嘆く妻の気持ちがわかります。

このように、古代の人間の生き様をお話いただいた“日本のあけぼの”ですが、今日的なテーマのなかで認識すべきなのかもしれません。
青野さんの幅広い知識にに彩られたお話ありがとうございました。                         

以上

   
   

第四回東京トーク会開催

  9月のトーク会を21日(木)に四ツ谷クラブで開催しました。
前回(6月)同様Zoom配信を行いました。
発表者は金井文昭氏で演題は「ロシアはなぜここまでウクライナをいじめたいか、その歴史的背景と今後の展望」

参加者(敬称略)は以下の通りです。
四ツ谷クラブ: 青野光男、金井文昭、鈴木茂、鈴木俊弘、轟庸蔵、中村敏雄
Zoom参加: 川上厚、泉名政信、伊藤良一(本社)、上崎勇一(本社)、斎藤直人


鈴木俊弘氏 感想文

2022年2月24日にロシアの侵略によってこの戦争が始まりました。多くの軍事専門家の予想をはるかに超えてウクライナ軍が善戦しています。

 ウクライナではロシア帝国やソ連の200年の支配を通じて10回以上のウクライナ語の使用禁止令が出されたといいます。当然、ウクライナ語による教育は許されず、ウクライ

ナ語、ロシア語の2重言語国家となっていきました。ウクライナの独立を目指す動きには凄まじい弾圧が行われたことは想像に難くありません。

 そういった時代を経験した多くのウクライナ人がこの度のロシア侵略に対して命を懸け
てウクライナの国家主権を守ろうとしているのだと思います。そして何よりもゼレンスキー大統領が首都にとどまり自撮り動画で自らの言葉で世界に発信しているのはウクライナ善戦の大きな要因になっていると思います。 

しかしながら、ヨーロッパ諸国ではエネルギーコストの高騰、インフレの加速によって経
済が低迷し、政治的にもポピュリズム政党が台頭する国が現れ、EU の対ロシアの足並みも崩れつつあります。

翻って、今の日本で第3国による侵略が起こった場合、日本人はどう行動するだろうか。
統一教会問題や国葬問題を巡る政治家、マスコミの右往左往を見ていると国家主権どころではない大パニックに陥り日本という国が散り散りになってしまうだろうと思います。そういう状況の中で、今、我々一人一人が何をなすべきでしょうか。出来ることは、この戦争がどうなっていくのか、ウクライナという国の国家主権がどうなっていくのかを、明日の日本に強く想いを致しながら、しっかりと見守っていくことしかないと思います。

 その意味で、今回のトーク会でこの戦争をテーマとして取り上げ、参加者の一人一人が自
分の意見を持ち、真剣に議論したということは大変意義あることだと思いました。

   
   写真は左上発表者左下はZoom参加者、右上は四谷参加者です。


第三回東京トーク会開催

 東京トーク会『アイルランド人と日本人』に参加してー中村 修
入社したころのカネカはアイルランド人だらけだった・・・

6月15日(水)、四谷クラブで開かれた東京トーク会『アイルランド人と日本人』に参加しました。講師は吉田洋一氏で、その博識と知見の深さに圧倒され、充実した時間を過ごさせていただきました。
小生、定年になって1年も経たない内に、ホーチミン、その後シンガポールに都合9年間駐在したため、鐘華会の行事に参加することができず、この東京トーク会が初めての場でありました。会場には、轟庸蔵氏、鈴木俊弘氏、鈴木茂氏、金井文昭氏、三瓶幸司氏、中村敏雄氏といった方々がおられ、加えて、Zoomでの聴講者もおられ、皆さん、いくつになっても自己啓発に勤しんでいるのだなぁ、と鐘華会の活動の奥深さを実感した次第です。

発表内容としては、アイルランドという国の紹介、アイルランドと日本の関係、親日国家であり、大戦中は英連邦に属していたにもかかわらず、中立を守り、日本の領事館を許可したこと、さらに、アイルランドの歴史の紹介、特にイングランドから徹底的に侵略され、幾多の国家的困難に遭遇しても、独立自尊の精神で乗り越えたこと、かつ、ジャガイモ飢饉(1845年)をきっかけに半数の国民が新天地のアメリカに渡り、WASP(White Anglo-Saxon Protestant)の支配する米国において、カトリック教徒であるが故に差別され続けたアイルランド人移民の苦労はあったが、不屈の魂で、政界、実業界、映画・芸能界で重要な位置をしめるようになったことを詳細に説明いただきました。因みに、J・F・ケネディ大統領やジョン・フォード映画監督はその代表的人物ということです。
講演の締めくくりは、アイルランド人と日本人の気質の違いでした。
アイルランド人は、主食はジャガイモ、日本人は米、その栽培の違いは、ジャガイモは手間がほとんどかからず、放っておいても育つが、唯一のリスクは疫病の発生(1845年のジャガイモ飢饉)、米作は手間がかかり灌漑施設などの共同作業が必要になる。結果、アイルランド人は怠け者のきらいはあるも、他人のことをあまり気にせず、自分独自の考え方で生き抜いてきたため、個人主義的かつオリジナリティを大切にする考え方が根付いてきた。日本人は、ムラ社会に代表されるように、常に他人を意識し、自分の考え方を強く表に表さず、気配りを大切にする考え方が根付いてきた。
この気質の説明については、痛く感心させられました。加えてアイルランド人は長年イングランドの侵略に対して抵抗をし続けてきた結果、民族に対する意識、誇りは強く、不撓不屈の精神が醸成されるようになったとのことで、アイルランド国としては人口400万人なるも、アイルランド人は世界に7,000万人、米国に4,000万人いるという事実もむべなるかなと思えた次第です。
トーク会後に話し合いがもたれました。小生としてはカネカに入社したきっかけを作った採用案内のパンフレットについて話しました。そのキャッチフレーズは『われらカラフル~ロマンへの旅立ち~』でしたが、その企画を作られた鈴木俊弘氏、同期の中村敏雄氏がおられ、盛り上がりました。われらカラフル、自分の色を出して、仕事ができる、それがロマンだ!と意気に感じて入社したことを披歴しました。
ところでこれは、個人主義的でオリジナリティを大切にするアイルランド人の気質に通じるものではないか?不撓不屈の精神で世界を渡り歩くアイルランド人に通じるものではなかったのか?と家に帰って思いました。
そういえば、小生の入社したころのカネカは、個性的で唯我独尊、従って上司をものともせず、自分の考え方で仕事を推し進めていく方が結構おられたような感じがします。自由闊達に通じるものがここにあったのかぁと懐かしく思い出しました。
ということは、『入社したころのカネカはアイルランド人だらけだった・・・』と言えなくもありません。呵々大笑!


写真は四谷クラブでの発表の風景とZoomで参加した方々の写真です。撮影 金井

   


第二回東京トーク会開催

川上厚さん 我が故郷「生野銀山」 ト−ク会に参加して」 ー青野光雄

今回のトーク会は、本社からの参加者も含め17名の参加でZOOMで開催されました。 瀬戸内海から日本海まで広がる兵庫県 姫路から豊岡に南北に続く内陸部に生野銀山があり、ここが川上さんの生まれたところだそうです。生野銀山は、大同2年(807年)発見されたようですがその頃の記録は乏しいようです。
室町時代1542年 但馬守護 山名裕豊が開坑の起源であり、織田信長・豊臣の直轄時代を経て、1600年 徳川家康が但馬奉行を配置し、8代将軍吉宗の時代に最盛期を迎えたようです。商人経済・貨幣経済の興隆に沿ったものでしょうか
明治元年(1868年)政府直轄 官営鉱山となり 明治22年 皇室財産に移され明治29年 三菱合資会社に払い下げされます。昭和48年(1973年)閉山まで時系列を詳しく説明がありました。

銀の馬車道

生野銀山の産物を如何に輸送するか、鉄道・船便・馬車便が検討され、道も2案が比較されています。この時代、このような投資効果が検討されたことは敬意を感じます。結果 生野より飾磨港まで49kmに馬車道が作られました。砂・砕石・砂利等 舗装仕様がしっかりした、高速産業道路といえるもので、銀を輸送することから銀の馬車道と称されました。 やがて播但鉄道の開通により鉄道輸送に移行していきます。このあたりから、川上さんの郷土愛、ノスタルジーが強く語られてきました。

生野鉱山官舎

生野銀山に働く人たちの官舎として、フランス人技師用の大きな洋館建築、幹部用の床の間付き家屋等 いろいろな官舎が作られています。残念ながら鉱夫の住まいへの言及はありませんでした。そしてこの官舎に、名優志村喬が住んでいた時代があったと、さらにこの同じ家に川上さんが住んだと、志村喬が “命短し恋せよ乙女” と歌ったのは1952年(映画 生きる)です。この頃 川上さんは恋に目覚めていたでしょうか? 今日のトーク会をきっかけにトーク会に参加した皆さん、今一度 恋に目覚めてみませんか❣

 “老いらくの 恋は恐るる何ものもなし”歌人 川田 順 は実践しました。 現在 生野鉱山跡は、坑道内部を含み官舎記念館等 史跡として公開されています。訪ねることも一興かと   

   
 生野銀山全景  銀の馬車道
   
 生野鉱山官舎  参加者のみなさん



2022年第一回東京トーク会開催

「ト−ク会に参加して」     ー轟 庸蔵

世界中を震撼させているコロナウイルスの第5波が終息したかと思いきや、今度はオミクロン株というやたら感染力の強い新型のコロナが、あっと言う間に日本全土を埋めつくし第6波となりました。
  東京ト−ク会も2020年2月の鈴木さんの発表を前に、コロナ流行で対面開催が延期され約二年間余り対面が中断しています。
 そんな中で世話役の呼び掛けもあり、zoomによるト−ク会に1月27日斉藤直人さんの「政治家陸奥宗光の外交とその活躍について」の講話をzoomで初めて参加しました。
  Zoomでの参加は初めてだったので、事前に中村支部長のご指導の下で練習をして27日の本番に臨みました。
  水野さんをはじめ14名でのZoom画面で久方ぶりに皆さんのお元気なお顔を拝顔出来ました。私は声帯を傷めて声が出せないで、皆さんとご挨拶も出来なかった事が残念でした。
  斉藤さんの講話を要約しますと、「陸奥宗光は和歌山藩士からの脱藩から坂本龍馬との知遇、海援隊への参加、そして27才(1871年)で神奈川県知事となり、その後外交官として活躍し、1890年山県内閣での農商務相をかわきりに衆議院議員となり、政治家としてスタートを切って、1892年伊藤内閣で外相となり、其までの外国との不平等条約の解消に尽力すると共に日清戦争を主導することにより、明治維新後の日本を列強から認めさせる原動力となった。その外交政策は、「陸奥外交」と呼ばれ日本外交の原点とも云われた。彼の著述「謇謇録」には、その思いが赤裸々語られている」。
  斉藤さんの幅広い知見とポイントを得たレポート、レジメ等々をお聴きして、有意義なZoomでのト−ク会でした。
  話は変わりますが、1月の「きょうの健康」で?「音読が脳の活性化に効果がある」そして「音読と速読(声を出して早く読む)するとより効果がある」と紹介しています。
  私も声は出ません(ひそひそ話程度は出来ます)が、どうぞ健康維持のために、新聞、読書を音読しながら読んで見ましょう。


写真はZoomトーク会で撮影したものです。みなさんの笑顔が素敵ですね! 編集者
 




2021年の活動

第1回オンライントーク会開催


10月6日()     日本が辿った太平洋戦争敗戦への道と題して  鈴木茂さんのオンラインのトーク会が実施されました。以下は発表終了後安堵した表情の鈴木さんの写真です。


ZOOMトーク会盛況!鈴木茂さんのチャレンジ精神には頭が下がります!

10月6日に13名(内大阪支部2名)の参加を得てZOOMトーク会を開催しました。昨年の2月から活動を休止していたトーク会を発表者の鈴木さんの熱意に応えZOOMでやってみました。1年半も待ちぼうけを食わされた鈴木さんのトークのテーマは「日本が辿った太平洋戦争敗北への道」という大作で、時間が足りず後半は駆け足のトークになったのは申し訳ない限りです。それでも久方ぶりのトーク会を楽しんで頂けてホッとしました。参加者にも好評で、今後もZOOMトーク会も企画していきます。
参加者から頂いたコメント(抜粋)をいくつか紹介します。
「鈴木さんのお話は戦争のディテールやエピソードなど豊富に話されて、コロナ禍でよく勉強されているなあと感心しました。」
「久々のトーク会、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。ZOOMによる会議を経験する前はやや疑問視しておりましたが、ZOOMならではのリラックスした雰囲気と質問のしやすさなどもあり、今後もコロナ対応だけでなく活用できると考えます。」
「久しぶりに皆さんの顔と声を確認出来て大いに楽しむことが出来ました。発表者のいつもながらの熱演に拍手。」
「企画実行して頂き感謝します。久しぶりに皆さんのお顔を拝見して感激、ZOOMもgoodと認識しました。」

次回は来年1月になりますが、感染状況も大きく改善しましたので、四ツ谷クラブでもZOOMでも参加頂ける企画を検討中です。ご期待下さい。

トーク会世話役 中村 敏雄

2022年以前の投稿はこちらをクリックしてご覧ください。